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第61話 帰るまでの距離

その手紙がアークノルト子爵家へ届くのを、俺たちは待たなかった。


急送便の窓口を出た足で侯爵領の冒険者ギルドへ戻り、ギルドマスターのベルトランに今後の方針を伝える。


禁書庫の扉は、表面の物理機構と、奥で変化する魔術回路による二重の封印だ。


物理側の追加測定はクラウスたちが続ける。俺たちは魔力側を探るため、神聖大陸へ向かう。


その足掛かりとして、まず荒漠大陸西部のアークノルト子爵家を訪ねる。


「分かった。本部には調査継続で上げておく」


一通り聞き終えたベルトランは、机の上で書類を揃えた。


「行き先が実家だろうと、依頼の途中には変わりない。方針が変わったら、道中の支部からでも知らせろ」


「そうする」


「支援は要るか?」


「今のところは大丈夫だ。移動手段もこれから探す」


「なら、決まったら出立日だけ伝えてくれ」


ベルトランへの報告は、それで済んだ。


けれど、街を出る前に、もう一か所立ち寄る必要がある。


エルゼリオン侯爵家だ。


禁書庫の調査を一時的に離れる以上、持ち主である侯爵へ直接伝える必要がある。

俺たちが発った後も、クラウスたちは屋敷で測定を続けるのだ。


俺たちはその日のうちに訪問を願う書状を送り、翌朝、荷物をまとめて侯爵家へ向かった。



前に門前で止められた時と違い、門は俺たちの乗った馬車を見るとすぐに開いた。


グレイアムに案内された応接室では、エルゼリオン侯爵が待っていた。

机の上にはクラウスの報告書が置かれ、扉の表面を写し取った図が開かれている。


「事情は書状で読んだ。神聖大陸に近い形式の術式を学ぶため、西部へ向かうそうだな」


「はい。実際に学べるかは、まだ分かりませんが」


レオンが答え、セレスがその先を引き取った。


「以前はこちらで、セレスティア・アルトと名乗りました」


侯爵の目がセレスへ向く。


「覚えている」


「アルトは、家名を伏せるために使っていた名です。本名はセレスティア・フォン・アークノルト。荒漠大陸西部のアークノルト子爵の娘です」


「なるほど。現アークノルト辺境伯は、君の祖父にあたるな」


「はい。父に祖父への取り次ぎを頼み、神聖魔法を学ぶ場へ繋いでもらうつもりです」


セレスは侯爵から目を逸らさなかった。


「そのため、しばらくこちらを離れます。ただ、扉の調査を放棄するわけではありません。向こうで得た結果を持って、必ず戻ります」


エルゼリオン侯爵はすぐには答えず、開かれた図へ目を移した。


「クラウスからも、今できる測定は続けたいと聞いている。君たちが戻るまで、書庫はこちらで守ろう」


「ありがとうございます」


「礼を言うのはこちらだ。そもそも君たちは、我が家の扉を開くために西部へ向かうのだろう」


侯爵は部屋の端に控えるグレイアムを見た。


「西部街道を走れる馬車を用意させる。西部方面へ向かう大きな乗り継ぎ宿場までは送らせよう」


「そこまでしていただかなくても、馬車は街で借りるつもりです」


俺が言うと、侯爵は首を横に振った。


「調査に必要な移動だ。長い道でもある。街道をよく知る御者を付けた方がよい」


レオンと目が合った。断る理由はなさそうだった。


「では、お言葉に甘えます」


「うむ。出立できるまで、そう時間はかけさせない」


話は決まった。


俺たちは改めて頭を下げ、応接室を出た。


廊下を玄関へ向かっていると、階段の脇にエリオットが立っていた。

壁際へ避けるでもなく、こちらへ歩いてくるでもない。


「結局、口だけだったんだな」


グレイアムの足が止まる。


「エリオット様」


咎める声にも、エリオットは俺たちから目を離さなかった。


「世界の異常を調べるためだと言いながら、扉一つ開けられない。今度は途中でここを離れるのか」


ルークが眉を寄せたが、何か言うより先に俺が答えた。


「そうだな。今のところは」


エリオットの目が細くなる。


「認めるんだな」


「扉を開けられてないのは事実だからな」


「ふん、どうせ戻ってくるというのも口だけだろう」


「戻るさ。まだ失敗してないからな」


「扉は開いていないだろう」


「今のところは、と言った。足りないものは分かった。それを取りに行って、揃えて戻る」


俺は肩をすくめた。


「成功するまで、俺たちが諦めなければいいだけだ」


エリオットは何か言い返そうとしたが、言葉は続かなかった。


俺たちはその横を通り過ぎる。


ここで諦めるということは、世界を救うかもしれない手がかりを一つ、自分たちで捨てるということでもある。


扉が開かなかったくらいで、そんな判断をする気はなかった。



侯爵家が用意した馬車は、昼を少し過ぎた頃に屋敷を出た。


長距離用らしく、見た目よりも揺れが少ない。

荷物を後部へ積んでも中には余裕があり、四人で向かい合って座っても膝がぶつからなかった。


領都の建物が窓の向こうへ流れ、やがて畑と低い丘だけになる。


そこでルークが、向かいに座るセレスへ顔を向けた。


「なあ、親父さんの返事を待たなくてよかったのか?」


セレスは窓の外を見たまま答える。


「問題ないわ。どんな返事でも、行くことは変わらないもの」


「そっか」


ルークはそれ以上聞かなかった。


馬車はそのまま西へ進んだ。



荒漠大陸は、どこまで行っても同じ景色が続く土地ではない。


町を抜ければ畑が広がり、林を越えれば低い丘が続く。川沿いには草地があり、街道から離れたところには岩の目立つ土地もあった。


ただ、他の大陸のように、土地そのものが一つの特徴を押しつけてくることは少ない。


だから遠くまで来たことは、景色よりも、替えた馬と泊まった宿の数で分かった。


旅の間も、セレスは普段と変わらなかった。


食事を取り、クラウスから借りた簡略図をレオンと見直し、俺とルークが荷物の置き場で揉めれば、邪魔にならない方へ置けばいいと言った。


けれど、日が進むにつれて、窓の外を見る時間は長くなった。


数日後、俺たちは西部街道沿いの大きな宿場へ着いた。


侯爵家の馬車で送ってもらえるのは、ここまでだった。


御者に礼を言い、宿の前で荷物を降ろしていると、セレスが動きを止めた。


広い馬車留めの奥に、見慣れない馬車が一台停まっている。


黒に近い濃紺の車体。その扉には、小さな紋章が入っていた。


俺にはどこの家のものか分からない。


けれど、セレスは知っていた。


「どうして……」


馬車の脇に立っていた老人が、こちらへ歩いてきた。


白髪を撫でつけ、旅装にも乱れがない。セレスの前まで来ると、腰を折って深く頭を下げる。


「お迎えに上がりました、セレスティアお嬢様」


「……あなたが来たの」


「旦那様より、必ず私が参るよう申し付かりました」


セレスの手が、鞄の持ち手を握り直す。


「でも、どうしてここが分かったの?」


「お手紙に、おおよその行程がございましたので、東へ向かいながら各宿場でお尋ねいたしました。エルゼリオン侯爵家の紋章をつけた馬車であれば、見落としようもございません」


老人は顔を上げた。整えられた表情の端に、深い皺が寄っている。


「お元気なお姿を拝見でき、安堵いたしました」


「そう」


それだけ答えるまでに、少し時間がかかった。


老人は無理に言葉を足さず、俺たちへ向き直る。


「アレン・ヴァイス様、レオン・ヴェルク様、ルーク・ガルド様でございますね」


「俺たちのことも知ってるのか?」


「お嬢様のお連れになる方々として、書状にお名前がございました」


ルークがセレスを見る。


「書いたのか」


「同行者がいるのに、人数も名前も伝えない方がおかしいでしょう」


「それもそうか」


「皆様のお荷物はこちらへ。御者殿にも、これまでお送りくださった礼を申し上げます」


老人の指示で、アークノルト家の馬車へ荷物が移される。


セレスは、その様子を黙って見ていた。


返事を待たずに出た娘へ、父親は手紙ではなく迎えを寄越した。


少なくとも、帰る道を閉ざされてはいない。



馬車を替えてから、セレスが窓の外を見ている時間はさらに増えた。


道が二つに分かれれば、曲がるより先に身体が傾く。町へ入れば、店の並びを確かめるように目を動かす。


御者が迷うことはない。それでも、セレスの身体の方が先に道を思い出しているようだった。


「この辺り、もう分かるのか?」


休憩を終えて馬車へ戻ったところでルークが聞く。


「まだよ。でも、次の川を越えれば、知っている道に入ると思うわ」


「川があるのは分かるんだな」


「地図にも載っているでしょう」


「見てねえ」


「でしょうね」


馬車が走り出してしばらくすると、石造りの橋が見えてきた。


大きな川ではない。岸には背の低い木が並び、水面は穏やかだった。


橋へ入る直前、セレスの手が窓枠へ触れる。


「変わっていないわ」


「何が?」


「橋の手前だけ、道が傾いているの。子供の頃は、馬車がここで揺れるのが嫌だった」


言い終わる前に、車輪が浅い窪みを踏んだ。


馬車が傾き、ルークの肩が壁に当たる。


「分かってたなら先に言えよ」


「今、言ったでしょう」


「揺れる前にだよ」


セレスは窓の外へ顔を戻した。


その口元が、わずかに緩んでいた。


昼の休憩で、老人が籠を一つ差し入れた。


中には保存の利くパンと、小さな焼き菓子が入っている。


ルークが手を伸ばすより先に、セレスが焼き菓子を一つ取った。


表面の焼き色を確かめ、一口かじる。


「同じだわ」


窓の外にいた老人が振り返る。


「料理長が、昔と同じものを用意いたしました」


「まだいるの?」


「はい。お嬢様がお戻りになると知って、迎えに何を持たせるか随分と悩んでおりました」


セレスは手の中の焼き菓子を見た。


ルークが籠へ伸ばしかけた手を引っ込める。


「食べないの?」


「いや、それ、お前の分じゃねえのか」


「こんなに一人で食べられないわ」


「じゃあ食う」


遠慮は一瞬で終わった。


俺とレオンも一つずつ取る。焼き菓子は、思ったより甘くなかった。


「うまいな」


「そうでしょう」


なぜかセレスが得意そうに答えた。



旅の終わりが近づくにつれ、セレスの返事は短くなった。


窓の外には家々が増え、やがて街の輪郭が見えてくる。


大きな都市ではない。街道沿いに建物が集まり、その向こうにいくつか高い屋根が覗いていた。


「あれが領都か?」


ルークが尋ねる。


「ええ。私の家は、街の北側よ」


街へ入ると、石畳を叩く車輪の音が近くなった。


店先からこちらを見る者はいたが、紋章の入った馬車を珍しがる様子はない。この街では、見慣れたものなのだろう。


馬車は北へ進み、緩い坂を上った。


やがて、石柱と鉄柵の門が見えてくる。その奥には、広い庭と屋敷があった。


車輪が止まるより先に門が開く。


誰に用件を聞かれることもなく、馬車は速度を落としただけで敷地へ入った。


玄関前には、数人の使用人が並んでいた。


大仰な出迎えではない。けれど、馬車から降りたセレスを見て、一人が口元を押さえ、その隣の者は慌てて背筋を伸ばした。


最後に降りた老人が、セレスの前へ回る。


「お帰りなさいませ」


セレスは屋敷を見上げた。


窓の位置も、玄関へ上がる段数も、庭に立つ木も覚えているのだろう。それでも、すぐには歩き出さなかった。


やがて、使用人たちへ向き直る。


「ただいま戻りました」


堪えていたように、何人かの顔へ笑みが広がった。


老人は俺たちにも一礼する。


「皆様のお部屋もご用意しております。旦那様がお待ちですので、まずは中へ」


セレスが玄関へ向かう。


案内されなくても歩けるはずなのに、老人の半歩後ろを離れなかった。角を曲がるたび、見覚えのあるものを一つずつ確かめている。


廊下の奥で、老人が一つの扉の前に立った。


「旦那様。お嬢様がお戻りになりました」


返事はすぐにあった。


「入りなさい」


セレスの背筋が伸びる。


老人が扉を開いた。


部屋の奥に、一人の男が立っていた。


俺たちへ一度だけ目を向け、その視線はすぐにセレスへ戻る。


先に口を開いたのは、父親だった。


「おかえり、セレスティア」

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

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