第47話 分類不能
1か月が過ぎても、結論は出なかった。
第三入口右脇道の先。
最初の4人が持ち帰った報告は、冒険者ギルド総本部の手で何度も確認された。
自然大陸へ向かう管理便は、荒漠大陸を出て数日かけて海を渡る。
自然大陸側に停泊できる時間は長くない。
戻るにも、また数日かかる。
それでも総本部は、確認隊を3組送った。
自然大陸外縁部の経験者。
測量と記録に長けた者。
魔素濃度やダンジョン内環境の異常を見てきた者。
急ぎ集められる限りの実務者を組み込んだ確認隊だった。
3組はそれぞれ第三入口の右脇道を進み、地図上の終端を越え、光の先へ出た。
そして、全員が戻ってきた。
持ち帰った結論は、ひとつだった。
未知の異常。
灰色がかった土。
薄く濁った結晶片。
生き物の気配が薄すぎる森。
知らない大気。
七大陸のどこにも照合できない、昼の空の薄赤い月。
記録には揺れがあった。
通路を抜けるまでの歩数が合わない。
出口の前後で方位感覚が狂う。
森の奥へ進むほど、音の距離がずれる。
だが、核は変わらなかった。
第三入口の右脇道の先に、七大陸のどこにも分類できない場所がある。
その事実だけが、1か月かけて積み上がった。
◇
冒険者ギルド総本部の奥にある会議室。
長机には、最初の報告書と3組分の確認記録、採取物、写し図、航路記録、軽微報告の抜粋が積まれていた。
その端に、科学大陸から届いた警鐘の控えが混じっている。
グランドマスターは、最後の確認報告を閉じた。
「異常の有無を確かめる時間は終わったな」
記録管理官は古い索引帳を開いている。
現場統括官は第三入口周辺の写し図に赤い札を置いている。
連絡官の前には、まだ送られていない通達文が伏せられている。
第三入口の右脇道の先に、地図にも分類にも収まらない場所がある。
それはもう、確定している。
問題は、その先だった。
記録に残すにも、現場を止めるにも、他大陸へ照会するにも、総本部はまず、それを何として扱うのかを決めなければならない。
これを何と呼ぶのか。
グランドマスターは、最初の報告書に視線を戻した。
報告者4人の名前が並んでいる。
高ランクでも、名の知られた踏破者でもない。
だが、報告には必要なものが揃っていた。
場所。
目印。
採取物。
見たもの。
撤退した理由。
その名で通った報告ではない。
中身で、確認隊を動かした報告だった。
「始まりは、あの4人だったな」
グランドマスターが言った。
現場統括官が写し図から顔を上げる。
「あの報告がなければ、第三入口は今も低危険度のままでした」
「深入りせずに戻ったのも大きい」
記録管理官が続ける。
「最初の報告が残ったから、確認隊を送れました。異常の輪郭を掴む起点になった」
グランドマスターは、報告書の端を指で押さえた。
「あの若者ども、厄介なものを持ち込みおって」
言葉は軽く吐かれた。
だが、その矛先は4人に向いてはいない。
机の上に積まれた報告書へ向いていた。
正しい報告は、組織に逃げ道を残さない。
「分類は」
現場統括官が言った。
「まだ定まりません」
記録管理官が、4つの報告書を横に並べる。
「未踏区域、地図異常、未知鉱物、生態異常、天体異常。どれにも触れています」
記録管理官の指が、分類欄の上で止まる。
「ですが、どれか1つに入れた瞬間、危険の中心を見誤ります」
「中心?」
「鉱物が問題なのか。森が問題なのか。通路が問題なのか。月が問題なのか。それとも、あの場所そのものが問題なのか」
現場統括官が、赤い札を第三入口右脇道の先に置いた。
「危険度を上げるだけでは足りない、ということか」
「危険度は、同じ世界の中で測るためのものです」
記録管理官は静かに言った。
「魔獣が強い。地形が悪い。救助が難しい。魔素が濃い。そうした条件なら数字を上げられる」
彼は、赤い札を見た。
「ですが、ここはまず、どこなのかが分からない」
紙の上には、第三入口がある。
右脇道がある。
30歩地点がある。
その先に、赤い線が続いている。
ただの追記に見える。
だが、その先が自然大陸なのか。
ダンジョン内部なのか。
七大陸のどこかに繋がっているのか。
七大陸のどこでもないのか。
そこが分からない。
「既存のダンジョン異常とは違います」
記録管理官が言った。
「閉じた空間の変質なら、まだ分類できます。ですが今回は、空まで向こう側のものです」
現場統括官が赤い札を見る。
「領域ではなく、場所そのものに繋がった可能性か」
グランドマスターは答えなかった。
「確認隊は、3組とも帰還しています」
現場統括官が言った。
「戻れることは確認された」
「今は、だ」
グランドマスターの一言で、現場統括官の手が止まった。
「今日戻れる道が、明日も戻れるとは限らん。地図にない通路は、そういうものだ」
ギルドにとって、救助は重い言葉だった。
危険度の高い依頼でも、救助の前提はある。
地図がある。
方角がある。
距離がある。
時間がある。
戻るための道がある。
だが、そこは救助の前提になるものが、少しずつ欠けている。
「別枠だな」
グランドマスターが言った。
「危険度を上に足す話ではない。横に置く話だ」
「既存の危険度では測れない区域」
現場統括官が呟く。
「そうなる」
グランドマスターは、赤い札を指で押した。
「第三入口だけの話で済むなら、まだ扱いようはある」
連絡官が顔を上げる。
「済まない可能性を見ていますか」
「済むと言い切れる材料がない」
そこで、会議室の隅に置かれていた箱から、紙束が運ばれてきた。
自然大陸全域。
過去20年分の軽微報告。
整理はまだ終わっていない。
それでも、記録管理官はすでにいくつかの紙に赤い印を入れていた。
空の違和感。
方位の乱れ。
距離感のずれ。
匂いの差異。
森の音の薄さ。
当時は、魔素酔い、器具不良、疲労、感覚過敏として処理されたものばかりだ。
記録管理官は、赤い印のついた紙束から読み上げる。
「森の奥で、空の色が薄く見えた。処理は魔素酔い」
次の紙。
「方位針が一時的に乱れた。器具不良」
次。
「木道を進んだ距離と、戻った時の感覚が合わなかった。疲労による錯覚」
次。
「森の匂いが薄い。乾いた土の匂いがした。環境不慣れによる感覚過敏」
グランドマスターは、最後の紙を受け取った。
5年前。
低ランク冒険者の帰還報告。
魔獣遭遇なし。
採取失敗。
備考欄に、1行だけ記されている。
森の匂いが薄い。
乾いた土の匂いがした。
処理は、環境不慣れによる感覚過敏。
当時の判断としては、間違っていない。
その1枚だけなら、誰でもそう処理する。
自然大陸では、冒険者の感覚が乱れることがある。
匂いが薄い。
空が低い。
距離が合わない。
森の音が遠い。
そんな証言だけで依頼は止められない。
危険度は変えられない。
航路も止められない。
だが、赤い月の報告が出た後では、同じ紙が違う意味を持つ。
「洗わせた意味はあったな」
グランドマスターが言った。
「第三入口周辺だけなら、ただの局所異常で済んだ。だが、外縁部にも、離れた地点にも、似た証言が残っている」
記録管理官が頷く。
「まだ全体の整理は終わっていません。ですが、空、方位、距離、匂い、音に関する軽微報告は、自然大陸全域から拾えています」
「続けろ」
グランドマスターは言った。
「第三入口に寄せて読むな。先に答えを決めれば、また見落とす」
「了解しました」
未熟な報告は扱いづらい。
見間違いが混じる。
恐怖で膨らむ。
言葉が足りない。
因果が繋がらない。
それでも、消されずに残った言葉は、後から意味を持つことがある。
今回もそうだった。
ばらばらに処理されていた違和感が、最初の4人の報告を中心に並び直している。
地図外通路。
光の先。
知らない森。
昼の空に浮かぶ赤い月。
その報告があったから、確認隊を送れた。
その報告があったから、過去の軽微報告を読み直せた。
だから、1か月後の今がある。
連絡官が、別の封書を机に置いた。
封蝋には、科学大陸の観測局印が押されている。
「科学大陸からの警鐘です」
連絡官が読み上げる。
「自然大陸周辺航路における方位誤差の増加。星図照合値の微細なずれ。大陸収束運動の観測値の揺らぎ。古地図との照合不能箇所の増加」
現場統括官が腕を組む。
「どれも、最初は観測誤差として扱ってきたものだ」
「少なくとも、それだけで依頼や航路を止める材料にはなりませんでした」
記録管理官が答える。
「航路上の魔素干渉。測器の個体差。天候。自然大陸周辺特有の磁場乱れ。理由はそれぞれ立ちます」
グランドマスターの視線が、封書の上で止まった。
「それぞれ、か」
方位のずれ。
星図との誤差。
大陸収束運動の揺らぎ。
古地図との不一致。
ひとつずつなら、現場を止めるほどの材料にはならない。
だが、誤差は積み上がっていた。
日々の計測の中で、航路の補正は増え、古地図とのずれも広がっていた。
そこへ、大地震が起きた。
だから前回、ギルドは緊急特別依頼を発動した。
あれは、知っている現象が、知っている規模を超えた時の判断だった。
グランドマスターは、封書を机に置いた。
「だが、今回は違う」
机の上には、第三入口の写し図がある。
灰色の土がある。
薄く濁った結晶片がある。
昼の空に浮かぶ、赤い月の記録がある。
「知らないものが、見つかってしまった」
会議室から、紙をめくる音が消えた。
科学大陸の警鐘。
自然大陸で拾い上げられなかった軽微報告。
第三入口の地図外通路。
知らない大気。
昼の空の赤い月。
1本ずつは細い。
だが、束ねると切れなくなる。
グランドマスターは、赤い札を指で押さえた。
「分類は保留。記録上は、分類不能」
連絡官の筆が動く。
「前回の発令は解除しない」
現場統括官が顔を上げた。
「その上に重ねる」
記録管理官が、わずかに手を止める。
「前例は」
「ない」
グランドマスターは即答した。
「だから記録しておけ。前代未聞だ」
前代未聞。
その言葉が記された瞬間、会議室の筆音が変わった。
分類はできない。
それでも、止める場所はある。
知らせる相手はいる。
守るべき現場がある。
名前のつかないものを前に、ギルドは立ち止まらなかった。
立ち止まれなかった。
連絡官の筆が速くなる。
現場統括官が部屋を出る。
記録管理官が過去帳の束を抱える。
若い職員が封書をまとめ、通信室へ走る。
結論が出たから動くのではない。
結論が出ないまま動くしかないと、全員が理解したのだ。
グランドマスターは、報告書の最後にもう一度目を落とした。
昼の空に、薄赤い月。
七大陸のどこにもない月。
「これは、自然大陸だけの問題ではない」
返事の代わりに、扉が開いた。
荒漠大陸から、七大陸すべてへ向けて、同じ問いが放たれることになった。
お前たちは、この月を知っているか。
その夜、冒険者ギルド総本部の灯りは消えなかった。
荒漠大陸の港で積荷が組み替えられ、通信室では各大陸へ向けた封書が次々と封じられる。
自然大陸管理所には、第三入口周辺だけでなく、外縁部全域の再点検命令が飛んだ。
大地震のあと、世界は一度、大きく揺れた。
あの時に揺れたのは、大地だった。
そして今。
赤い月の報告は、七大陸が世界であるという前提を揺らし始めた。
自然大陸という名前は、この夜から別の意味を持った。
未開の大陸ではない。
豊かすぎる自然を抱えた大陸でもない。
どこか分からない場所へ、世界が繋がってしまった大陸として。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




