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第54話 次の扉

3日後。


俺たちの宿に現れたのは、エルゼリオン侯爵家の使いではなかった。


門の向こうで俺たちを丁寧に追い返した執事長本人である。


朝食の途中だった俺たちは、揃って入口の方を見た。


グレイアムは黒い上着を隙なく着込み、宿の食堂でも姿勢を崩さずに立っている。

侯爵家の門も鉄柵もないのに、なぜかまた門前に戻されたような気分になった。


「お食事中、失礼いたします」


グレイアムは深く頭を下げた。


「エルゼリオン侯爵閣下がお戻りになりました。皆様を屋敷へお招きするよう、申し付かっております」


ルークが、持っていたパンを皿に置いた。


「……今日は入れてくれるのか?」


直球だった。


気持ちは分かる。


グレイアムは表情を変えない。


「本日は、侯爵閣下より直接のお招きでございます」


「じゃあ、前のはなんだったんだよ」


責めるほどではない。けれど、納得もしていない声だった。


「先日は、当家の都合により、皆様にご足労をおかけいたしました」


謝罪ではある。


けれど、あの場の判断を取り消す言葉ではない。


そういう礼だった。


「侯爵閣下は、いつ戻られたのですか」


レオンが尋ねる。


「昨夜遅くでございます」


「それで、今朝こちらへ?」


「はい」


戻って、事情を聞き、夜が明けてすぐに執事長を寄越した。


少なくとも、門前で追い返した相手を、そのまま放置する気はなかったらしい。


「分かった。伺います」


俺が答えると、グレイアムは静かに頭を下げた。



侯爵家の馬車に乗り込むと、グレイアムは向かい側に腰を下ろした。


揺れているはずなのに、背筋はまっすぐだ。


「一つ、確認してもよろしいでしょうか」


レオンが口を開いた。


「何なりと」


「先日の時点で、侯爵閣下がこの件への協力意思を示されていたことは、ご存じだったのですね」


グレイアムは、少しだけ間を置いた。


「承っておりました」


ルークが眉を寄せる。


「じゃあ、なんで入れなかったんだよ」


レオンが止めるより先に、ルークが言った。


まあ、今回は仕方ない。


「侯爵閣下とご嫡男様が不在の間、屋敷の判断を預かる方が別におられました」


「若様、か」


俺が言うと、グレイアムはこちらを見た。


「左様でございます」


やっぱりか。


あの時の門は、グレイアムが閉めたように見えて、鍵を握っていたのは別の相手だったらしい。


「当主の意向を知っていても、ですか」


セレスが尋ねた。


声は静かだったが、少し鋭い。


「当主不在時に屋敷を預かる方のご判断を、執事である私が軽んじることはできません」


理屈としては分かる。


分かるが、面倒だ。


家というものは、時々、本人の意思より手順の方が強くなる。

それが侯爵家なら、なおさらなのだろう。


「若様は、冒険者がお嫌いなのですか」


セレスが言った。


グレイアムの表情は変わらなかった。


だが、答えはすぐには返ってこなかった。


「……私の口から申し上げるべきことではございません」


馬車は、見覚えのある道を進んでいた。


商店の看板が減り、石畳の幅が広くなる。

古い家が並ぶ一帯へ入り、その一番奥に、エルゼリオン侯爵家の門が見えてくる。


馬車が門の前で止まると、門番がすぐに動いた。


短い確認。


グレイアムの一礼。


そして、門が開いた。


当然のことのはずなのに、大きな前進に見える。


依頼開始から数日かけて、ようやく門である。


「開いたな」


ルークが小声で言った。


「開いたわね」


セレスも小声で返した。


馬車は門をくぐり、前は鉄柵越しに見るしかなかった庭の中へ入った。



屋敷の中は、思っていたより静かだった。


豪華ではある。だが、派手ではない。


長く使われてきたものが、そのまま残っているように見えた。


案内されたのは応接室だった。


広い部屋の奥に、50歳前後の男が立っている。


髪には少し白いものが混じっている。顔つきは鋭いが、こちらを見る目に侮りはなかった。


この男が、エルゼリオン侯爵か。


その横には、門前で俺たちを睨んでいた少年がいた。


仕立ての良い服。


きつい襟元。


こちらへ向けられた視線は、相変わらず硬い。


門は開いた。


だが、彼の視線だけは、門前で見た時のままだった。


侯爵は俺たちを見ると、ゆっくりと口を開いた。


「エルゼリオン侯爵家当主、ヴァレリオ・フォン・エルゼリオンだ。先日は、当家の対応で無用な手間をかけた。詫びよう」


重さはあるが、威圧ではない。


貴族の当主としての言葉だった。


レオンが一歩前に出る。


「レオン・ヴェルクです。こちらは、アレン・ヴァイス、ルーク・ガルド、セレスティア・アルト。冒険者ギルド総本部の指名依頼により、参りました」


そこで、レオンは一度だけ俺を見た。


「パーティのリーダーはアレンですが、貴族家との正式な応対については、私が前に立たせていただきます」


侯爵の視線が、俺に向く。


俺は軽く頭を下げた。


「そういうことです。礼儀作法でいきなり失点するのは避けたいので」


ルークが小さく笑いかけて、セレスに視線で止められた。


侯爵は、俺たちを一人ずつ見た。


値踏みされている感じはある。


ただ、見下されている感じはない。


それだけで、門前の時とは違うと分かった。


「君たちが受けた依頼は、私が冒険者ギルド総本部へ申し出た件に端を発する。協力する意思に変わりはない」


「それを伺えて安心しました」


レオンが答える。


「ただ、先日の件については、こちらにも確認したいことがあります」


侯爵は頷いた。


「もっともだ」


横に立つ少年は、黙ったまま俺たちを見ていた。


姿勢も表情も崩れていない。侯爵家の子息として、客人の前で不用意に口を挟むべきではないと分かっているのだろう。


ただ、その視線だけは、あの時と変わっていなかった。


侯爵の目が、少年へ向く。


「エリオット」


初めて、名前が出た。


「何でしょう、父上」


「その視線で客人を迎えるなら、席を外しなさい」


応接室の空気が、少しだけ固まった。


エリオットは唇を結ぶ。


「ですが」


「席を外しなさい」


二度目は、静かだった。


静かな分、逆らう余地がなかった。


エリオットは俺たちを一度だけ見た。


門前で見たのと同じ目。


それから、侯爵へ頭を下げる。


「失礼いたします」


彼は部屋を出ていった。


扉が閉まる。


侯爵は、少しだけ長く息を吐いた。


「見苦しいところを見せた」


「いえ」


レオンが答える。


俺は口を挟まなかった。


侯爵は怒鳴ったわけでもない。


エリオットも、子供みたいに反発したわけではない。


それでも、誰もすぐには次の言葉を出さなかった。


「君たちは、なぜあの子が冒険者を嫌うのか、疑問に思っただろう」


侯爵は、俺たちを見た。


「先日の対応について話すなら、そこを避けるわけにはいかない」


グレイアムは部屋の端に控えている。


侯爵は窓の外へ目を向けた。


庭の向こうに、遠く門が見える。


「8年前のことだ」


侯爵は言った。


「私は、妻と子供たちを連れて、領内の視察に出ていた。護衛には、冒険者も雇っていた」


「本来、その道に危険は少ない。少なくとも、侯爵家の護衛を伴って通る分には、問題がないはずだった」


侯爵の声は淡々としていた。


淡々としているからこそ、重かった。


「だが、その日は違った。本来その地域に現れるはずのない魔獣が出た。しかも、通常なら討伐隊で相手をするような上位種だった」


ルークが眉を寄せる。


「なんでそんなもんが」


「分からない」


侯爵は短く答えた。


「当時は、不運な事故としか判断できなかった。だが、今になって思えば、大陸各地で起きている異変の一つだったのかもしれない」


そこで侯爵は、一度言葉を切った。


「襲撃の中で、妻はまだ幼かった娘を庇って命を落とした」


部屋の空気が、静かに沈んだ。


セレスが視線を伏せた。


レオンも何も言わない。


ルークですら、口を閉じていた。


「エリオットは、その場にいた。母が倒れたところも見ている。そして、護衛の冒険者たちが戦っていたことも」


「逃げたわけではないんですね」


レオンが静かに言った。


侯爵は頷いた。


「ああ。彼らは逃げなかった。最後まで、職務を果たした。妻が娘を庇う時間を作ったのも、私とエリオットが生き残ったのも、彼らが踏みとどまったからだ」


それなら。


そう言いかけて、やめた。


それならどうして、と言うのは簡単だ。


だが、幼い子供が、その場でそんなふうに整理できるわけがない。


侯爵も、同じことを思ったのだろう。


「だが、幼い息子にそれを理解しろというのは、酷だった」


侯爵は言った。


「エリオットにとって、冒険者は母を守れなかった者たちだ。理屈ではどうあれ、あの日の記憶はそう刻まれている」


誰も答えなかった。


答えられる話ではなかった。


冒険者が悪いわけではない。


だが、エリオットの憎しみをただの間違いだと切り捨てるには、あまりにも重い。


「私は、冒険者を恨んではいない」


侯爵は言った。


「むしろ、感謝している。あの時、彼らがいなければ、失ったものはもっと多かった」


グレイアムが、静かに目を伏せた。


「だからこそ、私はグランドオーダーに協力すると決めた。あの日のような異常を、見なかったことにはできない。赤い月も、各地の異変も、放置してよいものではない」


侯爵の目が、こちらへ戻る。


「総本部が君たちを指名した理由は、こちらに届いた資料で理解しているつもりだ」


資料。


おそらく、赤い月の件と、そこから始まった一連の調査についてだろう。


そこまで共有されているなら、侯爵がこの件を軽く見ていないことだけは分かる。


「事情は分かりました」


レオンが言った。


「その上で、我々としては、依頼を進めたいと考えています」


「もちろんだ」


侯爵は頷く。


「話が長くなった。目的の書庫へ案内しよう」


ようやく本題だ。


門を越え、当主に会い、事情を聞いた。


やっと秘蔵文書に近づく。


そう思ったのだが。



侯爵自らの案内で、俺たちは屋敷の奥へ進んだ。


応接室を出て、長い廊下を抜ける。


飾られた絵が減り、窓が少なくなり、屋敷の空気が少しずつ変わっていく。


やがて、廊下の突き当たりに、重い扉が見えた。


扉というより、壁の一部に近い。


厚い木材。


黒ずんだ金具。


中央には、門柱と同じ紋章が刻まれている。


月を抱いた杯。


その周りを囲むように、細い線がいくつも彫られていた。


「ここだ」


侯爵が言った。


ルークが扉を見上げる。


「ここに秘蔵文書があるのか」


「ああ。この奥が、エルゼリオン家で禁書庫と呼ばれている場所だ」


「禁書庫?」


レオンが聞き返す。


侯爵は扉を見た。


「禁じられた書を収めた場所、という意味ではない。少なくとも、今の我々にはそう伝わっている」


「では?」


「開けることを禁じられた書庫だ」


侯爵の声は静かだった。


「何者が、何のために禁じたのかは分からない。ただ、この扉は代々そう伝えられてきた。開けてはならない場所。開けることのできない場所としてな」


「では、秘蔵文書は」


「この中にある」


侯爵は言った。


「正確には、この中にあると伝わっている。外へ出してはならなかったのではない。外へ出なかったのだ」


ルークが扉を見る。


「で、開けるんだよな?」


侯爵は、首を横に振った。


「開かない」


沈黙が落ちた。


俺は、侯爵を見る。


「……今、何と?」


「開かない、と言った」


侯爵は、淡々と答えた。


「この所蔵庫は封印されている。少なくとも、私が知る限り、歴代当主が開けたという話はない。開け方そのものが伝わっておらんのだ」


「いや、待て」


ルークが言った。


「秘蔵文書を調べてくれって話だったよな?」


「ああ」


「中にあるんだよな?」


「そう伝わっている」


「で、開かねえのか?」


「開かない」


ルークが、俺を見た。


俺を見るな。


その顔で見られても、扉は開かない。


セレスは扉の前に一歩近づいた。


けれど、触れることはしなかった。


しばらく黙って扉を見ていたが、やがて小さく首を振る。


「……分からないわ」


レオンも扉を見ていた。


「少なくとも、総本部の資料だけでどうにかなるものではなさそうだ」


ルークが、もう一度扉を見上げる。


「また扉かよ」


そう。


また扉である。


門は開いた。


屋敷にも入った。


当主にも会えた。


それでもまだ、目的の文書には辿り着けない。


俺は、扉に刻まれた古い紋章を見上げた。


俺たちはまだ、この依頼の入口を越えられていない。


ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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