第42話 持ち帰ったもの
右の脇道を離れて、分岐へ向かう。
ルークが一度だけ振り返った。
「……惜しかったな」
「だな」
俺も答えた。
「あと十歩くらい行けば、何か分かったかもしれないだろ」
「たぶんな」
「戻るって言ったのお前だけどな」
「だから腹立つんだよ」
ルークが少し笑った。
「自分で言っておいて?」
「ああ。自分で決めたから余計に腹立つ」
あの奥には、魔灯ではない光があった。
草の匂いがして、風が吹いて、木の影のようなものが揺れていた。
見たいか見たくないかで言えば、見たい。
そんなもの、決まっている。
ただ、今ここで踏み込むのは違った。
それだけだ。
「縄、短いままでいいか?」
ルークが荷縄を確かめながら聞く。
「ああ。分岐まではそのまま」
「はいよ」
レオンは地図を畳まず、片手に持っている。
セレスは記録板に短く書き足していた。
外光らしきもの。
風。
匂い。
未進入。
「未進入?」
俺が聞くと、セレスは記録板から目を離さずに答えた。
「観測と推測は分けるわ」
「外じゃなくて?」
「外光らしきもの。今はそこまでね」
「了解」
通路を引き返す。
魔獣の死骸を越える。
行きに右だった壁は、今は左にある。
魔灯の光は、そちらへ流れていた。
「帰りもこっちかよ」
ルークが魔灯を軽く振る。
光は変わらない。
「同じ壁側ね」
セレスが言った。
「持ち方じゃねえな」
「ええ」
「魔灯の機嫌が悪いだけなら楽だったのにな」
俺が言うと、ルークが顔をしかめた。
「俺の道具を勝手に気分屋にするな」
「世界がおかしいよりはいいだろ」
「まあ、そこは否定しづらい」
分岐まで戻る。
左の主路は、入ってきた時と変わらず暗かった。
右の脇道だけが、地図の中で少し浮いて見える。
もちろん、地図は何も変わっていない。
変わったのは、俺たちが見たものの方だ。
「歩数は?」
俺が聞くと、セレスが記録板を見た。
「合ってる。分岐までは記録通り」
「じゃあ、おかしいのは奥だけか」
レオンが地図に目を落とす。
「少なくとも、ここまではね」
「全部おかしい方が分かりやすいんだけどな」
ルークがぼやいた。
「分かりやすい異常なんて、あんまりないだろ」
「たまにはあってもいいだろ」
俺たちは主路へ戻った。
右壁の削り跡。
緩やかな下り坂。
湿った壁。
音のしない水気。
行きで見たものが、順に戻ってくる。
ここから先は、記録通りだった。
「魔素計は?」
俺が聞く。
レオンが腰の計器を確認した。
「下がってきてる。揺れも小さい」
「脇道を出たからか」
「その可能性は高い。入口でも見るよ」
「了解」
入口の石段が見えた。
外の光が差している。
さっき奥で見た光とは違う。
同じように白いのに、こちらはちゃんと知っている光だった。
石段を上がり、ダンジョンの外へ出る。
湿った空気が切れ、自然大陸の匂いが戻ってきた。
濃い草木の匂い。
湿った土。
遠くで鳴く鳥の声。
ルークが魔灯を点け直す。
淡い光は、今度は普通に前へ広がった。
「壊れてねえな」
「残念だな」
「ほんとにな。道具のせいにできたら楽だった」
レオンも魔素計を見た。
「こっちも通常範囲だね」
「じゃあ、やっぱ中か」
「少なくとも、外では普通ね」
セレスも魔灯を見て、短く頷いた。
「道具のせいにできなくなったな」
ルークが魔灯を腰に戻す。
「残念がるところじゃねえんだけどな」
自然大陸に、冒険者ギルドはない。
街もない。
受付もない。
依頼報告を出す窓口もない。
正式に報告するなら、荒漠大陸まで戻るしかない。
「なあ」
自然大陸を離れる道中で、ルークが言った。
「今から荒漠まで戻るんだよな」
「戻るな」
「ギルドで報告するんだよな」
「するな」
「で、また来るには確認とか手続きとかあるんだよな」
「あるだろうな」
「腹立つな」
「だろ」
ルークは少し黙ってから、肩をすくめた。
「冒険者が帰ってこない理由、ちょっと分かるわ」
「もう少しだけ、ってやつか」
「ああ。せめて正体だけ、ってなる」
「なるな」
「なるのに戻るんだから、偉いな俺たち」
「自分で言うな」
「誰も言ってくれねえだろ」
「報酬が出たら言ってやる」
「金で褒めるな」
「生活は大事だろ」
「それはそう」
◇
荒漠大陸へ戻った頃には、自然大陸の匂いは服に薄く残るだけになっていた。
冒険者ギルドの建物へ入る。
中はいつも通り騒がしい。
依頼帰りの冒険者。
掲示板の前で揉めている連中。
受付で報告しているパーティ。
奥のテーブルで地図を広げている職員。
いつも通りだ。
俺たちが持ち帰ったものだけが、いつも通りではなかった。
受付の職員が顔を上げる。
「お帰りなさい。依頼報告ですね」
「ああ。異常報告もある」
職員の目が、依頼票から俺たちへ移った。
「では、通常完了ではなく中断報告として確認します。依頼票をお預かりします」
俺は依頼票を出した。
受付の奥にいた別の職員が立ち上がる。
左腕に古い傷があり、椅子を引く動きに無駄がない。
たぶん、元冒険者だ。
「こちらで確認します」
職員は受付横のカウンターを示した。
「地図と記録板もお願いします」
俺たちはカウンターへ移動した。
レオンが地図を広げる。
セレスが記録板を置く。
ルークが魔灯をカウンターの端に置いた。
職員は依頼票の日付と番号を確認し、地図を横に並べた。
「自然大陸南西外縁部、管理済み低層ダンジョン第3入口の確認依頼。中断理由を順に確認します」
レオンが頷いた。
「第三入口から予定通り入場。最初の分岐までは前回記録と一致しています」
「分岐までは一致」
職員が短く記録する。
「分岐右側、地図上では30歩で行き止まりの脇道から異音を確認。確認のため進入しました。魔灯の光が片側へ偏る異常あり。小型魔獣一体と接触。前回記録には該当なし」
「魔獣は?」
「討伐した。ただし、死骸は置いてきた」
俺が答える。
職員は記録用紙に書き込んだ。
「死骸未回収。理由は?」
「あの場で回収するより、戻る方が先だと思った。魔灯と魔素計がおかしかったし、奥が地図と違っていた」
「分かりました。異常確認を優先」
職員は次に魔灯を見た。
「魔灯は?」
「外に出たら普通に点いた」
ルークが机の端の魔灯を指で叩いた。
「中では片側に寄ってた。行きは右、帰りは左。通路で見れば同じ壁側だ」
職員の視線が記録板へ移る。
セレスが記録板を差し出した。
「照射の偏りは記録しています」
「確認します」
職員は記録板に目を通し、頷いた。
「同じ壁側。道具の故障だけでは説明しにくいですね」
「だろ?」
ルークが少し得意げに言う。
「いや、お前の道具が壊れてないってだけだぞ」
「それが大事なんだろ」
「まあな」
職員の口元が少しだけ動いた。
「30歩地点について確認します」
レオンが地図の一点を指した。
「ここです。前回記録では行き止まりになっていますが、壁はありませんでした。通路は続いていました」
「分岐を取り違えた可能性は?」
「低いと思う。削り跡、歩数、坂の角度は一致しています」
「断定は?」
「できないね」
レオンはすぐに答えた。
職員は頷く。
「可能性は低い。断定不可。その扱いにします」
セレスが続ける。
「30歩地点からさらに20歩ほど進んだところで、空気が変わりました。草と土に似た匂い。風。それから、魔灯ではない白い光を確認しています」
「風」
職員の筆が止まった。
「はい」
「場所はダンジョン内ですね」
「ええ。私たちがいた場所では、そう感じました」
「出口を確認しましたか」
「してない」
俺が答えた。
「踏み込む前に戻った」
職員が俺を見る。
「戻った理由は?」
「俺たちだけで確認する場所じゃないと思った」
「理由は?」
「地図にない通路。記録にない魔獣。魔道具の異常。魔素計の異常。その先に外みたいな光。面白そうだから進むには、材料が悪すぎる」
ルークが小さく笑った。
「こいつが面白そうで止まったんだ。相当だぞ」
「うるさい」
「褒めてる」
「信用ならない」
職員は記録用紙に目を落とした。
「第3入口の通常確認は中断。ただし、異常情報の持ち帰りあり」
「未達扱いか?」
ルークが聞いた。
「単純な未達にはしませんよ。確認依頼で、管理記録と異なる情報を持ち帰っています。充分価値はありますからね」
「お」
「ただし、報酬額はここでは出せません。記録部に回してからになります」
「ですよね」
「生活は大事だもんな」
俺が言うと、ルークがこちらを見た。
「分かってるじゃねえか」
「分かってるけど、今それを一番にするな」
「二番くらいだ」
「高いな」
「現実的だろ」
職員は短く息を吐くように笑った。
それから、記録用紙を見ながら確認をまとめる。
「分岐までは既存記録と一致。右脇道の30歩地点以降に、既存記録と異なる通路。記録にない小型魔獣。魔灯の偏り。魔素計の異常。奥に外光らしきもの。風と匂い。未進入」
「そうだな」
俺が答える。
「外、出口、別出口は推測として分けます」
「それでいいわ」
セレスが頷いた。
職員は依頼票に別紙を重ねた。
「依頼報告としては、確認依頼の途中帰還。異常情報あり。記録部照会。第三入口関連の依頼は一時停止にします」
レオンが地図から顔を上げた。
「すでに入っているパーティは?」
「帰還時に確認します。自然大陸内にギルドはありませんからね、今すぐ呼び戻すことはできません」
それはそうだ。
自然大陸で異常を見つけても、報告するには荒漠大陸まで戻るしかない。
戻れば、次はいつ入れるか分からない。
だから冒険者は、もう一歩だけ進みたくなる。
せめて正体だけは見てから、と考える。
それが危ない。
「追加確認が入る可能性があります」
職員は記録板をセレスへ返した。
「しばらくギルド内にいてもらえますか。長くは取らせません」
「俺たちがもう一度入るって話か?」
レオンが聞く。
「今すぐではないです。ただ、最初に見たパーティの記録は重要ですからね。歩数、匂い、風、光。この手の報告は、後から言葉が変わります」
「言葉?」
俺が聞くと、職員は記録用紙を指で軽く叩いた。
「今は、外光らしきもの、です。でも二度三度話すうちに、外だった、出口だった、に変わることがある」
「それは困るな」
「ええ。困ります。特に、見たかったものほどそうなりやすい」
ルークが小さく顔をしかめた。
「……否定しづらいな」
俺も、あの光を思い出していた。
外光らしきもの。
今は、まだその言葉で止めておくしかない。
俺たちはカウンターを離れた。
ギルドの中は、相変わらず騒がしい。
でも、さっきとは少しだけ違って見えた。
受付の奥で職員が記録を抱えて移動する。
別の職員が掲示板の一部を外す。
第三入口関連の依頼書が、1枚ずつ剥がされていく。
ルークがそれを見上げた。
「……俺たち、結構なもの見つけたんじゃねえか」
「たぶんな」
「もう一回言うけど、惜しかったな」
「だな」
「戻るって言ったのお前だけどな」
「だから腹立つって言っただろ」
ルークは今度こそ笑った。
報告は、もう俺たちの手を離れていた。
依頼報告。
異常報告。
記録部への照会。
第3入口関連依頼の一時停止。
俺たちはただ、見たものを持って帰ってきただけだ。
それだけで、ギルドが動き出している。
あの奥に何があるのかは、まだ分からない。
外なのか。
出口なのか。
それとも、まったく別の何かなのか。
分からないまま、俺は掲示板から剥がされていく依頼書を見ていた。
次にあそこへ立つ時は、たぶん同じところでは止まらない。
あの奥に何があるのか。
今度は、確かめるために戻る。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




