第67話 大聖堂を目指して
小型艇の船底が砂を擦った。
陸影を見つけた頃にはまだ高かった太陽が、今は砂浜へ長い影を落としている。
ここへ来るまでに、魔導機関は何度も止まった。
そのたびに起動部を操作し、動いている間だけ岸へ進んだ。
魔導機関は岸が近づいたところで完全に沈黙し、最後はルークとレオンが櫂を漕ぎ続けた。
「もう少しだ!」
ルークが櫂を艇内へ放り出し、艇首の縄を掴んで海へ飛び降りた。
膝まで水に浸かりながら、砂浜へ向かって走る。
俺も後を追って海へ下り、レオンも残った櫂を艇内へ戻して続いた。三人で縄を引く。
船底が砂へ乗り上げる。
セレスも艇を下り、後ろから船体を押した。
寄せる波に足を取られながら、四人で小型艇を波の届かないところまで引き上げる。
近くの岩へ縄を回す。結ぼうとした指が、思うように動かなかった。
何度やり直しても、結び目を作れない。
「貸して」
セレスが俺の手から縄を受け取った。
だが、セレスの指も震えていた。二人でどうにか結び目を作り、もう一度、強く締める。
縄から手を離した途端、膝から力が抜けた。その場へ両手をつく。
砂浜へ引き上げた小型艇は、もう波に揺らされていなかった。
レオンは荒い呼吸のまま縄を強く引き、結び目が緩まないことを確かめていた。
ルークは濡れたまま仰向けに倒れ、息を切らしながら声もなく笑っている。
セレスが俺の隣へ座った。
「着いたな」
「ええ」
それだけ言うのが精一杯だった。
本船とはぐれてしまった。
それでも、俺たちは四人そろって、どうにか陸まで辿り着いた。
今は、それだけで十分だった。
「暗くなる前に動こう」
俺が立ち上がると、三人も何も言わずについてきた。
◇
砂浜の端に、草の間を抜けて丘へ上る道があった。
足を進めるたび、濡れた服が肌へ張りつく。
丘へ向かう緩い坂さえ、今はひどく急に感じた。
道を上り始めて間もなく、石を積んだ小屋が見えた。
戸を押すと、湿った木の匂いがした。
中に人はいなかったが、壁際には長椅子があり、小さな炉には古い灰が残っている。軒下には薪も積まれていた。
「ここなら、今夜はしのげそうだね」
レオンの言葉に、ルークが長椅子へ腰を落とした。
「助かった。もう一歩も歩ける気がしねえ」
「火をつける。寝るのは服を乾かしてからだ」
「ああ。少しだけ休ませてくれ」
レオンが乾いた枝を炉へ組み、掌に小さな火を灯した。
俺とセレスは小型艇へ戻り、防水箱と毛布を運んだ。
一往復しただけで、さっきまでより小屋が遠くなったように感じた。
火が薪へ燃え移ると、ようやく指先に感覚が戻り始めた。
非常食を口へ入れても、しばらく味がしなかった。
温まるにつれて塩気を感じるようになり、身体が空腹を思い出した。
だが、次がいつ手に入るか分からない。
決めた分だけを食べ、保存水を回した。
ルークが長椅子へ背中を預けた。
「揺れないって、いいな」
セレスが小さく笑った。レオンも、炉へ枝を足しながら頷く。
「ここ、神聖大陸なんだよな」
ルークが、炉の中で崩れる薪を見ながら言った。
「そう考えるのが自然よ。本船は航路を外れていたけれど、針路は神聖大陸へ向いていたわ」
「問題は、嵐でどれだけ流されたかだね」
ルークは一度頷いた。
「なら、明日誰かに聞けば済むな」
「道も小屋もある。人も近くにいるはずだ」
「そうだな」
ルークは短く息を吐き、目を閉じた。
最初の見張りは俺が引き受けた。
三人が眠った後は、小屋の戸口に座って砂浜と海を見張った。
夜半になり、ルークと見張りを代わった。
◇
目を覚ますと、戸の隙間から朝の光が差し込んでいた。
外へ出ると、昨夜は輪郭さえ分からなかった丘が、朝の光の中に広がっていた。
青い海から吹く風が、草と花の匂いを運んでくる。
丘の斜面には黄色い花が咲き、その間を白い蝶が飛んでいた。
木立からは鳥の声が幾つも重なり、どこか遠くで家畜の鈴が鳴っている。
セレスが眩しそうに目を細めた。
「綺麗なところね」
「あの鈴、人がいるってことだよな」
ルークが丘を見上げる。
「近くにいるはずだね」
眠ったおかげで、昨日より身体が動いた。
非常食を腹へ入れ、小型艇を結んだ縄が緩んでいないことを確かめてから、四人で丘へ続く道を上った。
道には車輪の跡が残り、その脇には新しい靴跡も同じ方向へ続いていた。
まだ人の姿は見えなかったが、足跡を追ううちに、四人とも歩く速さが上がっていた。
丘を一つ越えたところで、道の脇に白い石柱が立っていた。
俺たちの背丈を越える太い柱は、上部が斜めに欠けている。表面には浮彫が残っていたが、輪郭は風雨で薄れていた。
その根元では、一頭の山羊が石へ角を擦りつけていた。
「飼い主のところまで案内してくれないか?」
ルークが声をかけると、山羊は首の鈴を鳴らして草地の奥へ逃げていった。
「駄目か」
俺は白い石柱へ近づいた。
「なんか神聖大陸っぽいよな、こういうの」
「大聖堂や記念柱に白い石を使うとは聞いているわ。でも、これがそうかは分からない」
レオンが浮彫へ顔を寄せた。
「少なくとも、荒漠大陸では見ない石だね」
白い柱の周りには花が咲き、そのすぐ脇を、今も使われている道が通っていた。
さらに道を上ると、丘の向こう側へ景色が開けた。
緑の斜面の間に畑が広がり、低い石垣が緩やかな曲線を描いている。
木立の近くには家々の屋根が集まり、細い煙が真っすぐ空へ上がっていた。
「煙だ」
ルークの声が弾んだ。
その先を見ていたセレスが、足を止める。
「あれ……」
丘陵のさらに向こうに、巨大な白い建物が見えた。
目を凝らしても、白い外壁以外の細部は朝の霞に溶けていた。
それでも、建物群の中央にそびえる一棟だけは、周囲の屋根とは比べものにならないほど大きい。
「大聖堂じゃないかしら」
セレスが上着の内側へ手を当てた。
「書状は?」
「無事よ。ちゃんとここにあるわ」
防水布越しに確かめて、セレスがようやく笑った。
「なら、あそこでアークノルト家までの道も聞けそうだね」
レオンが遠くの建物へ目を凝らした。
「神聖大陸に着いて、大聖堂まで見つけた。上出来だろ」
ルークが笑う。
「予定していた港とは違うかもしれないけどな」
「着いたんだ。ここからなら、どうとでもなる」
さっきまで重かった足が、少しだけ軽くなった。
俺たちは白い建物を目印に、丘を下り始めた。
◇
昼前、坂を下っていると、道の先の分かれ道から一人の男がこちらへ上ってきた。
肩には濡れた網を担ぎ、片手には小魚の入った籠を提げている。
「人だ」
ルークが足を速める。俺たちもすぐに続いた。
男も俺たちに気づいた。
潮染みの残る服と、ろくな荷物も持っていない俺たちの姿を見て、籠を道端へ下ろす。
「あんたたち、見かけない顔だな。遭難でもしたのか?」
「ああ。嵐で本船と逸れちゃってね。昨日、あの浜に流れ着いたんだ」
男は俺たちの後ろへ目を向けた。
「あんたたちだけかい?」
「俺たちだけだ。本船が今どこにいるかは分からない。あっちも無事だといいんだけどな」
男は海の方を振り返った。
「この辺りじゃ、大型船が入れる港はないな。村へ戻ったら、沖で船影を見なかったか聞いてみよう。近くを通ったなら、誰かが見てるかもしれん」
「助かるよ」
「それにしても、よくここまで来たな」
それから腰に下げていた水筒を外し、俺へ差し出した。
「まず飲め。村はすぐそこだ。歩けそうなら案内する」
ルークが大きく息を吐いた。セレスの肩からも力が抜けた。
「ありがとう」
受け取った水筒をセレスへ渡した。
セレスが一口飲み、隣のレオンへ渡した。水筒はルークを経て、最後に俺の手へ回ってきた。冷たい水が、塩気の残る口の中を洗った。
水筒を返すと、男は籠を持ち上げた。
「それじゃ、行くか」
「ああ、頼む」
男は歩き出しかけて、俺たちの視線を追うように白い建物を見た。
「あっちに何か用があるのか?」
「まずは、あの大聖堂へ行こうと思ってるんだ」
「大聖堂? ああ、あれは大神殿だよ」
「大神殿……?」
セレスが白い建物を見直した。
男は俺たちの服装を改めて眺めた。
「それはそうと、あんたたち、どこから来たんだ? この辺りの者じゃないだろ」
「荒漠大陸から」
「おお、そりゃまた遠いところから。どうしてこんなところまで?」
「冒険者ギルドの依頼で、アークノルト辺境伯を訪ねるところだったんだ」
「アークノルト辺境伯? 聞いたことないな」
「聞いたことがない?」
セレスが聞き返した。
「ああ。どこの領主だ?」
「神聖大陸西部の――」
セレスが言葉を切り、男の顔を見た。
「ここ、神聖大陸で合ってる?」
俺が尋ねると、男は不思議そうに首を傾げた。
「いや? ここは幽冥大陸だよ」
「……は?」
ルークが呆然と男を見た。
レオンは遠くの白い建物へ顔を向けた。
セレスは上着の内側を押さえたまま動かない。
「幽冥大陸……?」
セレスが小さく呟いた。
「ああ。そうだ」
「マジか。俺たちは神聖大陸を目指してたんだ」
「神聖大陸を? それが、嵐でここまで流されたのか……」
セレスの指が、上着越しに書状の包みを強く掴んだ。
「ここから……神聖大陸へは、行けるんですか?」
「神聖大陸へ?」
男は少し考えた。
「この辺りから出る船はないな。大きな港まで行けば、向こうと取引してる商人はいる。そいつらに頼めば渡れるかもしれんが、定期船じゃない。いつになるかは分からんな」
なんてことだ。昨日は神様とやらに礼を言った。
あれは、少し早まったかもしれない。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




