第69話 伝える者、信じる者、祈る者
翌朝、俺たちは干物と塩を積んだ荷車に揺られていた。
村を出た時には小さかった大神殿が、丘を越えるたびに大きくなっていく。
ルークの両手には、昨日手当てをしてくれた女性が巻いた包帯が残っていた。
傷は浅い。本人も気にしてはいないが、わざわざ巻いてくれたものをすぐに外す気にもならなかったらしい。
セレスは荷台から、近づいてくる大神殿を見上げていた。
「家にはなんて送るか、もう決めたのか?」
「ええ。四人とも無事で、幽冥大陸の大神殿にいる。今はそれだけで十分だと思うわ」
「これからのことは?」
「大神殿で話を聞いてから決めるわ。決まってもいないことまで書いたら、かえって心配させるもの」
「子爵のところには、もう事故の知らせが届いてるかな」
「本船が港に着いていれば、もう届いてると思う。……お父さま、心配してるでしょうね」
セレスは、遠くの白い建物を見た。
「だから、着いたらすぐに送るわ」
荷車は坂を上り、大きな石門をくぐった。
遠目には一つの建物に見えた大神殿は、白い壁に囲まれたいくつもの建物から成っていた。
上へ行くほど狭まる門の両脇には太い石柱が立ち、翼を広げた鳥と、見たことのない文字が刻まれている。
その内側を、大勢の人が行き交っていた。
荷車を引く農夫。布に包んだ荷を抱える商人。杖をつく老人に付き添う家族。
白や藍の衣をまとった神官たちは、訪れた者の話を聞き、荷を運び、忙しそうに建物を出入りしている。
大神殿というより、白い壁に囲まれた一つの町のようだった。
俺たちは村の荷車と別れ、教えられた受付へ向かった。
事情を話すと、藍色の帯を肩から掛けた神官が、冒険者証とセレスの持っていた書状を確かめた。
「無事を知らせるものでしたら、優先してお送りします。ただ、荒漠大陸までは何度か中継が必要です。お返事は、早くても今日の夕方になるかと」
「お願いします。実家と、冒険者ギルド、それから商業ギルドへ送りたいのですが」
神官は頷き、三枚の用紙を用意した。
冒険者ギルドと商業ギルドへの報告は、俺とレオンで書いた。
四人全員が幽冥大陸へ辿り着き、現在は大神殿にいる。
それだけを簡潔にまとめた。
セレスは隣で、父親への手紙を書いていた。
『お父様。私たち四人は、全員無事です。
幽冥大陸へ流れ着き、今は大神殿にいます。
これからのことが決まったら、また知らせます』
書き終えた手紙を俺たちにも見せる。
「これでいいかしら」
レオンが最初に頷いた。
「いいんじゃないかな」
俺とルークも頷いた。
三通の通信文が受付の奥へ運ばれていく。
それを見届けたセレスは、近くにいた神官へ声をかけた。
「こちらでは、治癒と鎮静、両方の魔法を学べると聞きました。詳しい方にお話を伺えますか」
◇
セレスが無事を知らせる前日、アークノルト子爵家へ届いたのは、四人の遭難を告げる急報だった。
商業ギルドから来た男は、帽子を膝の上で握り締めていた。
共同運航便が嵐に遭ったこと。乗客の子供が海へ落ち、セレスティアたち四人が小型艇で救助へ向かったこと。子供は助かったが、小型艇は本船と衝突した後、荒天の中で見失われたこと。
アークノルト子爵は口を挟まず、最後まで聞いた。
「申し訳ございません」
男が深く頭を下げる。
「謝罪は後でいい。今は捜索だ。海図を見せてくれ」
小型艇を最後に確認した位置。日没まで捜した範囲。
翌朝、本船が港へ向かうまでに通った航路。
男が海図に記した線を、子爵は一つずつ確かめた。
「当時、この海域を通っていた船を調べてほしい。前の寄港地と、この先に寄る予定だった港にも確認を。沿岸の港だけでなく、漁村にも小型艇の特徴を回してくれ」
「すでに確認を始めております。ただ、沿岸の村までとなると、今の人数では手が回りません」
「必要な人数を雇ってくれ。費用はアークノルト家で持つ」
「承知いたしました」
男を送り出すと、子爵はすぐに屋敷を出た。
馬車の支度を待つ時間も惜しみ、供を一人だけ連れて馬で冒険者ギルドへ向かう。
到着すると、子爵は受付で身分を告げ、至急ギルドマスターに取り次ぐよう求めた。
応接室へ通されると、事故の経緯と、商業ギルドへ出した指示を説明した。その上で、四人の捜索依頼を差し出す。
ギルドマスターは差し出された資料へ目を通した。
「海上ではなく、沿岸を?」
「海上は商業ギルドが探している。小型艇ごと漂着している可能性もある。各支部と、その周辺で活動する冒険者へ四人の情報を回してくれ」
子爵は四人の名を記した依頼書を、卓上へ押し出した。
「総本部にも上げてほしい。四人は指名依頼の調査で、神聖大陸へ向かっていた」
ギルドマスターは資料を閉じた。
「分かりました。総本部への報告はこちらで。先に人を動かしましょう」
子爵はわずかに頭を下げた。
「頼む」
子爵は屋敷へ戻ると、神聖大陸のアークノルト辺境伯家にも急送便を出した。
予定どおりなら、四人は辺境伯家を訪ねるはずだった。
神聖大陸側の港へ着いている可能性も、捨てるわけにはいかない。
日が沈むまでに、商業ギルドと冒険者ギルドが動き、沿岸の港へ四人の情報が送られた。
だが、その日のうちに消息は掴めなかった。
子爵は執務室を離れず、机に広げた海図を見ていた。
その脇には、娘が正式な冒険者になってからの報告書が積まれている。
Cランクへの昇格報告。Bランクパーティとしての活動記録。自然大陸で帰還予定を超過した際の報告書。
どの頁にも、四人の名が揃っていた。
子爵の指は、「全員無事に帰還」の一文で止まった。
今回も、四人で戻ってくる。
そう信じたくて、同じ一文を何度も読み返した。
だが、海図に記された最後の位置へ目を戻すたび、操舵を失った小型艇が嵐の海を漂う姿を想像せずにはいられなかった。
戦場では、敵を斬れば道を開けた。
政争では、相手の狙いを読んで先回りできた。
だが今は、何をすれば娘に届くのかさえ分からなかった。
家令が夜食を運んできた時も、子爵は海図を見ていた。
「少しお休みください」
「今、目を閉じれば、嵐の海にいるあの子の姿しか浮かばない」
家令は運んできた夜食を机の端へ置いた。
「では、せめてこちらを。何も召し上がらずに朝を迎えれば、お嬢様がお戻りになった時に叱られます」
子爵は海図から顔を上げた。
「……あの子は、無事に戻ってくるだろうか」
「ええ。きっと」
家令は迷わず答えた。
「お嬢様は、お一人ではありません。これまでも、四人揃って帰還しておられます」
子爵は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうだったな」
子爵は茶器へ手を伸ばした。
食事には手をつけなかったが、家令が淹れた茶だけは飲んだ。
その夜、子爵は一度も執務室の灯りを消さなかった。
打てる手はすべて打った。
あとはもう、娘が無事に戻るよう祈ることしかできなかった。
◇
翌日の昼過ぎ、アークノルト子爵家の門へ、至急の使者が駆け込んだ。
届けられた封書には、幽冥大陸の大神殿を示す印があった。
その印を認めた瞬間、子爵の心臓が強く脈打った。
幽冥大陸。
死とともにある大地。死者を見守り、その安寧を祈る者たちの大陸。
理性では分かっている。
大神殿からの知らせが、死者についてのものとは限らない。
それでも、海で消息を絶った娘と、幽冥大陸の大神殿を、頭の中で切り離すことができなかった。
「旦那様」
家令が封書を差し出す。
子爵は立ち上がり、両手で受け取った。
「昨夜から皆に苦労をかけた。交代で休むよう伝えてくれ」
「承知いたしました」
廊下を歩く速さも、すれ違う使用人へ返す会釈も、いつもと変わらなかった。
自室へ入り、扉を閉める。
封へ指を掛けようとして、手が震えていることに気づいた。
一度では開けられなかった。
呼吸を整え、もう一度封へ指を掛ける。
中から取り出した手紙の、最初の一行を読んだ。
『お父様。私たち四人は、全員無事です』
「……よかった」
声が漏れたのと同時に、張り詰めていたものが一気にほどけた。
膝から力が抜け、子爵はその場に座り込んだ。
手紙を握ったまま、何度も息を吐く。
視界が滲み、すぐには次の行を読めなかった。
やがて、扉の向こうから家令の声がした。
「旦那様」
「……入れ」
扉が開く。
家令が足早に入ってくる。
「無事だ」
家令が口を開くより先に、子爵は告げた。
「セレスティアが……生きていた」
家令は目を閉じ、深く息を吐いた。
「ようございました」
主人の傍らへ膝をつき、もう一度、今度は噛み締めるように言った。
「本当に、ようございました」
しばらく、どちらも立ち上がらなかった。
「お前の言った通りだった」
「はい」
「あれは、私を慰めるためではなかったのか」
「いいえ」
家令は静かに首を振った。
「心配はしておりました。ですが、戻られることは疑っておりませんでした。旦那様が何度も読み返しておられた報告書を、私も読んでおりますので」
家令の口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「何せ、お嬢様はミス・パーフェクトでございますから」
「一部では、だ」
「そこまで覚えておられるのなら、私から申し上げるまでもございませんでしたな」
子爵はもう一度、手紙へ目を落とした。
短い文面を、最初から最後まで読み直す。
「返事だ。すぐに返さなければ」
家令の手を借りて立ち上がり、執務机へ向かった。
新しい紙を引き寄せ、直ちに帰還しなさい、と書く。
それだけで封をしようとした子爵へ、家令が声をかけた。
「旦那様。それはお返事ではなく、ご命令でございます」
子爵は手元の紙を見た。
何も言わず、丸めて脇へ置く。
次の紙には、迎えを出す、と書いた。
「どちらへ、お迎えを出されますか」
「大神殿だ」
「幽冥大陸へ向かう船も、お嬢様がいつまで大神殿に滞在されるかも、まだ分かっておりません」
子爵のペンが止まった。
「……では、先に調べさせる」
「その間に、お嬢様が移動されるかもしれませんな」
二枚目の紙も、脇へ置かれた。
三枚目には、二度と無茶をするな、と書いた。
そこまで書いて、子爵はペンを止めた。
同じことが起きた時、今度は海へ落ちた子供を見捨てて帰れというのか。
机の脇に、三枚の書き損じが並んだ。
家令が新しい紙を差し出す。
「まずは、お嬢様がこれからどうなさるおつもりか、お尋ねになってはいかがでしょう」
子爵は差し出された紙を見た。
心配だからと、私の代わりに決めないで。
これからは、何かを決める前に、お前の考えを聞こう。
娘と交わした言葉を思い出し、子爵は小さく息を吐いた。
「……そうだったな」
今度は、迷わずペンを動かした。
『無事との報を受け取り、安堵した。
同行する三名にも、礼を伝えてほしい。
必要なものがあれば、遠慮なく知らせなさい。
そのうえで、これからどうするつもりか、お前の考えを聞かせてほしい』
読み返し、封をする。
家令は、机の脇に重なった書き損じを見た。
「落ち着いたお返事でございますな」
「書き損じは、すべて処分してくれ」
「承知いたしました」
◇
セレスの父親から返事が届いたのは、日が傾き始めた頃だった。
呼びに来た神官から封書を受け取ると、セレスはその場で開いた。
俺たちは少し離れて待った。
最後まで読んだセレスが、手紙を見つめたまま小さく息を吐く。
「何て書いてあった?」
「三人にも礼を伝えてほしいって。それから、必要なものがあれば知らせなさいって」
セレスの目が、最後の一文へ戻る。
「これからどうするつもりか、私の考えを聞かせてほしいって」
セレスは最後の一文を、もう一度読んだ。
「……覚えていてくれたのね」
その口元が、少しだけ緩んだ。
「それで、どう返すんだ?」
「決まってるわ」
セレスは新しい用紙を受け取り、迷わずペンを走らせた。
『大神殿で、確かめたいことができました。
それが終わったら、神聖大陸を目指します』
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




