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第75話 切り分けられた岸

翌朝、俺たちは大神殿の南門前で、神聖大陸へ向かう商隊に加わった。


荷車は5台。幽冥大陸南西部の港へ運ばれる荷に混じって、俺たちの革袋も積まれている。


昨夜のうちに、神聖大陸へ向かう日程と到着予定の港を、大神殿から知らせてもらった。

宛先は、セレスの父親と冒険者ギルド、商業ギルド、それに神聖大陸のアークノルト辺境伯家だ。


南門を抜けて最初の坂へ差しかかっても、セレスは荷台の後ろに座ったまま、町の方を見ていた。


俺も荷台から振り返ると、白い外壁の内側に、施療院の平らな屋根と大神殿の門塔が見える。


「名残惜しいか?」


「少しだけ。数日しかいなかったのに、ここへ来たのが随分前のことみたいね」


「少しだけって顔じゃないけどな」


「そうね。見れば見るほど、常識の方が怪しくなっていくんだもの」


街道が次の丘へ差しかかると、白い外壁も門塔も見えなくなった。


古い石の混じる道は、緩やかな丘の間を西南西へ延びている。



3日目の午後、丘を渡る風に潮気が混じった。


海はまだ見えない。それでも、潮と濡れた木の匂いは、荒漠大陸を出た港と同じだった。


丘を越えると、深い入り江の奥に帆柱が集まっている。

平らな屋根の白い石倉庫が水際まで並び、その前を荷を担いだ人々が絶えず行き交う。


漁船に混じって、2本の帆柱を持つ商船も幾隻か停まっていた。


幽冥大陸へ流れ着いた漁村とは比べものにならない。

それでも、幾重にも帆柱が重なる荒漠大陸の港ほど大きくはなかった。


俺たちを乗せる船は、入り江の外側に近い桟橋へ繋がれていた。

荒漠大陸から乗った貨物船より一回り小さく、客室も寝台もない。

甲板の下には積荷を片側へ寄せ、4人が横になれるだけの場所が空けられている。


その日は港近くの宿へ荷を置き、水と食料を買い足した。


日が沈んでも、入り江から荷を運ぶ声と、船体を叩く波の音が宿まで届いた。



船が港を出たのは、翌朝だった。


風を孕んだ帆が船体を沖へ運んでいく。入り江の奥に重なっていた倉庫と帆柱は、白い岬の陰へ一つずつ消えていった。


俺たちは甲板に残り、遠ざかる幽冥大陸を見ていた。


「南の岸は、海からは見えないのか?」


ルークが近くにいた船長へ尋ねる。


「岬に隠れてるだけだ。回れば、嫌でも目に入る」


船長は船尾へ戻り、船員たちへ短く指示を飛ばした。


船は岬から距離を取り、ゆっくりと南へ進んでいく。


岬の先端を回った。


視界が開けた瞬間、海面がそのまま天へ向かって立ち上がったように見えた。


白い断崖が、船の左手を埋め尽くしている。


誰も、すぐには言葉が出なかった。


海面から始まる岩壁は、見上げても上端が霞んで見えない。東へ延びる白い壁は、空と海の間を塞いだまま、視界の果てへ溶けている。


波に濡れた崖下や、大きく崩れた場所では、白い岩肌の奥から青黒い層が覗いていた。

崖下に散らばる岩も、風雨に削られた凹凸も、壁全体の中では細かなざらつきにしか見えない。


断崖の前を横切る海鳥は、翼を広げても小さな黒い点にしか見えなかった。


遥か上では、大地が断崖の縁で突然途切れている。


あの大峡谷は、大地に開いた巨大な裂け目だった。


今、目の前にあるのは、大地そのものの端だ。


最初に口を開いたのは、ルークだった。


「……あれが、南壁か」


俺も壁の続く先へ目を凝らしたが、白い断崖は視界の外まで延びている。


「どこまで続いてるんだ?」


「ここからずっと東だ。向かいの神聖大陸も、北側は似たようなもんだ」


船長が俺たちの後ろから言う。


セレスが船首へ向き直った。


「神聖大陸の壁も、もう見えるの?」


「ああ。正面に白い崖が見えるだろう」


俺たちも船首側へ並んだ。


海と空の境に、遠い断崖が淡く浮かんでいる。


「あれが神聖大陸の北壁だ。真っ直ぐ渡るだけなら半日もかからん。けど、あっちも船を着ける場所がない。港は北壁の西端を回った先だ」


俺は船の左手後方へ伸びる南壁と、遠くに霞む北壁を見比べた。


間近に見る南壁の凹凸は、巨大な断面に後からついた傷にしか見えない。あの断面そのものがどうして生まれたのかは、想像もつかなかった。


神様が大地へ巨大な剣を振り下ろし、幽冥と神聖を切り分けた跡だと言われた方が、まだ納得できる。


船は南壁を左手後方へ置き、北壁へ向かって海峡を南へ進んだ。


前方で、霞んでいた北壁が少しずつ高さを増していく。


昼を過ぎる頃、船は北壁に沿って西へ向きを変えた。


日が傾く頃には、左手に神聖大陸の北壁、右手の水平線に幽冥大陸の南壁が延びている。


俺たちは、神様の剣が大地に残した跡を、船で辿っているようだった。



翌朝も海は穏やかだった。


船は神聖大陸の北壁に沿い、その西端へ向かっている。


「そっちの端を押さえてくれ」


積荷を覆う布の向こうから、船員の声が飛んできた。


俺は布の端を掴む。


「ここでいいか?」


「もう少し船尾側だ。そこで引いてくれ」


言われた位置まで引くと、反対側でレオンが縄を輪へ通した。

風に煽られていた布が木箱の上へ張りつき、船員が素早く結び目を作る。


客に仕事はさせられないと言われたのは、出港した朝だけだった。

俺たちが縄の扱いも、荷の固定も知っていると分かってからは、船員たちが手の空いている者へ声を掛けてくる。


甲板の前方では、ルークが船員に混じって帆綱を引いていた。


「そんなに張り切っても、昼食は増えないそうよ」


藍色の上着の袖を捲り、使い終えた覆いを畳んでいたセレスが言った。


「いつの間に聞いたんだよ」


「あなたが最初の綱を引いている間に」


セレスがおかしそうに笑った。


ルークは何も言わず、次の帆綱へ手を伸ばす。


俺も押さえていた布を船員へ渡し、立ち上がる。


船首の左手には、白い断崖がまだ続いている。


「崖の上、白いものが並んでるぞ」


俺の声に、レオンとセレスが船首へ顔を向ける。ルークも帆綱を船員へ返し、手すりのそばまで来た。


海から一気にせり上がる岩壁の上端は、細い緑色の線で縁取られていた。そのさらに上に、柱とも塔ともつかない白い構造物が、等間隔に並んでいる。


崩れたところからは、幽冥大陸の南壁と同じ青黒い層が覗いていた。


「あの白いものは、何かしら」


「境塔だ」


船長が俺たちの後ろから答えた。


「北壁の縁は禁足地になってる。あの塔が境を示してるんだ。決められた祭礼か、神官の見回りでもなけりゃ、塔より海側へは入れない」


ルークが、視界の先まで続く白い列を見渡した。


「随分と広いんだな」


「北壁は、神の御業が地上に残った場所だとされてるからな。町も畑も、あの塔より海側には作られん」


セレスは白い境塔の列から、その下に続く断崖へ視線を移した。


「同じように見える壁なのに、幽冥とは扱いがまるで違うのね」


「あそこが北壁の西端だ。回り込んだら帆を畳むぞ」


船長の声に応え、船員たちが持ち場へ散っていった。


西へ延びていた北壁は、緑の斜面が海まで下りてくるところで終わっていた。


船が岬を回ると、大小幾つもの入り江が開けた。


海上からは、幽冥大陸と同じ白い建物に見えていた。

岸へ近づくほど、その違いがはっきりしてくる。


丘へ続く家々の屋根は緩く傾き、倉庫の入口には丸いアーチが架かっている。

港から延びる道の両側には白い柱が同じ間隔で並び、その奥には三角形の屋根を載せた建物が見えた。


船は幾つかの入り江を通り過ぎ、石積みの防波堤に守られた小さな港へ進んでいく。


短い桟橋には漁船が身を寄せ、水面の奥では干された大きな網が風を受けて揺れていた。


「あそこが港か?」


俺が入り江の奥を指すと、船長が頷く。


「そうだ。大きな船は入れないが、この船なら問題ない」


帆が次々に畳まれ、船の速さが落ちていく。

海面を切る音が弱まるにつれ、魚を選り分ける女たちの声や、桟橋を走る足音が近づいてきた。


セレスは足元へ置いた覆いを畳み終えると、捲っていた藍色の袖を戻し、襟元を整える。


「急にお嬢様らしくなったな」


俺が言うと、セレスは澄ました顔で袖口を直した。


「急ではないわ。どこから見ても、ずっとお嬢様でしょう?」


「さっきまで袖を捲って働いてたけどな」


「働き者のお嬢様よ」


セレスはそう言って、最後に髪を手で整えた。


船員が投げた係留索を、桟橋の男たちが受け取る。

船体が一度大きく揺れ、桟橋へ船腹を寄せた。


俺たちは革袋を担ぎ、商人に続いて船を下りる。


詰所から出てきた役人が、手元の書類と俺たちを見比べた。


「荒漠大陸からお越しの冒険者4名ですね」


「ああ。幽冥大陸の大神殿から、知らせは届いてるか?」


「届いております。お迎えの方も、今朝からお待ちです」


役人が港の入口を示した。


白い外套を着た男が、黒塗りの馬車の前に立っている。

俺たちが近づくと、胸へ手を当てて一礼した。


「アークノルト辺境伯家の者です。皆様をお迎えに参りました」


「本家から迎えが来るとは思わなかったわ」


セレスは外套の男へ丁寧に礼を返した。


「随分待たせてしまったかしら」


「いいえ。私どもが早く着きすぎただけです」


男が馬車の扉を開けた。その中央には、荒漠大陸で見たアークノルト家のものとよく似た紋章が刻まれている。


「お祖父様は?」


「お屋敷で皆様をお待ちです」


「そう。ありがとう」


セレスはいつもと変わらない声で答えた。

それでも馬車へ乗り込む前に、一度だけ大きく息を吸った。


「行きましょう」


今度こそ、ここが神聖大陸だった。


白い柱の並ぶ道の先で、セレスの祖父が待っている。

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

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