第59話 時間がない
クラウスたちがまとめた解析記録は、翌朝には一冊の報告書になっていた。
扉から写し取った装飾図に、測定値、使った器具、反応の推移。その一つ一つに細かな注釈がつき、俺たちが1日かけて残した記録も、きれいに組み込まれている。
ルークが机の上の報告書を持ち上げ、横から厚みを確かめた。
「これ全部、あの扉のことなんだよな」
「そうだな」
「俺たち、まだ中に入ってもいねえぞ」
「秘蔵文書なんて、表紙も見てないな」
乾いた笑いが漏れた。
扉一枚を調べただけで、この厚さだ。本来の依頼に辿り着く頃には、何冊になっているのだろう。
「よく笑えますね」
クラウスはそう言いながらも、少し楽しそうだった。
「今のうちだけかもしれないからな」
「それは否定しません」
そこは否定してほしかった。
クラウスは報告書を閉じ、俺たちの方へ押し出した。
「総本部へ送るには、これで十分でしょう。測定値の原本はこちらに残しますが、判断に必要な内容は入っています」
「クラウスさんたちは行かないのか?」
「もう少し調べておきたいんですよ」
クラウスは禁書庫の扉を振り返った。
「今すぐ開けられないからといって、できることまでなくなったわけじゃありません。円盤の代替を作るなら、形は少しでも正確な方がいいですからね」
助手たちは朝から器具を広げ、昨日測った場所を別の角度から確かめている。俺たちが屋敷を出た後も、しばらく続けるつもりらしい。
「報告には、私からも書状を添えよう」
侯爵が言った。
「この調査がエルゼリオン家の承認を得たものであり、今後も必要な協力を惜しまない。その旨を記しておけばよいか」
「感謝します」
レオンが答えた。
侯爵の署名が入った書状をグレイアムから受け取り、俺たちは屋敷を出た。
門を抜けたところで、ルークが報告書を抱え直す。
「これ、落としたらまずいよな」
「まずいだろうな」
「お前が持つか?」
「嫌だよ」
「即答かよ」
「落とした時に怒られたくない」
「俺ならいいのか?」
「ルークなら、たぶん許される」
「何を根拠に言ってんだ」
報告書は結局、ルークが持つことになった。
◇
侯爵領の冒険者ギルドまでは、馬車で半日もかからなかった。
総本部ほど大きくはないが、周辺の町や村を束ねる支部らしく、人の出入りは多い。
石造りの建物へ入り、受付へ向かう。
「総本部へ、至急回してほしい報告がある」
俺が声をかけると、受付の職員は用件を聞くより先に、俺たちの顔を見比べた。
「アレン・ヴァイスさんのパーティですね」
「そうだけど」
「到着されましたら、すぐギルマス室へお通しするよう言われています」
「俺たちを待ってたのか?」
「詳しくはギルマスからお聞きください。こちらへどうぞ」
口調は丁寧だったが、歩き出すのは早かった。
案内された部屋では、50歳前後の男が机に肘をついて待っていた。こちらを見るベルトランなり立ち上がる。
「やっと来たか。ベルトランだ。ここのギルドマスターをやってる」
「アレンだ。総本部へ回してほしいものがある」
「それか」
ルークが机に置いた報告書を見て、ベルトランが眉を上げた。
「ずいぶん育ったな」
「まだ扉しか調べてないんだけどな」
「その厚さじゃ笑えねえ」
「朝はちょっと笑えた」
「そうかよ」
ベルトランは顎で椅子を示す。
「まず、お前らの用件を聞く。急ぎなんだろ」
「扉は開かなかった」
「そこは見れば分かる。続けろ」
「開け方の筋は見えた。ただ、機巧大陸の技術が要る。術者も要る。あと、その二つを合わせる方法も」
俺は報告書を指で押した。
「詳しくは専門家が中にまとめてる」
「奥の仕組みは、神聖大陸で使われる形式に近いと見られています」
レオンが補足した。
「ただ、神聖大陸由来と断定されたわけではありません」
「分かった。中身はこっちで確認して、最優先で本部へ回す」
ベルトランは報告書を引き寄せた。
普段なら、それで用件は終わったのだろう。
だが、俺たちを待っていた理由は別にある。
「それで、そっちの話は?」
「話が早くて助かる」
「捕まえろって言われてたんだろ」
「ああ。昨日のうちに本部から来てる。お前らがこの支部へ顔を出したら、その場で伝えろとな」
ベルトランは机の端に置かれていた紙を一枚引き抜いた。
「科学大陸が、世界異常に関する最新の観測結果を正式に公表した」
さっきまでの空気が止まった。
科学大陸は以前から、世界規模の崩壊まで残された時間を3年から5年と試算していた。
正確な期限ではない。観測値から導かれた、幅のある予測だった。
「つまり、悪い方に変わったってことか?」
ルークが聞く。
ベルトランは少しだけ間を置いた。
「有り体に言えば、そういうことだ」
ベルトランは紙を机の中央へ置いた。
細かな数字が並んでいたが、俺にはほとんど意味が分からない。
「最新の観測では、5年という上限は現実的じゃないと判断された。大陸間の位置変動、魔素濃度の偏り、海流と気流の変化。どれも想定より早く進んでる」
「3年はあるんですか?」
セレスが尋ねた。
ベルトランはすぐには答えなかった。
「科学大陸は、そこまで断定してない」
「分からないということですか?」
「3年を下回る可能性を否定できない、だそうだ」
ルークが椅子の背から身体を起こした。
「下回るって、どれくらいだよ」
「分からん」
「2年なのか、1年なのかも?」
「分かってりゃ、最初からそう書いてある」
乱暴な返しだったが、つまりそういうことなんだろう。
「3年を下回るって、下手したら俺たちが学校にいた時間と大して変わらねえってことだろ」
誰もすぐには返せなかった。
3年すら、あるとは限らない。
そう言われてから机の上の報告書を見ると、今朝まで笑っていたその厚さが、使った時間の分だけ重く見えた。
俺たちは総本部を出てから14日かけて、まだ一冊の本も見つけていなかった。
「総本部は、これを前提に動くんですか?」
レオンが聞いた。
「動く」
ベルトランは即答した。
「3年あるつもりで動くのはやめる。通常依頼は後ろに回す。エマージェンシーオーダーとグランドオーダー関連が最優先だ。各支部にも、もう通達が出てる」
「科学大陸の発表を、そのまま信じるってことか?」
ルークが聞く。
「予測が外れたなら、それでいい。だが、外れなかった時に動いていなければ、取り返しがつかん」
それはそうだ。
信じるかどうかで、動いているものが止まってくれるわけではない。
俺は机の上の報告書を見た。
「それで、本部はこの依頼を続けろって?」
ベルトランは短く頷いた。
「継続だ」
「この状況でもか」
「この状況だからだろうな」
「禁書庫の中身が、今の異常に関係してる保証はないぞ」
「ああ。そうだ」
「扉を開けて、ただの古い文書だったら?」
「その時は、可能性を一つ潰したことになる」
「使った時間は戻らないぞ」
「戻らねえな」
ベルトランは報告書を指で叩いた。
「本部も迷っただろうな。だが、侯爵家の記録が本物なら、ここで切る根拠もない。だから続ける。ただし、今まで通りじゃ遅い」
「はあ……面倒臭いなあ」
「今残ってるのは、そういう判断ばかりだ」
「依頼は続行。ただ、どう進めるかまで本部が決める気はない。必要な支援があるなら上げろ。動き方はお前らで決めろ」
「便利な言い方だな」
「じゃあ、本部の指示通りに動くか?」
「それは嫌だな」
「なら考えろ」
そこまで言われると、反論しにくい。
「本部からの伝達は以上だ。報告書はすぐ送る。方針が決まったら、またここを通せ」
「分かった」
「支援が要るなら、それも一緒に上げる」
「頼むかもしれない」
「その時は早めに言え」
それで話は終わった。
◇
ギルドを出てから、しばらく誰も話さなかった。
いつもならルークが何か言いそうなものだが、今日は手持ち無沙汰に腰の剣を触っているだけだった。
「……飯にするか」
俺が言うと、ルークがこちらを見る。
「今?」
「今だからだよ。腹が減ってると、余計なことしか考えない」
「それもそうだな。食いながら考えるか」
俺たちは近くの食堂へ入り、空いている卓を囲んだ。
昼時を過ぎていたせいか、客は少ない。
注文を終え、クラウスから借りた簡略版の図をテーブルへ広げる。
「で、どうする」
ルークが言った。
誰か一人ではなく、全員へ投げた言葉だった。
「本部は続けろって言ってる」
「続けるんだろ?」
「俺はそのつもりだ」
「だろうね」
レオンは図へ目を落とした。
「本部と同じで、切る理由もない」
「それに、ここまで調べて、扉の前で帰るのも気持ち悪い」
「そっちが本音だろ」
「どっちも本音だよ」
レオンが小さく笑った。
それで、張っていたものが少しだけ緩む。
「でも、今の進め方じゃ無理だな」
俺が図へ目を落とすと、レオンも頷いた。
「機巧大陸と神聖大陸。どちらも準備に時間がかかる」
「同時に進めるなら、分かれて動くしかなさそうだな」
「俺たち4人しかいねえぞ」
ルークが言う。
「円盤の方は、クラウスさんの記録があれば相談できると思う」
レオンは図の表側を指した。
「問題は術式だ」
「神聖大陸へ行って、使える奴を連れてくるのか?」
「そんな簡単な話ではないわ」
セレスが静かに返した。
「失敗すれば、術者に反動が返るかもしれない。可能性だけで頼めることじゃないわ」
「リシアなら――」
「駄目だ」
ルークが言い終わる前に止めた。
「……だよなぁ」
聞けば、リシアは考えるだろう。
危険でも、自分にできるならと。
だから、聞くだけでは済まない。
「そうね」
セレスが頷いた。
「断りにくい相手に頼むのは、違うと思うわ」
「なら、他を探すしかねえのか」
「見つかる保証はないな」
レオンが答える。
「この形式を扱える術者が何人いるのかも分からない。見つけたとしても、協力してくれるとは限らない」
「そこからだもんなぁ」
「時間がかかるわね」
セレスの言葉に、ルークが天井を仰いだ。
「よりによって、一番時間がかかるやつか」
料理が運ばれてきた。
誰もすぐには手をつけず、湯気だけが図の上へ流れていく。
俺は卓上の図を見た。
神聖大陸に近い形式ではある。
けれど、今の神聖大陸で使われている魔法と同じものではない。
それを扱える誰かがいるのかも分からない。
「使える奴がいないなら、使える形に変えられないのか?」
レオンが顔を上げた。
「どういう意味だい?」
「この変化には規則があるんだろ。なら、何が来た時に、どんな術式を重ねるかも決められるんじゃないか?」
レオンはしばらく図を見ていた。
「それは……神聖魔法を、魔術にするということか」
「そうなるのか?」
「魔法を手順に置き換えて、同じ手順を踏めば同じ結果に辿り着けるようにする。それが魔術だからね」
レオンの視線が、図の奥側へ落ちる。
「ただ、光属性に由来する魔法が魔術化された例は、僕の知る限りない。闇属性も同じだ」
「前例がないだけなら、できないとは決まったわけではないな」
レオンは少し考えてから頷いた。
「そうだね。少なくとも、可能性がないとは言えない」
「でも、その前に元になる術式を知らなければならないわ」
セレスが図を指した。
「扉の奥に流れているものは、一般的な神聖魔法ではないのでしょう。何が同じで、何が違うのかも分からないままでは、手順に置き換えようがないわ」
「まず、神聖魔法そのものを知らないと始まらないってことか」
俺が言うと、セレスは頷いた。
「ええ」
レオンが図へ視線を戻す。
「それを知った上で、魔導大陸へ持ち込む。順番としては、神聖大陸が先になりそうだね」
「で、神聖大陸でどうやって調べるんだ?」
ルークが聞いた。
神聖大陸は、グランドオーダーの前提そのものを認めていない。
荒漠大陸から来た冒険者が訪ねていって、古い術式を見せてほしいと言ったところで、まともに取り合ってもらえるとは思えなかった。
「方法はあるわ」
セレスが言った。
「神聖大陸で、正式に学ぶ方法が」
「本当か?」
ルークが顔を上げた。
「ええ」
セレスは少しの間、卓上の図を見ていた。
やがて顔を上げ、俺たちを見る。
「ただ、そのためには一度、実家へ戻る必要があるわ」
「実家?」
俺とルークの声が重なった。
湯気の薄くなった料理を挟んで、俺たちはセレスの次の言葉を待った。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




