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第49話 なべて世は事もなし

赤い月を報告した翌朝、俺たちは少しだけ身構えていた。


ギルドから追加の呼び出しがあるかもしれない。

同じ話を、もう一度させられるかもしれない。

自然大陸管理局の奥の部屋に通されて、偉そうな人間に囲まれるかもしれない。


そう思って、宿の食堂で朝から待った。


来なかった。


2日目も待った。


来なかった。


3日目には、ルークが言った。


「つまり、これは呼ばれないやつだな」


「まだ分からないよ」


レオンが答えた。


「でも、今日も来なかったら?」


「来なかったという事実が増える」


「それ、何も進んでねえな」


「事実は進んでいるね」


「進んでるのは日付だけだろ」


だいたい、そんな感じだった。


4日目からは、普通に依頼を受けた。


ただし、自然大陸には渡れなかった。


報告の翌朝から、自然大陸関連の依頼票は掲示板から消えていたからだ。


採取。

木道補修。

標識確認。

外縁部の魔獣痕跡調査。

第三入口周辺の巡回補助。


昨日まで当たり前に貼られていた紙がなくなると、ギルドの壁は妙に広く見えた。


中央に掛けられた札には、短くこう書かれていた。


自然大陸関連依頼、新規受付停止。

再掲示時期未定。


「早いな」


ルークが言った。


「早い方がいいよ」


レオンは掲示板を見たまま答えた。


「少なくとも、僕たちの報告が軽く流されなかったってことだからね」


「それ、喜んでいいやつか?」


「喜ぶには早いと思う」


「なんでだよ」


「止めた理由と、次に何をしてくるかは別だからね」


「つまり?」


「呼ばれるなら、そこからじゃないかな」


セレスは、空いた掲示板を見ていた。


「これだけ止めたなら、呼ばれるかもしれないわね」


「だろ?」


ルークが頷く。


「俺たち、多分大事なもの持って帰ったし」


「多分、じゃないと思うよ」


レオンが言った。


「大事かどうかを決めるのはギルドだけど、少なくとも無視できるものではなかった」


「お前の言い方、微妙に喜びにくいな」


「正確に言ったつもりなんだけどね」


結局、その日も呼び出しは来なかった。


だから俺たちは、港湾倉庫の護衛依頼を受けた。


自然大陸には行けない。


なら、荒漠大陸側で仕事をするだけだった。


宿代は消えない。

食費も消えない。

装備の手入れにも金はかかる。


赤い月を見たからといって、冒険者の1日が止まるわけではなかった。



それから、1か月が過ぎた。


自然大陸関連の依頼票は、戻らなかった。


最初の数日は、掲示板の前で文句が飛んだ。


「異常確認だろ。調査が終われば戻る」

「外縁部だけ止めればいいんじゃないのか」

「採取依頼まで剥がす必要あるのかよ」


1週間経つと、文句は減った。


2週間経つと、別の依頼に流れる冒険者が増えた。


3週間経つ頃には、自然大陸行きの管理便に乗れるのは、管理局の職員と、許可された確認隊だけになっていた。


4週間経っても、掲示板は空いたままだった。


その間、俺たちは仕事を続けた。


港の倉庫で夜を明かした。

街道沿いで魔獣の巣を潰した。

湾岸地区の荷下ろし護衛で、酔った船員をルークが投げた。

下水路の小型魔獣駆除は、ルークが最後まで嫌がった。


「臭い依頼は報酬を倍にすべきだ」


「危険度じゃなくて臭いで報酬は決まらないよ」


レオンがそう言って、結局その依頼も受けた。


ルークは帰ってから、宿の裏で長い時間、水を浴びていた。


「俺は今日、冒険者として大事なものを失った」


「臭い?」


セレスが聞く。


「尊厳」


「臭いね」


そういう日もあった。


俺たちは、別に困っていなかった。


Dランク冒険者として、受けられる依頼はいくらでもある。


自然大陸で1年やってきた俺たちにとって、荒漠大陸側の依頼が簡単というわけでもない。


油断すれば、どこでも死ぬ。


ただ、見るべきものが違った。


荒漠大陸側の依頼では、人の流れを見る。

荷の重さを見る。

依頼主の癖を見る。

逃げ道を見る。


自然大陸では、まず空気を見る。

魔素の濃さを見る。

足場を見る。

音を見る。

体に入ってくる力の量を、動く前に測る。


身体強化は、もう使える。


最初に自然大陸へ渡った時のように、出力に振り回されることはない。


ルークも、セレスも、俺も、あの濃い魔素の中で動く感覚を覚えた。


レオンは、攻撃魔法までその濃さを前提に撃てる。


もちろん、使えることと、雑に使っていいことは違う。


自然大陸で放つ魔法は、他の大陸で使うものより威力が増す。


力任せに使えば、敵より先に自分たちの足場を壊す。


だから、感じ取る。

絞る。

流す。

必要な分だけ使う。


この1年で、俺たちはそれを覚えた。


その場所へ戻れない。


それが、少しだけ妙だった。



1か月を過ぎた頃から、自然大陸管理局の周りだけが忙しくなった。


依頼票は戻らない。


それは同じだ。


ただ、管理局へ続く扉の開く回数が増えた。


封書を持った職員が走る。

木箱に入った計測器が運ばれる。

管理便の積荷が、採取用の空箱や補修材から、木枠で固定された測量器や記録機材へ変わっていく。

外套の汚れ方が違う冒険者が、管理局の受付へ通される。


冒険者へ掲示される仕事ではないものが、少しずつ増えていた。


けれど、俺たちには何も来なかった。


場所は、宿の食堂だった。


朝飯の皿には、硬いパンと豆の煮込みがある。


「管理局、ようやく答え合わせを始めたな」


俺が言うと、ルークが顔を上げた。


「答え合わせ?」


「確認隊が戻った。荷が増えた。見慣れない冒険者が出入りしてる。で、俺たちには何も来ない」


「それ、答え合ってんのか?」


「間違い探し中かもしれない」


「余計に嫌だな」


ルークが豆をすくう手を止めた。


レオンは少し笑ってから、掲示板の方へ目を向けた。


「でも、近いとは思うよ。確認だけなら、あそこまで測量器や記録機材は増えない」


「つまり、次に何を調べるか決まり始めた?」


俺が聞くと、レオンが頷いた。


「多分ね」


「じゃあ、俺たちに声がかかる可能性もあるわけだ」


「最初に見た場所へ戻るなら、理由はある」


「理由はある、か」


ルークが口を曲げた。


「呼ばれない可能性もある言い方だな」


「そこはあるだろ」


俺は豆の煮込みを見下ろした。


「俺たちが見たのは現象であって、答えじゃない」


「お前が急にまともなこと言うと怖いんだけど」


「失礼な」


「でも、そうね」


セレスが言った。


俺とルークが、そちらを見る。


セレスは匙を持ったまま、少しだけ眉を寄せていた。


「呼ばれるかどうかをこっちで決められないなら、今できることは決まってるでしょ」


「飯を食う?」


ルークが言う。


「違う」


セレスは即答した。


「港から離れすぎない依頼を選ぶ。装備を荒らさない。記録をなくさない。呼ばれた時に、すぐ動けるようにしておく」


「優等生だな」


「冒険者でしょ」


セレスは当然のように言った。


「呼ばれなかったら?」


「普通に仕事をする」


「すげえ正論」


「文句ある?」


「ないです」


ルークは豆を口へ運んだ。


俺は少し笑った。


「じゃあ、今は分かった顔で飯を食うか」


「それ、お前の得意技じゃねえか」


「技術は使うためにある」


「真顔で言うな」


セレスが俺の皿を見た。


「分かった顔をする前に、豆を残さない」


「俺は子供か」


「たまに」


ルークが吹き出した。


その日の昼前、俺たちは港内の荷物運搬補助を受けた。


荷を運ぶ。

確認をもらう。

報酬を受け取る。


それだけで終わる依頼も、冒険者の仕事だった。



翌朝、雨は上がっていた。


港の石畳には、湿った匂いが残っている。


宿の食堂で、ルークはパスタを食べていた。


「朝からそれか」


俺が言うと、ルークはフォークを掲げた。


「安い。多い。早い」


「栄養は?」


セレスが聞く。


「気合で補う」


「気合は新種の栄養じゃねえぞ」


俺が言うと、ルークは吹き出しそうになった。


その横でレオンは、テーブルに依頼票の写しを広げていた。


港内警備。

短時間護衛。

倉庫整理。

小型魔獣の巣の確認。


自然大陸関連はない。


「今日こそ、まともに依頼を受けるか」


ルークが言った。


「今日の候補は、このあたりだね」


レオンが言った。


「まず下水路は消せ」


ルークが即答した。


「まだ誰も下水路とは言ってない」


「小型魔獣の巣って書いてある時点で怪しい。だいたい下だ。暗い。狭い。臭い」


「最後だけ感情だろ」


俺が言う。


「経験に基づく正当な警戒だ」


「臭いかどうかで決めるの?」


セレスが聞いた。


「かなり大事だ」


「そこまで?」


俺は依頼票を1枚引き寄せた。


「じゃあ、こっちはどうだ。倉庫整理。近い。短い。たぶん臭くない」


「たぶんが怖い」


「倉庫にもいろいろあるからね」


レオンが真面目に言う。


「食料倉庫なら臭いは出る」


「レオン、お前まで臭い基準に乗るな」


「依頼の環境確認は大事だよ」


「言い方を整えれば何でも真面目になると思うなよ」


セレスが依頼票を覗き込んだ。


「港内警備が一番無難じゃない?」


「無難すぎる」


ルークが言った。


「何が不満なの」


「刺激がない」


「刺激がある依頼は面倒だって昨日言ってなかったか?」


俺が聞く。


「刺激と面倒は違う」


「どう違うんだよ」


「終わったあとに笑えるのが刺激。終わったあとに黙るのが面倒」


「あー、なんか分かるわ」


俺がそう言うと、ルークは勝ち誇った顔でパスタを巻いた。


「つまり今日は、笑える程度に刺激があって、臭くなくて、港から離れず、昼飯に間に合う依頼を探す」


「条件が多いなぁ」


レオンが言った。


「でも、不可能ではない」


「自分でハードルを上げてるわね」


セレスが呆れたように言う。


俺は依頼票を並べ替えた。


「では、第一回、昼飯に間に合う冒険者依頼選手権を始めます」


「審査基準は?」


ルークが乗った。


「距離、報酬、危険度、臭気」


「臭気を正式項目にするな」


「重要だろ」


「重要だけど」


レオンが依頼票を見ながら、少し考える。


「点数化するなら、臭気は減点方式の方がいいかもしれない」


「レオン?」


セレスの声が低くなった。


「冗談だよ」


「今の顔は本気だった」


ルークが笑いを堪えきれずに肩を震わせた。


俺も少し笑って、食堂の窓へ目を向けた。


港はいつも通り騒がしい。


荷馬車が走る。

船員が怒鳴る。

湾岸労働者が笑う。

冒険者が受付で文句を言い、宿の主人が皿を運ぶ。


本日も、なべて世は事もなし、か。


俺が次の依頼票を手に取った時だった。


「何をやっとるんだ、お前たちは」


聞き覚えのある声がした。


呆れと溜め息が、ちょうど半分ずつ混じった声だった。


ルークが顔を上げる。


次の瞬間、食べかけのパスタを喉に詰まらせた。


「っげ、ま、マルクス!?」


咳き込みながら、ルークが椅子を鳴らす。


俺も振り向いた。


宿の入口に、マルクスが立っていた。


久しぶりに見る顔だった。


けれど、纏っているものは記憶と違う。


教官用の外套ではない。


荒漠大陸ギルドの印が入った、現場用の外套だった。


雨上がりの水気が、裾に少しだけ残っている。


「久しぶりだな、お前たち」


マルクスは食堂へ入ってきた。


宿の主人が何か言いかけて、口を閉じる。

周囲の湾岸労働者たちも、ちらりとこちらを見る。


マルクスは、そういう視線を気にしなかった。


「ずいぶん景気のいい顔をしているな」


「どこがだよ」


ルークが水を飲みながら言う。


「パスタを喉に詰める程度には、気が抜けている」


「否定しづれえな」


ルークは気まずそうに皿を遠ざけた。


マルクスはテーブルの横で足を止めた。


その視線が、俺たち4人を順に見た。


「なんであんたがここに?」


俺は聞いた。


「ギルドの使いだ」


マルクスは短く答えた。


「教官が、ギルドの使い?」


セレスが首を傾げる。


「今はもう、お前たちの教官ではない」


マルクスは言った。


「お前たちは、既にDランク冒険者だ」


その言葉で、俺たちは少しだけ背筋を伸ばした。


レオンが、マルクスの外套を見て言った。


「現場復帰要請が出たんですね」


「そうだ」


マルクスはレオンを見る。


「勘は鈍っていないようだな」


「その外套で、ただの伝令とは考えにくいですから」


「なら、話は早い」


マルクスは懐から封書を出した。


油紙に包まれた、厚手の封書だった。


荒漠大陸ギルドの印。


その下に、自然大陸管理局の印が重ねられている。


「自然大陸管理局から正式な指名依頼だ」


胸の奥が、一度だけ跳ねた。


「総本部経由の案件だ」


マルクスは言った。


「受けるかどうかは、話を聞いてから決めろ」


それから、封書をテーブルに置いた。


「まずは管理局へ来い」


俺は封書を見た。


ようやく来た。


厄介だとも思った。

少しだけ、ほっとした気もした。


たぶん、そのどれも間違っていない。


「飯、食ってからじゃ駄目か?」


ルークが言った。


マルクスは答えた。


「駄目だ」


そこで、長かった普通の日々は終わった。

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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