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第76話 継がれるもの

「遅かったな、セレスティア」


馬車が止まると同時に、外から扉が開いた。


扉を開けるはずの従者は、馬車の脇で目を丸くしている。


代わりに扉を掴んでいたのは、濃紺の上着を纏った大柄な老人だ。


白髪は短く整えられ、腰には長剣がある。

皺の深い顔も、俺たちを覗き込む目も、老いたという言葉だけでは片づけられない力を残している。


老人の目は、セレスだけを見ている。


叱っているようにも聞こえる。


セレスは一度だけ唇を結び、すぐに笑った。


「お待たせしました、お祖父様」


差し出された手を取り、馬車を降りる。


次の瞬間、老人の両腕がセレスを肩ごと抱き締める。


「よく来た」


今度の声は、誰が聞いても祖父のものだ。


セレスの顔が、濃紺の胸元へ半分埋まる。


「お祖父様、苦しいわ」


「3年分だ。黙っておれ」


「3年分を今使い切ったら、明日からお会いする理由がなくなるでしょう?」


老人の腕が、ほんの少し緩んだ。


「理由なら、いくらでも作る」


屋敷の前には使用人だけでなく、衛兵まで整列している。

その全員が、正面だけを見て何も見なかったふりをしていた。


老人の後ろには、同じく肩幅の広い壮年の男がいる。きちんと仕立てられた上着の前を窮屈そうに開け、その男だけが大きく笑った。


「父上。今のは、セレスティアの勝ちですよ」


「まだ離しておらん」


「そういうところも含めてです」


「ヴィクトール伯父様、見ているなら助けてください」


セレスが腕の中から言うと、ヴィクトールと呼ばれた男は片手を上げた。


「久しぶりだな、セレスティア。無事でよかった」


「ええ。伯父様も、お元気そうで何よりです」


そこでようやく、セレスの祖父は腕を緩めた。


両肩へ手を置いたまま、顔を覗き込む。


「痩せたな」


「前にお会いした時は13歳よ。何も変わっていなければ、そちらの方が心配でしょう?」


「口は達者になった」


「誰に似たのかしら」


ヴィクトールが咳払いをした。


「怪我はないか」


「遭難した時に擦り傷ができたくらいよ。もう治っているわ」


ローデリクはセレスの肩から腕、露出した手の甲までを確かめ、ようやく両手を離した。


「そうか」


セレスの祖父は、もう一度その顔を確かめてから、ようやく馬車の中へ目を向けた。


「挨拶が遅れた。ローデリク・フォン・アークノルトだ」


「お前がアレンか」


俺は馬車を降り、手を上げる。


「そうです。どうして分かったんですか?」


「わしがセレスティアを抱いている間、屋敷でも衛兵でもなく、あの子の顔だけ見ていた」


「苦しそうだったので、助けるべきか迷ってました」


「それなら、次はもう少し早く決めて」


「次もあるのか?」


「3年分を分けてもらったもの」


ローデリクは俺とセレスを見比べ、喉の奥で笑った。


「レオン・ヴェルクです」


レオンが馬車を降りて一礼し、ルークもその隣へ並ぶ。


「ルーク・ガルドです」


ローデリクは2人の名を聞くと、今度は3人をまとめて見渡した。


「これで4人か」


「4人?」


セレスが聞き返す。


「アルフォンスの手紙は、グランドオーダーを担う4人の冒険者が訪ねる、という一文から始まっていた」


セレスは何も言わなかった。ただ、口元に浮かんだ笑みは隠さなかった。


「セレスティアを連れてきてくれた、とは言わん。こいつは自分の足でここまで来たのだろう」


「ええ」


セレスが先に答えた。


「だが、1人で歩いてきたわけでもない。隣を歩いてくれたことには礼を言う」


ローデリクが頭を下げる。


並んでいた衛兵たちの姿勢が、僅かに固くなった。


辺境伯が冒険者3人へ頭を下げるのは、それくらい珍しいことらしい。


俺たちも慌てて頭を下げた。


「礼なら、俺たちからも言わせてください。セレスがいなければ、ここまで来られませんでした」


「そうか」


顔を上げたローデリクは、もう笑っていた。


「なら、続きは中で聞こう。まずは遭難の顛末からだ」


「そこから全部?」


「無事だったという結果だけで、済ませられると思うか?」


セレスが俺たちを見る。


「長くなりそうね」


「夕食までには終わらせよう」


俺が言うと、ルークがすぐに頷いた。


「そこは絶対だな」



ローデリクは、禁書庫の扉についてはすでに知っていた。


卓上には、セレスの父親から届いた手紙と、幽冥大陸からの報せが置かれている。


子爵の手紙には、俺たちが見つけた二重封印と、セレスが神聖魔法を学ぼうとしている理由まで記されていた。


幽冥大陸からの報せにあるのは、俺たちが漂着したことと、神聖大陸へ向けて出発したことだけだった。


俺たちは、そこに書かれていない遭難の顛末と、幽冥大陸で見聞きしたことを順に話した。


話が終わると、ローデリクは子爵の手紙からセレスへ目を移した。


「アルフォンスは、お前が神聖魔法を学びに来ると書いている。そして今のお前は、治癒と鎮静を見て、命について考えている」


「どちらが、今のお前だ」


セレスは父親からの手紙を見た後、祖父へ向き直った。


「どちらも私よ。でも、どちらもまだ答えではないわ」


「答えではない?」


「知らないものを知りに来たのに、着く前から答えを決めることはできないもの」


セレスは自分の言葉を確かめるように、一度息を置いた。


「向こうでは、治癒も鎮静も同じ命に働きかける魔法だった。他の大陸では光属性と闇属性に分けているけれど、活性化させるか、鎮めるか、その違いしかないと言われたわ」


「幽冥の教えを信じたのか」


「まだ、分からない」


返事に迷いはない。


「でも、知らなかった頃と同じように、光だけを見て分かったつもりにはなれないわ。扉に使える術式を覚えるだけではなく、こちらでは命をどう捉えて神聖魔法を使っているのか、そこから知りたいの」


「創造神を信じるつもりもあるのか」


「それを、学ぶために必要な条件として求められるなら、私は入れないわ。信じると決めて信じられるものではないでしょう?」


ローデリクの目が細くなった。


「正直だな」


「嘘をついても仕方がないもの。信仰があるとは言えない。でも、なぜそれを信じ、どのように命と結びつけているのかは知りたい。教えを理解する前から否定するつもりもないわ」


「神官になる気は」


「ありません」


そこだけは、一息で答えた。


ヴィクトールが吹き出し、ローデリクも声を上げて笑う。


「何がおかしいの?」


「いや。そこまで迷わんとは思わなかった」


「目的が違うもの」


「分かった」


ローデリクは笑いを収め、背もたれから身体を起こした。


「ならば、まずはこの領地の聖堂で適性を見てもらえ」


「大聖堂ではなくて?」


「大聖堂へ話を通すだけなら、父上の書状一つで済む」


答えたのはヴィクトールだった。


「かつての大聖女とアークノルト家の関わりは、向こうも忘れていない。面会だけなら断られんだろう」


「だからこそ、先には書かん」


ローデリクが続ける。


「お前より先に、アークノルトの名が席に着くからだ」


セレスが瞬いた。


「まず領内の聖堂で、魔力の適性も、学ぶ理由も、教会の教えと向き合えるかも見てもらう。そこで出た所見と一緒に、わしがお前を大聖堂へ紹介する」


「適性がないと判断されたら?」


「それでも大聖堂へ連れていき、話は聞いてもらう」


ローデリクは卓上の子爵の手紙を、指先で軽く叩いた。


「門は開ける。だが、その先の判断まで、家名で曲げさせる気はない」


セレスは祖父の顔をしばらく見つめていた。


「ありがとう、お祖父様」


「礼を言うのは、まだ早いぞ」


「それでもよ。私より先に、私の行き先を決めなかったことに」


ローデリクの指が、手紙の上で止まった。


ヴィクトールが椅子へ深く座り直す。


「アルは昔から、セレスティアのことになると視野が狭くなるからなぁ」


「昔はね。今は、聞いてから困っているわ」


セレスがすぐに言い返した。


「それは進歩なのか?」


「私には、大きな違いよ」


「そうか。アルも、ようやく娘に認めてもらえたか」


「本人には言わないでね」


「なぜだ」


「安心して、また聞くのをやめたら困るでしょう?」


ローデリクとヴィクトールが揃って笑った。


俺も笑いながら、荒漠大陸にいるセレスの父親の顔を思い出す。


これを聞けば、あの子爵はきっと困った顔をする。

けれど今度は、娘に何と言えばいいのかも、先に聞くのだろう。


「聖堂へは、明日の朝に使いを出す」


ローデリクが言った。


「返事が来るまで、この屋敷で休め。部屋は4人分ある」


「ありがとう、お祖父様」


セレスは嬉しそうに笑った。


話が終わったらしいと見て、レオンとルークが席を立つ。


俺も続きかけて、ひとつ引っ掛かっていた言葉を思い出した。


「あの、さっき大聖女とアークノルト家がどうとか、かなり大事なことを普通に言ってませんでした?」


ローデリクは、セレスへ顔を向けた。


「セレスティア、お前はどこまで知っている?」


「初代辺境伯が、大聖女の遺した娘を引き取ったことは知っているわ。でも、大聖堂が今もその縁を重く見ていることまでは、私も初めて聞いたわ」


「そこから先は、公に伝える家史ではなく、アークノルト家の家伝になる」


ローデリクの言葉に、ヴィクトールも頷いた。


セレスが祖父と伯父を交互に見る。


「家伝には、何が残っているの?」


ローデリクは、座り直した俺たちを見渡した。


「初代辺境伯には、同じ遠征軍に加わった弟がいた。兄が将軍、弟がその副将だった」


ローデリクが語り始めたのは、セレスの知る家史には記されていない、一組の男女の話だった。


その弟と、当時の大聖女は想い合っていた。


辺境討征へ出る前、副将は別れの挨拶に大聖女を訪ねた。

帰還の望みが薄いことは伝えられておらず、最後まで笑っていた恋人へ、大聖女は自分と離れるのに笑っていられるのかと拗ねたという。


恋人は、最後に見せる顔を笑顔にしたかっただけだった。


そして、副将は辺境討征から戻らなかった。

大聖女が身籠っていることを知らないまま戦地へ赴き、そのまま命を落としたという。


帰還した初代辺境伯から弟の死を知らされた大聖女は、最後の笑顔を思い出すたび、なぜあの時に気づけなかったのかと悔やんだ。


残された大聖女も、娘を産んで間もなく亡くなった。


両親を失った娘を引き取ったのが、生還し、その功績によって初代辺境伯となった兄だった。


「その娘は一度ほかの家へ養子に出され、後に初代辺境伯の長男へ嫁いだ。大聖女と副将の血は、そこでアークノルト家の血統へ入った」


俺はセレスを見る。


本人も、その先まで聞くのは初めてらしい。膝の上へ置いた手を見つめたまま、動かなかった。


「つまり、セレスにも大聖女の血が流れているのか?」


「そういうことになる」


答えたのはヴィクトールだった。


「大聖堂が覚えているのは、初代辺境伯が大聖女の娘を保護したことだけではない。今も、その血を受け継ぐ家だからだ」


聞き流しかけた古い話の続きが、セレスとして俺たちの隣に座っていた。



夜も更けてから、ヴィクトールは父の執務室へ呼ばれた。


「爵位をお前に譲る」


部屋へ入って最初に告げられた言葉に、ヴィクトールは扉の前で足を止めた。


「その話なら、10年前にも聞きましたよ」


「今度は譲る」


「毎回そう仰いますね」


「嫌なのか」


「まさか。ただ、今日でなければならない理由もありませんでしたから」


ヴィクトールは向かいの椅子へ座った。


「今日でなければならん理由はない。だが、今日より先へ延ばす理由もなくなった」


ローデリクは、机に置かれた2通の手紙へ目をやった。


「セレスティアが家を出た時、わしは自分で探しに行かなかった。人を出し、アルフォンスから報告を寄越させることはできた。だが最後には、辺境伯が大陸を離れるわけにはいかんと言って、ここに残った」


ヴィクトールの顔から笑みが消える。


「あの子は無事に戻った。だが、次も戻ってくるまで待つ気はない」


「次が来る前に、行き先を聞いてください」


「聞くとも。だが、それでここに縛られたままでいる理由にはならん」


ヴィクトールはしばらく父を見ていたが、やがて深く息を吐いた。


「分かりました。お引き受けします」


「随分あっさりしているな」


「覚悟なら、10年前に済ませています。父上に任せておけるうちは、面倒ごとまで任せておきたかっただけですよ」


ヴィクトールは立ち上がり、扉へ向かいかけて足を止めた。


「私も、セレスティアを見守ってやりたいところですがね」


「そこは譲らん」


ヴィクトールが堪えきれずに笑った。


「爵位を譲る時より、ずっと惜しそうですね」


「当たり前だ。辺境伯は退く。祖父まで退くつもりはない」

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

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