第2話 黒蜥蜴と魔王
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「俺は……?」
ぼやけた視界の先に、見覚えのある玉座があった。
「魔王城……」
そこまで呟いて、記憶が引っかかった。
「そうだ! 魔王!」
慌てて身体を起こす。
玉座の前には、全身鎧を着た魔王が倒れたまま動いていない。
「そうだ……倒したんだ」
俺は確かに魔王を倒した。だが、その後、何かが身体の中に流れ込んできて――。
そこから先の記憶がない。
ただ、最後に誰かの声を聞いた気がする。
「ガイル!」
まず壁際へ目をやるが、倒れたままだ。
フィーネも動いていない。
俺は立ち上がり、二人のところへ向かおうとして――足を止めた。
「……あれ?」
脇腹が痛くない。
裂けた服をめくる。血でべったり汚れているのに、その下には傷一つなかった。
「なんで……」
肩も触ってみる。こっちも何ともない。
腕を回してみても、引っかかる感じすらなかった。
それどころか身体が妙に軽い。
あれだけボロボロだったはずなのに、今ならもう一度戦えそうなくらいだ。
普通なら喜ぶところなんだろうが、気を失う直前のことを思い出すと素直には喜べない。あの魔力と関係があるのか?
「……あり得ん」
声がした。
俺は反射的に剣を抜く。
「誰だ!」
返事はない。
周囲を見回すが、目に入るのは倒れた魔族や崩れた柱、散らばった瓦礫ばかりだ。玉座の周りにも、誰かが隠れている様子はない。
「今、確かに声が聞こえたよな?」
返事を待ったが何もない。聞き間違いかと思ったところで、もう一度声がした。
「何がどうなっておる……」
また聞こえた。今度は間違いない。
「そこか!」
声のした方へ剣先を向ける。
そこには――。
「……蜥蜴?」
黒い蜥蜴が一匹いた。
瓦礫の隙間から這い出して、こちらを見上げている。
俺が見下ろすと、蜥蜴もじっとこちらを見上げている。しばらく見つめ合ってから、恐る恐る声をかけた。
「おい」
「なんじゃ」
喋った。
思わず剣を構え直す。
「お、お前、今喋ったよな?」
「聞こえたのなら、そういうことじゃろ」
「いや、蜥蜴が喋るのがおかしいんだよ」
黒蜥蜴が面倒そうに顔を背ける。表情までは分からないが、態度だけは妙に人間くさい。
それより。
「お前、何なんだ?」
「それはこちらの台詞じゃ。なぜわしがこんな姿になっておる」
「知らないよ」
「知らないで済むか!」
「俺に怒るなって!」
黒蜥蜴が俺を睨んでいるように見えた。
妙な奴だと思ったが、その声には聞き覚えがある。気を失う直前に聞いたものと同じだ。
「お前が、さっき叫んでたのか?」
「さっき?」
「俺が倒れる前だよ。『なんじゃこれは』って」
さっきまで何を言ってもすぐに言い返してきた黒蜥蜴が、そこで初めて黙り込んだ。
「……誰なんだ、お前」
もう一度聞くと、黒蜥蜴はしばらく黙ったあと、小さく息を吐いた。
「そういえば、勝ったら教えてやると言ったな」
「え?」
「セレスじゃ」
「は?」
「わしの名はセレス」
黒蜥蜴は平然と言った。
「お前が先ほど斬り殺した魔王じゃ」
俺は黒蜥蜴を見て、それから床に倒れている魔王へ目をやる。どう考えても、目の前の二つが同じ存在だとは思えない。
「……いやいやいや」
「何じゃ」
「おかしいだろ」
「わしだってそう思っておる!」
黒蜥蜴――セレスが声を荒らげた。
「目が覚めたらこの有様じゃ! 身体は小さい。手はこれだ。尻尾まで生えておる!」
短い前脚を持ち上げる。
「魔王が……蜥蜴?」
「何度も言うな!」
「何かしたのか?」
俺が聞くと、セレスの動きが止まった。
「じゃあ、最後の魔法陣。あれは何だったんだ?」
「……転生の秘術じゃ」
「転生?」
「死ぬ前に、別の器へ逃げるための術じゃ」
セレスは自分の身体を見下ろした。
「じゃあ、成功したんじゃないのか?」
俺は黒蜥蜴を見る。
「一応、生きてるし」
「これを成功と呼ぶな!」
「まあ、それはそうか」
「少なくとも、こんな姿になる術ではない。それに……」
セレスが何かを確かめるように目を閉じる。
しばらく待っていると、黒い身体がぴくりと動いた。
「……ない」
「何が?」
「魔力じゃ」
「魔力?」
「わしの力がない」
さっきまでの勢いが消えていた。
セレスが前脚を床へつけたまま動かない。
「……本当にないのか?」
「そう言っておる。わしは魔王だぞ」
「元だろ」
「殺した本人が言うな!」
セレスは何度か魔法を使おうとしたが、何も起きなかった。
「本当に何も使えないのか?」
「黙っておれ」
「はいはい」
俺は肩をすくめる。
そこで黒蜥蜴の視線が俺の肩で止まった。
「勇者アルトよ」
「何だ?」
「お前、傷はどうした」
「俺にもよく分からないんだが、目が覚めたら治ってた」
「……他には?」
「他?」
「何か変わったことはなかったのか」
「変わったこと……」
気を失う直前の感覚が蘇る。
「そういえば、魔力が入ってきたな」
「何?」
「お前が倒れたあとだ。押し返そうとしたけど全然駄目で、そのまま……」
セレスの動きが止まった。
「おい?」
「アルト。自分の魔力を探ってみろ」
「急になんだよ」
「いいから、やれ」
言われた通り、自分の魔力を探る。
「……ん?」
いつもなら、すぐに分かる。なのに今日は、どこまで探っても終わらない。
「なんだよ、これ……」
自分の身体の中なのに、知らない穴へ腕を突っ込んでいるような気分になる。
しかも、この感触。
「これ……」
「アルト」
黒蜥蜴が低い声で呼んだ。
「おそらくだが……わしの力は、お前に移った」
「……は?」
思わず胸から手を離した。
「なんで?」
「わしが聞きたい」
「返せる?」
「それが分かれば苦労せん」
俺は困って頭を掻いた。こんな力、欲しくて手に入れたわけじゃない。
そもそも魔王を倒したのに、その魔王の力を持って帰るなんてどう説明すればいいんだ。
「困ったな」
「困ったで済ませるな。わしの力だぞ」
「俺だって好きで貰ったわけじゃない」
「貰ったと言うな!」
黒蜥蜴がまた声を荒らげる。
「じゃあ、どうするんだよ。この力」
「調べるしかなかろう。今のわしにも、それ以上は分からん」
「調べるって言ってもな……。ルシエラなら何か分かるかもしれないけど」
そう口にしたところで、まだ倒れたままのガイルとフィーネが目に入った。
「……そうだ。まず二人を連れて戻らないと」
「戻る?」
「拠点に。ルシエラたちが待ってる」
黒蜥蜴が俺を見上げた。
「お前……わしはどうするつもりだ」
「どうするって」
蜥蜴の姿になったとはいえ、こいつは魔王だ。
ここに置いていくのも不安だ。でも、人族の拠点へ連れていくのも、それはそれでまずい気がする。
俺は胸に手を当てた。
ただ、この中にはセレスの力がある。
こんなものを持ったままにしておくつもりはない。元に戻す方法を探すなら、本人がいた方が何かと都合がいいかもしれない。
「……人族の拠点へ? わしがか?」
「嫌ならここに残っててもいいけど」
俺が周囲へ目をやると、玉座の間には魔族の死体や瓦礫があちこちに転がっている。黒蜥蜴も同じように辺りを見回した。
「行く」
「即答だな」
「お前の中にわしの力があるのだぞ。放っておけるわけがなかろう」
「じゃあ決まりだな」
俺が手を伸ばすと、黒蜥蜴が後ずさった。
「待て。何をする」
「運ぶんだよ」
「自分で歩ける」
「その足で?」
「馬鹿にするな!」
黒蜥蜴はそう言うと、自分で床を走り始めた。
思ったより速い。ただ、足元をちょろちょろ走られると、どうにも落ち着かない。普通に歩く分にはついてこられそうだが、俺が本気で走ればさすがに無理だろう。
「悪いけど、やっぱり運ぶぞ」
俺はセレスを摘まみ上げた。
「こら! アルト!」
「暴れるなって」
「自分で歩けると言っておるだろう!」
「分かったけど、足元にいると踏みそうで怖いんだよ」
「下ろせ! わしを誰だと思っておる!」
「元魔王」
「分かっておるなら、もう少し丁重に扱え! っていうか、元を付けるな元を!」
俺は騒ぐ黒蜥蜴を外套の内側へ入れた。
小さな頭だけが胸元から出る。
「狭い」
「我慢してくれ」
「暑い」
「文句を言うな」
「わしはこれでも――」
「魔王だったんだろ。分かったって」
黒蜥蜴は文句を言うのをやめたが、胸元からこちらを睨んでいる。
俺はガイルのそばにしゃがみ込み、その腕を肩へ回した。フィーネも一緒に連れていかなければならないから、どう運ぶかは少し考える必要がある。
それでも、もう帰れる。
拠点にはレオルド殿下とルシエラが待っている。戻れば二人の治療もしてもらえるし、魔王を倒したことを伝えれば、今度こそ全部終わるはずだ。
「よし」
俺はガイルを背負い直した。
「帰るぞ」
「……本当に人族の拠点へ、わしも連れていく気か?」
胸元からセレスが顔を出す。
「その姿なら誰も魔王だなんて思わないだろ」
「そういう問題か?」
「大丈夫だって」
俺は胸元から覗く黒い頭を軽く押し込んだ。
魔王は倒した。
今度こそ、みんなで帰れる。
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