第2話 理解できない
訓練場の中央に立つ。
向かいにはレオン・ヴェルク。
学年首席。剣術首席。座学首席。
顔が良く、性格も良く、教師からの評価も高い。
ついでに女子からの視線も高い。
世の中には不公平という言葉があるが、多分こいつのために作られた。
「よろしく」
レオンが木剣を構える。
綺麗だった。
ただ構えているだけなのに、無理がない。
腕にも、肩にも、足にも、余計な力が入っていない。
構えというより、そこに立っているだけで既に剣になっている。
こういう奴を、天才と言うのだろう。
「よろしく」
俺も木剣を構えた。
こっちはちゃんと構える。構えないと不安だからだ。
「始め」
マルクスの声が響いた。
次の瞬間、レオンが踏み込む。
速い。
速い、とかそういうレベルではない。全く無駄がない。
踏み込みから振り下ろしまで、全部が一つの流れになっている。
剣だけを見て反応していたら、絶対に間に合わない。
木剣が真っ直ぐ振り下ろされた。
俺は横に動く。
風が頬を掠めた。
一撃目を躱したと思った瞬間には、もう二撃目が来ていた。さらに三撃目。
右。左。下。
レオンの剣は、こちらに息をつかせる気がない。それなのに乱れていない。
速いのに、急いでいない。そこが一番厄介だった。
だが、辛うじて躱せている。
見えているわけではない。見えていたら苦労はしない。
ただ、来る方向だけが何となく分かる気がする。
今ここにいたらまずい。そっちに動けばまだ間に合う。
そんな曖昧な感覚に、身体を預けているだけだ。
「おおっ!?」
ルークの声が聞こえた。
「今のを躱すのかよ!」
訓練場がざわつく。
俺もざわついてる。主に内心が。
レオンが一歩下がった。
表情は穏やかなままだ。
けれど、目だけは少し違っていた。
「見えているのかい?」
「何が」
「僕の剣だ」
「見えてない」
「そうか」
そうか、じゃない。
本当に見えていない。見えていたら、今ごろもう少し格好良く構えている。
レオンは疑うでもなく冷静に、ただ考えるように俺を見ていた。
その視線が、妙に落ち着かない。
やめてほしい。俺を見ても何も出ない。ほんとだぞ?
次の瞬間、レオンの足元に淡い光が灯った。
身体強化。
冒険者なら誰もが学ぶ基礎魔法だ。
体内に巡る力を整え、筋力と反応速度を引き上げる。
言葉にすれば簡単だが、扱いは難しい。
強めすぎれば身体がついてこない。弱すぎれば意味がない。
ほんの少し配分を誤るだけで、踏み込みも剣筋も崩れる。
だが、レオンにそういう不安定さはなかった。
光が灯った直後、レオンが地面を蹴る。
先ほどより速い。速いのに、粗くない。
木剣が肩口を狙って滑り込んでくる。
俺は反射的に半歩ずれた。
木剣が服を掠め、布が裂ける音がした。
あと少し。本当にあと少しだった。
「なるほど」
レオンが呟く。
何がなるほどなのか、俺にも教えてほしい。
再び踏み込む。今度は風が巻いた。
身体強化だけではない。風属性の補助を重ねている。
足元を押す風。
身体の軸を支える風。
剣の振り抜きを邪魔しないように流れる風。
見習いレベルの魔法ではない。
風がレオンの動きを押しているのに、剣の邪魔をしていない。
それくらいは分かる。
分かるが、やられる側としてはたまったものではない。
レオンが迫る。
今度こそ、見えない。なのに、身体は動いた。
右。違う。左。違う。後ろ。そこだ。
足を引いた瞬間、レオンの剣が目の前を通り過ぎる。
風圧で前髪が揺れた。
当たっていたら、普通に終わっていた。いや、普通じゃなくても終わっていた。
観客のざわめきが大きくなる。
けれど、そちらを見る余裕はない。
今の俺にできることは、レオンから目を離さないことだけだ。
◇
一方のレオンは、困惑していた。
剣筋は乱れていない。
速度も落ちていない。
身体強化にも、風の補助にも、失敗はない。むしろ調子は良い。
だからこそ分からなかった。
アレンが見てから反応しているなら、説明はつく。
反応速度が異常に高いのだと判断すればいい。
だが、そうではない。
彼の動きは、見てからでは間に合わない場所から始まっている。
剣が走る前に、既に身体が逃げ始めている。
かといって、先読みというには曖昧すぎる。
型を読んでいるわけでもない。剣筋を解析しているわけでもない。
まして、レオンの癖を知っているはずもない。
それなのに。
結果だけを見れば、正解を選び続けている。
理解できなかった。
そして、理解できないという事実が、レオンの中で静かに熱を持ち始めていた。
◇
「面白いね」
レオンが言った。
笑っていた。いつもの穏やかな笑みではない。相手を気遣うための笑みでもない。
知らないものを前にした人間の顔だった。
「俺は全然面白くない」
「そうかい?」
「そうだよ」
「それは残念だ」
残念そうには見えなかった。
口にするなら少しは残念そうな演技でもしてほしいものだ。
レオンは木剣を下ろした。
助かった、とは思わなかった。むしろ逆だ。
空気が変わった。
攻撃が終わったのではない。次に来るものの形が変わる。
そう感じた。
レオンは右手の木剣を腰の鞘に戻す。
ざわめきが起こった。
剣を納めた。つまり、剣では来ない。そう判断するしかなかった。
レオンは静かに歩き出す。
一歩。また一歩。剣を納めたまま、間合いを詰めてくる。
格闘術か。
剣士が剣を納めて距離を詰める。普通ならあり得ない。
だが、レオンならあり得てしまう。
素手でも強い。そう思わせるだけの説得力が、あの男にはある。
これだから天才は困る。
剣士と格闘家では、見る場所が違う。
剣士なら剣先と肩を見る。格闘家なら腰と足を見る。
間合いも違う。危険な距離も違う。
同じ人間を相手にしているのに、別の強敵と連戦させられているようなものだ。
意識が切り替わる。切り替えざるを得ない。
その瞬間。
レオンの左手に、火が灯った。
最初は小さな火だった。それが瞬く間に丸く膨らみ、掌ほどの火球になる。
魔法……!
直前まで格闘術だと思っていた。
剣を納め、間合いを詰めてきたからだ。
なのに違う。
判断が遅れる。ほんの一瞬、僅かな間隙。
しかし、その一瞬が致命的だった。
攻撃魔法は生活魔法とはまるで違う。
火を点ける、風を送る、水を出す。そういう日常の延長ではない。
対象を傷つけるために組み上げる魔法だ。
魔法の発動には集中が要る。
体内の力を巡らせ、術式を組み、形を与え、狙いを定める。
その一つ一つに意識を割かなければならない。
戦闘中に攻撃魔法を扱うだけでも簡単ではない。
まして、さっきまで剣を振っていた人間が、木剣を納めた直後に何事もなかったかのように術式を組み上げて良いものではない。
そんなことは分かっている。分かっているからこそ、余計に遅れる。
あり得ない。
そう思う間にも、火球は形を成していた。
火球が放たれる。速い。
横へ飛ぼうとした瞬間、もう一つの火球が生まれた。ほとんど同時に見えるほどの速さだった。
「二発!?」「同時だと!?」「違う! 連発だ!」「見えなかったぞ!」
訓練場が揺れる。
通常、ファイヤーボールは単発で撃つ。連発はできる。
できるが、簡単ではない。
しかも今の二発目は、間隔が異常だった。同時に見えるほど速い発動。
それだけで、魔法の扱いも相当な腕だと分かる。
もっとも、そんなことを悠長に考えている暇など俺にはなかった。
火球が左右の逃げ道を塞ぐ。
右じゃない。左でもない。
なら、どこだ。
視界の端で火球が膨らむ。
熱が肌を刺す。
足元の砂が乾いた音を立てる。
正面中央。そこしかない。
気付けば踏み込んでいた。
熱風が頬を焼く。火球と火球の間を、身体を細くするようにして滑り込む。
通れるかどうかなど考えなかった。
考えていたら間に合わなかった。
視界が白く染まる。
その先に、レオンがいた。
違う。
魔法で仕留めに来たんじゃない。
火球の向こう側で、レオンの右手が鞘へ伸びている。
その瞬間に理解した。
レオンは剣を捨ててなどいなかった。
格闘も、魔法も、火球も、すべてが剣へ至るための布石だった。
抜いた。
そう認識した時には、すでに剣は頭上にあった。
納刀状態から抜き放ち、そのまま大上段へ。
普通なら無駄が多すぎる動きだ。
抜く、上げる、振り下ろす。三つの動作が必要になる。
だが、レオンの動きには切れ目がなかった。
鞘から抜かれた剣が、その勢いのまま弧を描き、頭上へ走る。
体幹がぶれない。踏み込みが沈まない。肩が開かない。
恵まれた身体。積み上げた鍛錬。
それを当然のように一つの動きへ変える才能。
火球を抜けた先に待っていたのは、魔法ではなかった。
剣だった。
レオン・ヴェルクという人間の中心にある、研ぎ澄まされた最速の振り下ろしだった。
まずい。
そう思った時には、もう剣が眼の前に迫っていた。
身体を捻る。
剣風が頬を掠める。皮膚が薄く裂けた感覚があった。
避けた。
いや、避けられた。
本当に紙一重、あと少しでも遅れていたら終わっていた。
火球も。その先の一撃も。全部やり過ごした。
そう思った。
だからほんの一瞬だけ、息を吐いた。
その瞬間だった。
目の前に木剣があった。
「そこまで」
マルクスの声が響く。
訓練場から音が消えた。
俺は目の前の木剣を見る。
喉元。
ぴたりと止まっている。
「あー……」
思わず空を見上げる。
「負けた」
◇
一方のレオンも、すぐには動かなかった。
木剣を下ろしたまま、アレンを見ている。
困惑していた。
剣を納め、近接の間合いへ踏み込む。まずそこで、相手の意識を乱す。
剣で来るのか、素手で来るのか。その判断を迫る。
次に左手に火球を作り、意識をさらに魔法へ引き寄せる。
そして二発の火球で左右の回避を制限し、逃げ道を中央へ絞る。
最後に、納刀状態から抜き放ち、大上段から最速で振り下ろす。
単純なようでいて、それはレオンが何年も研ぎ澄ませてきた戦術だった。
火球を避ける者はいる。剣を防ぐ者もいる。
魔法に意識を向けながら、剣の気配を警戒できる者もいる。
だが、剣、格闘、魔法、そして再び剣へと意識を揺さぶられながら、その全てを初見で処理し切れた者はいなかった。
だからこその切り札だった。
相手に残る正解は一つ。
しかしその正解に辿り着いたとしても終わりではない。
火球の軌道、自分との距離、抜刀の起点、踏み込みの角度、振り下ろしの間合い。
その全てを一瞬で見抜き、針の穴に糸を通すような精度で身体を滑り込ませなければならない。
理論上は可能だ。
だが、それを実現した者はいなかった。
それを、アレンはやって見せた。
偶然だとは思えない。
だが、実力だと言い切るには理解が追いつかない。
どうやって避けたのかではない。
避けられるはずのない状況で、何故その答えに辿り着けたのか。
それが分からなかった。
「すまない」
やがて、レオンが言った。
「何が」
「僕は知らずに驕っていたようだ」
聞こうじゃないか。
「君を正しく評価していなかった。だから、すまない」
静かな声だった。言い訳ではなく、ただ事実を認めている声だ。
そしてレオンは、真っ直ぐこちらを見た。
「君は僕が思っていたより、ずっと厄介だった」
どう応じればいいのか、一瞬言葉に詰まる。
評価されているらしいことは分かった。
分かったが。
「謝罪の流れで言う台詞じゃなくない?」
「そうかい?」
「そうだよ」
レオンは少し考えた。
「では訂正しよう」
変な確信があった。
きっとロクなことは言わない。
「君は思っていたより、ずっと厄介だった」
「訂正になってねーよ」
誰も笑わなかった。
レオンは冗談を言っているわけではない。
その場にいた全員が、それを理解していた。
学年首席。誰もが認める天才。
そのレオンが、敗者に向かって厄介だったと言ったのだ。
侮辱ではない。むしろ逆だ。だからこそ重い。
ルークですら何も言わない。ただ黙って俺を見ていた。
やめてほしい。本当に。
◇
セレスは小さく息を吐いた。
周囲が見ていたのは、アレンの動きだった。
レオンの評価だった。
今の模擬戦が何を意味するのかだった。
けれど、セレスが見ていたのはそこではなかった。
アレンの頬の傷。
肩先の裂けた服。
呼吸の乱れ。
火球の熱で肌を焼かれていないか。足を痛めていないか。
そんなことばかりが気になっていた。
あの人はいつもそうだ。
自分がどれほど危ない橋を渡ったのか、多分、分かっていない。
いや。
分かっていても、きっと同じ顔をする。
そういう人なのだと、セレスは知っている。
◇
「アレン」
マルクスが呼ぶ。
「はい」
「明日から居残りだ」
「なんで?」
「理由は不要だ」
「必要だと思うんだけど」
「私は不要だと言った」
「横暴だなぁ」
マルクスの口元がわずかに歪んだ気がした。
が、眉間にはこの上ないシワが寄せられていた。
マルクス・ヴァンハイトは見ていた。
レオンが仕掛けたものの意味も。
アレンがそれを凌いだことの異常さも。
そして、本人だけがその価値を理解していないことも。
だからこそ、理由など説明する必要はなかった。
少なくとも、今は。
解散の声が掛かる。
ようやく終わった。そう思った時だった。
「アレン」
声がした。
振り返る。
セレスだった。
「ん?」
「放課後、少し時間ある?」
……嫌な予感しかしない。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




