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第53話 門前

来た。見た。帰った。


それだけなら観光みたいだが、実際には門前払いである。


総本部指名依頼。


赤い月および関連異常に関する継続調査協力。


その第一歩として、エルゼリオン侯爵家が所有する秘蔵文書を調査する。


言葉だけなら、いかにも大きな依頼が始まったように聞こえる。


実際、大きいのだろう。


グランドオーダーだの、総本部主導だの、複数の調査線だの、並んでいる単語はどれも立派だ。俺たち四人も、晴れてCランク冒険者。パーティとしてはBランク扱いである。


出世した。


たぶん。


ただし、出世したところで、貴族家の門は自動では開かない。


紹介状はある。


総本部の指名依頼であることも間違いない。


相手側に協力意思があることも、資料には書いてあった。


それでも、門は開かなかった。


正確には、話は聞かれた。


そのうえで、とても丁寧に追い返された。


戦って負けたわけではない。


ただ、通れなかった。


これが一番、面倒だった。


俺は、冷めかけた茶を前に、さっき見た門構えを思い出す。


高い石壁。


古い紋章。


磨かれた鉄柵。


その向こうに続く、整いすぎた庭。


貴族家で、秘蔵文書で、古い信仰で、総本部指名依頼。


その時点で、戦って勝てば終わり、という話ではない。


それでも。


門すらくぐれないところから始まるとは思っていなかった。



話は、数刻前に戻る。


もっと正確に言えば、数日前から始まっていた。


総本部で依頼を受けた翌朝、俺たちは総本部が手配した馬車に乗せられた。


行き先は、エルゼリオン侯爵領。


道中で資料を確認し、宿を取り、また馬車に揺られる。


そうして、ようやく侯爵領の中心地へ入った。


エルゼリオン侯爵家の屋敷は、領都の奥、高台にあった。


近づくにつれて、通りの雰囲気が変わっていく。


商店の看板が減り、石畳の幅が広くなる。行き交う人の服も、どこか整って見えた。


古い家が並ぶ一帯だった。


どの屋敷も大きい。だが、派手ではない。金で飾ったような軽さではなく、長い時間をかけてそこに居座っている重さがある。


その一番奥に、エルゼリオン侯爵家の門があった。


高い石壁。


磨かれた鉄柵。


門柱には、翼のようにも、葉のようにも見える紋章が彫られている。その中央には、月を抱いた杯のような意匠。


神聖大陸由来かどうかは分からない。


ただ、見慣れた荒漠大陸の貴族家とは、少し違う匂いがした。


「……でけえな」


隣でルークが呟いた。


「感想が素直すぎる」


「でかいもんはでかいだろ」


その通りだった。


セレスは門を見上げたまま、ぽつりと言った。


「贅沢な門ね」


ルークが眉を寄せる。


「古いだけじゃねえの?」


「古いものを、古いまま残すのは贅沢よ」


「そういうもんか?」


「新しく作る方が、よっぽど簡単だもの」


セレスは、門柱に刻まれた紋章を見上げていた。


「でも、新しくしたら、この感じは消えるでしょう」


「この感じ?」


「長く続いてきた家だって、門だけで分からせる感じ」


ルークは、もう一度門を見た。


「……ああ。言われてみりゃ、なんか偉そうではあるな」


「言い方」


セレスが少しだけ目を細めた。


門の前には、二人の門番が立っていた。


鎧は簡素だが、姿勢がいい。飾りではない。こちらが近づいてからの視線の動きにも、余計な隙がなかった。


俺たちが門の前で足を止めると、門番の一人が半歩前に出た。


「ご用件を」


レオンが一歩前に出る。


「冒険者ギルド総本部より参りました。エルゼリオン侯爵家への紹介状を預かっています。お取り次ぎ願えますか」


声は柔らかい。


姿勢も丁寧だ。


こういう時、レオンは本当に向いている。


本人に言うと、たぶん向いているとは何がだろうか、と確認されるので言わないが。


門番は表情を変えず、もう一人へ視線を向けた。


短く頷き合う。


「お待ちください」


一人が門の内側へ消えた。


鉄柵の向こうには、整えられた庭が見える。


大きな木があり、低く刈り込まれた植え込みがあり、屋敷へ続く石畳が真っ直ぐ伸びている。


しばらくして、門の内側から一人の老人が現れた。


白髪をきっちり撫でつけ、黒い上着を隙なく着込んでいる。背筋は伸びていて、歩く速度は一定。


ただの使用人ではない。


老人は門の内側で足を止め、俺たちを一人ずつ見た。


客を見る目ではない。


招かれた者か否か。通してよい者か否か。


その二つを、静かに分けている目だった。


「お待たせいたしました」


老人は頭を下げた。


「当家執事長を務めております、グレイアムと申します」


「レオン・ヴェルクです。冒険者ギルド総本部の指名依頼により、こちらへ伺いました」


レオンが紹介状を差し出す。


「こちらが総本部からの紹介状です」


グレイアムは、その封書に視線を落とした。


受け取らない。


ほんのわずかな間だった。


だが、その一瞬で、話が簡単には進まないことだけは分かった。


「恐れ入ります」


グレイアムは、礼を崩さずに言った。


「本日、そのようなお約束は承っておりません」


ルークの眉が動いた。


レオンは穏やかな声のまま続ける。


「侯爵閣下から、冒険者ギルドへの調査協力の意思が示されていると伺っています」


「その件につきましては、当主より申し付けられております」


「では」


「ですが、本日、皆様を屋敷内へお通しする約束は承っておりません」


言葉の端は、どこまでも整っていた。


そのせいで、余計に隙がない。


「侯爵閣下に確認を取っていただくことはできますか」


「侯爵閣下は不在でございます」


グレイアムはすぐに答えた。


「では、ご嫡男様は」


「ご嫡男様も、侯爵閣下に同行されております」


レオンの表情は変わらない。


だが、横顔だけで分かる。


かなり面倒な形になった。


当主はいない。


後継もいない。


門の前には、通さない理由を並べられる執事がいる。


「紹介状だけでも確認していただけますか」


セレスが言った。


声は静かだが、退く気のない声だった。


「総本部からの正式な書状です。受け取って確認すること自体は、侯爵家にとっても不利益ではないはずです」


グレイアムの目が、ほんの少しだけセレスへ向いた。


「恐れ入りますが、当家で確認の取れていない書状を、この場でお預かりすることはできません」


「確認するために、受け取るのではなく?」


「確認すべき者が不在でございますので」


「では、確認できる方が戻るまで、書状を預かることもできないと」


「左様でございます」


綺麗に閉じた。


セレスはそれ以上言わなかった。


ただ、ほんの少しだけ息を吐いた。


正面から押せる隙はない。


相手は拒絶しているのではなく、受け取らない形を選んでいる。


「日を改めてお越しください」


グレイアムは、最初と同じ姿勢で言った。


ここで引けば、門前払い。


粘れば、押し問答。


どちらにしても、こちらに良い絵面ではない。


「確認ですが」


レオンが言った。


「エルゼリオン侯爵家として、冒険者ギルドへの協力意思がなくなったわけではない、という理解でよろしいでしょうか」


「そのようなことはございません」


「では、こちらの訪問自体を拒まれているわけでもない」


「本日のお約束は承っておりません」


「日程の問題、ということですね」


「左様でございます」


何も間違っていない。


だからこそ、一歩も進まない。


これは剣より厄介かもしれない。


通りの向こうで、荷車の音がゆっくりになった。


御者がこちらを見る。


近くの屋敷の使用人らしき女が、買い物籠を抱えたまま足を止める。


通りがかった男が、少し離れた場所で振り返る。


「冒険者か?」


「侯爵家に?」


「何かあったのか」


小さな声が混ざり始めた。


大きな騒ぎではない。


けれど、足を止めた人間の数だけ、空気は重くなる。


ルークが舌打ちしかけて、ぎりぎりで飲み込んだ。


俺は、少しだけ息を吐く。


通りの視線が増えるほど、こちらは動きづらくなる。


侯爵家の門前で、冒険者が粘っている。


そう見えるだけで、十分まずい。


「では、次はいつ伺えばよろしいでしょうか」


レオンがなおも尋ねる。


グレイアムは答えようとした。


その時だった。


「まだいたのか」


門の奥から、若い声がした。


グレイアムが、声の方へ向き直る。


門の内側、庭へ続く石畳の上に、一人の少年が立っていた。


年は俺たちと同じくらいか、少し下。


仕立ての良い上着に、きつく結ばれた襟元。


まだ少年と呼べる年頃なのに、立ち方だけは屋敷の主みたいだった。


まっすぐこちらに向けられた視線には、客を見る気配がない。


「執事長。父上が不在の時に、出自も分からない冒険者を敷地内へ入れるつもりか」


空気が変わった。


門そのものにあったのは、敵意ではなかった。


形式と権威と、家の都合。


けれど、門の向こうから現れた少年の目だけは違った。


あれは、拒絶ではない。


敵意だった。


グレイアムは少年へ向き直り、深く頭を下げた。


「若様」


若様。


グレイアムがそう呼ぶなら、エルゼリオン侯爵家の子息なのだろう。


当主も後継も不在なら、今この屋敷で判断を下せる立場にいるのは彼なのかもしれない。


本来なら、出てきてもらえたこと自体は悪くない。


少なくとも、門前で同じ言葉を繰り返すよりは、話の通じる相手が増えたことになる。


ただし。


その相手が、話を聞く気があるなら、だ。


少年は俺たちを見る。


見る、というより、目の前に置かれた余計な荷物を確認しているようだった。


「総本部の名を出せば、侯爵家の門が開くと思ったのか」


ルークの口元が動いた。


俺は横目でそれを見る。


ルークも分かっているのか、拳を握っただけで黙っていた。


レオンが一歩前に出る。


「そのようなつもりはありません。正式な依頼として、必要な確認に伺いました」


「必要かどうかを決めるのは、こちらだ」


少年は即座に返した。


「父上は不在。兄上も不在。ならば、外部者を入れる理由はない」


「侯爵閣下の協力意思については、総本部を通じて確認しています」


「ならば、父上が戻ってから来ればいい」


正論の形をしていた。


だから、面倒だった。


「若様」


グレイアムが、静かに言った。


諫める声だった。


侯爵家の子息が門前の押し問答に加わること自体を、避けたがっているように見えた。


だが、少年は引かなかった。


「冒険者を屋敷へ入れる必要はない」


その言葉は、先ほどまでの形式とは明らかに違っていた。


通せない、ではなく。


入れる必要はない。


俺は、その違いを聞き流せなかった。


「若様だ」


「やはり何か揉めているのか」


「総本部の冒険者だと」


「侯爵様はご不在のはずだろう」


気づけば、通りの端に人が増えていた。


最初は数人だったはずだ。


それが今は、荷車の脇、屋敷の門影、向かいの塀際に散っている。


誰も近づいては来ない。


だが、誰も完全には通り過ぎない。


門番の表情が硬くなる。


グレイアムは、少年の少し後ろに控えたまま、もうこちらへ踏み出してはこなかった。


セレスが、こちらを見ずに言った。


「アレン」


それだけで十分だった。


門の向こうだけではない。


背後の視線が増えている。


侯爵家の門前。


総本部の紹介状。


冒険者四人。


若い貴族子息。


押し問答。


役者が揃いすぎている。


ここで粘れば、俺たちは侯爵家の門前で騒ぎを起こした冒険者になる。


正しいかどうかではない。


そう見える。


それだけで十分、負けだ。


「出直そう」


俺は言った。


ルークがこちらを見る。


「ここでか?」


「ここでだ」


「まだ何もしてねえぞ」


「だからだよ」


ルークは歯を食いしばった。


言いたいことは分かる。


俺だって、納得しているわけではない。


だが、ここは剣を抜く場所ではない。


声を荒げる場所でもない。


勝てる形がない場所で、長居する理由はなかった。


レオンが頷く。


「分かった」


セレスも静かに頷いた。


俺はグレイアムへ向き直る。


「日を改めます」


「恐れ入ります」


グレイアムは深く頭を下げた。


その礼は、最後まで崩れなかった。


俺たちは門に背を向けた。


背中に視線が刺さる。


門番。


足を止めた通りの人間。


そして、門の内側の少年。


エルゼリオン侯爵家の門は、最後まで開かなかった。



だから、俺たちは帰ってきた。


分かってはいた。


侯爵家の秘蔵文書を調べる依頼だ。簡単に済むわけがない。


古い家の事情とか、格式とか、そういう面倒は、たぶんある。


あるとは思っていた。


けれど。


「屋敷に入れない」は、さすがに手前すぎる。


俺は長く息を吐いた。


まったくもって頭が痛い。


俺たちはまだ、依頼に辿り着いてすらいない。


ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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