第78話 教える理由
セヴェリオの問いは、扉を開く手立てを探すよりも、ずっと逃げ場がなかった。
セレスが何を学びたいのかではない。
信仰を持たず、学び終えれば去る彼女へ、なぜ教会が教えを渡すのか。
セレスはすぐには答えなかった。
やがてセヴェリオを見て、静かに言う。
「その理由は、私が決めることではないと思います」
「けれど、私が何を望んでここへ来たのかは、話さなければならないと思います」
セヴェリオは頷いた。
「エルゼリオン家の扉の魔力側には、神聖大陸のものと似た特徴がありました。神聖系統の魔力操作を学べば、扉へ触れる手がかりになるかもしれない。そう考えたのが、ここへ来た最初の理由です」
「今も、あの扉を開くことは、私たちの受けた依頼です」
セレスはそこで、ほんの少しだけ目を伏せた。
「でも、幽冥大陸で、私は命について何も知らなかったのだと思いました」
「命には、治るまでの時間がある。亡くなった人が、誰かに残す時間もある。私が知っていると思っていた命は、ほんの一部でした」
前線で自分の命を賭けることを、覚悟だと思っていた。
仲間と並んで、進むか引くかを決めることを。
「私は冒険者として前線に立ってきました。自分も、仲間も、生きて戻るために考えてきたつもりです」
「でも、賭けるものが何なのかを、私は知ろうとしていなかった」
「大聖女の系譜に連なることも、私が教えを受ける理由にはなりません」
セレスは顔を上げた。
「その血を、分かったふりの理由にしたくありません」
「自分で選んだ命を、自分で恥じるような使い方はしたくない」
部屋の空気が、少しだけ変わった気がした。
「扉を開くための手がかりを、私は求めていました。でも今は、それだけでいいとは思えなくなりました」
「神聖大陸が命にどう向き合ってきたのかを、教義も含めて知りたいんです」
セヴェリオは、卓上の書面へ目を落とした。
「麓の聖堂からの報告には、『セレスティア殿は、魔力への反応を根拠に種を選んだ。しかし、その反応を命の反応とは断じなかった』と記されています」
セレスが小さく頷く。
「分からないものを、分かったことにはできません」
「今も同じですか」
「はい」
「神を信じると、今ここで約束できますか」
「いいえ。それは、できません」
迷いのない返答だった。
「でも、知らないから信じられないと決めつけるつもりもありません」
セヴェリオは、しばらく黙っていた。
「あなたに信仰を強いることはできません。何を信じるかは、あなた自身が決めることです」
セヴェリオは、柔らかな声で続けた。
「だが、知らないまま選ばないために、我々が持つものを渡すことはできます」
「ベルナード」
控えの扉が開いた。
入ってきた男は俺たちへ一礼してから、卓の脇へ立った。
手にしている書面には、領内聖堂からの所見も綴じられているらしい。
「神官候補として受け入れることはできません」
ベルナードは、先に線を引いた。
「ですが、他大陸からの正式な学生としてなら、学校に籍を置けます。留学生の前例はありません。ただし、神官資格を得る課程へ入れない以上、候補生の規則を曲げることにもなりません」
規則を守るために、別の形を探している。
その言い方が、俺には少し意外だった。
「留学期間は原則として1年です。3か月ごとに修得状況を確認し、その先の履修内容を見直します。基礎教義、魔力操作、神聖魔法の概論。実技は指導者の監督下でのみ行う。祭祀と秘術、機密記録は対象外です」
ベルナードは、セレスを見た。
「ただし、実技だけを選んで学ぶことはできません。教義も正規の課程として履修してもらいます」
セレスはすぐには答えなかった。
俺、レオン、ルークを順に見る。
「ごめんなさい」
小さな声だった。
「ここまで、扉を開くために進んできたのに」
「今は、扉を開くことだけでは足りないと思ってる」
「グランドオーダーから外れるかもしれない。3か月は、急いでいる私たちには短い時間じゃないわ」
一度、息を吸う。
「でも私は、自分の命のことを知らないまま、先へ進みたくない」
「私一人で決めるつもりはないわ。止めるなら、言って」
ルークが、すぐに首を振った。
「止めねぇよ」
「何も分からないまま、あの扉へ手ぇ伸ばす方が危ねぇ」
レオンは少し考えてから、頷いた。
「僕も止めない」
「まずは3か月。続けるかどうかは、その時にもう一度、みんなで決めよう」
俺も頷いた。
「言うまでもないな。予定変更?問題ないね。想定外が起こるのも想定内だ」
「それに、目的を諦めるわけじゃない。急ぐからって、分からないことを分からないまま戻るわけにはいかないだろ」
セレスは、しばらく何も言わなかった。
やがて、少しだけ笑う。
「ありがとう」
それからベルナードへ向き直った。
「承知しました。実技だけを選ぶつもりはありません。魔力の扱いだけを覚えても、神聖魔法を学んだことにはならないと思っています」
ベルナードは書面を開き、最後の頁を卓上へ置いた。
「では、セレスティア殿。神官養成学校、最初の留学生として受け入れます」
ベルナードは書面の入学区分へ、「留学生」と書き入れた。
セレスは差し出された筆記具を取り、その下に自分の名を記した。
ペン先が紙を離れた時、卓上の水が震えた。
最初は、誰かが机へ触れたのかと思った。
次の瞬間、横から殴られたように、足元が跳ねた。
杯が卓から滑り落ち、石床で砕ける。書面が宙へ舞い、窓枠がひときわ大きく軋んだ。
「下がれ!」
セレスの肩を掴み、重い卓の下へ引き寄せる。頭を庇うように腕をかけた、その背後で書架が前へ傾いた。
レオンが棚板を掴んだ。ルークが横から肩を入れる。上段の本が、続けて床へ叩きつけられた。
壁の目地から白い粉が吹き、卓の上へ落ちる。
廊下の向こうで、何かが割れる音がした。続けて、抑えきれない悲鳴が上がる。
揺れが途切れた。
息をつくより早く、二度目が来た。
重い卓が、俺たちごと横へ引かれた。卓の脚が石を削り、耳元で鈍い音が鳴る。
窓の向こうで鐘が鳴った。
誰かが鳴らした音ではない。
塔そのものが揺らされて、低く、長く響いている。
揺れは数十秒続き、ようやく収まった。
卓の下から出ると、床には書類と本が散り、さっきまで水の入っていた杯は欠片だけになっていた。
ベルナードはすでに扉へ向かっていた。
「学校と寄宿舎を確認します」
セヴェリオは頷く。
「頼みます。私は大礼拝堂へ向かいます。各区画の被害を確認してください」
「俺たちも動けます」
俺が言うと、セヴェリオの視線がこちらへ向いた。
「こういう時に手を貸すのが、冒険者の仕事です」
「では、ベルナードと学校へ。怪我人がいれば、施療院まで運んでください」
「分かりました」
セレスが答え、俺たちは扉へ向かった。
その時、足元が小さく跳ねた。
揺れは、すぐに収まった。
その直後、同じ強さの揺れが、もう一度来た。
今度は、セヴェリオが扉の前で足を止めた。
「セヴェリオ様?」
セレスが呼んでも、返事はなかった。
セヴェリオは、床へ落とした目を上げないまま、立ち尽くしていた。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
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