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第65話 海難救助

「エミール!」


ルークが壁から手を離し、昇降口へ駆け寄った。

俺たちも後を追った。


開いた昇降口から吹き込む風に、息を奪われた。

階段を上がる間にも船体が傾き、肩を壁に叩きつけられた。


「出てくるな! 危ないぞ!」


甲板へ顔を出した途端、船員の怒声が飛んできた。


横殴りの雨で、まともに目を開けていられない。

帆柱から垂れた縄が暴れ、甲板を流れる水が足をさらう。


エミールの父親が、二人の船員に身体を支えられていた。

濡れた舷側へ手をかけ、海へ向かって息子の名を叫んでいる。


「どっちだ!」


ルークが近くの船員へ怒鳴った。


「左舷だ! 船尾へ流された!」


ルークは舷側へ駆け寄り、荒れた海を見回した。


「下がれ! 次が来るぞ!」


船員の声と同時に、船体より高い波が迫った。

舳先が跳ね上がり、白く砕けた海水が甲板を洗う。


俺は帆柱から伸びた縄へ腕を回した。

レオンとセレスも舷側の手前で身体を低くしている。


それでも、ルークだけは海から目を離さなかった。


「あそこだ!」


指さす先を追う。


波の谷間に、小さな頭が浮かんでいた。

次の波に持ち上げられ、エミールの腕が一瞬だけ見えた。


「エミール!」


ルークは舷側に括りつけられていた浮き輪を外した。

輪には紛失を防ぐための細い救命索が結ばれ、反対側は甲板の留め具に繋がっている。


足を踏ん張り、身体ごと振り抜いて海へ投げた。


救命索を繰り出しながら飛んだ浮き輪が、風に押し戻される。


レオンが、浮き輪より手前の海面へ腕を向けた。


風刃ウインドエッジが海面へ突き刺さる。


水が弾け、その勢いに押された浮き輪がエミールの方へ進んだ。

レオンは間を置かず、二発目を放つ。三発目は浮き輪の少し手前。

海面が続けて弾けるたび、浮き輪がエミールへ近づいていく。


エミールが手を伸ばした。


だが、届いたかどうかを確かめる前に、大波が二人の間を塞いだ。


波が崩れた後に見えたのは、浮き輪だけだった。


「小型艇を下ろしてくれ!」


俺は船員へ叫んだ。


「俺たちが救助に行く!」


「駄目だ! こんな海へ艇を出せるか! お前たちまで戻れなくなる!」


「何を騒いでいる!」


船尾で指示を飛ばしていた船長が、こちらへ駆け寄ってきた。ずぶ濡れの上着を身体へ張りつかせ、俺たちと海を見比べる。


「子供が海に落ちた! 小型艇を出してくれ。俺たちが助けに行く!」


船長が海へ目を向けた。


浮き輪が波間に見え隠れしている。その先にエミールの姿はない。


「認められん!」


船長は俺へ向き直った。


「あの艇でこの波へ出れば、今度はお前たちが海へ消える可能性がある。危険と分かっている場所へ、乗せた人間を送り出すわけにはいかん」


「もう危険にさらされてる命がある!」


俺は海を指さした。


「俺たちは救助訓練を受けた冒険者だ。この船の航海に責任を持つのが船長なら、自分の行動に責任を持つのが冒険者だ。行かせてくれ!」


船長は答えなかった。


甲板が大きく傾く。

帆柱の上から声が飛び、船員たちが一斉に縄を引いた。


その間にも、浮き輪が波に押し戻されるたび、レオンはその手前へ風刃を一発ずつ撃ち込んでいた。

セレスはエミールが消えた辺りから目を離さない。

ルークは俺の隣で拳を握り、何度も海へ目を向けていた。


「時間がない!」


船長が俺を見た。


「すまん! あの子を頼む!」


船長は船員たちへ向き直り、怒鳴った。


「艇を下ろせ! 四人を乗せる!」


「セレス、レオン! 位置を見失わないでくれ!」


二人が頷くのを見て、俺はルークの肩を叩いた。


「艇を出すぞ!」


「おう!」


小型艇は、海洋調査と救命を兼ねた船載艇だった。


8日目に岩棚へ向かった時は櫂を使ったが、船尾には小型の魔導機関が積まれ、中央には操舵輪と出力レバーが備わっている。


俺とルークで覆いを剥がし、固定索を外す。船員が魔導機関の蓋を開け、内部の術式に手を触れた。


淡い光が走り、低い振動が艇全体へ広がる。


船員たちが吊り索を動かし、小型艇を海面へ下ろしていく。


本船の陰から外れた途端、艇が大きく揺れた。船底が海面を叩く。


ルークが縄梯子を滑り下り、俺も続いた。


俺は操舵輪の前に座った。


「左のレバーが出力だ! 急に上げるな!」


上から船員の声が落ちてくる。


「波には船首を向けろ! 横から受けたらひっくり返るぞ!」


「二人とも来い!」


レオンが先に縄梯子を下り、最後に乗り込んだセレスが艇首側へ移った。


吊り索が外される。


俺は出力レバーをゆっくり上げた。


船尾の振動が強まり、小型艇が本船から離れ始める。


「エミールは!?」


ルークが艇首からセレスを振り返った。


「どうにか浮き輪に掴まれたわ! レオンが風魔法で届かせたの!」


「どっちだ!」


「船尾側! 救命索が伸びている方よ!」


本船から海へ延びた縄が、波の上に現れては沈んでいる。


救命索の長さは50メートルほどだ。エミールがいるのは、その範囲内に限られる。

それでも、小型艇の低い位置からでは、目の前の波を越えるまで先が見えなかった。


救命索を推進器に絡ませないよう、少し距離を取って操舵輪を回した。


真正面から波が来る。


艇首が跳ね上がり、次の瞬間には波の谷へ落ちた。

身体が座席から浮き、操舵輪を握る腕へ全体重がかかる。


「右!」


セレスの声に合わせ、操舵輪を回す。


小型艇のすぐ横に、救命索が浮かび上がった。


「いた! あそこ、浮き輪が見えた!」


セレスが波間を指した。


白い浮き輪が、波の頂へ持ち上げられている。


「エミールは!?」


ルークが叫ぶ。


セレスが目を凝らした。


「……いる! まだ掴まってる!」


次の波で、浮き輪ごと姿が消えた。


「急ぐぞ! あのままじゃ長くは持たない!」


俺は出力レバーをさらに上げた。


魔導機関の音が高くなり、小型艇が波の斜面を上っていく。


波を越える。


浮き輪にしがみつくエミールの両腕は、もう伸び切っていた。顔を上げる力も残っていないのか、波を被ってもほとんど動かない。


「左から寄せて!」


セレスの声に従い、操舵輪を回す。


小型艇が浮き輪の脇へ滑り込む。


俺は出力を落とした。


「ルーク!」


「任せろ!」


ルークが艇首で膝をついた。レオンが後ろから腰帯を掴み、身体を支える。


エミールの指が、浮き輪から一本ずつ外れていく。


「エミール! こっちだ!」


ルークが腕を伸ばした。


エミールの手が浮き輪を離れた。


その身体が波の中へ沈みかける。


「掴んだ!」


ルークの手が、エミールの腕を掴んだ。


次の波が小型艇を持ち上げる。ルークの身体が半分、海へ引かれた。


「離すな!」


「離すかよ!」


レオンがルークを引き戻す。

セレスも腕を伸ばし、エミールの服を掴んだ。


二人でエミールを艇内へ引き上げる。


浮き輪は救命索に引かれ、波の向こうへ離れていった。


セレスがエミールの身体を受け止めた。


「エミール!」


ルークが呼ぶ。


返事はない。


顔は真っ青で、唇の色が消えている。

濡れた身体は、セレスの腕の中でぐったりとしていた。


セレスがエミールを横向きに抱え直し、口元へ耳を寄せた。


「息はある」


その声の直後、エミールの喉が動いた。


激しく咳き込み、海水を吐いた。


もう一度咳をした後、浅く息を吸った。


ルークの肩から力が抜けた。


俺も、止めていた息を吐いた。


エミールがゆっくり目を開ける。


焦点の定まらない目がルークへ向き、やがて自分を抱いているセレスの顔を見上げた。


その顔が崩れ、エミールは声を上げて泣いた。


震える腕をセレスへ回し、胸元へしがみつく。


「怖かった……!」


「ええ。怖かったわね」


セレスは濡れた身体を抱き締め、何度も背中を撫でた。


「もう一人じゃないわ。大丈夫」


エミールの泣き声が、風の中でもはっきり聞こえた。


ルークが濡れた顔を手で拭う。


「……よかった」


艇内に張りつめていたものが、少しだけ緩んだ。


「まだ安心はできない」


レオンが本船の方へ目をやった。


「早く戻ろう」


波の頂へ上がったところで、本船の帆柱が見えた。


俺は操舵輪を回した。


「戻るぞ」


セレスはエミールを抱いたまま頷いた。



本船へ近づくほど、船の大きさが恐ろしく見えた。


波に持ち上げられるたび、黒い船腹が目の前へ迫る。

近づきすぎれば、小型艇ごと叩き潰される。


甲板では船員たちが縄を用意していた。

エミールの父親も、舷側からこちらへ身を乗り出している。


「エミール!」


父親の声に、エミールが顔を上げた。


「父さん……!」


「子供を先に上げろ!」


船長の声が飛ぶ。


幅の広い布を結んだ縄が下ろされた。


セレスがエミールの身体へ布を回し、外れないよう縄を締める。

身体を包む布に力がかかると、エミールはセレスの服を強く掴んだ。


「大丈夫よ。お父さんのところへ戻るの」


それでも、指は離れなかった。


「エミール」


ルークが呼ぶ。


「父さんが待ってるぞ」


エミールはルークを見た。

泣きながら一度頷き、ようやくセレスの服から手を離した。


「上げろ!」


縄が引かれる。


エミールの身体が艇を離れ、本船の船腹を上がっていく。


エミールは船員に抱き上げられ、そのまま父親の腕へ渡された。


その姿が見えた瞬間、船員が小型艇へ縄を投げた。


「艇を繋げ!」


ルークが艇首から縄へ手を伸ばす。


指先が触れる。


その時、本船が大きく傾いた。


外海側から押し寄せた波が、小型艇の横腹を打つ。


艇の船尾が本船へ振られた。


俺は操舵輪を反対へ回し、出力レバーを戻した。


間に合わない。


小型艇の船尾が、本船の船腹へ叩きつけられた。


木と金属が潰れる音がした。


操舵輪が手の中で跳ねる。


魔導機関の光が明滅し、低い振動が消えた。


「離れるぞ!」


俺は出力レバーを押し込んだ。


反応はない。


操舵輪を回す。


さっきまでの重さが消え、空回りした。


次の波が来る。


小型艇は向きを変えられないまま、横から波を受けた。


俺たち四人は艇内へ投げ出された。


顔を上げた時には、本船との間が大きく開いていた。


「縄を投げろ!」


船長の怒声が聞こえる。


甲板から二本、三本と縄が投げられる。


だが、どれも届かない。


「レオン!」


俺が呼ぶより先に、レオンは本船とは反対側の海面へ腕を向けていた。


風刃が海面を叩く。


弾けた水に押され、小型艇が僅かに本船へ近づいた。


もう一発。


だが、操舵の利かない艇は横を向き、次の波にさらわれた。


本船の甲板に、エミールを抱いた父親が見えた。


次の波が、その姿を隠した。


波を越えた時、本船はもう雨の向こうへ遠ざかっていた。


俺たち四人を乗せた小型艇だけが、動力も操舵も失ったまま、黒い海に残された。


ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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