表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
69/77

第68話 幽冥大陸へようこそ

男は、立ち尽くす俺たちの顔を順に見た。


「村へ来るんだろ?」


「ああ」


答えたものの、足はすぐには動かなかった。


遠くには白い大神殿が見えている。黄色い花の向こうでは羊が草を食み、畑に立つ男が鍬を振るっていた。


さっきまで神聖大陸だと思って見ていた景色だ。


「なあ」


ルークが声を落とした。


「幽冥大陸って、こんなところなのか?」


「少なくとも、僕たちが聞いていた話とは随分違うね」


幽冥大陸について、荒漠大陸まで伝わっている話は多くない。


死とともにある大地、閉鎖的で陰鬱な住民、呪いやまじないを生業としているなど、おおよそ否定的な印象ばかりだ。


どの話からも、目の前に広がる黄色い花や羊の群れは想像できなかった。


レオンは、道の両側に広がる畑を見た。


セレスは何も言わず、白い大神殿を見たあと、道の先に並ぶ家々を見た。


「歩けるなら来い。話は飯を食ってからでもできる」


男が肩の網を掛け直し、坂を下り始める。


俺たちは顔を見合わせ、その後を追った。


坂を下りながら、男が海の方を顎で示した。


「乗ってきた小舟は?」


「この丘の下の浜だ。小型艇は岩に繋いである」


「あそこは夕方になると潮が満ちるからな。村の若いのに、入り江まで回させよう」


「頼めるか?」


「二艘あれば曳ける。沖の連中もじきに戻るから、嵐の後に大きな船を見なかったか、聞いてみよう」


レオンが男の隣へ並んだ。


「お願いします。本船が今どこにいるのか、僕たちには見当もつかないので」


男は頷き、そのまま俺たちを村へ案内した。



白い石を積んだ家々が、丘の斜面に沿って並んでいた。


軒下では小魚が干され、家と家の間には洗った漁網が渡されている。

井戸のそばでは女たちが布を洗い、道端では子供が貝殻を使って何かの形を作っていた。


俺たちに気づいた子供たちが、一斉に顔を上げる。


潮と砂で汚れた服を見て、次に腰の剣を見た。最後に、先頭を歩く男へ視線を向ける。


「遭難した旅人だ。道を空けてやれ」


子供たちは素直に脇へ退いた。


ただし、俺たちが通り過ぎると、揃って後ろからついてきた。


一匹の犬まで列に加わり、ルークの濡れた靴を嗅いでくしゃみをする。

子供たちが笑い、ルークが自分の靴を見下ろした。


「そんなに臭うか?」


もう一度嗅ごうとした犬は、今度は子供に抱き上げられた。


村の中央にある大きな家へ入ると、魚と香草の匂いがした。


長い卓の奥で、年配の女が大鍋をかき混ぜている。

男が事情を話すと、女は俺たちを上から下まで見回した。


「随分ひどい格好だね。まずは座りな」


言われるまま卓につく。


女は深い椀へ魚と豆の煮込みをよそい、厚く切ったパンと一緒に並べていった。


ルークは礼を言ってから匙を取り、一口食べた。


「うまい!」


「まだあるから、ゆっくり食べな」


女が笑い、鍋の蓋を戻した。


俺も煮込みを口へ運ぶ。


入っているものは船で出た煮込みと大して変わらない。

それでも、温かい汁には魚の旨味が溶け、豆には塩気が染みていた。

パンも、歯で割らなくていい硬さだった。


向かいでは、セレスが椀を両手で包んでいる。

立ち上る湯気に目を細め、ようやく小さく息を吐いた。


それからは、しばらく誰も話さなかった。


二杯目に差しかかった頃、白髪の男が入ってきた。

昼前に会った漁師が、その男へ俺たちを紹介した。


「神聖大陸へ行くつもりだったそうだな」


白髪の男は俺たちの向かいへ腰を下ろした。


「ああ。西部のアークノルト辺境伯を訪ねる予定だった」


「ここから一番近い大きな港でも、荷車で四日はかかる。急ぐなら、まずは大神殿で人を探した方がいいだろう」


「どうして大神殿なんだ?」


「あそこには各地から人が集まる。大きな港を行き来する商人もいるし、神聖大陸と取引している者もいる。すぐに船が見つかるとは言えんが、当てのないまま港へ向かうよりはましだ」


「大神殿には、通信術式もあるの?」


セレスが身を乗り出す。


「ある。大陸の外へ送るとなれば、少し手続きは要るだろうがな」


「それなら、着いたら最初に使わせてもらいたいわ」


「子爵家へ知らせるのか?」


俺が聞くと、セレスは頷いた。


「本船が港へ着けば、私たちが戻れなかったことは商業ギルドから父にも伝わるはずよ。その前に、無事だと知らせたいの」


帰ってきたばかりの娘が、今度は海で行方不明になった。


それだけを先に知らされれば、父親がどうなるかは俺にも想像がつく。


「分かった。大神殿に着いたら、まずはそれだな」


「ええ」


男は窓の外に見える大神殿を指した。


「明日の朝、村から干物と塩を積んだ荷車を出す。荷台でよければ乗せていけるぞ」


「助かる。お願いしたい」


「なら決まりだ。出るのは朝一番だから、寝過ごすなよ」



小型艇は、日が傾く前に二艘の漁船に曳かれ、村の入り江へ運び込まれた。


沖から戻った漁師たちにも聞いてくれたが、昨日から今日にかけて、大型船を見た者はいなかった。


本船と別れた後、俺たちの小型艇は操舵を失ったまま嵐に流された。

大型船が同じ場所まで流されている可能性は高くない。


それでも、手掛かりがないという答えは重たかった。


エミールたちは、今も俺たちを探しているかもしれない。

せめて次の港へ着いた時には、こちらの無事を知っていてほしかった。


「東と西の村へ魚を運ぶ連中にも話しておくよ。船影を見たという話が入れば、大神殿へ知らせる」


昼前に会った男が言った。


「そこまでしてくれるのか」


「海で困った時は、お互い様だ」


「ありがとう。助かるよ」


男は頷き、漁船から縄を外す作業へ戻った。


夕食までの間に、明日の荷車へ干物と塩を積むことになった。


ルークが塩の袋を持ち上げようとしたところで、昼食を用意してくれた女が腕を掴んだ。


「その手で何をするつもりだい」


「これくらいなら運べる」


「いいから、見せな」


ルークが両手を開く。


掌は赤く腫れ、皮の剥けたところに乾いた血がこびりついていた。嵐の夜から何度も櫂を握った手だ。


女は呆れたように息を吐き、湯と布、それに薬草の入った小箱を持ってきた。


傷へ濡らした布が触れた途端、ルークの顔が歪む。


「っつ……!」


「こんなになるまで放っておいて」


「手まで気が回らなかったんだよ」


「だろうね。ほら、そこへ座りな」


ルークは渋々、長椅子へ腰を下ろした。


「荷物は三人で運ぶ。お前は休んでろ」


ルークは何か言いかけたが、自分の掌を見て口を閉じた。


女は傷の汚れを落とし、潰した薬草を両方の掌へ塗った。ルークの手を膝の上に並べさせ、その上へ両手をかざして目を閉じる。


聞き取れないほど小さな声で祈りを唱えると、指先から淡い藍色の光が滲んだ。


光は傷の周りへ広がり、すぐに消えた。


皮の剥けた傷は残っている。だが、その周りに浮いていた熱っぽい赤みは、少しだけ薄れていた。


ルークが恐る恐る指を曲げる。


「……痛みが引いた」


「腫れと熱を鎮めただけだよ。傷は塞がってないさね。動かせばまた開くからね」


女は細長い布を取り、掌へ巻き始めた。


「今のは、治癒じゃないのか?」


「私は治す方が苦手でね。鎮める方が性に合ってるんだよ」


レオンが口を開いた。


「今のは、闇属性ですか?」


「外では、そう呼ぶらしいね」


セレスは包帯を巻く手を見ながら、女へ尋ねた。


「大神殿では、どちらも教えているのですか?」


「ああ。最初はどちらも習う。その先は向き不向きさ」


ルークが、俺たち三人の顔を見回した。


「幽冥大陸でも、治癒を使うんだな」


女は包帯の端を結び、ルークの手を卓へ戻した。


「使うに決まってるだろう。怪我をするのは、どこの人間も同じだよ」


女にとっては、何の不思議もないことらしい。


けれど、俺たちは誰もすぐには返事ができなかった。


セレスが最初に口を開いた。


「大神殿へ行けば、私たちにも教えてもらえるのかしら?」


「神官に尋ねてみればいいさね。私よりは、よほど詳しいよ」


「アレン」


「子爵家へ連絡を入れたら、聞いてみよう」


「ええ」


神聖大陸へ渡る予定は、大きく狂ったままだ。


それでも、この漂着は思いがけない手掛かりに繋がるかもしれない。


そんな予感がした。

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ