第80話 そんな余裕はないんだが
「聞いておるのか、アレン・ヴァイス!」
俺は小指で耳を掻きながら、答えた。
「ご安心を。ちゃんと聞き流しておりますとも、男爵殿」
男爵は、すぐには言い返さなかった。肘掛けを掴む指に力が入り、革張りの椅子が小さく軋んだ。
「……貴様」
唇を引き結び、肘掛けから手を離して息を整える。
「今後、グランドオーダーに関わる調査報告は、まず私の許へ持て。どこへ向かうかも、事前に私へ知らせろ」
男爵は、机上の報告書を指で叩いた。
「エルゼリオン家の封印、その先にあるもの、神聖大陸で得た情報。いずれも、一介の冒険者が抱えてよいものではない。得体の知れぬ情報を抱えたまま、貴様らの判断だけで国をまたがれては困る」
「俺は困りませんが」
「貴様が困るかどうかではない!」
椅子の脚が石床を擦る音が、応接室に響く。
「ああ。男爵殿が困る、と」
男爵の口元が、わずかに引きつった。
「私一人の都合だと言いたいのか」
低く押し出した声だった。怒鳴るのを、まだ辛うじて抑えている。
「混乱が広がれば、この街で商いをしている者たちは、どこへ助けを求める。荷を出す者も、運ぶ者も、金を回す者も足を止める。そうなれば、先に食い扶持を失う者が出る。貴様らは次の依頼へ向かえば済むのだろうが、我らには、その後まで見ておかねばならんことがある」
「情報を共有するだけでは足りないんですか」
「共有だと?」
男爵の声が一段高くなった。
「我らが、貴様らの都合で報告を待つのか。違う。先に私へ上げろと言っている。必要とあらば、調査を許可し、止めるのも私が決める」
「そのために俺たちは、男爵殿の手足になるんですか」
「冒険者とは、そういうものだ」
今度は、迷いなく言い切った。
「街道に魔物が出れば、貴様らを雇い、民を通す。賊が出れば、貴様らを雇い、商いを守る。貴族が治め、民が暮らし、冒険者は必要な時に剣を振る。役目の違いも分からんのか」
「俺たちは、民には入らないんですね」
「そのような言葉遊びをするな!」
男爵の掌が、机を打った。
机上の筆立てが跳ね、乾いた音を立てる。
「民を守るために雇われる者が、守られる側と同列であるものか。貴様らは、貴族が必要とした時に働けばいい!」
隣で、ルークが報告書を閉じた。
「俺たちに依頼を出したのはギルドだ。俺たちは、あんたの家に雇われたわけじゃねえ」
「黙れ!」
男爵は、ほとんど反射のように叫んだ。
「グランドオーダーが何だろうと、貴族の監督を受けるのは当然だ。貴様らのような者は、命じられた場所で剣を振っていればいい!」
男爵は、机に片手をついたまま、俺たちを睨みつけた。
「その程度の分別だから、異国へ大聖女の系譜を引く娘まで連れ出し、今も大聖堂へ置いているのだろう。あれほどの血筋を持つ者を、冒険者の思いつきへ任せてよいはずがない」
ルークの指が、閉じた報告書の上で止まった。
俺も男爵を見た。
「大聖女の系譜……。その話を、どこで聞いたんです」
「私の情報網を甘く見るな。貴様らが神聖へ渡ったと知った時点で、同行者の名を洗わせた。アークノルト子爵家に行き当たれば、系譜まで調べさせるのは当然だ」
男爵は、ようやくこちらの動揺を引き出せたとでも言うように、口元を歪めた。
「神聖大陸から呼び戻し、しかるべき場所へ置く。大聖女の系譜を引く者が、得体の知れぬ異国で、冒険者の都合に合わせて留学など笑わせるな。あの娘の身柄と行動は、然るべき者が預かる」
セレスは、この男と会ったことすらない。
それなのに男爵は、彼女がどこにいて、何を学ぶのかを、自分が決めるべきことのように語っている。
大聖女の系譜という言葉ひとつで、人を自分の駒にできると思っている。
その言い方に、俺は小さくない苛立ちを覚えた。
「男爵殿に、彼女の身柄を預かる理由はありません」
「私がそう判断したからだ」
「彼女は、自分で残ると決めたんです。男爵殿が管理する話じゃない」
「貴様が決めることでもない!」
男爵の声が裏返った。
「大聖女の系譜を引く者を、冒険者の勝手な判断で異国へ留め置くなど許されるはずがない。私から神聖大陸へ話を通す。セレスティア嬢は呼び戻す。貴様らは、それに従えばいい!」
「セレスがどこで何をするかは、セレスが決める!」
ルークが言った。
「俺たちでも、あんたでもねえ」
「もうよい!」
男爵が、護衛へ向けて手を振り上げた。
「その冒険者を拘束しろ! 報告書は私が預かる。こいつらにこれ以上、好き勝手をさせるな!」
護衛の足が動いた。
片方がルークの肩へ手を伸ばし、もう片方は報告書を抱えた腕へ回り込む。
ルークは、報告書を抱えたまま護衛を見据えて告げた。
「やめとけ」
それでも、護衛たちは止まらなかった。
同時に、俺も動いた。
「何なら、今この場で男爵殿の命を刈り取ってもいいんですが」
それまでの会話を続けるように、ただ告げた。
言い終えるより先に、俺は男爵の背後へ回り、右の手刀は首筋に添えている。
護衛の足が、そこで止まった。
「な……」
男爵の喉が鳴った。
「貴様。何をしている」
「何って。男爵殿が、俺たちを不当に拘束しようとされたので」
「不敬だ!」
男爵の声が跳ねた。
「ここをどこだと思っている。貴様、私に手を上げて許されると思っているのか!」
「不敬罪?」
首筋へ添えた手に、わずかに力を込める。
「それで俺たちを断じるのと、あんたが命を散らすの。どっちが早いんだろうな」
男爵の息が止まった。
護衛は剣へ手を掛けたまま動けない。従者も、声を出せずに立ち尽くしている。
男爵は、ようやく自分の命令が届かない場所へ立たされたことを理解したらしい。
男爵の顔から、さっきまでの赤みが引いていく。怒鳴り散らしていた口は、半端に開いたまま動かない。
報告を取り上げ、仲間を拘束し、セレスの行き先まで決められる。
この男は、本気でそう思っていた。
「やだなぁ、冗談ですよ」
俺は笑った。
「そんなことに費やす時間すら惜しいですって」
ルークが報告書を脇へ抱え直し、椅子から立つ。
「行くぞ、アレン」
「ああ」
「待て」
男爵の声には、先ほどまでのような強さが感じられなかった。
俺は扉の前で振り返る。
「……ああ、最後に一つ。この部屋で起きたことは、ここにいる者だけが知っている。お互い、有意義な情報交換ができた。そういうことで」
返事を待たず、応接室を出た。
◇
男爵邸を出ると、ルークは通りの向こうにある酒場へ顎をしゃくった。
俺も異論はなかった。
本部へ戻る前に、一度頭を冷やした方がいい。たぶん、二人ともそう思っていた。
酒場の奥にある空いた席へ腰を下ろす。
運ばれてきた麦酒へ手を伸ばしたところで、ようやく肩から力が抜けた。
どうして、こうなった。
男爵を黙らせること自体は、必要だったと思う。
だが、冷静になればなるほど、さっきの一件は後から効いてくる種類の面倒事の種だ。
あの男爵はきっと諦めないだろう。
引き下がったように見えて、こちらの目が届かないところを動かし始める。
たぶん、そういう厄介な相手だ。
そうなる前に、何か違う手はなかったのか。考えずにはいられない。
そもそも、荒漠へ戻ってからの9日間が忙しすぎたのだ。
立ち止まって考える余裕もないまま、報告を纏め、次の判断を迫られた。
神聖大陸から帰還した際も、その日のうちに、俺とルークはダグラスの執務室で報告をしていた。
神聖大陸へ向かう航路で遭難したことは伝わっていたが、詳細は改めて話した。
幽冥大陸に漂着してからの見聞。
セレスが大聖堂に残るまでに至った理由。
神聖と荒漠の双方で起きた地震。
そして、時間がないことを承知で、俺たちが3か月の別行動を選んだこと。
ダグラスは最後まで口を挟まずに聞いていた。
机の端に積まれた書状へ目を向け、それから俺たちを見る。
「セレスが神聖で学んでいる間に、お前たちはここで出来ることをしておこうということか」
「3か月後に、手ぶらで会うわけには行かないですしね」
「わかった。なら、帰還早々だが働いてもらおう」
ダグラスは、机上の書状を指で叩いた。
「各地から報告は届き始めている。だが、調査へ出た者は、自分が見たものしか持ち帰れん。それを次の一手へ変える人間が、本部には足りていない」
「俺たちに情報整理をしろ、と?」
「お前たちは、紙の上だけでは見えないものも知っている。集まった記録を、次に何へ活かすかも考えてくれ。これは指名依頼だ」
「向いてないと思うんだよなあ、そういうの」
ルークのぼやきに対して、ダグラスは鼻で笑って答えた。
「向き不向きを選べるほど時間はない。それに、侯爵家との擦り合せも必要だ。情報は多いほうがいいだろう?」
最初に揃えたのは、神聖大陸で起きた揺れの記録だった。
荒漠でも揺れがあったという報せは、すでに本部へ届いていた。
ただ、同じ揺れを見た者でも、最初と二度目を分けて書いた者もいれば、長く続いた一度の地震として記した者もいる。
発生した時刻。揺れの間隔。建物の被害。地割れや崩落があった場所。
俺たちは、各地から上がる報告を、そのまま一つの出来事として片付けはしなかった。
書いた者がどこにいて、何を基準に時刻を測ったのか。
最初に揺れを感じたのか、外へ逃げた後に二度目を知ったのか。
又聞きなのか、実際に経験したことなのか。
紙の上では似ている言葉ほど、確かめなければならない。
一方で、侯爵家に残ったクラウスたちからは、揺れの前後における封印扉と周囲の術式の測定記録が届いていた。
神聖の扉と、エルゼリオン家の封印扉に見過ごした共通点はないか。
俺たちが神聖で見たことを送れば、向こうからは測定の数字と屋敷に残る古い記録が返る。その間を、書状と管理便が何度も往復した。
けれど、神聖の扉について書けば書くほど、紙の上では抜け落ちるものが増えていく。
白とも銀ともつかない表面。石畳へ届かず、腰の高さで止まった下端。岩壁の中へ飲み込まれ、どこにも境目を見つけられなかったこと。
形だけなら書ける。
だが、あの前に立った時、ただの壁でも古い飾りでもないと感じた理由は、どれだけ言葉を重ねても残らない。
クラウスから返ってきた書状には、簡潔にこうあった。
神聖の扉を見た者と、直接話したい。
俺も同じことを考えていた。
神聖で一つの扉を見た今なら、エルゼリオン家の封印扉を、もう一度見ておくべきだ。
同じものだと決めるためではない。
以前の俺たちは、扉を開くことばかりを急いで、その扉がそこにあるということ自体を、ろくに見ていなかった。
その話をするために、俺はダグラスのところへ向かった。
ちょうど、ダグラスは執務室の外で、書状を何通か選り分けていた。
「今日、有力な貴族家と商会の代表へ、現時点で分かっていることを説明する」
「俺たちは出ませんよ」
「当たり前だ。そのためのギルドだからな」
ダグラスは、手にしていた書状をまとめた。
「会合で話すのは、今起きていることと、これから必要になる協力だけだ。馬車や船の便、物資、急ぎの書状を通す中継。そういうものを、必要な時に動かせるようにしておく」
「調査の主導権まで渡す話では、ないですよね」
「ああ。グランドオーダーの調査を動かすのは冒険者ギルドだ。誰をどこへ出し、何を確かめるかまで、あちらに決めさせるつもりはない」
それなら話は早い。
「俺たちは、侯爵家へ行きます」
ダグラスが目を上げた。
「クラウスから、神聖の扉について直接聞きたいと返ってきました。俺たちも、封印扉をもう一度見ておきたい」
「書簡では足りんか」
「足りませんね。少なくとも、俺には」
ダグラスは少し考え、それから頷いた。
「行ってこい。ただし、帰る日だけは本部へ知らせてくれ」
「分かりました」
「それと」
ダグラスは会議室の方へ目を向けた。
「協力の話だけで引く者ばかりではない。調査の中身まで聞き出したがる者も、口を挟みたがる者も出る。お前たちのところへ直接話を持っていく者がいても、一人で相手をするな。まず本部へ回せ」
「覚えておきます」
その日のうちに、侯爵家へ向かうことを知らせる書状を出した。
翌朝、俺とルークは本部を発った。
◇
侯爵家の応接室には、クラウスが先に待っていた。
机の上には、封印扉の測定記録と、俺たちが神聖から送った図が並んでいる。
クラウスは、俺たちが席に着くのを待ってから言った。
「紋様や寸法は、図面で確認できます。私が知りたいのは、皆さんがあれを扉だと判断した理由です」
「判断したんじゃない」
俺は答えた。
「あの前に立った時から、あれは扉だった」
「岩壁に埋まっている。下端は地面へ届いていない。向こう側に空間があるようにも見えない。それでも、ですか」
「それでも、だ」
「……分かりました。その感覚を数値にはできません。ただ、こちらの扉を見直す理由にはなります」
そのまま、俺たちは封印扉のある区画へ向かった。
扉は、以前見た時と変わらない。
開ける方法ばかり追ううちに、俺たちは目の前のものを分かったつもりになっていたのかもしれない。
神聖の扉には仕掛けすら見当たらず、こちらには開く方法があるはずだと誰もが思っている。
その違いが何を意味するのかは、まだ分からない。
クラウスとの話は、その日だけでは終わらなかった。
神聖大陸から帰還して9日目の夕方、俺たちはようやく本部へ戻った。
正面口を入ると、受付の脇に見慣れない男が立っていた。
俺たちの姿を見つけると、男は迷わず近づいてくる。
胸元の銀の紋章で、用向きが分かった。
ローデンバッハ男爵家の使いだ。
商会や運送業者へ広く出資し、この街で大きな影響力を持つ家だ。
もっとも、あまり良い噂は聞かない。
「アレン・ヴァイス様、ルーク・ガルド様でいらっしゃいますね」
差し出された封書には、男爵家の紋が押されている。
中には、短い文が一枚だけ入っていた。
明朝、報告書を持参のうえ男爵邸へ出向かれたし。
都合を尋ねる言葉も、返答を求める文もない。
俺たちが戻る日を待っていたような招状だった。
「明日だってさ」
ルークが、俺の横から文面を覗き込んだ。
「帰ってきたばっかだぞ」
「知ってて寄越したんだろ」
その使いは、俺たちが読み終えるまで黙って立っていた。
「返事は?」
「必要ありません。確かにお渡しいたしました」
それだけ答えると、男は一礼して去っていった。
そこまで思い返して、俺は麦酒を握ったままの右手に目を移した。
あの男を黙らせる必要はあった。
セレスを自分の都合で動かせるもののように扱ったことを、聞き流す気もない。
言ったことも、やったことも後悔していない。
ただ、普段ならあそこまで早く手は出さなかった。
もっと後腐れの少ないやり方で、男爵を自分から退かせたはずだ。
それでも、あの時は待てなかった。
この9日間で、そういう余裕が知らないうちに削れていたのかもしれない。
「珍しく荒ぶってたな」
向かいのルークが、面白そうに言った。
「普段の俺が、随分と穏やかみたいな言い方をするな」
「少なくとも、いきなり男爵の首元に手刀を突きつける奴ではなかった」
「添えただけだ」
「男爵はそう思ってねえだろ」
ルークは麦酒を飲み干し、空になった杯を卓へ置いた。
「あの男、これで引くと思うか」
「思わないな。だから貴族は嫌いなんだよ」
「だろうな」
ルークは口元だけで笑った。
「で、どうする?」
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




