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第56話 そんなお兄さまは嫌い

研究者を招くことについて、侯爵の許可は翌朝には下りた。


正式な依頼は、冒険者ギルド総本部から出す。


レオンが候補に挙げた研究者の名と所属を伝え、総本部の通信網を通じて、所在の確認と依頼の取り次ぎを頼むことになった。


昨日まとめた調査記録も、すぐ送れるように整理しておく。


俺たちにできることは、そこまでだった。


「返事は、すぐ来るのか?」


俺が尋ねると、レオンは机の上の記録を揃えた。


「本人と連絡が取れれば早いと思う。ただ、研究で各地を移動している人だから、今どこにいるかまでは分からない」


「まずは居場所からか」


「そうなるね」


所在が分かり、依頼を受けてもらえたとしても、侯爵邸まで来るには時間がかかる。


情報だけなら、遠くても届く。


人間まで同じ速さで届くわけではない。


昨日までは、少なくとも自分たちで動けた。


今は、返事を待つしかなかった。



昼前。


屋敷の廊下を歩いていると、階段の上から軽い足音が聞こえてきた。


続けて、使用人の慌てた声が飛ぶ。


「お待ちください、リリアナ様」


足音は止まらない。


階段の途中から、小さな女の子が姿を現した。


明るい色の髪を揺らしながら、一段ずつ飛ばすように下りてくる。


「リリアナ」


鋭い声が響いた。


女の子の足が、ぴたりと止まる。


階段の上には、エリオットが立っていた。


「階段では走るなと言っているだろう」


「走ってないわ」


「今、二段飛ばした」


「急いでいただけよ」


エリオットは言い返しかけて、先にリリアナの足元へ視線を落とした。


それから階段を下りてくる。


「足は?」


「何ともない」


「本当に?」


「大丈夫だってば」


エリオットは、リリアナの足元をもう一度確かめた。


それから、ようやく小さく息を吐く。


「……ならいい。でも、もうしないでくれ」


「またそれ?」


「お兄ちゃんが心配する」


「お兄さまは、いつも心配ばっかり」


リリアナは頬を膨らませた。


年齢は8歳くらい。


侯爵家の長女だろう。


エリオットはまだ納得していない顔だったが、それ以上は言わなかった。


代わりに、こちらへ視線を向ける。


リリアナを見ていた時とは、目の温度が違っていた。


「その者たちのところへ行くために急いでいたのか」


リリアナは答えず、俺たちへ顔を向けた。


さっきまでの不満そうな表情が、すぐに変わる。


「門の前にいた冒険者でしょう?」


「そうだよ」


俺が答えると、リリアナは階段を下りきった。


エリオットが、その一歩後ろに付く。


止めはしない。


ただ、離れる気もなさそうだった。


「禁書庫を開けに来たの?」


「そのつもりだった」


「開いた?」


「開かなかった」


リリアナが目を瞬く。


「冒険者でも開けられないの?」


「冒険者だからって、何でもできるわけじゃないからな」


「そうなの?」


「そうなんだよ」


リリアナは少し考えるように、禁書庫がある方角を見た。


「じゃあ、これからどうするの?」


「開け方が分かりそうな人を呼ぶことにした」


「自分たちで開けないのに?」


「自分たちで開けられないからね」


納得したのかどうかは分からない。


リリアナの視線が、俺の隣にいたセレスへ移る。


「女の人も冒険者になるの?」


「なるわ。数は多くないけれど、珍しいだけで、できない理由にはならない」


セレスが答えた。


「セレスティアも、自分でなりたいって決めたの?」


「ええ。簡単ではなかったけれど」


「止められなかった?」


「止められたわ」


リリアナは少し目を見開いた。


「でも、なったの?」


「ええ」


それだけのやり取りだった。


けれど、リリアナはしばらくセレスを見ていた。


「そろそろ授業の時間だ」


エリオットが声をかける。


リリアナが振り返った。


「まだ少しくらいいいでしょう?」


「昨日も先生を待たせただろう。今日は間に合うように戻ろう」


「ちょっとくらいなら大丈夫よ」


「終わったら、また話せばいい」


「本当に?」


「ああ。その時は、お兄ちゃんも一緒にいる」


リリアナの眉が寄る。


「どうして?」


「知らない者たちと話すなら、お兄ちゃんがそばにいる」


「お兄さまは冒険者が嫌いでしょう?」


エリオットは一瞬、俺たちへ視線を向けた。


「それと、リリアナが話を聞くことは別だ」


「別じゃないわ。お兄さまがいると、すぐ止めるもの」


「止める必要があれば止める」


「ほら、止めるじゃない」


「必要な時だけだ」


「お兄さまの必要な時でしょう?」


エリオットは少し黙った。


「リリアナのためだ」


「まだ話してもいないのに、もう止めることを考えてる」


「何かあってからでは遅い」


「またそれ?」


「大事なことだ」


「お兄さまにとっては、でしょう?」


リリアナの声に、少しだけ不満が滲む。


エリオットは困ったように眉を寄せた。


使用人が、申し訳なさそうに時間を告げる。


リリアナは不満そうにしながらも、階段へ向かった。


途中で、こちらを振り返る。


「あとで、もっとお話を聞かせてね」


「授業が終わってからな」


俺が答える。


リリアナは満足そうに頷き、そのまま上階へ消えていった。


エリオットはしばらく階段を見上げていた。


さっきまでの硬い表情は、少しだけ緩んでいる。


安心したような、まだ心配しているような、何とも言えない顔だった。


だが、俺たちへ向き直った時には、もう元に戻っていた。


「妹がお前たちと話す時は、私も同席する」


「嫌がられるぞ」


俺が言うと、エリオットの目が細くなった。


「それでもだ」


「嫌われてもか?」


エリオットは、わずかに眉を動かした。


「一時の機嫌より、安全の方が大事だ」


「俺たちと話すのが、そんなに危ないか?」


「お前たちが冒険者だからだ」


エリオットは迷わず答えた。


「妹を、冒険者のそばに置くつもりはない」


「リリアナ様が、それを望まなくても?」


セレスが静かに尋ねた。


エリオットの表情が硬くなる。


「妹はまだ幼い。何を聞いてよく、何を聞くべきでないかを判断できない」


「私たちは、何かを吹き込むつもりはありません」


「つもりの有無は関係ない」


エリオットの声は冷たかった。


「冒険者は、自分たちの言葉が他人を動かすことを軽く見すぎる」


セレスは何も言わなかった。


エリオットは、こちらを順に見た。


リリアナへ向けていた目とは違う。


警戒と拒絶が、はっきりそこにあった。


「余計なことは話すな」


そう言い残し、エリオットは階段の方へ歩いていった。



午後。


レオンが総本部へ送る資料を整えている間、俺たちは侯爵家の庭に出ていた。


屋敷の中にいてもすることがない。


敷地の外へ出るわけにもいかず、庭を歩くくらいしかなかった。


古い木々の間を、石畳の道が伸びている。


花壇は整えられているが、派手さはない。


屋敷と同じで、長く残すことを優先して作られた庭に見えた。


「セレスティア!」


後ろから声がした。


振り返ると、リリアナがこちらへ歩いてくる。


午前中と同じ使用人も一緒だ。


今度は走っていなかった。


少しだけ早足ではあったけれど。


「授業は終わったの?」


セレスが尋ねる。


「終わったわ」


リリアナはセレスの前で足を止めた。


「さっきのお話、もっと聞きたい」


「私の?」


「ええ。どうして冒険者になったの?」


セレスはすぐには答えなかった。


「少し長い話になるわ」


「時間はあるわ」


「そうね」


セレスが笑う。


「なら、少しだけ」


リリアナは嬉しそうに頷いた。


「どこへ行く」


庭へ続く扉の前に、エリオットが立っていた。


リリアナの表情が曇る。


「セレスティアとお話しするの」


「なら、お兄ちゃんも一緒に行こう」


「来なくていいわ」


エリオットの足が止まった。


「……お兄ちゃんがいては駄目なのか」


「駄目」


「どうしてだ」


リリアナは少し胸を張った。


「レディには、レディ同士のお話があるの」


「お兄ちゃんには聞かせられない話なのか?」


「そういうものなの」


「そういうものか」


納得はしていない顔だった。


それでも、エリオットは一度だけ頷いた。


「なら、お兄ちゃんは少し離れている」


「それも駄目」


「話は聞かない」


「ずっと見ているでしょう?」


「見ているだけだ」


「それが嫌なの」


エリオットは困ったようにリリアナを見る。


「何かあったらどうするんだ」


「何も起きないわ」


「そう言って目を離した時に限って、何かが起きる」


「またそれ!」


リリアナの声が少し大きくなった。


「お兄さまは、いつもそう。何かあったら、何かあったらって、そればっかり」


「大事なことだろう」


「わたしの話を聞くより?」


エリオットが言葉に詰まった。


リリアナは、そのまま続ける。


「乗馬の時も、お祭りの時も、お友達が来た時も、いつもお兄さまが決める!」


「リリアナのためだ」


「違うわ!」


リリアナの声が庭に響いた。


付き添いの使用人が、困ったように視線を落とす。


「わたしが何をしたいか聞く前に、全部決めるじゃない!」


「聞いている」


「聞いてないわ! 最後はいつも駄目って言うもの!」


「危ないことは駄目だ」


「危ないって、お兄さまが決めてるだけでしょう!」


エリオットは何か言おうとした。


けれど、言葉が出てこない。


リリアナの目には涙が浮かんでいた。


それでも泣くまいとするように、兄を睨んでいる。


「わたしは、セレスティアと2人でお話ししたいの」


「……分かった。なら、お兄ちゃんは少し離れている」


「ついてくるの?」


「見える場所にはいる」


「それが嫌なの!」


「話の邪魔はしない」


「見られていたら、邪魔されているのと同じよ!」


リリアナは強く唇を結んだ。


「もう、お兄さまなんて知らない!」


そう言い残し、リリアナはエリオットの横を抜けて屋敷へ駆けていく。


「リリアナ!」


エリオットが追いかけようとした。


数歩進み、閉じた扉の前で足を止める。


すぐに追えば、間に合ったはずだ。


けれど、エリオットは動かなかった。


しばらく、その扉から目を離さない。


「……追わなくていいのか?」


俺が聞いた。


「お前たちには関係ない」


声は硬かった。


ただ、こちらを見てはいなかった。


やがて、エリオットは振り返る。


その時には、表情から迷いは消えていた。


「今後、妹に誘われても断れ」


「それを決めるのは、リリアナ様ではないの?」


セレスが尋ねた。


エリオットの目が細くなる。


「妹に余計なことを吹き込むな」


「何も吹き込んでいません」


「お前たちが冒険者であること自体が、余計なんだ」


セレスの表情は変わらなかった。


「それを決めるのも、あなたですか」


エリオットは答えなかった。


代わりに、俺たちを一人ずつ見る。


その目には、答えの代わりに拒絶だけがあった。


「妹に近づくな」


そう言い残し、エリオットは屋敷へ戻っていった。


リリアナが走っていった方角へは向かわなかった。



しばらくして、セレスも庭を離れた。


リリアナを探すとは言わなかった。


ただ、少し歩いてくると言っただけだった。


リリアナは、2階の窓辺に座っていた。


庭が見える窓だった。


セレスが近づくと、リリアナは少しだけ顔を上げる。


目元には、泣いた跡が残っていた。


「隣、いい?」


リリアナは黙って頷いた。


セレスは隣に座った。


しばらく、どちらも何も言わない。


「もう、お兄さまと話したくない」


リリアナが言った。


「そう」


「何をしてもついてくるの」


「ええ」


「わたしが決める前に、全部決めるの」


セレスは黙って聞いていた。


やがて、リリアナが顔を上げる。


「セレスティアは、自分で何でも決められるの?」


「何でもではないわ」


セレスは静かに答えた。


「止められることもあるし、選べないこともある。私だって、全部を自由に決められるわけではないもの」


「でも、冒険者になるのは自分で決めたのでしょう?」


「ええ」


「止められても?」


「止められても」


リリアナは窓の外へ目を向けた。


「いいな」


セレスは、少しだけ考えてから言った。


「いいことばかりではないわ。自分で決めたことは、あとで自分に返ってくるから」


「それでも?」


「それでも、私は自分で決めたかったの」


リリアナは黙った。


その横顔は、まだ泣きそうだった。


でも、さっきより少しだけ、別のことを考えている顔にも見えた。



その日の夕方。


冒険者ギルド総本部から、研究者の所在を確認したという返答が届いた。


相手は科学大陸にはいなかった。


グランドオーダー関連の調査で、荒漠大陸東部の観測所に滞在しているらしい。


レオンが、届いた書面へ目を通す。


「詳しい調査記録を確認したい、とある」


「来てくれそうか?」


「まだ分からない。でも、調査内容には興味を持っているみたいだ」


情報はすぐに届いた。


本人がここまで来るには数日かかるが、荒漠大陸内にいるだけ、想定よりは早い。


「なら、送ろう」


レオンが頷いた。


来てもらえるかは、まだ分からない。


それでも、話を聞いてもらえるところまでは進んだ。


数日は、この屋敷で返事を待つことになる。


そう決まった時、セレスは少しだけ窓の外へ目を向けていた。


庭が見える方角だった。

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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