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第77話 信仰を前に

大聖堂は、朝からずっと山の上に見えていた。


白い柱廊が山頂を覆い、その中央では、両手に光を掲げた創造神の像が空を背負っている。


馬車が麓へ近づいた時には、もうすぐ着くのだと思っていた。


けれど坂を登り始めても、大聖堂はほとんど近づかない。


角を曲がるたび、眼下へ屋根が増えていく。


山腹に広がる町を越え、その向こうには神聖大陸の内側へ続く平野まで見えるようになった。


それでも大聖堂は、まだ同じ場所にあるように見えた。


「随分、登ったと思うんだが」


窓から振り返ると、向かいに座るセレスも山頂を見上げていた。


「ええ。でも、まだ遠く見えるわ」


「建物が大きすぎるんだろうね」


レオンが、屋敷で借りた案内書を閉じる。


「正面の柱だけで、荒漠大陸の聖堂が幾つも入るそうだよ」


「言われても、荒漠の聖堂も行ったことねえよ」


ルークの言葉に、レオンは少し考えた。


「つまり、着いてからも随分歩かされるってことだよ」


「説明を諦めんなよ!?」


セレスが堪えきれずに噴き出す。


その笑い方を聞くと、少しだけ肩の力が抜けた。


4日前、領内の聖堂へ向かう馬車の中では、こんなふうに笑えてはいなかった。


膝の上で重ねた手を、セレスは何度もほどいては組み直していた。


窓の外へ向けた視線も、町並みを追ってはいない。


「信仰がないと分かった上で試されるのよね」


小さくこぼれた声は、独り言に近かった。


「神官になりたいわけじゃないって、ローデリクさんも書いてただろ」


「ええ。でも、だからこそ何を見られるのか分からないわ」


分からないことがあれば、セレスはすぐ、何を確かめるべきかを考える。


けれどあの時は、何を問われるのか分からないところで、何度も手を組み直すばかりだった。


領内の聖堂で迎えた神父は、ローデリクの書状を読み、それからセレスへ向き直った。


神官になるつもりはない。


創造神を信じているとも言えない。


それでも、神聖系統の魔力をどう扱うのか、その考え方から学びたい。


セレスは、その三つを順に口にした。


信仰について曖昧な言葉を足さず、言い終えると神父を見た。


神父は最後まで遮らずに聞いていた。


神父は机の引き出しを開け、掌に乗るほどの小皿を置いた。その上に、乾いた茶色の種を2粒、少し離して並べた。


「片方は、このまま土へ植えれば芽を出します。もう片方は芽を出しません。見分けられますか」


見た目には、どちらも変わらない。


セレスは小皿を見たまま、神父へ尋ねた。


「魔力を通しても?」


「構いません」


セレスは右の種を掌へ載せ、目を閉じた。


しばらくして種を皿へ戻し、今度は左を取る。


右。左。もう一度右。


種を持ち替えるたび、セレスの指先が僅かに止まった。


三度目に左の種を小皿へ戻すと、セレスは神父を見た。


「こちらだと思います」


「理由を聞いても?」


「私の魔力に反応したのはこちらだけです。それ以上は、分からないわ」


神父は左の種に印をつけた。


「正解です」


セレスの肩が、ほんの少し下がった。


神父は小皿を脇へ寄せ、セレスを見た。


「命の反応だと、言い切らないのですね」


「命がなんなのかを、私は知らないわ」


神父はそこで初めて、少しだけ笑った。


「分からないところで止まれるのは、魔力を扱う者には必要なことです」


神父は書状を手元へ引き寄せ、何行かを書きつけた。


俺は、魔素の違いを見分けられるかだけを試したのだと思っていた。


けれど神父が聞いたのは、正解を選んだ理由と、セレスがそこから先を口にしない理由だった。


封をされた書状は、今もローデリクの手にある。


馬車が速度を落とし、石畳を踏む車輪の音がゆっくりになった。


「門前町に着いたぞ」


ローデリクの声に、窓の外へ向き直る。


坂の先には、白い石で造られた大きな門が立っていた。


門柱には創造神の姿が彫られ、その向こうにも白い建物が幾重にも重なっている。


「あれが大聖堂の正門ですか?」


俺が尋ねると、ローデリクは首を横へ振った。


「門前町の入口だ。大聖堂の正門は、まだ先にある」


馬車が門をくぐると、視界が開けた。


大聖堂と呼ばれているものが、一棟の建物だけを指すのではないことが分かる。


大礼拝堂を中心に、小さな礼拝堂、神官たちが祈りを捧げるための建物、神官養成学校、寄宿舎、書庫が柱廊と広場で繋がっている。


祈りと学びのために造られたものが、ひとつの町に見えるほど山の上へ広がっていた。


「これ、全部か?」


ルークの声から、さっきまでの勢いが消える。


「あの一帯をまとめて大聖堂と呼ぶ。お前たちが目指している大礼拝堂は、その一番奥だ」


馬車は止まらず、白い建物が連なる通りへ入っていく。


通りの両側には、大聖堂を訪れる者のための宿や店、ここで働く人々の家が並んでいた。


窓の形も軒の高さも揃い、看板さえ白い壁に沿って控えめに掲げられている。


白い法衣の神官が回廊へ急ぎ、籠を提げた女が店先で品物を受け取る。


荷車を引く男は、人の流れが途切れるのを待ってから車輪を進めた。


戸の開く音も、挨拶も、子供のせがむ声も聞こえる。


けれど誰も声を張らず、立ち止まる者は自然に道の端へ寄っていく。


鐘が鳴った。


通りにいた人々が足を止め、山頂の大礼拝堂へ頭を垂れる。


鐘が止むと、誰かが合図したわけでもないのに、それぞれがまた歩き始めた。


「幽冥より、こっちの方が静かだな」


ルークが窓の外を見たまま言う。


「大聖堂へ向かう道だからね」


「それだけじゃねえだろ。町全体で、息を合わせてるみてえだ」


レオンは行き交う人々を眺め、僅かに頷いた。


「乱さないことが、礼儀なんだろうね」


幽冥大陸では、墓の隣を子供が走り、古い柱には縄が掛けられ、市場には値切る声が飛び交っていた。


死とともにある大陸と聞いて思い描いた景色は、最後まで見つからなかった。


むしろあちらの方が、生きている音に満ちていた。


ここにも笑う人がいて、泣く子供がいる。


ただ、その音はどこまでも広がる前に、きちんと自分の場所へ収められていくようだった。


馬車はさらに長い坂を登った。


ようやく止まった時、創造神の像は遥か頭上から広場を見下ろしていた。


白い柱が何列にもわたって正面を埋め、その奥にもさらに高い柱廊が重なっていた。柱の間を歩く人々が小さい。


セレスは馬車を降りると、しばらく動かなかった。


「ここで学ぶのか」


俺が隣へ並ぶ。


「まだ、入れると決まったわけではないわ」


「それでも、ここまで来ると決めたのはセレスだろ」


「ええ」


セレスは大聖堂を見上げたまま笑った。


「ここから先へ進めるかは、これからね」


先を歩いていたローデリクは、大聖堂の扉の前で足を止めた。


追いついたセレスを待ち、自分は半歩だけ脇へ退く。


「面会までは、わしが整えた」


「ええ。ありがとう、お祖父様」


「中では口を挟まんぞ」


セレスは一瞬だけ祖父を見上げ、それから笑った。


「その方が、きちんと私を見てもらえるわ」


ローデリクの口元が僅かに緩む。


「ならば、先に行け」


セレスが扉へ向かう。


ローデリクはその隣ではなく、一歩後ろを歩き始めた。



大聖堂の中へ入ると、外の音がさらに遠ざかった。


天井から白い布が幾重にも垂れ、床を走る細い金色の線が柱の向こうまで続いている。


礼拝に訪れた人々は中央の大礼拝堂へ向かい、白い法衣の聖職者は決められた時刻の祈りへ急ぐ。


言葉を交わす者はいても、回廊に響かせる者はいない。


祈る場所。


日々、神へ言葉を捧げる場所。


そして、その教えを学ぶ場所。


幽冥大陸の大神殿のように、生活そのものが内側へ入り込んではいなかった。


誰に注意されたわけでもないのに、気づけば俺も足音を抑えていた。


長い回廊を幾つも抜け、最奥に近い部屋へ通される。


大きな窓と長い卓。背後の壁を埋める書棚。

飾られているのは、創造神を象った小さな像だけだった。


窓辺に立っていた老人が振り返る。


白い法衣の縁には金糸が走っている。


細身で穏やかな顔立ちの老人は、ローデリクより一回りは年上に見えた。


「久しいな、ローデリク」


「変わらんな、セヴェリオ」


「お前もな」


ローデリクが、手にした書状を僅かに持ち上げる。


「急な話ですまん」


「お前が詫びるとは、随分と歳を取ったものだ」


「ならば、今の言葉は忘れろ」


「そうしておこう。その方が話しやすい」


最高司祭セヴェリオは、小さく息を漏らした。


「セレスティア・フォン・アークノルト嬢ですね」


「はい。お時間をいただき、ありがとうございます」


「話は聞いています。まずは、その書状を」


セヴェリオが手を差し出す。


ローデリクは、封をされたままの書状を渡した。


セヴェリオは封を切り、立ったまま最後まで目を通した。


「辺境伯。ここからは、彼女と話します」


ローデリクは一度だけ頷き、セレスの肩へ手を置いた。


「昼には迎えを寄越す」


「帰り道くらいは覚えているわ」


「山を下りたところで迷うな」


「13歳の私と話していない?」


「わしには昨日のようなものだ」


セレスは少しだけ眉を寄せ、それから笑った。


「それなら、今日の私も覚えておいてね」


ローデリクは一度だけ頷いた。


「言われるまでもない」


俺たちにも頷くと、振り返らずに部屋を出ていった。


セヴェリオは俺たちへ椅子を勧め、自分も卓の向こうへ座った。


「書状には、創造神を信仰しているわけではない、とあります」


「はい」


「創造神への信仰は持たない。その立場を偽らずに、ここで神聖魔法を学びたい。そういうことですね」


「はい」


「神を信じていない。それでも、神の恩恵とされるものを学びたい。あなたの中で、その二つはどう繋がっていますか」


「まだ、繋がってはいません」


セレスは正面から答えた。


「だから、ここでは信仰と神聖魔法をどう結びつけているのか知りたいのです。魔力の動かし方だけを覚えても、その考え方まで理解したことにはならないと思います」


「理解した後には、信じられるかもしれないと?」


「学んだ先で何を信じるかは、今の私には分かりません」


セヴェリオは少しも表情を変えない。


「あなたが開こうとしている扉についても聞きました」


最高司祭の声は穏やかなままだった。


ローデリクが、扉のことまでセヴェリオへ話していても不思議ではない。


けれど、それならセレスがここで学びたい理由として、まとめて聞けば済む話だ。


セヴェリオは、扉のことだけをわざわざ切り離して口にした。


その言い方が、妙に耳に残った。


「神聖魔法を学べば、その扉を開けられると考えているのですか」


「分かりません」


セレスは迷わず答えた。


「神聖魔法であの扉を開けられるという確証はありません。ただ、今の私たちに足りないものの一つだと考えています。だから、それが何なのかを正しく知りたいのです」


俺たちは、足りないものを取りに来た。


けれど、それが本当に扉へ続くのか、誰かが保証してくれたわけではない。


セレスは、分からないと答えながらも、視線を逸らさなかった。


「たとえ学び持ち帰っても、扉を開けられるとは限りませんよ?」


「その時は、違ったのだと分かります。分からないまま諦めるより、次へ進めます」


セヴェリオはしばらくセレスを見ていた。


「学び終えれば、荒漠大陸へ戻るのでしょう」


「はい。仲間と一緒に戻ります」


「信仰を持たず、神官になるつもりもなく、学び終えれば去る。それでも、我々があなたへ教える理由は何でしょう」


セヴェリオの問いが、静かに響いた。

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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