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第3話 何番目?

「放課後、少し時間ある?」


そう言われた時点で、嫌な予感はしていた。


相手はセレスティア・アルト。


成績優秀。実技も上位。

隙が少なく、姿勢が良く、だいたいいつも静かに正しい。


そういう相手に放課後呼び止められる。


経験則として、ろくなことにならない。


「少しだけなら」


俺がそう答えると、セレスは小さく頷いた。


「じゃ、あとで」


短い。


行き先の説明はない。


もしかすると、マルクスより説明が少ないかもしれない。


そう思ったが、口には出さなかった。


賢明な判断である。



放課後、連れ出された場所は、校舎脇の水場だった。


訓練場から少し離れたところにある、古い石造りの水場。

実技の後に手を洗ったり、泥を落としたりするための場所だ。


放課後のそこには、誰もいなかった。


逃げるには少し開けすぎている。

話をするには少し静かすぎる。


実に絶妙な場所だった。


「座って」


セレスが水場の横にある低い石段を指した。


「立ったままでいい」


「座って」


二回目だった。


声は静かだ。

だが、聞き流せる雰囲気ではない。


俺は仕方なく腰を下ろした。


「取り調べ?」


「違うわよ」


「尋問?」


「してほしいの?」


これは良くない。

そこはかとなく、ただならない雰囲気が漂いはじめている。


セレスは腰の革袋から、白い布と小さな薬瓶を取り出した。

動きに迷いがない。普段から持ち歩いているのだろう。


「頬、見せてもらえるかしら」


「大したことない」


「それは私が決めるわ」


「俺の傷なんだけど」


「うん、だから?」


強い。


声を荒げているわけではない。表情もほとんど変わらない。

それなのに、妙に逆らいにくい。


俺が観念して顔を向けると、セレスは薬瓶の蓋を開け、布に薬を染み込ませた。


「少し、しみると思う」


「先に言うの優しいな」


「動かないで」


褒めたのに怒られた。理不尽だ。


布が頬に触れる。


しみた。


「痛かった?」


セレスは布を頬に当てたまま聞いた。


声はいつも通りだった。ただ、指先だけが少し硬い。


「人生32番目くらいには」


セレスは布を当てたまま、少しだけ目を細めた。


「……絶妙に測りかねるわね」


呆れたような声音だった。


けれど、布を持つ手は少しだけ柔らかくなっている。


「伝わらない?」


「伝わらないわ。31番目との差が分からないもの」


「そこを詰める?」


「詰めないと手当てできないでしょう」


「手当てってそんな精密な競技だったっけ?」


「今からそうする」


妙な制度が始まった。


「基準が分からないから、今から軽く叩いて比べてもいいかしら」


セレスは小首を傾げた。


なまじ見た目が整っているから、ひどいホラー感がある。


「手当て中に追加検証するの、やめない?」


「必要なら」


「必要じゃない」


「そう」


少し残念そうに聞こえた。気のせいだと思いたい。


セレスは布を水で少し湿らせ、もう一度だけ頬に当てた。


今度は、さっきほどはしみなかった。


「……加減できるなら最初からしてほしかったな」


「最初からしてるわよ?」


「じゃあ今の優しさは?」


「追加分かしら」


「追加されるんだ、優しさ」


セレスはそこで、少しだけ目を逸らした。


「痛いって言ったもの」


その一言は、思ったより小さかった。


俺は一瞬だけ黙る。


こういう時に軽口で返すのは簡単だ。

簡単なのだが、たまに簡単すぎて失敗する。


だから、少しだけ考えた。


「じゃあ、次から痛みは申告制か」


「そうね」


「制度化が早い」


「あなたが数字で言うから」


「俺のせい?」


「発言には責任が生まれるのよ」


言い切られた。


かなり自然に責任が移った気がする。


「痛み申告制度、運用開始か」


「名称は変えてちょうだい」


「そこは気にするんだ」


「共同設立者としてはね」


セレスは真面目な顔で言った。


真面目なのに、言っている内容はそこそこ変だ。


そういうところが、少しやりづらい。



頬の手当てが終わると、セレスの視線が肩先へ落ちた。


服が裂けていた。レオンの木剣が掠めた場所だ。


「そこも」


「いや、服だけだよ」


「それは私が決めるわ」


「さっきも聞いたな」


「もう一度言ったのよ」


「念押しが強い」


セレスは無言で新しい布を取り出し、こちらへ向けた。


俺は諦めて、裂けた服の端を少しずらす。


肩口に赤く擦れた跡があった。


切れてはいない。腫れてもいない。


ただ、明日になればそれなりに痛いだろうな、という色をしている。


セレスはそこをじっと見ていた。


じっと。本当にじっと。


「どうした?」


「観察。いいえ、考えてるのよ」


「何をさ?」


「32番目より上か下か」


「そこに繋がるのか」


「基準ができたもの」


「勝手にできたんだけどな」


「あなたが作ったんじゃない」


「俺のせいか」


「言うまでもないわね」


また俺のせいになった。


セレスは薬を含ませた布を肩口に当てた。


頬の時より少し近い。


薬の匂いに混じって、セレスの髪の香りがかすかにした。


近いな、と思った。


言ったら多分ろくなことにならない。

だから沈黙を守ることにした。

我ながら賢明な判断だと思う。


「痛い?」


「人生33番目くらいには」


セレスは一瞬だけ固まった。


「増えたの?」


「頬の32番があるからな」


「律儀なのね」


「褒めてる?」


「呆れてる」


「なるほど」


「でも」


セレスは布を当てたまま、少しだけ視線を落とした。


「言ったのは、えらいと思うわ」


えらい。


17歳にもなって、痛いと言っただけで褒められた。


不思議な気分である。


「子供扱いされてる?」


「してないわよ」


セレスは少しだけ笑いながら答えた。


「本当に?」


「少しだけ」


「してるじゃん」


「少しだけだから」


「量の問題じゃない」


セレスの口元が、もう少しだけ緩んだ。


「アレンは」


セレスが言いかけて、少し止まる。


「何?」


「痛いって言うの、下手ね」


「それは初めて言われたな」


「言われたことないの?」


「ないな。普通は痛いか痛くないかだけで評価される」


「雑ね」


「痛みの評価に厳しすぎない?」


「必要だから」


「また出た」


「便利だから使ってるわけじゃないわ」


「じゃあ何で?」


セレスは少しだけ考えた。それから、肩口の布を外す。


「立ち止まらずに済むから」


「それ、便利ってことじゃない?」


「違うと思う」


「急に自信なくなったな」


「少しだけ」


セレスは布を畳みながら、視線を落とした。


「でも、便利とは違う」


「どう違うんだ」


「便利は、楽をするために使う言葉でしょう」


「まあ」


「必要は、逃げないために使う言葉」


俺は返事をしかけて、やめた。


それは少しだけ、軽く流しにくかった。


セレスは何でもないような顔で、新しい布を畳んでいる。


今の言葉に深い意味があったのか。

それとも、ただ思ったことを言っただけなのか。


分からない。


分からないが。


聞き返すのは少し違う気がした。


「なるほど」


だからそう言った。


「分かったの?」


「少しも」


「そう」


「でも、分かった顔をするのは得意なんだ」


「ほんと、よくないと思うわ。そういうとこ」


「ですよね」


セレスは小さく息を吐いた。


呆れているようにも見えたし、少しだけ笑っているようにも見えた。



手当てはそれで終わりかと思った。


甘かった。


セレスは俺の腕を見て、足元を見て、最後にもう一度頬を見た。


「確認が多くない?」


「多くないわよ」


「多いよ」


「3箇所だけ」


「3箇所は多い」


「7箇所までは許容範囲」


「何の基準?」


「今決めた」


セレスは真面目な顔で薬瓶をしまう。


俺は少しだけ笑いそうになった。


この人、思っていたより変かもしれない。


いや、変というより、真面目さの向きが少し独特だ。


「怒ってるのかと思った」


俺が言うと、セレスの手が止まった。


ほんの一瞬。


「怒ってないわ」


「その間は?」


「必要な間」


「便利だな」


「便利じゃない」


セレスは俺を見た。


「必要なの」


またその言葉だった。


でも、今度は少し違って聞こえた。


理由を説明するためというより。説明しないために使っているような。


「怒ってないなら何なんだ?」


セレスはすぐには答えなかった。


水場の向こうで、夕方の風が揺れる。校舎の影が長く伸びていた。


「見ていたからね」


「何を?」


「模擬戦」


「だろうな」


「最後のところ、息が止まっていたわ」


「俺の?」


「私の」


思わずセレスを見る。


セレスはすぐに視線を逸らした。


「見てる側も大変だな」


「そうね」


「他人事みたいに言うな」


「あなたが言うの?」


言われてみればそうかもしれない。


「……俺、そんなに危なそうだった?」


「危なそうだった」


「でも勝負は止められてたし、マルクスもいたし」


「そうね」


「レオンも殺す気はなかった」


「そうね」


「なら」


「分かっていても、息は止まるでしょう」


セレスは静かにそう言った。


責める感じではなかった。ただ、そうだった、と言っているだけ。


だからこそ、少し困る。


こういう言い方をされると、茶化す場所がない。


「すみません」


「謝らなくていいわ」


「じゃあ何て言えばいい?」


「痛かったら痛いって言えばいいのよ」


結局そこだった。


「そこに戻るのか」


「戻るわね」


「根気強いな」


「必要だから」


「その言葉、もう強すぎる」


「なら別の言い方にしようかしら?」


「お」


セレスは少し考えた。真面目に考えている。


「……私が、診察しやすい」


「急に実務的になったな」


「実務は大事」


「確かに」


「痛みの度合いが分からないと、加減に迷うもの」


「なるほど」


「それに」


セレスは言いかけて、少しだけ言葉を止めた。


「それに?」


「……手当てする側にも、心の準備が必要なのよ」


「心の準備」


「あるでしょう」


「あるのか」


「あるわ」


その言い方が少しだけ真面目で、少しだけ可笑しかった。


「じゃあ、次からは手当てする側の心の準備のために痛みを申告する」


「そうして」


「正式理由、それでいいのか?」


「いいわ」


「もっと格好いい理由じゃなくて?」


「格好よさは要らない」


「セレスらしいな」


「そうかしら?」


「多分」


「便利ね、多分って」


「便利だろ」


「少しだけ」


セレスはそう言って、わずかに笑った。


少しだけ。


それでも、さっきよりは分かりやすかった。



手当てが終わる頃には、空が赤くなっていた。


セレスは使った布を丁寧に畳み、革袋へ戻す。

最初から最後まで、動作は落ち着いていた。


けれど、落ち着いているから何も感じていない、というわけではないのだろう。


たぶん。


セレスはそういう人間なのだと思う。


思ったことをそのまま外へ出すのではなく、いったん形を整える。

言葉にならないものは、行動になる。


心配なのか。怒りなのか。それとも、もっと別の何かなのか。


俺にはまだ分からない。


「アレン」


「ん?」


「今日のこと、覚えておいて」


「レオンに負けたこと?」


「違うわ」


「マルクスに居残りを命じられたこと?」


「それも違う」


「セレスに手当てしてもらったこと?」


セレスの手が少し止まった。


「……それは」


「それは?」


「覚えていてもいい」


少しだけ、耳が赤い。


たぶん。


いや、多分ではない。


赤い。


「じゃあ、特別枠で覚えておく」


セレスは一瞬だけこちらを見た。


「特別枠?」


「さっき痛みの順位ができたからな。記憶にも分類が必要かと」


「……そう」


セレスは革袋を閉じた。


何でもないような顔をしている。

何でもないような顔をするのが上手い。


「それで、覚えるのは?」


「痛いなら言うこと」


「そこに戻るんだな」


「戻るわ」


「他には?」


セレスは少し考えた。


「痛みを数字で言うなら、あとで表にして」


「やだよ」


「冗談よ」


「今の冗談だったの?」


「半分?」


「半分本気なのが怖いんだよ」


セレスは少しだけ笑った。今度は、はっきり分かった。


「痛いなら、ちゃんと言って」


「32番目でも?」


「32番目でも」


「33番目でも?」


「33番目でも」


「100番目なら?」


「それは我慢してもいいわ」


「急に雑」


「100番目なら、きっと平気だから」


「基準が独特だなぁ」


「あなたが作ったのよ」


また俺のせいになった。


でも、今度は少しだけ納得してしまった。


不本意である。



「帰るか」


俺が言うと、セレスは頷いた。


「うん」


二人で歩き出す。


校舎の影が長く伸びていた。訓練場の方からは、まだ木剣の音が聞こえる。


明日から居残り。

実習パーティは多分、あの四人。

レオンは俺を厄介だと言い、マルクスは理由もなく居残りを命じた。


そしてセレスは、痛みを順位で管理し始めた。


情報だけ並べると、かなりおかしい。


「セレス」


「何?」


「心配してくれたんだな」


言ってから、少しだけ変な感じがした。


こういうことを正面から言うのは慣れない。


セレスは一瞬だけ足を止めた。


「……そういうことにしておいて」


認めたようで、認めていない言い方だった。


「分かった」


だから、俺も同じように頷いた。


「そういうことにしておく」


「うん」


また歩き出す。


夕方の風が中庭を抜けていく。


頬の傷が少し痛んだ。


痛い。ちゃんと痛い。


今度は、それを言うべきか少しだけ迷った。


言えば多分、セレスはまた立ち止まる。言わなければ、そのまま帰れる。


実に悩ましい。


俺は隣を歩くセレスを見た。


セレスは前を向いている。こちらを見ていない。


見ていないのに、なぜか見られている気がした。


「……痛い」


小さく言った。


セレスが足を止める。


やっぱり止まった。


「何番目?」


「そこ聞く?」


「基準が必要だから」


「さっきからその基準、俺に不利じゃない?」


「痛いと言ったのはあなたよ」


「罠だったか」


「診察よ」


「診察って罠と同義だったっけ」


セレスは少しだけ考えた。


「必要なら」


「必要じゃない」


そう言うと、セレスはほんの少しだけ笑った。


本当に、少しだけ。


うまく誤魔化したつもりだった。


なのに、気づけばこっちが痛みの順位を申告する流れになっている。


やはり。


俺の嫌な予感は、外れた試しがない。

ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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