表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/15

第4話 正解がない場所

翌日の放課後。


俺は訓練場にいた。


非常に不本意である。


昨日、マルクスに言われた。


明日から居残りだ、と。


理由は不要だ、と。


普通、理由はいる。少なくとも、言われた側にはいる。


だが、この学校においてマルクス・ヴァンハイトの「不要」は、だいたい本当に不要という意味ではない。


説明する気がない、という意味だ。


もっと悪い。


「来たか」


訓練場の端で、マルクスが腕を組んでいた。


いつも通りの顔だった。


不機嫌そうで、眠そうで、面倒くさそうで、ついでに人を帰す気はなさそうな顔。


最悪である。


「来ました」


「逃げなかったな」


「逃げたらどうなりました?」


「明日の居残りが増える」


「来てよかった」


「賢明だ」


褒められた気がしない。


訓練場には、俺とマルクスしかいなかった。


他の生徒はもう帰っている。


夕方の光が床に長く差し込んでいて、木剣の置かれた棚が影になっている。


この時間の訓練場は、昼間より広く見える。


広く見えるということは、逃げ場も多くあるということだ。


実際には、出口の前にマルクスが立っているので意味はないが。


「教官」


「何だ」


「理由を聞いても?」


「不要だ」


「昨日聞いたやつですね」


「覚えているなら聞くな」


「人間には納得というものがありまして」


「納得しなければ動けない人間は、冒険者に向いていない」


「厳しい」


「現実だ」


言っていることは正しい。正しいが、納得はしていない。


この人の嫌なところは、大体正しいところである。


マルクスは木剣の棚へ向かい、一本を手に取った。


「避けろ」


「何をですか」


マルクスは木剣を軽く振った。


「これだ」


「なるほど」


俺は頷いた。


「帰っていいですか?」


「駄目だ」


「ですよね」


分かっていた。

分かっていたが、聞くだけなら無料である。



マルクスの構えは、レオンと違って綺麗ではなかった。


いや、正確には綺麗ではないように見えた。


レオンの構えは、一目で整っているのが分かる。

腕、肩、腰、足。全部が一つの線になっている。

見ているだけで、ああこれは強いな、と分かる。


一方で、マルクスは違う。


木剣を片手で下げ、肩の力も抜けている。

足の位置も、教本に載っている構えとは少し違う。


隙だらけに見える。


なのに、踏み込める気がしなかった。


近づけば斬られる、というより。


近づいた瞬間に、何が起こるか想像もつかない得体の知れなさ。


そういう嫌な感じがある。


「構えろ」


「避けるだけじゃないんですか」


「構えず避けられるなら構えなくていい」


「構えます」


俺は木剣を握り直した。


こっちはちゃんと構える。構えないと不安だからだ。


「始めるぞ」


「合図は?」


「今した」


来た。


マルクスの木剣が、何の前触れもなく動いた。


速い。


というより、気付いた時にはそこにあった。


レオンの剣は速かった。踏み込みも剣筋も無駄がない。だからこそ速い。


だが、マルクスの剣は違う。


速さの理由が分からない。


動き出した瞬間を見たはずなのに、途中が抜け落ちている。


俺は反射的に身体をずらした。


木剣が肩の横を通り過ぎる。


風が重かった。


「避けたか」


マルクスが言う。


淡々と。驚いている様子はない。


「今の、当てる気でした?」


「当てる気で振らなければ訓練にならん」


「訓練って便利な言葉ですね」


「必要な言葉だ」


その言い回し、どこかで聞いたな。


「もう一本」


「もう一本って言い方、食後の串焼きみたいで嫌ですね」


「避けろ」


来た。


今度は横薙ぎ。


いや、違う。横薙ぎに見えただけだ。途中で軌道が沈む。


足。


そう思った瞬間には、木剣がまた上がっていた。


首。


違う。


肩。


そこだ。


身体が勝手に倒れる。


木剣が髪を掠めた。


地面に手をつく。


砂の感触が掌に残った。


「今のは汚い」


「実戦では普通だ」


「現実が嫌いになりそうだ」


「好き嫌いで生き残れるならそれでも構わんぞ」


やはりこの人、大体正しい。

だから嫌だ。


マルクスは木剣を下ろさない。


こちらの体勢が崩れているのに、待つ気がない。


続けてくる。そう分かった。


俺は地面に手をついたまま、横へ転がった。


直後、さっきまで頭があった場所を木剣が叩く。


乾いた音が響いた。


「ちょっと」


「何だ」


「今のはかなり頭を狙ってませんでした?」


「避けただろう」


「避けたからいい、ではないですよね」


「避けられなければ止めていた」


「信頼が重い」


「事実だ」


マルクスは当たり前のように言った。


その当たり前が怖い。



数分後。


俺は訓練場の床に座り込んでいた。


正確には、座り込んだというより、立っていることを身体が拒否した。


汗が背中を伝っている。肩で息をしている。喉の奥が乾いて、肺が少し熱い。

木剣を握る手にも力が入りにくい。


かなり情けない。


だが、今は情けなさより空気の方が欲しい。


マルクスはほとんど息を乱していなかった。


年齢を考えろ。


いや、俺より強いのは分かっていた。

分かっていたが、分かっていることと納得することは別である。


「どうだった」


マルクスが聞いた。


「最悪でした」


「感想は要らん」


「じゃあ聞かないでください」


「何が違った」


俺は呼吸を整えながら、少し考えた。


何が違ったか。レオンとマルクス。どちらも強い。

だが、まるで違う。


レオンは綺麗だった。

速くて、正確で、完成されていた。

一つ一つの動きに理屈があり、積み重ねがある。

だから怖い。


マルクスは違う。

理屈がないわけではない。むしろ、ありすぎるのだろう。

ただ、その理屈がこちらに見えない。


一撃目を避けたら、避けた先に二撃目がある。

二撃目を避けたと思ったら、体勢が崩れた場所に三撃目が来る。

剣を避けているはずなのに、いつの間にか場所を選ばされている。


「嫌な感じでした」


「具体性に欠ける」


「教官の剣は、避けた先が嫌です」


マルクスの目が少しだけ細くなった。


「続けろ」


「レオンの剣は、来たものを避けてる感じでした」


昨日の模擬戦を思い出す。もちろん、あれも十分おかしかった。


火球。抜刀。大上段。


思い出すだけで頬の傷が少し痛い。

痛みの順位で言うと、今は何番目だろう。いや、今はいい。


「でも教官の剣は、避けた後に嫌な場所へ行かされる感じがする」


俺は言葉を探した。正確に言えている気はしない。

だが、言わなければマルクスは多分追加で振ってくる。

それは避けたい。


「避けてるんじゃなくて、避けさせられてる、というか」


マルクスは黙っていた。


肯定も否定もしない。


この沈黙、非常に嫌である。


「それで?」


「それで?」


「お前は何を見て避けている」


またそれだ。


レオンにも聞かれた。見えているのか、と。


見えていない。本当に見えていない。


「分かりません」


「考えろ」


「考えて分からなかった場合は?」


「考えが足りん」


「無限に居残りが発生するやつだ」


「必要ならな」


この学校、必要という言葉を危険物指定した方がいい。


俺は息を吐き、頭の中を整理する。


何を見ているのか。


剣か。違う。剣を見ていたら間に合わない。


肩か。足か。腰か。それも違う気がする。


もちろん、見ていないわけではない。

ただ、それだけではない。


「見てるというより」


言いながら、自分でも嫌な感じがした。これはかなり曖昧だ。


「嫌な場所が分かる、みたいな感じです」


「嫌な場所?」


「今そこにいたらまずい、という場所」


「なぜ分かる」


「分からないから聞かれて困ってるんですが」


「困れ」


「教育方針が雑」


「雑ではない。必要だ」


やはり危険な言葉だ。


マルクスは木剣を肩に担いだ。


「もう一度だ」


「今の話、何か進みました?」


「進んだ」


「どこが?」


「お前が分かっていないことが分かった」


「俺も分かってましたよ、それ」


「では共有できたな」


「成果が低い」


「十分だ」


十分ではない。

少なくとも俺の疲労に対して、成果が見合っていない。



二回目は、さっきよりひどかった。


マルクスは剣の速度を上げていない。


たぶん。


だが、逃げ場が減った。


一撃ごとに、少しずつ足場がなくなる。

訓練場は広いはずなのに、なぜか狭い。


右へ避ける。そこに次がある。


後ろへ下がる。そこにはもう行き止まりの気配がある。


左へ抜ける。


遅い。


木剣が肩を叩いた。


痛い。


人生で何番目かは、今は考えない。


「止まるな」


マルクスの声。


止まってない。止まってないが、止まらされている。


そう言いたいが、言う暇がない。


木剣が来る。避ける。また来る。避ける。


違う。


これは良くない。


避ければ避けるほど、マルクスの都合のいい場所に寄せられていく。


俺は途中で、前へ出た。


自分でも驚いた。


普通は下がる。避けるなら下がる。


だが、そこは駄目だと思った。


後ろは安全に見えて、安全ではない。下がれば距離は取れる。

けれどその距離は、マルクスが欲しがっている距離だ。


右も駄目。左も遅い。


なら、前。


マルクスの懐。


そこが一瞬だけ空いていた。


安全ではない。むしろ、普通に考えれば一番危ない。


だが、今この瞬間だけは、そこが一番ましだと思った。


木剣が頭上を通る。

俺は半歩踏み込み、肩からぶつかるように距離を潰した。


マルクスの木剣が止まる。


喉元へ来るはずだった軌道が、俺の背後で空を切った。


俺はマルクスのすぐ近くで止まっていた。


近い。かなり近い。


そして、今さら気付く。


これ、避けるというより、ほぼ体当たりではないだろうか。


「……攻撃判定になります?」


「ならん」


「よかった」


「だが悪くない」


マルクスはそう言った。


珍しく。

本当に珍しく、評価のようなものを口にした。


「悪くない、ですか」


「逃げなかった」


「逃げたら詰む気がしたので」


「それが分かったなら十分だ」


また十分が出た。


しかし今度は、少しだけ意味があるように聞こえた。


「今のは何だったんですか」


「誘導だ」


「でしょうね」


「分かっていたのか」


「今なら」


「遅い」


「生徒に厳しすぎる」


マルクスは木剣を下ろした。


「レオンは、お前を仕留めるために選択肢を削った」


「はい」


「あいつのやり方は綺麗だ。相手に残る答えを一つに絞り、その答えの先に剣を置く」


昨日の火球を思い出す。


逃げ道を塞ぐ火球。その先に待っていた剣。

レオン・ヴェルクという人間の中心にある、最速の振り下ろし。


「だが実戦では、答えが残っているとは限らん」


マルクスは淡々と言った。


「正解がない場所へ追い込まれることもある」


その言葉は、訓練場の夕方の空気に妙に重く響いた。


「それを教えるための居残りですか」


「そうだ」


「最初からそう言ってくれれば」


「言えば分かったか」


「分かった顔はしました」


「駄目だな」


「ですよね」


俺もそう思う。


マルクスは棚へ木剣を戻した。


「冒険者は、正しい答えを選ぶ仕事ではない」


「違うんですか」


「違う」


マルクスは振り返らずに言った。


「正しくない答えしか残っていない時に、それでも死なない方を選ぶ仕事だ」


返す言葉がなかった。


それはたぶん、授業で聞くには重すぎる。


だが、冒険者になるなら避けて通れない言葉なのだろう。


少なくとも、マルクス・ヴァンハイトはそれを知っている。


知っているから、言葉ではなく木剣で教える。


実に迷惑な教育方針である。


「今日のところは終わりだ」


「本当ですか?」


「終わりと言った」


「たまに良いこと言いますね」


「明日もやる」


「今の取り消していいですか」


「駄目だ」


やはりろくなことにならない。



帰り支度をしていると、訓練場の入口に人影が見えた。


ルークだった。


壁にもたれ、腕を組んでいる。


いつからいたのか。全く気付かなかった。


「お前さ」


ルークは俺を見て言った。


「何?」


「居残り初日でその顔になる?」


「どんな顔だよ」


「人生32番目くらいに疲れてる顔」


「勝手に基準を使うな」


「有名になってたぞ」


「何が」


「痛み申告制度」


最悪だ。もう広まっている。


「誰から聞いた」


「セレス」


「本人かよ」


「あいつ、真面目な顔で言ってたぞ。アレンの痛みは32番目が基準らしい、って」


「やめてほしい」


「ちなみに俺は今のお前、27番目くらいだと思う」


「上がってるじゃねーか」


「見た目がひどいからな」


ルークは笑った。腹立たしい。


だが、いつもの顔だった。

そのいつもの顔に、少しだけ助かった気もした。


本当に少しだけだが。


「それで」


ルークが言う。


「明日も?」


「明日も」


「うわぁ」


「同情するなら代わってくれ」


「それは無理」


「友情が薄い」


「薄くはない。適正な厚さだ」


「便利な言葉だな」


「使いやすいだろ」


「否定しろよ」


ルークは肩を竦めた。


「できる限り前向きに検討する」


「それ、断る時のやつじゃねーか」


「ばれたか」


「薄いなぁ、友情」


「適正だって」


そう言って、ルークは笑った。


訓練場を出る。


夕方の風が、汗を冷やした。


肩が痛い。頬もまだ少し痛い。


人生何番目かは、今は申告しない。


申告すると、どこかからセレスが現れそうな気がする。


さすがにそれはないだろう。


そう思った。


そう思ったのだが。


校舎の角を曲がったところで、セレスが立っていた。


手には、昨日と同じ革袋。


目が合う。


セレスは少しだけ首を傾げた。


「何番目?」


俺は空を見上げた。


この学校には、どうやら逃げ場が少ない。

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ