第53話 門前
来た。見た。帰った。
それだけなら観光みたいだが、実際には門前払いである。
総本部指名依頼。
赤い月および関連異常に関する継続調査協力。
その第一歩として、エルゼリオン侯爵家が所有する秘蔵文書を調査する。
言葉だけなら、いかにも大きな依頼が始まったように聞こえる。
実際、大きいのだろう。
グランドオーダーだの、総本部主導だの、複数の調査線だの、並んでいる単語はどれも立派だ。俺たち四人も、晴れてCランク冒険者。パーティとしてはBランク扱いである。
出世した。
たぶん。
ただし、出世したところで、貴族家の門は自動では開かない。
紹介状はある。
総本部の指名依頼であることも間違いない。
相手側に協力意思があることも、資料には書いてあった。
それでも、門は開かなかった。
正確には、話は聞かれた。
そのうえで、とても丁寧に追い返された。
戦って負けたわけではない。
ただ、通れなかった。
これが一番、面倒だった。
俺は、冷めかけた茶を前に、さっき見た門構えを思い出す。
高い石壁。
古い紋章。
磨かれた鉄柵。
その向こうに続く、整いすぎた庭。
貴族家で、秘蔵文書で、古い信仰で、総本部指名依頼。
その時点で、戦って勝てば終わり、という話ではない。
それでも。
門すらくぐれないところから始まるとは思っていなかった。
◇
話は、数刻前に戻る。
もっと正確に言えば、数日前から始まっていた。
総本部で依頼を受けた翌朝、俺たちは総本部が手配した馬車に乗せられた。
行き先は、エルゼリオン侯爵領。
道中で資料を確認し、宿を取り、また馬車に揺られる。
そうして、ようやく侯爵領の中心地へ入った。
エルゼリオン侯爵家の屋敷は、領都の奥、高台にあった。
近づくにつれて、通りの雰囲気が変わっていく。
商店の看板が減り、石畳の幅が広くなる。行き交う人の服も、どこか整って見えた。
古い家が並ぶ一帯だった。
どの屋敷も大きい。だが、派手ではない。金で飾ったような軽さではなく、長い時間をかけてそこに居座っている重さがある。
その一番奥に、エルゼリオン侯爵家の門があった。
高い石壁。
磨かれた鉄柵。
門柱には、翼のようにも、葉のようにも見える紋章が彫られている。その中央には、月を抱いた杯のような意匠。
神聖大陸由来かどうかは分からない。
ただ、見慣れた荒漠大陸の貴族家とは、少し違う匂いがした。
「……でけえな」
隣でルークが呟いた。
「感想が素直すぎる」
「でかいもんはでかいだろ」
その通りだった。
セレスは門を見上げたまま、ぽつりと言った。
「贅沢な門ね」
ルークが眉を寄せる。
「古いだけじゃねえの?」
「古いものを、古いまま残すのは贅沢よ」
「そういうもんか?」
「新しく作る方が、よっぽど簡単だもの」
セレスは、門柱に刻まれた紋章を見上げていた。
「でも、新しくしたら、この感じは消えるでしょう」
「この感じ?」
「長く続いてきた家だって、門だけで分からせる感じ」
ルークは、もう一度門を見た。
「……ああ。言われてみりゃ、なんか偉そうではあるな」
「言い方」
セレスが少しだけ目を細めた。
門の前には、二人の門番が立っていた。
鎧は簡素だが、姿勢がいい。飾りではない。こちらが近づいてからの視線の動きにも、余計な隙がなかった。
俺たちが門の前で足を止めると、門番の一人が半歩前に出た。
「ご用件を」
レオンが一歩前に出る。
「冒険者ギルド総本部より参りました。エルゼリオン侯爵家への紹介状を預かっています。お取り次ぎ願えますか」
声は柔らかい。
姿勢も丁寧だ。
こういう時、レオンは本当に向いている。
本人に言うと、たぶん向いているとは何がだろうか、と確認されるので言わないが。
門番は表情を変えず、もう一人へ視線を向けた。
短く頷き合う。
「お待ちください」
一人が門の内側へ消えた。
鉄柵の向こうには、整えられた庭が見える。
大きな木があり、低く刈り込まれた植え込みがあり、屋敷へ続く石畳が真っ直ぐ伸びている。
しばらくして、門の内側から一人の老人が現れた。
白髪をきっちり撫でつけ、黒い上着を隙なく着込んでいる。背筋は伸びていて、歩く速度は一定。
ただの使用人ではない。
老人は門の内側で足を止め、俺たちを一人ずつ見た。
客を見る目ではない。
招かれた者か否か。通してよい者か否か。
その二つを、静かに分けている目だった。
「お待たせいたしました」
老人は頭を下げた。
「当家執事長を務めております、グレイアムと申します」
「レオン・ヴェルクです。冒険者ギルド総本部の指名依頼により、こちらへ伺いました」
レオンが紹介状を差し出す。
「こちらが総本部からの紹介状です」
グレイアムは、その封書に視線を落とした。
受け取らない。
ほんのわずかな間だった。
だが、その一瞬で、話が簡単には進まないことだけは分かった。
「恐れ入ります」
グレイアムは、礼を崩さずに言った。
「本日、そのようなお約束は承っておりません」
ルークの眉が動いた。
レオンは穏やかな声のまま続ける。
「侯爵閣下から、冒険者ギルドへの調査協力の意思が示されていると伺っています」
「その件につきましては、当主より申し付けられております」
「では」
「ですが、本日、皆様を屋敷内へお通しする約束は承っておりません」
言葉の端は、どこまでも整っていた。
そのせいで、余計に隙がない。
「侯爵閣下に確認を取っていただくことはできますか」
「侯爵閣下は不在でございます」
グレイアムはすぐに答えた。
「では、ご嫡男様は」
「ご嫡男様も、侯爵閣下に同行されております」
レオンの表情は変わらない。
だが、横顔だけで分かる。
かなり面倒な形になった。
当主はいない。
後継もいない。
門の前には、通さない理由を並べられる執事がいる。
「紹介状だけでも確認していただけますか」
セレスが言った。
声は静かだが、退く気のない声だった。
「総本部からの正式な書状です。受け取って確認すること自体は、侯爵家にとっても不利益ではないはずです」
グレイアムの目が、ほんの少しだけセレスへ向いた。
「恐れ入りますが、当家で確認の取れていない書状を、この場でお預かりすることはできません」
「確認するために、受け取るのではなく?」
「確認すべき者が不在でございますので」
「では、確認できる方が戻るまで、書状を預かることもできないと」
「左様でございます」
綺麗に閉じた。
セレスはそれ以上言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ息を吐いた。
正面から押せる隙はない。
相手は拒絶しているのではなく、受け取らない形を選んでいる。
「日を改めてお越しください」
グレイアムは、最初と同じ姿勢で言った。
ここで引けば、門前払い。
粘れば、押し問答。
どちらにしても、こちらに良い絵面ではない。
「確認ですが」
レオンが言った。
「エルゼリオン侯爵家として、冒険者ギルドへの協力意思がなくなったわけではない、という理解でよろしいでしょうか」
「そのようなことはございません」
「では、こちらの訪問自体を拒まれているわけでもない」
「本日のお約束は承っておりません」
「日程の問題、ということですね」
「左様でございます」
何も間違っていない。
だからこそ、一歩も進まない。
これは剣より厄介かもしれない。
通りの向こうで、荷車の音がゆっくりになった。
御者がこちらを見る。
近くの屋敷の使用人らしき女が、買い物籠を抱えたまま足を止める。
通りがかった男が、少し離れた場所で振り返る。
「冒険者か?」
「侯爵家に?」
「何かあったのか」
小さな声が混ざり始めた。
大きな騒ぎではない。
けれど、足を止めた人間の数だけ、空気は重くなる。
ルークが舌打ちしかけて、ぎりぎりで飲み込んだ。
俺は、少しだけ息を吐く。
通りの視線が増えるほど、こちらは動きづらくなる。
侯爵家の門前で、冒険者が粘っている。
そう見えるだけで、十分まずい。
「では、次はいつ伺えばよろしいでしょうか」
レオンがなおも尋ねる。
グレイアムは答えようとした。
その時だった。
「まだいたのか」
門の奥から、若い声がした。
グレイアムが、声の方へ向き直る。
門の内側、庭へ続く石畳の上に、一人の少年が立っていた。
年は俺たちと同じくらいか、少し下。
仕立ての良い上着に、きつく結ばれた襟元。
まだ少年と呼べる年頃なのに、立ち方だけは屋敷の主みたいだった。
まっすぐこちらに向けられた視線には、客を見る気配がない。
「執事長。父上が不在の時に、出自も分からない冒険者を敷地内へ入れるつもりか」
空気が変わった。
門そのものにあったのは、敵意ではなかった。
形式と権威と、家の都合。
けれど、門の向こうから現れた少年の目だけは違った。
あれは、拒絶ではない。
敵意だった。
グレイアムは少年へ向き直り、深く頭を下げた。
「若様」
若様。
グレイアムがそう呼ぶなら、エルゼリオン侯爵家の子息なのだろう。
当主も後継も不在なら、今この屋敷で判断を下せる立場にいるのは彼なのかもしれない。
本来なら、出てきてもらえたこと自体は悪くない。
少なくとも、門前で同じ言葉を繰り返すよりは、話の通じる相手が増えたことになる。
ただし。
その相手が、話を聞く気があるなら、だ。
少年は俺たちを見る。
見る、というより、目の前に置かれた余計な荷物を確認しているようだった。
「総本部の名を出せば、侯爵家の門が開くと思ったのか」
ルークの口元が動いた。
俺は横目でそれを見る。
ルークも分かっているのか、拳を握っただけで黙っていた。
レオンが一歩前に出る。
「そのようなつもりはありません。正式な依頼として、必要な確認に伺いました」
「必要かどうかを決めるのは、こちらだ」
少年は即座に返した。
「父上は不在。兄上も不在。ならば、外部者を入れる理由はない」
「侯爵閣下の協力意思については、総本部を通じて確認しています」
「ならば、父上が戻ってから来ればいい」
正論の形をしていた。
だから、面倒だった。
「若様」
グレイアムが、静かに言った。
諫める声だった。
侯爵家の子息が門前の押し問答に加わること自体を、避けたがっているように見えた。
だが、少年は引かなかった。
「冒険者を屋敷へ入れる必要はない」
その言葉は、先ほどまでの形式とは明らかに違っていた。
通せない、ではなく。
入れる必要はない。
俺は、その違いを聞き流せなかった。
「若様だ」
「やはり何か揉めているのか」
「総本部の冒険者だと」
「侯爵様はご不在のはずだろう」
気づけば、通りの端に人が増えていた。
最初は数人だったはずだ。
それが今は、荷車の脇、屋敷の門影、向かいの塀際に散っている。
誰も近づいては来ない。
だが、誰も完全には通り過ぎない。
門番の表情が硬くなる。
グレイアムは、少年の少し後ろに控えたまま、もうこちらへ踏み出してはこなかった。
セレスが、こちらを見ずに言った。
「アレン」
それだけで十分だった。
門の向こうだけではない。
背後の視線が増えている。
侯爵家の門前。
総本部の紹介状。
冒険者四人。
若い貴族子息。
押し問答。
役者が揃いすぎている。
ここで粘れば、俺たちは侯爵家の門前で騒ぎを起こした冒険者になる。
正しいかどうかではない。
そう見える。
それだけで十分、負けだ。
「出直そう」
俺は言った。
ルークがこちらを見る。
「ここでか?」
「ここでだ」
「まだ何もしてねえぞ」
「だからだよ」
ルークは歯を食いしばった。
言いたいことは分かる。
俺だって、納得しているわけではない。
だが、ここは剣を抜く場所ではない。
声を荒げる場所でもない。
勝てる形がない場所で、長居する理由はなかった。
レオンが頷く。
「分かった」
セレスも静かに頷いた。
俺はグレイアムへ向き直る。
「日を改めます」
「恐れ入ります」
グレイアムは深く頭を下げた。
その礼は、最後まで崩れなかった。
俺たちは門に背を向けた。
背中に視線が刺さる。
門番。
足を止めた通りの人間。
そして、門の内側の少年。
エルゼリオン侯爵家の門は、最後まで開かなかった。
◇
だから、俺たちは帰ってきた。
分かってはいた。
侯爵家の秘蔵文書を調べる依頼だ。簡単に済むわけがない。
古い家の事情とか、格式とか、そういう面倒は、たぶんある。
あるとは思っていた。
けれど。
「屋敷に入れない」は、さすがに手前すぎる。
俺は長く息を吐いた。
まったくもって頭が痛い。
俺たちはまだ、依頼に辿り着いてすらいない。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




