第81話 前言撤回
「で、どうする?」
ルークは、空になった麦酒の器を卓の端へ寄せた。
「本部へ戻る、かな」
「男爵はいいのか?」
「あんなののために、割ける時間なんかないだろ?」
俺は残っていた麦酒を飲んだ。
麦酒を一口飲んでも、さっきの男爵の声が頭から抜けなかった。
「また、何か言ってきそうだけどな」
「その時はその時だな。まったく、面倒くさいったらありゃしない」
俺は、少し前の自分の言葉を思い出して苦笑いする。
「だから、貴族は嫌いなんだよ」
「Cランクに上がった時か。おまえ珍しく慌てたもんな」
「アークノルト子爵。エルゼリオン侯爵。アークノルト辺境伯。それで今日のローデンバッハ男爵か」
並べると、最後だけ妙に収まりが悪い。
「やっと貴族らしい貴族が出てきたな」
「どういう偏見だよ」
ルークも思い出したのか、面白そうに言う。
「他の3人は、少なくとも人の話を聞いてくれた」
「それを貴族らしくないと言うのが偏見だろ」
「じゃあ訂正する。何の役にも立たねえ暇男爵だ」
「訂正にもなってねえ」
ルークが笑った。
俺も、つられて口元を緩める。
「帰るぞ。あの男の暇に付き合うほど、俺たちは暇じゃない」
◇
翌日、昨日の続きを片付けるために本部の記録室へ入ると、昼前にダグラスが顔を出した。
手には、急ぎの印が押された依頼書がある。
「東部観測所から救援の要請が入った。再測量に出た3人が、予定日を過ぎても戻っていない」
戻らないのは、観測員のマティアス、測量士のゲルハルト、護衛依頼を受けて同行した冒険者エルンストだ。
「観測所は先に捜索組を出している。ただ、足場の悪い場所まで足跡を追ったところで、人数を増やしてほしいと連絡してきた。本部から救助班を出す。やってくれるか」
ルークは、返事より先に椅子を引いた。
「行こうぜ。ここで話を聞いてても、3人が帰ってくるわけじゃねえ」
ダグラスは頷いた。
「馬と救助用の縄は入口に回してある。足りないものがあれば、受付に伝えろ。すぐに向かってくれ」
俺たちは記録を閉じ、本部を出た。
馬を替えながら東へ走り、観測所へ着いた頃には、日が傾き始めていた。
入口の前では、先に捜索へ出た2人が、泥のついた外套のまま地図を囲んでいる。その脇では、救助に加わる職員たちが、水袋と担架を馬へ積み込んでいた。
観測所長のエドガーと、照合係のヴェルンが入口で俺たちを待っていた。
エドガーは挨拶もそこそこに地図を広げ、ヴェルンが脇から観測記録の束を押さえた。
「先に出した捜索組が、北街道の崩落地点まで足取りを追えています。そこで引き返さず、北の岩場へ入った跡があります」
「崩落?」
ルークが眉を寄せた。
「北街道がか。そんな情報、俺たちは聞いてねえぞ」
エドガーの表情が固まった。
「え? そんなはずは。観測所には、地震の直後に報せが入っています。もちろん、ギルドにも報告書を提出していますから、連絡ミスなのでは?」
「報告書のことは、救助が終わってから確認させてください。今は、3人を助けるのが先です」
エドガーは頷いた。
「先に出た2人を案内につけます」
北の岩場は、帰還予定の行程には入っていない。
街道が塞がれた先で、3人はそこへ方向を変えている。
馬を連れて通るような場所ではなかった。
俺たちは、捜索組の目印を辿って北へ入った。
街道を外れた先は、崩落で土のむき出しになった斜面だった。馬の蹄跡と3人分の足跡が北へ続いている。
さらに奥へ進むと、斜面が途中から崩れ落ちていた。
崩れた先、岩壁へ張りつくように残った狭い岩棚に、3人が身を寄せている。
こちら側から岩棚へ渡るには、崩れ残った斜面の端を伝うしかない。
人が横歩きで進めるほどの幅しかなく、足を滑らせれば下の谷まで落ちる。
「エルンスト!」
呼ぶと、岩棚から腕が上がった。
ルークは腰の縄を解き、大岩へ巻きつけた。
「しっかり押さえろ。俺が行く」
俺は観測所の職員2人と、縄を押さえた。
ルークは岩壁へ手をかけ、足場を確かめながら進んでいく。
小石がいくつも足元から落ちたが、振り返らずに岩棚へ渡った。
まず、ルークが足を傷めたゲルハルトを背負った。
ゲルハルトの胴に回した縄をこちら側で張り、ルークは岩壁に手をかけながら、細い足場を一歩ずつ戻ってくる。
次にマティアス、最後にエルンストが自分で縄を握って渡ってきた。
3人とも泥と埃にまみれ、唇が白く乾いていた。
「なにがあった?」
俺が聞くと、エルンストは息を整えてから答えた。
「北街道が崩れていた。戻るより、北の岩場を抜けた方が早いと踏んだ」
俺は黙ったまま先を促す。
「馬を連れて斜面を回っていた時に、足元が崩れた。馬と荷はその時、谷へ落ちちまった。俺たちは岩棚へ身を寄せたが、通ってきた足場も崩れて、戻れなくなった」
「水と食料は」
「馬の荷に入っていた。何も残っていない」
あの岩棚で夜を越せば、ゲルハルトの足の怪我はさらに悪化しただろう。水すらも、ない。
測量の記録を持ったまま、3人とも帰れなくなるところだった。
◇
観測所へ戻ると、ゲルハルトはすぐに診療室へ運ばれた。
マティアスとエルンストには水が渡され、2人は観測室の長机につく。
マティアスは記録筒を机へ置き、油布をほどいた。
「第1から第3まで、全部取り直せました」
中から出てきた紙には、同じ箇所を何度も測った跡がある。
「観測所の測量計だけが狂ったのかを確かめるため、3つの測量地へ出ました。それぞれに置かれた測量計で、地上の基準点から基準星までの角度を測ったんです」
マティアスは、3枚の記録紙を並べた。
「どこでも、地震前の記録から同じだけずれていました。観測所の測量計だけが壊れたなら、別の測量地まで同じ結果にはなりません」
地上の基準点と、空の基準星。
その位置関係が、地震を境に変わっていた。測量計の不具合ではない。
記録紙を見終えると、俺は水を飲んでいたエルンストへ向き直った。
「北街道の崩落について、ギルドから何か聞いていたか?」
エルンストは首を振った。
「聞いていない。周辺情報は聞いたが、その中に崩落情報はなかった。街道が崩れていると知ったのは、目の前まで行ってからだ」
「それで北へ?」
「来た道を戻れば、水がもたない。北を越えられれば観測所へ近い。そう思ったんだ」
エドガーは、机上の記録へ目を落とした。
「北街道の崩落は、地震の直後にこちらへ報せが入っています。ギルドへ出した報告の控えも残っています」
観測所は崩落を報告した。
護衛を引き受けたエルンストは、その情報を受け取っていない。
連絡ミス、と言われればそうかも知れない。
だが、そのせいで、3人は死にかけた。
連絡ミスの一言で終わらせるには事態は深刻だ。
「地震直後の観測生データと、本部へ送った報告書の控えを見せてください」
ヴェルンが、記録の整理をしていた手を止めた。
「救助へ来ていただいたことには感謝しています。でも、今度は観測所の帳面を開けろと言われれば、こちらが疑われているように聞こえます」
「疑っているのではありません。ただ、大事なことなんです」
俺は、マティアスが持ち帰った記録を指した。
「北街道の崩落情報ですが、エルンストはギルドから聞いていませんでした。俺たちもです」
エドガーは腕を組み、黙って聞いている。
「ギルドが同じミスを2度起こすとは考えにくい。となると考えられるのは1つ。どこかで情報が消された、ということです」
本当は他にも可能性はある。
だが、ここは押し切るべきだと、俺のFake itが反応した。
「さらに言えば、観測結果がこれまでと大きく異なるという情報。これは非常に重要な情報です。救助に失敗していれば、その情報すら消えていた可能性があった」
エドガーはしばらく黙っていたが、大きく頷いて言った。
「ヴェルン。グランドオーダーが始まる前の定期報告と、始まってから今日までにギルドへ出した報告を、全部出してください。元になった観測帳と送付控え、発送簿もです」
ヴェルンはエドガーを見た。
「北街道の崩落を伝えた報告も、ですね」
「ええ。地震の記録だけを見ても仕方ありません。ここから出たものが、どのような形でギルドへ渡っていたのかを確かめる必要があります」
記録室から運ばれてきたのは、帳面が数冊という量ではなかった。
グランドオーダーが始まる前の定期報告から、今日までの報告。その送付控えが、机の上を埋めていく。
俺たちは、まず発送簿と送付控えの表紙を突き合わせた。
送付日、宛先、件名、頁数。発送簿に記載された報告は56件。
添付された観測表や地図まで含めると、全部で789枚に及んだ。
一枚ずつ読み直していては、いつまで経っても終わらない。
地震とその後の観測に関わるものへ印をつけながら、発送簿にある56件が、送付控えにもすべて残っていることを確かめていく。
北街道の崩落報告も、その中にあった。
地震の翌日付。宛先はギルド本部。
崩落地点と通行できない区間が記されている。
観測帳に残された数字と、それを元に作られた報告にも食い違いはない。
少なくとも、観測所で記録をまとめ、ギルドへ送るまでの間に、情報が抜かれた形跡はなかった。
「これを、本部の記録と突き合わせます」
俺が言うと、エドガーは机を埋めた控えを見渡した。
「すべて持っていくのですか」
「件名と頁数だけ合っていても、中身まで同じとは限りませんから」
エドガーは少し考え、ヴェルンへ向き直った。
「貸出記録を作ってください。観測帳はここへ残し、送付控えは本部へ運びます」
ヴェルンが驚いたようにエドガーを見た。
「56件すべてですか」
「ええ。半端に確かめて、また同じことが起きては意味がありません」
送付控えは2つの木箱に分けて収められた。
封をした箱を預かる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「何が分かっても、こちらへ知らせてください」
「もちろんです」
その夜は観測所に泊まり、翌朝早く本部へ向かった。
◇
本部へ戻ると、その足でダグラスに報告を入れた。
観測所から持ち帰った2つの木箱が記録室へ運び込まれ、東部観測所から届いた報告の受領簿が開かれる。
受領簿には、56件すべてが記載されていた。
件名も、頁数も、観測所の発送簿と一致している。
789枚は、間違いなく本部まで届いていた。
だが、東部観測所からの報告を収めた書架と、グランドオーダーの調査記録を洗っても、見つかったのは49件だけだった。
俺は、観測所の発送簿と、本部に残る49件の件名を見比べた。
「7件、足りない」
残っている報告を送付控えと突き合わせていく。
機材の不調。測り間違い。局地的な地形の変化。
一つ一つには説明があった。
これまでの9日間、本部で各地の記録を突き合わせる中でも、同じような記述を何度も見ている。
だが、同じ時期に各地で異常値が出ていることまでは、記録からは見えなくなっていた。
話が進むにつれ、ダグラスの表情は険しくなっていった。
「こちらへ届いたところまでは問題がない」
ダグラスが言った。
「受領簿に56件ある以上、記録から外れたのは受領の後だ」
ルークは、不足している件名を上から追っていった。
「北街道の報告もねえぞ」
危険情報を扱う帳簿にも、北街道の崩落は載っていない。
受領簿へ戻ると、北街道の報告には、ほかの報告とは違う印が押されていた。
確認待ち。
「届いてるじゃねえか」
ルークの声が、低くなった。
報告は、輸送中に失われたわけではなかった。
受領された後、確認待ちとして通常の記録から外され、危険情報にも回されていない。
誰が、何を根拠に保留したのか。
その印だけでは分からない。
残る6件が同じ扱いを受けたのかも、まだ確かめられていない。
分かっているのは、北街道の報告が本部まで届き、それでも現場へ渡らなかったことだけだ。
エルンストが受け取るはずだった注意書きに、崩落情報は載らなかった。
そのせいで、今日の3人は危険な岩場へ入ることになった。
俺は、本部に残る報告へ目を戻した。
「異常が異常と認識されなければ、それは日常だ。こうして一件ずつ切り離せば、世界各地の観測で異常値が増えていることは見えなくなる」
北街道の報告が止められたことと、ほかの6件が記録から外れていることが、同じ理由によるものかは分からない。
だが、無関係な出来事として片付けるには、重なりすぎていた。
「世界の異常が、確かなものにならない方が都合のいい連中がいるってことか」
ルークが言った。
俺は、受領簿に押された確認待ちの印を見た。
「つまり、今の世の中で潤ってる奴が一番怪しいんだろうよ」
商いも荷の流れも、異常が異常として扱われなければ止まらない。
「商会に運送屋か。その両方に金を入れている家もあるな」
ローデンバッハ男爵家は、商会と運送業者へ広く出資し、この街で人と荷の流れに顔が利く。
一昨日、男爵は俺たちの報告も、次にどこへ向かうかも、自分で決めると言った。
「あの男爵、か?」
ルークが言った。
「まだ決めるには早い」
俺は、受領簿の56件と、通常の記録から外された北街道の報告を見比べた。
「けど、得をする奴としては、かなり分かりやすい」
ダグラスは否定せず、受領簿へ目を戻した。
「本部の記録はこちらで洗う。お前たちは北街道の報告を追ってくれ。誰が確認待ちに回し、どこで止めたかだ」
「了解した」
ルークが、机の上を見て言った。
「暇男爵、だったか」
「訂正しておく」
面倒ごとの予感が満載だ。
「思った以上に勤勉だな、男爵殿」
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




