第61話 帰るまでの距離
その手紙がアークノルト子爵家へ届くのを、俺たちは待たなかった。
急送便の窓口を出た足で侯爵領の冒険者ギルドへ戻り、ギルドマスターのベルトランに今後の方針を伝える。
禁書庫の扉は、表面の物理機構と、奥で変化する魔術回路による二重の封印だ。
物理側の追加測定はクラウスたちが続ける。俺たちは魔力側を探るため、神聖大陸へ向かう。
その足掛かりとして、まず荒漠大陸西部のアークノルト子爵家を訪ねる。
「分かった。本部には調査継続で上げておく」
一通り聞き終えたベルトランは、机の上で書類を揃えた。
「行き先が実家だろうと、依頼の途中には変わりない。方針が変わったら、道中の支部からでも知らせろ」
「そうする」
「支援は要るか?」
「今のところは大丈夫だ。移動手段もこれから探す」
「なら、決まったら出立日だけ伝えてくれ」
ベルトランへの報告は、それで済んだ。
けれど、街を出る前に、もう一か所立ち寄る必要がある。
エルゼリオン侯爵家だ。
禁書庫の調査を一時的に離れる以上、持ち主である侯爵へ直接伝える必要がある。
俺たちが発った後も、クラウスたちは屋敷で測定を続けるのだ。
俺たちはその日のうちに訪問を願う書状を送り、翌朝、荷物をまとめて侯爵家へ向かった。
◇
前に門前で止められた時と違い、門は俺たちの乗った馬車を見るとすぐに開いた。
グレイアムに案内された応接室では、エルゼリオン侯爵が待っていた。
机の上にはクラウスの報告書が置かれ、扉の表面を写し取った図が開かれている。
「事情は書状で読んだ。神聖大陸に近い形式の術式を学ぶため、西部へ向かうそうだな」
「はい。実際に学べるかは、まだ分かりませんが」
レオンが答え、セレスがその先を引き取った。
「以前はこちらで、セレスティア・アルトと名乗りました」
侯爵の目がセレスへ向く。
「覚えている」
「アルトは、家名を伏せるために使っていた名です。本名はセレスティア・フォン・アークノルト。荒漠大陸西部のアークノルト子爵の娘です」
「なるほど。現アークノルト辺境伯は、君の祖父にあたるな」
「はい。父に祖父への取り次ぎを頼み、神聖魔法を学ぶ場へ繋いでもらうつもりです」
セレスは侯爵から目を逸らさなかった。
「そのため、しばらくこちらを離れます。ただ、扉の調査を放棄するわけではありません。向こうで得た結果を持って、必ず戻ります」
エルゼリオン侯爵はすぐには答えず、開かれた図へ目を移した。
「クラウスからも、今できる測定は続けたいと聞いている。君たちが戻るまで、書庫はこちらで守ろう」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ。そもそも君たちは、我が家の扉を開くために西部へ向かうのだろう」
侯爵は部屋の端に控えるグレイアムを見た。
「西部街道を走れる馬車を用意させる。西部方面へ向かう大きな乗り継ぎ宿場までは送らせよう」
「そこまでしていただかなくても、馬車は街で借りるつもりです」
俺が言うと、侯爵は首を横に振った。
「調査に必要な移動だ。長い道でもある。街道をよく知る御者を付けた方がよい」
レオンと目が合った。断る理由はなさそうだった。
「では、お言葉に甘えます」
「うむ。出立できるまで、そう時間はかけさせない」
話は決まった。
俺たちは改めて頭を下げ、応接室を出た。
廊下を玄関へ向かっていると、階段の脇にエリオットが立っていた。
壁際へ避けるでもなく、こちらへ歩いてくるでもない。
「結局、口だけだったんだな」
グレイアムの足が止まる。
「エリオット様」
咎める声にも、エリオットは俺たちから目を離さなかった。
「世界の異常を調べるためだと言いながら、扉一つ開けられない。今度は途中でここを離れるのか」
ルークが眉を寄せたが、何か言うより先に俺が答えた。
「そうだな。今のところは」
エリオットの目が細くなる。
「認めるんだな」
「扉を開けられてないのは事実だからな」
「ふん、どうせ戻ってくるというのも口だけだろう」
「戻るさ。まだ失敗してないからな」
「扉は開いていないだろう」
「今のところは、と言った。足りないものは分かった。それを取りに行って、揃えて戻る」
俺は肩をすくめた。
「成功するまで、俺たちが諦めなければいいだけだ」
エリオットは何か言い返そうとしたが、言葉は続かなかった。
俺たちはその横を通り過ぎる。
ここで諦めるということは、世界を救うかもしれない手がかりを一つ、自分たちで捨てるということでもある。
扉が開かなかったくらいで、そんな判断をする気はなかった。
◇
侯爵家が用意した馬車は、昼を少し過ぎた頃に屋敷を出た。
長距離用らしく、見た目よりも揺れが少ない。
荷物を後部へ積んでも中には余裕があり、四人で向かい合って座っても膝がぶつからなかった。
領都の建物が窓の向こうへ流れ、やがて畑と低い丘だけになる。
そこでルークが、向かいに座るセレスへ顔を向けた。
「なあ、親父さんの返事を待たなくてよかったのか?」
セレスは窓の外を見たまま答える。
「問題ないわ。どんな返事でも、行くことは変わらないもの」
「そっか」
ルークはそれ以上聞かなかった。
馬車はそのまま西へ進んだ。
◇
荒漠大陸は、どこまで行っても同じ景色が続く土地ではない。
町を抜ければ畑が広がり、林を越えれば低い丘が続く。川沿いには草地があり、街道から離れたところには岩の目立つ土地もあった。
ただ、他の大陸のように、土地そのものが一つの特徴を押しつけてくることは少ない。
だから遠くまで来たことは、景色よりも、替えた馬と泊まった宿の数で分かった。
旅の間も、セレスは普段と変わらなかった。
食事を取り、クラウスから借りた簡略図をレオンと見直し、俺とルークが荷物の置き場で揉めれば、邪魔にならない方へ置けばいいと言った。
けれど、日が進むにつれて、窓の外を見る時間は長くなった。
数日後、俺たちは西部街道沿いの大きな宿場へ着いた。
侯爵家の馬車で送ってもらえるのは、ここまでだった。
御者に礼を言い、宿の前で荷物を降ろしていると、セレスが動きを止めた。
広い馬車留めの奥に、見慣れない馬車が一台停まっている。
黒に近い濃紺の車体。その扉には、小さな紋章が入っていた。
俺にはどこの家のものか分からない。
けれど、セレスは知っていた。
「どうして……」
馬車の脇に立っていた老人が、こちらへ歩いてきた。
白髪を撫でつけ、旅装にも乱れがない。セレスの前まで来ると、腰を折って深く頭を下げる。
「お迎えに上がりました、セレスティアお嬢様」
「……あなたが来たの」
「旦那様より、必ず私が参るよう申し付かりました」
セレスの手が、鞄の持ち手を握り直す。
「でも、どうしてここが分かったの?」
「お手紙に、おおよその行程がございましたので、東へ向かいながら各宿場でお尋ねいたしました。エルゼリオン侯爵家の紋章をつけた馬車であれば、見落としようもございません」
老人は顔を上げた。整えられた表情の端に、深い皺が寄っている。
「お元気なお姿を拝見でき、安堵いたしました」
「そう」
それだけ答えるまでに、少し時間がかかった。
老人は無理に言葉を足さず、俺たちへ向き直る。
「アレン・ヴァイス様、レオン・ヴェルク様、ルーク・ガルド様でございますね」
「俺たちのことも知ってるのか?」
「お嬢様のお連れになる方々として、書状にお名前がございました」
ルークがセレスを見る。
「書いたのか」
「同行者がいるのに、人数も名前も伝えない方がおかしいでしょう」
「それもそうか」
「皆様のお荷物はこちらへ。御者殿にも、これまでお送りくださった礼を申し上げます」
老人の指示で、アークノルト家の馬車へ荷物が移される。
セレスは、その様子を黙って見ていた。
返事を待たずに出た娘へ、父親は手紙ではなく迎えを寄越した。
少なくとも、帰る道を閉ざされてはいない。
◇
馬車を替えてから、セレスが窓の外を見ている時間はさらに増えた。
道が二つに分かれれば、曲がるより先に身体が傾く。町へ入れば、店の並びを確かめるように目を動かす。
御者が迷うことはない。それでも、セレスの身体の方が先に道を思い出しているようだった。
「この辺り、もう分かるのか?」
休憩を終えて馬車へ戻ったところでルークが聞く。
「まだよ。でも、次の川を越えれば、知っている道に入ると思うわ」
「川があるのは分かるんだな」
「地図にも載っているでしょう」
「見てねえ」
「でしょうね」
馬車が走り出してしばらくすると、石造りの橋が見えてきた。
大きな川ではない。岸には背の低い木が並び、水面は穏やかだった。
橋へ入る直前、セレスの手が窓枠へ触れる。
「変わっていないわ」
「何が?」
「橋の手前だけ、道が傾いているの。子供の頃は、馬車がここで揺れるのが嫌だった」
言い終わる前に、車輪が浅い窪みを踏んだ。
馬車が傾き、ルークの肩が壁に当たる。
「分かってたなら先に言えよ」
「今、言ったでしょう」
「揺れる前にだよ」
セレスは窓の外へ顔を戻した。
その口元が、わずかに緩んでいた。
昼の休憩で、老人が籠を一つ差し入れた。
中には保存の利くパンと、小さな焼き菓子が入っている。
ルークが手を伸ばすより先に、セレスが焼き菓子を一つ取った。
表面の焼き色を確かめ、一口かじる。
「同じだわ」
窓の外にいた老人が振り返る。
「料理長が、昔と同じものを用意いたしました」
「まだいるの?」
「はい。お嬢様がお戻りになると知って、迎えに何を持たせるか随分と悩んでおりました」
セレスは手の中の焼き菓子を見た。
ルークが籠へ伸ばしかけた手を引っ込める。
「食べないの?」
「いや、それ、お前の分じゃねえのか」
「こんなに一人で食べられないわ」
「じゃあ食う」
遠慮は一瞬で終わった。
俺とレオンも一つずつ取る。焼き菓子は、思ったより甘くなかった。
「うまいな」
「そうでしょう」
なぜかセレスが得意そうに答えた。
◇
旅の終わりが近づくにつれ、セレスの返事は短くなった。
窓の外には家々が増え、やがて街の輪郭が見えてくる。
大きな都市ではない。街道沿いに建物が集まり、その向こうにいくつか高い屋根が覗いていた。
「あれが領都か?」
ルークが尋ねる。
「ええ。私の家は、街の北側よ」
街へ入ると、石畳を叩く車輪の音が近くなった。
店先からこちらを見る者はいたが、紋章の入った馬車を珍しがる様子はない。この街では、見慣れたものなのだろう。
馬車は北へ進み、緩い坂を上った。
やがて、石柱と鉄柵の門が見えてくる。その奥には、広い庭と屋敷があった。
車輪が止まるより先に門が開く。
誰に用件を聞かれることもなく、馬車は速度を落としただけで敷地へ入った。
玄関前には、数人の使用人が並んでいた。
大仰な出迎えではない。けれど、馬車から降りたセレスを見て、一人が口元を押さえ、その隣の者は慌てて背筋を伸ばした。
最後に降りた老人が、セレスの前へ回る。
「お帰りなさいませ」
セレスは屋敷を見上げた。
窓の位置も、玄関へ上がる段数も、庭に立つ木も覚えているのだろう。それでも、すぐには歩き出さなかった。
やがて、使用人たちへ向き直る。
「ただいま戻りました」
堪えていたように、何人かの顔へ笑みが広がった。
老人は俺たちにも一礼する。
「皆様のお部屋もご用意しております。旦那様がお待ちですので、まずは中へ」
セレスが玄関へ向かう。
案内されなくても歩けるはずなのに、老人の半歩後ろを離れなかった。角を曲がるたび、見覚えのあるものを一つずつ確かめている。
廊下の奥で、老人が一つの扉の前に立った。
「旦那様。お嬢様がお戻りになりました」
返事はすぐにあった。
「入りなさい」
セレスの背筋が伸びる。
老人が扉を開いた。
部屋の奥に、一人の男が立っていた。
俺たちへ一度だけ目を向け、その視線はすぐにセレスへ戻る。
先に口を開いたのは、父親だった。
「おかえり、セレスティア」
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




