第71話 積み重なったもの
翌朝、俺たちは南門前の市場で、着替えと旅用品を買い揃えた。
漂流中に使い切った火口や油、傷薬を補い、買ったものを革袋へ分けた。
俺たち3人が必要な品を早々に選び終えた横で、セレスは店の女に布の織り方を尋ね、最後に袖口に細い銀糸の入った藍色の上着を買った。
肩から胸元へ布を斜めに重ねる形は、昨日、町で見かけた女たちの服とよく似ている。
セレスは旅装の上から何度か合わせてから、満足した顔で包みを受け取った。
市場を出ても、まだ朝の涼しさが残っていた。
俺たちはそのまま町を北へ抜け、宿の主人に教えられた麦畑へ向かった。
家並みが途切れると、緩やかな丘の間に畑が広がっていた。
丈の低い麦が風に揺れ、その間を細い水路が幾筋も走っている。
畑の中には、町で見たものと同じ古い石が幾つもあった。
人の腰ほどの高さまで突き出している石は畑の境に使われ、地表に平らな面だけを覗かせている石は、周りへ土を盛られて畦の一部になっている。
水路も、掘り出せない石の手前で緩く曲がっていた。
町では、古い石を道や壁へ取り込んでいたが、ここでは逆に、石の方が畑や水路の形を決めている。
どちらにしても、後から来た人間が、古いものの隙間へ暮らしを押し込んだように見えた。
その先で、俺たちは足を止めた。
麦畑の真ん中から、白とも灰色ともつかない巨大な構造物が斜めに突き出している。
遠くから見た時は、倒れかけた太い柱だと思った。
だが、近づくにつれて全体が視界からはみ出し、柱とは思えなくなった。
地上に露出している部分だけで、町の家なら3軒は並べられそうな幅がある。
下側は地中へ沈んでおり、麦畑の下でどこまで続いているのかも分からない。
「……あれが、北の塔?」
セレスは塔から目を離さなかった。
塔と聞いて、俺も空へ向かって聳える建物を想像していた。
だが、目の前にあるものは地面から斜めに生え、上端に積もった土から草を垂らしている。
太さに比べて地上に出ている部分は短く、塔というよりは、さらに巨大な何かの一部だけが畑を突き破って現れたように見えた。
これを塔と呼び始めた人も、たぶん、正体を知っていたわけではなく、ほかに呼びようがなかったのだと思う。
「これ、どこまで埋まってるんだ?」
ルークが呟いた。
畦道の入口では、中年の女が麦の間にしゃがみ、根元の雑草を抜いていた。
抜いた草は畦の端へ小さく積まれ、傍らには空の籠が置かれている。
「ヨナさんの畑は、ここで合ってるか?」
声を掛けると、女は腰を伸ばして額の汗を拭った。
「あたしがヨナだよ。塔を見に来たのかい?」
「ああ。畦道を通らせてもらってもいいかな」
「麦を踏まなきゃ構わないよ。近くへ行くなら北側から回りな。南は土が崩れやすいからね」
礼を言い、俺たちは1列になって畦道へ入った。
塔へ近づくほど見上げる角度は深くなり、すぐそばまで来ると、反対側の端は見えなくなった。
表面は陽を受けてもほとんど照り返さず、石のようにざらついてもいない。
部材を継いだ跡はどこにもなく、大きく欠けた上端まで同じ灰白色の材質が続いている。
セレスが壁の前へ進み、そっと掌を当てた。
「石……なのかしら」
ルークも隣へ並び、指の背で壁を叩いた。鈍く重い音が返ってきた。
「こっちに穴があるよ」
北側へ回っていたレオンが俺たちを呼んだ。
壁と地面の境に、人が屈んで通れそうな裂け目が開いている。
自然に崩れた穴らしく、縁は不規則に欠けている。
中へは入らず、外から届く光の範囲を覗いてみると、内側の壁は大きく湾曲し、同じ大きさの四角い窪みが暗がりの奥へ列を作っていた。
足元の面を床と考えれば、窪みは壁から天井へ斜めに上っている。
だが、構造物が元は別の向きだったのなら、俺たちが床だと思っている場所も、床と断定することもできない。
覗いているだけなのに、足場まで傾いたような気がして半歩下がった。
今立っている場所が地面であることまで疑い始めたら、きりがないな。
「奥が、思ったよりずっと深いね」
レオンの声が空洞に反響し、低く響いた。
セレスは壁沿いに数歩下がり、もう一度、地上に露出した部分全体を見上げた。
「町の下にも、こんなものが埋まっているのかしら」
昨日見た青い壁も、道に使われていた古い石も、見えていたのはほんの一部にすぎないのかもしれない。
そう考えた途端、足元の土まで薄くなったように感じた。
沈むわけがないと分かっていても、一度、畦道を見ずにはいられなかった。
横倒しになった塔なのか。
塔より大きな建物の一部なのか。
それとも、建物と呼ぶこと自体が間違っているのか。
4人で周りを歩いても、元の姿を思い描くことさえできなかった。
「随分と熱心だね。遺跡に興味があるのかい?」
ヨナが籠を腕に掛け、畦道をこちらへ歩いてきた。
セレスはヨナへ向き直った。
「興味は勿論あるわ。でも、それより今は、驚いていて」
セレスは片手を広げ、すぐ隣にある壁を示した。
「町でも、古い壁や柱が当たり前に使われていたでしょう? だから、もう少し小さなものを想像していたの。こんなに大きなものまで地面に埋まっているなんて……」
「町の中で出てるのは、使いやすいものが多いからね。こいつは屋根にも椅子にもならないよ」
ヨナは構造物を見上げることもなく、壁際に生えた草を引き抜いた。
「この辺りには、ほかにもあるの?」
「あるよ。けど、そこまで驚くなら、この塔だけ見て帰るのは勿体ないね」
ヨナは畑の北に続く低い丘を指した。
「あの先に大きな峡谷がある。ここら一帯じゃ、一番大きな遺跡群だよ」
「これより大きいの?」
「口で説明しても分かりゃしないさ。ちょうど向こうの水路を見に行くところだ。歩く気があるなら、連れていってやるよ」
セレスは俺たちを振り返ると、返事を待たずに革袋の紐を締め直した。
「お願いしてもいいかな」
「なら、畦を戻りな。麦を踏んだら案内はなしだよ」
ヨナは俺たちが畦道へ戻るのを待ち、先に立って歩き出した。
◇
麦畑を離れると、道は丘の間へ続いていた。
道端には白い花が咲き、斜面では羊が草を食んでいる。
ヨナは時折足を止め、花を摘んでは籠へ入れていった。
煎じて飲めば、喉の痛みに効くらしい。
丘へ入るにつれて、道の脇を流れる水路は細くなっていった。
ヨナは途中にある木の板を持ち上げ、引っ掛かっていた枝葉を取り除く。
堰き止められていた水が音を立てて流れ始めると、板を元へ戻し、下の畑へ水が向かうのを確かめてから濡れた手を服で拭った。
道には分かれ道が幾つもあったが、案内板のようなものはなかった。
道の真ん中から白い石が突き出した分かれ道で、ヨナは右を選んだ。
その先では、道を横切る崩れた壁に沿って進み、壁が途切れたところから草地へ入っていった。
「あの石が目印なの?」
セレスが振り返った先の白い石を、ヨナも肩越しに見た。
「ああ。あそこを真っ直ぐ行くと、羊の道に出ちまうからね。帰りは、崩れた壁に沿って白い石まで戻ればいいよ」
途中ですれ違った羊飼いも、ヨナが水路を見に行くと聞いただけで片手を上げ、そのまま丘を下っていった。
ここでは、元は何だったのかも分からない古い石が、畑を区切り、水路を曲げ、道を覚えるための目印になっている。
ヨナに案内されているうちに、遺跡が何なのかは分からないまま、その上で続いてきた暮らしの方が少しずつ見えてきた。
「その峡谷、町からは見えなかったよな」
ルークが丘の向こうを見ながら言った。
「谷が地面の下へ落ち込んでるからね。縁まで行かなきゃ見えないよ」
「遺跡は、いつ頃のものなんですか?」
レオンが尋ねると、ヨナは少し考えてから首を振った。
「あたしが生まれた時には、もう古かったよ。婆さんが子供の頃にも、今と大して変わらなかったらしいね」
ヨナの話では、大神殿から時折調べに来る者がいる。
以前、科学大陸の学者が調べに来たこともあるが、いつの時代に、どんな人々が築いたものなのかは分かっていないらしい。
丘を越えても、峡谷はまだ見えなかった。
緩やかな草地が続き、遠くには羊の群れが白い点のように散らばっている。
その間を走る犬の声が、風に乗って聞こえていた。
道は次第に狭くなっていき、白い岩の間を進んだところで、ヨナが足を止めた。
「ここからは、あたしより前へ出ないでおくれ。草の下まで地面があるとは限らないからね」
ヨナの後ろを、足元の草を確かめながら進んだ。
岩を回り込んだセレスが、不意に立ち止まった。
後ろのレオンがその肩へぶつかりそうになり、身を引く。
遅れて覗き込んだルークも、俺も、声を失った。
目の前で、大地が消えていた。
白い断崖が視界の果てまで左右へ続き、遥か下を流れる川は、細い青い糸にしか見えない。
だが、その深さよりも、向かいの岩壁に目を奪われた。
断崖の上から底まで、色も形も異なる建造物が、岩の中から生えた巨大な結晶の群れのように突き出している。
崖の上部に重なる白い部屋を目で追うと、その下を青黒い半円形の壁が斜めに断ち切っている。
壁の先は赤茶けた屋根の連なりへ食い込み、そのさらに下から、磨かれた白い列柱が何十本も谷へ張り出している。
どこか一箇所を見ようとしても、その周りから別のものが飛び込んでくる。
横倒しになった塔は上半分だけを空中へ突き出し、その脇では何段もの階段が天井から垂れ下がっている。
柱に囲まれた広間は傾いたまま岩壁に埋まり、谷へせり出した縁から細い滝を落としている。
崖から伸びた橋は宙で途切れ、離れた岩壁には、続きだったのかもしれない柱の根元だけが残っている。
岩の中に、あとどれほど埋もれているのか。
見れば見るほど、全体が分からなくなっていった。
青黒い壁に並ぶ穴の一つから、鳥の群れが飛び立った。
指先ほどに見えた穴は、何十羽もの鳥を吐き出してなお余るほど大きかった。
そこでようやく、俺は向かいの崖までの距離を読み違えていたことに気づいた。
あれだけ遠くにあるのに、塔も列柱も、崖の形を変えるほど大きく見えている。
「あれ……全部、建物なのか?」
ルークの呟きは、峡谷を抜ける風に攫われた。
俺も同じことを考えた。
だが、これを全部建物と呼ぶなら、建物という言葉の方が間違っているようにも思えた。
麦畑の塔でさえ元の姿を思い描けなかったのに、ここでは、どこまで追えば端へ辿り着くのかさえ分からない。
しばらく、誰も口を開かなかった。
崖に開いた幾つもの穴を風が通り抜け、違う高さから響く音が一つに重なっている。
離れた場所で石が崩れ、その音が岩壁へ何度もぶつかりながら小さくなっていく。
最初に動いたのはレオンだった。
遺跡から目を外し、断崖を横切る地層の色の違いを追い始めた。
「……おかしい」
レオンがようやく声を出した。
「何がおかしいの?」
「崖を地層として見るなら、下にあるものほど古い。それは間違いないんだ」
レオンは崖の上部に重なる白い部屋を示し、その指を下の青黒い壁へ移した。
「上の部屋は石を積んで造られている。大きいけど、造り方は分かる。でも、その下の壁には継ぎ目も支えも見当たらない。あれだけ大きな曲面を、何から、どうやって造ったのか、僕には想像もつかない」
「もっと古い方が、文明的に進んでたってことか?」
「それだけなら、まだ分かるんだ」
レオンの指が、青黒い壁より下に広がる赤茶けた屋根と壁へ動いた。
「その下は、また壁を立てて屋根を載せた造りに見える。もっと下にあるのも、柱を並べた広間だ。僕たちの知っている建物に近い」
セレスは青黒い壁と、その下の街並みを見比べた。
「古い方が進んでいた、とも言い切れないのね」
「うん。下へ行くほど単純になるわけでも、高度になるわけでもない。層を1つまたぐたびに、造り方の繋がりが見えなくなるんだ」
造りの違いをレオンほど見分けられなくても、何をおかしいと言ったのかは俺にも分かった。
地層は古い時代から順に積み重なっているはずなのに、そこに埋まる建物は、互いの造り方を知らない者たちが残したように見えた。
レオンは断崖を左右に見渡した。
「色の違う層は、崩れた場所の向こうでも同じ高さに続いてる。どこかで上下が入れ替わったわけじゃなさそうだ」
「あそこまで下りた人もいるの?」
セレスがヨナへ尋ねた。
「途中までは道があるよ。崖の中へ入った者もいる。戻ってこなかった者もいるから、危ない場所には警告の札が置かれてるけどね」
ヨナは峡谷の中ほどに残る白い階段を指した。
「あの階段は、あたしが子供の頃にはもう少し先まで見えてたんだ。何年か前の大雨で、先の方を支えていた岩盤が崩れてね。階段も半分ほど落ちたけど、その断面から下の丸い屋根が出てきたのさ」
断崖から伸びた階段は、十数段ほど先で崩れ、空中に途切れている。その下では、銀色の丸屋根が土から半分だけ姿を現している。
「こんな景色が、今も変わり続けているのね」
「崖だからね。どこも崩れるわけじゃないけど、雨が続くと、表面の土や割れた石が落ちる場所があるのさ。そうすると、隠れていた穴や入口が顔を出すこともあるよ」
セレスは白い階段と、その下で土から半分だけ覗いている丸屋根を見比べた。
「これだけ残っているのに、造った人たちのことは分からないままなの?」
ヨナはすぐには答えなかった。
見慣れているはずの峡谷を、俺たちと同じように上から下まで眺めてから口を開いた。
「どんな人たちだったか分からないからって、ここにいたことまでなくなるわけじゃないよ」
ヨナは俺たちが歩いてきた丘の方を振り返った。
「あたしの畑だって、この谷の続きみたいなものさ。見えてるか、土に隠れてるかの違いしかない。昔の連中が造ったものの上で、あたしらは畑を耕して、道を作って、家を建ててるんだよ」
そう言って、再び断崖へ顔を向けた。
「あたしらも、いずれこの景色の一部になるのさ」
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




