第3話 何番目?
「放課後、少し時間ある?」
そう言われた時点で、嫌な予感はしていた。
相手はセレスティア・アルト。
成績優秀。実技も上位。
隙が少なく、姿勢が良く、だいたいいつも静かに正しい。
そういう相手に放課後呼び止められる。
経験則として、ろくなことにならない。
「少しだけなら」
俺がそう答えると、セレスは小さく頷いた。
「じゃ、あとで」
短い。
行き先の説明はない。
もしかすると、マルクスより説明が少ないかもしれない。
そう思ったが、口には出さなかった。
賢明な判断である。
◇
放課後、連れ出された場所は、校舎脇の水場だった。
訓練場から少し離れたところにある、古い石造りの水場。
実技の後に手を洗ったり、泥を落としたりするための場所だ。
放課後のそこには、誰もいなかった。
逃げるには少し開けすぎている。
話をするには少し静かすぎる。
実に絶妙な場所だった。
「座って」
セレスが水場の横にある低い石段を指した。
「立ったままでいい」
「座って」
二回目だった。
声は静かだ。
だが、聞き流せる雰囲気ではない。
俺は仕方なく腰を下ろした。
「取り調べ?」
「違うわよ」
「尋問?」
「してほしいの?」
これは良くない。
そこはかとなく、ただならない雰囲気が漂いはじめている。
セレスは腰の革袋から、白い布と小さな薬瓶を取り出した。
動きに迷いがない。普段から持ち歩いているのだろう。
「頬、見せてもらえるかしら」
「大したことない」
「それは私が決めるわ」
「俺の傷なんだけど」
「うん、だから?」
強い。
声を荒げているわけではない。表情もほとんど変わらない。
それなのに、妙に逆らいにくい。
俺が観念して顔を向けると、セレスは薬瓶の蓋を開け、布に薬を染み込ませた。
「少し、しみると思う」
「先に言うの優しいな」
「動かないで」
褒めたのに怒られた。理不尽だ。
布が頬に触れる。
しみた。
「痛かった?」
セレスは布を頬に当てたまま聞いた。
声はいつも通りだった。ただ、指先だけが少し硬い。
「人生32番目くらいには」
セレスは布を当てたまま、少しだけ目を細めた。
「……絶妙に測りかねるわね」
呆れたような声音だった。
けれど、布を持つ手は少しだけ柔らかくなっている。
「伝わらない?」
「伝わらないわ。31番目との差が分からないもの」
「そこを詰める?」
「詰めないと手当てできないでしょう」
「手当てってそんな精密な競技だったっけ?」
「今からそうする」
妙な制度が始まった。
「基準が分からないから、今から軽く叩いて比べてもいいかしら」
セレスは小首を傾げた。
なまじ見た目が整っているから、ひどいホラー感がある。
「手当て中に追加検証するの、やめない?」
「必要なら」
「必要じゃない」
「そう」
少し残念そうに聞こえた。気のせいだと思いたい。
セレスは布を水で少し湿らせ、もう一度だけ頬に当てた。
今度は、さっきほどはしみなかった。
「……加減できるなら最初からしてほしかったな」
「最初からしてるわよ?」
「じゃあ今の優しさは?」
「追加分かしら」
「追加されるんだ、優しさ」
セレスはそこで、少しだけ目を逸らした。
「痛いって言ったもの」
その一言は、思ったより小さかった。
俺は一瞬だけ黙る。
こういう時に軽口で返すのは簡単だ。
簡単なのだが、たまに簡単すぎて失敗する。
だから、少しだけ考えた。
「じゃあ、次から痛みは申告制か」
「そうね」
「制度化が早い」
「あなたが数字で言うから」
「俺のせい?」
「発言には責任が生まれるのよ」
言い切られた。
かなり自然に責任が移った気がする。
「痛み申告制度、運用開始か」
「名称は変えてちょうだい」
「そこは気にするんだ」
「共同設立者としてはね」
セレスは真面目な顔で言った。
真面目なのに、言っている内容はそこそこ変だ。
そういうところが、少しやりづらい。
◇
頬の手当てが終わると、セレスの視線が肩先へ落ちた。
服が裂けていた。レオンの木剣が掠めた場所だ。
「そこも」
「いや、服だけだよ」
「それは私が決めるわ」
「さっきも聞いたな」
「もう一度言ったのよ」
「念押しが強い」
セレスは無言で新しい布を取り出し、こちらへ向けた。
俺は諦めて、裂けた服の端を少しずらす。
肩口に赤く擦れた跡があった。
切れてはいない。腫れてもいない。
ただ、明日になればそれなりに痛いだろうな、という色をしている。
セレスはそこをじっと見ていた。
じっと。本当にじっと。
「どうした?」
「観察。いいえ、考えてるのよ」
「何をさ?」
「32番目より上か下か」
「そこに繋がるのか」
「基準ができたもの」
「勝手にできたんだけどな」
「あなたが作ったんじゃない」
「俺のせいか」
「言うまでもないわね」
また俺のせいになった。
セレスは薬を含ませた布を肩口に当てた。
頬の時より少し近い。
薬の匂いに混じって、セレスの髪の香りがかすかにした。
近いな、と思った。
言ったら多分ろくなことにならない。
だから沈黙を守ることにした。
我ながら賢明な判断だと思う。
「痛い?」
「人生33番目くらいには」
セレスは一瞬だけ固まった。
「増えたの?」
「頬の32番があるからな」
「律儀なのね」
「褒めてる?」
「呆れてる」
「なるほど」
「でも」
セレスは布を当てたまま、少しだけ視線を落とした。
「言ったのは、えらいと思うわ」
えらい。
17歳にもなって、痛いと言っただけで褒められた。
不思議な気分である。
「子供扱いされてる?」
「してないわよ」
セレスは少しだけ笑いながら答えた。
「本当に?」
「少しだけ」
「してるじゃん」
「少しだけだから」
「量の問題じゃない」
セレスの口元が、もう少しだけ緩んだ。
「アレンは」
セレスが言いかけて、少し止まる。
「何?」
「痛いって言うの、下手ね」
「それは初めて言われたな」
「言われたことないの?」
「ないな。普通は痛いか痛くないかだけで評価される」
「雑ね」
「痛みの評価に厳しすぎない?」
「必要だから」
「また出た」
「便利だから使ってるわけじゃないわ」
「じゃあ何で?」
セレスは少しだけ考えた。それから、肩口の布を外す。
「立ち止まらずに済むから」
「それ、便利ってことじゃない?」
「違うと思う」
「急に自信なくなったな」
「少しだけ」
セレスは布を畳みながら、視線を落とした。
「でも、便利とは違う」
「どう違うんだ」
「便利は、楽をするために使う言葉でしょう」
「まあ」
「必要は、逃げないために使う言葉」
俺は返事をしかけて、やめた。
それは少しだけ、軽く流しにくかった。
セレスは何でもないような顔で、新しい布を畳んでいる。
今の言葉に深い意味があったのか。
それとも、ただ思ったことを言っただけなのか。
分からない。
分からないが。
聞き返すのは少し違う気がした。
「なるほど」
だからそう言った。
「分かったの?」
「少しも」
「そう」
「でも、分かった顔をするのは得意なんだ」
「ほんと、よくないと思うわ。そういうとこ」
「ですよね」
セレスは小さく息を吐いた。
呆れているようにも見えたし、少しだけ笑っているようにも見えた。
◇
手当てはそれで終わりかと思った。
甘かった。
セレスは俺の腕を見て、足元を見て、最後にもう一度頬を見た。
「確認が多くない?」
「多くないわよ」
「多いよ」
「3箇所だけ」
「3箇所は多い」
「7箇所までは許容範囲」
「何の基準?」
「今決めた」
セレスは真面目な顔で薬瓶をしまう。
俺は少しだけ笑いそうになった。
この人、思っていたより変かもしれない。
いや、変というより、真面目さの向きが少し独特だ。
「怒ってるのかと思った」
俺が言うと、セレスの手が止まった。
ほんの一瞬。
「怒ってないわ」
「その間は?」
「必要な間」
「便利だな」
「便利じゃない」
セレスは俺を見た。
「必要なの」
またその言葉だった。
でも、今度は少し違って聞こえた。
理由を説明するためというより。説明しないために使っているような。
「怒ってないなら何なんだ?」
セレスはすぐには答えなかった。
水場の向こうで、夕方の風が揺れる。校舎の影が長く伸びていた。
「見ていたからね」
「何を?」
「模擬戦」
「だろうな」
「最後のところ、息が止まっていたわ」
「俺の?」
「私の」
思わずセレスを見る。
セレスはすぐに視線を逸らした。
「見てる側も大変だな」
「そうね」
「他人事みたいに言うな」
「あなたが言うの?」
言われてみればそうかもしれない。
「……俺、そんなに危なそうだった?」
「危なそうだった」
「でも勝負は止められてたし、マルクスもいたし」
「そうね」
「レオンも殺す気はなかった」
「そうね」
「なら」
「分かっていても、息は止まるでしょう」
セレスは静かにそう言った。
責める感じではなかった。ただ、そうだった、と言っているだけ。
だからこそ、少し困る。
こういう言い方をされると、茶化す場所がない。
「すみません」
「謝らなくていいわ」
「じゃあ何て言えばいい?」
「痛かったら痛いって言えばいいのよ」
結局そこだった。
「そこに戻るのか」
「戻るわね」
「根気強いな」
「必要だから」
「その言葉、もう強すぎる」
「なら別の言い方にしようかしら?」
「お」
セレスは少し考えた。真面目に考えている。
「……私が、診察しやすい」
「急に実務的になったな」
「実務は大事」
「確かに」
「痛みの度合いが分からないと、加減に迷うもの」
「なるほど」
「それに」
セレスは言いかけて、少しだけ言葉を止めた。
「それに?」
「……手当てする側にも、心の準備が必要なのよ」
「心の準備」
「あるでしょう」
「あるのか」
「あるわ」
その言い方が少しだけ真面目で、少しだけ可笑しかった。
「じゃあ、次からは手当てする側の心の準備のために痛みを申告する」
「そうして」
「正式理由、それでいいのか?」
「いいわ」
「もっと格好いい理由じゃなくて?」
「格好よさは要らない」
「セレスらしいな」
「そうかしら?」
「多分」
「便利ね、多分って」
「便利だろ」
「少しだけ」
セレスはそう言って、わずかに笑った。
少しだけ。
それでも、さっきよりは分かりやすかった。
◇
手当てが終わる頃には、空が赤くなっていた。
セレスは使った布を丁寧に畳み、革袋へ戻す。
最初から最後まで、動作は落ち着いていた。
けれど、落ち着いているから何も感じていない、というわけではないのだろう。
たぶん。
セレスはそういう人間なのだと思う。
思ったことをそのまま外へ出すのではなく、いったん形を整える。
言葉にならないものは、行動になる。
心配なのか。怒りなのか。それとも、もっと別の何かなのか。
俺にはまだ分からない。
「アレン」
「ん?」
「今日のこと、覚えておいて」
「レオンに負けたこと?」
「違うわ」
「マルクスに居残りを命じられたこと?」
「それも違う」
「セレスに手当てしてもらったこと?」
セレスの手が少し止まった。
「……それは」
「それは?」
「覚えていてもいい」
少しだけ、耳が赤い。
たぶん。
いや、多分ではない。
赤い。
「じゃあ、特別枠で覚えておく」
セレスは一瞬だけこちらを見た。
「特別枠?」
「さっき痛みの順位ができたからな。記憶にも分類が必要かと」
「……そう」
セレスは革袋を閉じた。
何でもないような顔をしている。
何でもないような顔をするのが上手い。
「それで、覚えるのは?」
「痛いなら言うこと」
「そこに戻るんだな」
「戻るわ」
「他には?」
セレスは少し考えた。
「痛みを数字で言うなら、あとで表にして」
「やだよ」
「冗談よ」
「今の冗談だったの?」
「半分?」
「半分本気なのが怖いんだよ」
セレスは少しだけ笑った。今度は、はっきり分かった。
「痛いなら、ちゃんと言って」
「32番目でも?」
「32番目でも」
「33番目でも?」
「33番目でも」
「100番目なら?」
「それは我慢してもいいわ」
「急に雑」
「100番目なら、きっと平気だから」
「基準が独特だなぁ」
「あなたが作ったのよ」
また俺のせいになった。
でも、今度は少しだけ納得してしまった。
不本意である。
◇
「帰るか」
俺が言うと、セレスは頷いた。
「うん」
二人で歩き出す。
校舎の影が長く伸びていた。訓練場の方からは、まだ木剣の音が聞こえる。
明日から居残り。
実習パーティは多分、あの四人。
レオンは俺を厄介だと言い、マルクスは理由もなく居残りを命じた。
そしてセレスは、痛みを順位で管理し始めた。
情報だけ並べると、かなりおかしい。
「セレス」
「何?」
「心配してくれたんだな」
言ってから、少しだけ変な感じがした。
こういうことを正面から言うのは慣れない。
セレスは一瞬だけ足を止めた。
「……そういうことにしておいて」
認めたようで、認めていない言い方だった。
「分かった」
だから、俺も同じように頷いた。
「そういうことにしておく」
「うん」
また歩き出す。
夕方の風が中庭を抜けていく。
頬の傷が少し痛んだ。
痛い。ちゃんと痛い。
今度は、それを言うべきか少しだけ迷った。
言えば多分、セレスはまた立ち止まる。言わなければ、そのまま帰れる。
実に悩ましい。
俺は隣を歩くセレスを見た。
セレスは前を向いている。こちらを見ていない。
見ていないのに、なぜか見られている気がした。
「……痛い」
小さく言った。
セレスが足を止める。
やっぱり止まった。
「何番目?」
「そこ聞く?」
「基準が必要だから」
「さっきからその基準、俺に不利じゃない?」
「痛いと言ったのはあなたよ」
「罠だったか」
「診察よ」
「診察って罠と同義だったっけ」
セレスは少しだけ考えた。
「必要なら」
「必要じゃない」
そう言うと、セレスはほんの少しだけ笑った。
本当に、少しだけ。
うまく誤魔化したつもりだった。
なのに、気づけばこっちが痛みの順位を申告する流れになっている。
やはり。
俺の嫌な予感は、外れた試しがない。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




