第12話 逃亡
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「どうすればいい?」
自分でも情けないと思うくらい、小さな声だった。
胸元でセレスが少し動く。
「転移じゃ」
「……転移?」
「わしの力がお前にあるなら使えるはずじゃ」
俺は思わず胸元を見た。
「使ったことないぞ」
「分かっておる」
「どうやるんだよ」
「行きたい場所を思い浮かべろ。そこへ自分の魔力を通すつもりで力を使え」
簡単に言うけど、そんな魔法は教わったこともない。
「アルト様」
すぐ近くから騎士の声がした。
顔を上げると、拘束具を持った男がもう手を伸ばせば届くところまで来ている。
「両手を出してください」
「早くせい」
セレスの声が外套の中から聞こえた。
逃げたら、本当に魔王だと思われる。
それでも、このまま両手を縛られて連れていかれることを考えると、もう素直に手を出すこともできなかった。
「アルト?」
ガイルの声が聞こえる。
俺は目を閉じ、王都へ来るときに通った街道を思い浮かべた。せめて王都の外まで出られればいい。
そのまま身体の中にあるセレスの力を探る。
以前なら、自分のものではない魔力を探るだけでも気持ちが悪かったのに、今はもうそこにあること自体には驚かなくなっていた。
「アルト、何を――」
レオルド殿下の声が聞こえた。
もう迷っている時間はない。
俺は魔力を動かした。
「くっ……!」
身体の内側が急に引っ張られる。次の瞬間、足元から床の感触が消えた。
ガイルが何か叫んだような気がしたが、何を言ったのかは分からなかった。
次に足がついたときには体勢を崩し、そのまま石畳に手をついていた。
「痛っ……」
何が起きたのか分からず、しばらくそのまま固まる。
外套の中からセレスが這い出し、胸元から顔を覗かせた。
「……生きておるな」
「どうにかな……」
膝をついたまま周囲を見回すと、見覚えのない通りだった。少なくとも、王城からは出られたらしい。
「成功したのか?」
立ち上がって振り返ると、見覚えのある大きな石壁がすぐそこにあった。さらに上を見れば、その向こうに王城の塔まで見えている。
「近っ!」
セレスも王城を見上げた。
「近いというか、城から出ただけじゃな」
「失敗じゃないか!」
「初めて使って発動しただけでもましじゃ。文句を言うな」
「もっと遠くを思い浮かべたんだけど」
「なら失敗じゃな」
「ちっ……」
言い返そうとしたところで、城の方から大きな声が聞こえてきた。
何を言っているのかまでは聞こえないが、城門の内側を何人もの兵が走っているのが見えた。
「……まずいな」
「当たり前じゃ。大勢の前で突然消えたのじゃぞ」
「どうする?」
「わしに聞くな。とにかく走れ!」
セレスが外套の中へ潜り込むと、俺も走り出した。
城から離れるように通りを曲がり、人の多い方へ向かう。
王都の道は知っている。勇者になってから何年もここで暮らしてきたし、城から王都の門までなら迷うことはない。
ただ、こんなふうに人目を避けながら移動したことは一度もなかった。
大通りへ出る手前で、反射的に腰へ手をやり、そこに何もないことに気づいた。
「……剣」
「は?」
「城に置いてきた」
さっき騎士に渡したままだ。
「取りに戻るか?」
「戻れるわけないだろ!」
「なら諦めろ」
簡単に言ってくれる。
勇者になってから、剣を持たずに外を歩くことなんてほとんどなかった。
何もない腰が妙に落ち着かなかったが、今さら取りに戻れるはずもない。
俺は人の流れに紛れて大通りへ出た。
街の人たちは、さっき城で何があったのかまだ知らないらしい。店は普通に開いているし、荷車もいつも通り行き交っている。
俺も目立たないよう、その流れに合わせて歩いた。
すれ違った男たちの話し声が聞こえた。
「討伐隊が帰ってきたんだろ?」
「ああ。魔王を倒したって話だぞ」
「本当なら、ようやく戦争も終わりか」
その言葉を聞いて、俺は足を止めそうになった。昨日までの俺も、魔王を倒せば戦争は終わり、みんな家に帰れると信じていた。
そう思って戻ってきた王都で、今の俺は王城から逃げている。
「アルト」
胸元からセレスの声がした。
「止まるな」
「分かってる」
俺はできるだけ普通に歩きながら、ときどき後ろを確かめた。走れば目立つし、まだ追手の姿もない。
人の流れに紛れて歩いているうちに、王都の門が見えてきた。
人や荷馬車が列を作って出入りしている。門番もいつも通りで、城から知らせはまだ届いていないらしい。
俺は前を歩く荷馬車の後ろについて門へ向かった。
何も言われるな。
頼むから、そのまま通してくれ。
門番の一人が俺を見た。
一瞬、目が合う。
けれど、男はすぐ次の荷馬車へ視線を移した。
そのまま門を抜けても、すぐには走らなかった。
しばらく人の流れに合わせて歩き、王都の城壁からある程度離れたところで振り返ると、王都の門はまだ開いたままだった。
「出られた……」
「安心するのはまだ早いぞ」
セレスに言われ、王城の方を見る。
けれども、城壁越しなので下の様子までは分からない。
少したつと、門の向こうから馬の蹄が聞こえてきた。
「……来たな」
騎兵が数人、王都の門から飛び出してきた。その後ろにも兵が続いている。
先頭の騎兵が門番へ何かを伝えると、さっきまで普通に人を通していた兵たちが慌ただしく動き始めた。
分かっていたはずなのに、いざ、その光景を目にすると頭がついてこない。
「アルト。行くぞ」
「どこに?」
セレスが外套から顔を出した。
「どこでもよい。少なくとも、ここにおると捕まるぞ」
「どこでもって……」
今さら王都へ戻ることはできないし、前線の拠点だって同じだろう。
魔王を倒したあとのことなんて何も考えていなかった。帰れば何とかなると思っていた。
今の俺には、帰る場所がない。
俺は王都から離れる方へ走り出した。
「それで」
セレスが俺を見上げる。
「これからどうするのじゃ?」
「……分からない」
それしか答えられなかった。
「俺だって、何が起きてるのか分からないんだよ。魔王を倒して、王都に帰ってきただけなのに……」
遠くで馬の音が大きくなってくる。
セレスが王都の方へ顔を向けた。
「考えるのは後にした方が良さそうじゃな」
「……ああ」
もう一度、王都を振り返った。
ついさっきまで、帰ってきたと思っていた場所。
「何で……こんなことになったんだよ」
俺は王都に背を向け、そのまま走り続けた。
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