第18話 傷だらけの硬貨
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丘を下りて町へ近づくにつれ、街道を行き交う人の数が少しずつ増えてきた。
荷車を引く男、籠を抱えた女、店先で荷を運んでいる子供。誰もこちらを気にしている様子はない。それでも、すれ違うたびに顔を見られている気がして、俺は外套の襟を少し立てた。
胸元ではセレスがじっとしている。
「苦しくないか?」
小声で聞くと、外套の中からさらに小さな声が返ってきた。
「お前が押さえつけなければな」
「押さえてないだろ」
「……狭いのが嫌なんじゃ」
こんなところで言い合って目立つ方が困るので、そのまま町の中へ入った。
王都のように大きな通りがあるわけではないが、街道沿いにはいくつかの店と家が並んでいた。
町へ入って少し歩くと、軒先に干し肉や革袋を吊るした店があった。旅人向けの店らしく、保存食や日用品のほか、壁際には何本か剣や短槍まで立てかけてある。
「ここで大体揃いそうだな」
店へ入る前に呟くと、胸元でセレスが動いた。
「お前、一応金は持っておるんじゃな」
「持ってるよ。でも、まさかこんなことになるとは思ってなかったから、そんなにはない」
「勇者のくせに、随分心許ないのう」
「必要なものは今まで用意してもらってたんだよ」
セレスが外套の中へ収まったのを確かめ、そのまま店へ入った。
中には保存のきく焼きしめたパンや干し肉、縄、火打ち道具などが並んでいる。まず数日分の食料と水袋、それに背嚢を選んで台の上へ置いた。
店主は四十前後の男だった。品物をざっと見てから手早く計算する。
「兄ちゃん、旅の人かい?」
品物を包んでいた店主が何気なく聞いてきた。
「え?」
「その格好だよ。町の者じゃないだろ?」
「ああ……まあ」
「どこから来たんだ?」
答えるまでに、少し間が空いた。
「王都の方から」
店主は「そうか」と言っただけで、それ以上は聞いてこなかった。
「合わせて大銅貨四枚と銅貨六枚だ」
俺は腰の小袋を開けた。
大銅貨はほとんど残っていない。仕方なく銀貨を一枚取り出して台へ置くと、店主の手が一瞬止まり、銀貨の表と裏を確かめてから俺の顔を見た。
「えっと……これで足りますよね?」
「ああ」
それ以上は何も言わず、大銅貨と銅貨で釣りを返してくる。俺は少し気になったものの、受け取った硬貨を小袋へ戻した。
食料を背嚢へ詰めていると、壁際の剣が目に入る。
「剣も見ていいですか?」
「ああ。好きに見な」
店主が作業台の向こうから答えた。
並んでいる中から一本を抜いてみる。これは、重心が前に寄りすぎている。次に手に取った剣は軽めで、柄が少し細かった。
三本目を抜いて何度か手の中で返してみると、感触は悪くなかった。
しかし、刃には細かな傷があり、鞘にも擦れた跡が残っている。中古なのは見れば分かる。それでも刃こぼれはなく、手入れさえすれば十分使えそうだった。
何度か握り直して重心を確かめる。
「それは銀貨六枚だ」
店主が言った。
「こっちのより随分安いんですね」
「ああ。見た目を気にする奴には売れねえからな。鞘も古いし、柄も一度巻き直してる。ただ、物は悪くねえ」
俺はもう一度剣を構えてみた。
勇者だった頃に使っていた剣とは比べられない。それでも、今必要なのは魔王と斬り合うための名剣じゃない。
「これにします」
「そうか」
剣を鞘へ戻して台へ置くと、さっきより店主の声が少し柔らかくなった気がした。
俺が代金を払おうと小袋へ手を入れたところで、店主が口を開く。
「兄ちゃん」
「はい?」
「金貨は持ってねえのか?」
思わず手を止める。
「ありますけど……」
「一枚出してみな」
言われた通り金貨を取り出すと、店主はそれを受け取って指先で弾いた。
今度はさっきの銀貨ほど驚いた様子はない。
「やっぱりな」
「何がです?」
「兄ちゃん、この金がどういうもんか知らねえのか?」
「普通のカリュドリアの金貨じゃないんですか?」
店主は少し黙ってから、呆れたように俺を見た。
「こういう上等な金貨は、王城の報奨なんかで出てくるもんだ」
「え?」
店主が金貨を台へ置く。
言われて改めて見るが、俺にはいつも使っていた金貨にしか見えない。王冠と王家の紋章が刻まれ、縁にもほとんど傷がなかった。
「町で回ってる銀貨や金貨は、もっとくすんでるし、縁も削れてる。戦が長いせいで、最近のは混ぜ物も増えてるしな」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって……」
店主が眉を寄せた。
「さっき銀貨を出したとき、最初はどっかの貴族の坊ちゃんかと思ったぞ」
そこで一度、俺の格好を見る。
「その割には供もいねえし、服もその有様だ。盗んだ金じゃねえだろうなとも思ったぜ」
「盗んでませんよ」
思わず即答すると、店主が笑った。
「今はそう思ってねえよ。剣の選び方を見りゃ、それなりに場数踏んでるのは分かる。わざわざ一番高いのを選ばねえところもな」
店主は台の上の金貨を指で転がした。
「ただな、こういう金をそこらの店で何枚も出すもんじゃねえ。こんな田舎町じゃ余計に目立つぞ」
俺は腰の小袋を見る。
中に入っている銀貨も金貨も、ほとんどが同じようなものだ。
勇者として行動するために支給されていた金だった。誰がどこで用意したものなのかなんて、今まで考えたこともない。
「どうすればいいんですか?」
「金貨を俺が崩してやる」
「崩す?」
「使い古した銀貨と大銅貨に替えてやるってことだ。いろんなところから入ってきた金だから、刻印も状態もばらばらだ。そっちの銀貨も何枚かなら替えてやる」
店主が俺の小袋を顎で示す。
「多少は手数料をもらうけどな」
この男を信用していいのか、少し迷った。さっきまでなら、そんなことを考えもしなかった気がする。
俺が黙っていると、店主が肩をすくめた。
「嫌ならいい。ただ、その金を持ってることは、そこら中で見せびらかさねえ方がいいぞ」
手元の金貨を見る。俺には見慣れた金貨でも、この町では目立つらしい。
「……お願いします」
「よし。ちょっと待ってな」
店主は店の奥へ入っていった。
しばらくして店主が戻ってくると、俺は両替を済ませて剣の代金を払い、受け取った硬貨を小袋へしまった。
「ありがとうございました」
そう言いながら、剣を腰に差す。
剣や食料のことは考えていたが、金の使い方まで気にしなければならないとは思っていなかった。
店を出て少し歩いたところで、胸元からセレスの声がした。
「アルト。あれでよかったのか?」
「両替のことか? ちょっと迷ったけど、店主の言ってることももっともだと思って」
「まあな。間違ったことは言っておらん」
「何だよ。気になる言い方だな」
セレスが外套の中でもぞりと動いた。
「あの店主も言っておったじゃろ。最近の硬貨は混ぜ物が増えておるとな」
「……あ。同じ銀貨でも、俺が持ってた方が混ぜ物が少ないのか」
「そういうことじゃ」
「それを同じ枚数で替えて、手数料まで取ったわけか」
「商売人としては抜け目がないのう」
「じゃあ、俺は騙されたってことか?」
「勘違いするなよ。お前に教えたことまで嘘というわけではない。あの金をそのまま使い続ければ、いずれ妙に思う者は出てくるじゃろう」
「じゃあ、助けてくれたのは本当なんだな」
「助けながら儲けただけじゃ。別にどちらか一つである必要はなかろう」
「そういうものか……」
「そういうものじゃ。店主は儲けたし、お前も使いやすい金に替えられた。気にするほどのことではなかろう」
「まあ、それならいいけど」
俺は背嚢を背負い直した。
「じゃあ、次は宿を探すか」
「飯の美味いところにせい」
「何だよそれ」
俺は苦笑して歩き出した。腰の小袋では、さっきまで持っていなかった傷だらけの硬貨が鳴っていた。
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