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第39話 夜明け前

これにて第1部完、です。

ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございます。

教官室の灯りを落とした時、空はまだ白みきっていなかった。


眠るには遅すぎる。

講評を始めるには、少しだけ早い。


それでも、時間は来る。


俺は報告書を束ね、講評用の紙を一番上に置いた。


アレン班の評価欄だけが、最後まで空いたままだった。



臨時講義室には、全班の生徒が揃っていた。


昨日の疲労は、誰の顔にも残っている。


眠そうな者。

緊張している者。

怪我をした仲間の席を見ている者。


カイル班の席には、空きがあった。


エルヴィスは救護室。

ロドリックも同じだ。


リシアは出席している。

顔色は悪いが、座っていられる。


カイルは背筋を伸ばしていた。


硬い顔だった。


俺は教卓に報告書を置く。


「講評を始める」


ざわつきが止まった。


「第二班。採取数は規定達成。足場の悪い岩場を見送った判断もいい。ただし、位置記録が甘い。採った場所だけでなく、見送った場所を残せ。次に同じ区域へ入る者のためだ」


班長が頷く。


「はい」


「第四班。任務未達。採取数は一株足りない」


空気が少し固くなる。


「だが、魔獣の痕跡を確認して撤退した判断は妥当だ。採取対象を前にして引けるかどうかも、今回見ていた点だ。次は撤退前に拾える情報を増やせ。痕跡の向き、数、足場、白杭との位置。残せるものは残せ」


「はい」


短い返事だった。


それでいい。


評価できるものは評価する。

未達は未達として扱う。


ここまでは、昨夜に決めた通りだった。


俺は次の報告書を開いた。


「カイル班」


空気が変わった。


カイルが立ち上がろうとする。


「座っていろ」


「……はい」


カイルは一度だけ唇を結び、座り直した。


「任務未達。採取物喪失。負傷者二名、消耗者一名。自力帰還不能判断」


俺は報告書を閉じた。


「結果は、軽く扱えない」


カイルの肩が、わずかに動いた。


「採取地点の選定、魔獣接触後の指示、撤退判断の遅れ。検討すべき点は多い。班長として、お前が背負うべきものもある」


「はい」


低い返事だった。


「だが、最後まで判断を放棄したわけではない」


カイルが顔を上げる。


「自力帰還不能と認め、防衛に切り替えた。あの状況で、まだ戻れると装って移動を続けていれば、被害は広がっていた可能性が高い」


教室は静まり返っていた。


「失敗は失敗だ。そこは消えない。だが、失敗した後に何をするかも見る。今回のお前は、班を終わらせなかった」


カイルは何かを言いかけ、やめた。


そして、深く頭を下げた。


「受け止めます」


「受け止めるだけで終わるな。次に変えろ」


「はい」


俺は視線を外した。


カイル班について、今ここで言うべきことは言った。


問題は、次だった。


「アレン班」


アレンが顔を上げた。


いつも通りの顔だ。


眠そうでもない。

怯えてもいない。

誇ってもいない。


それがまた、腹立たしい。


俺は報告書に目を落とした。


東ルート探索。

進行判断。

白杭との位置関係。

周辺痕跡。

班員の役割。


そこまでは評価できる。


未帰還班捜索への進言も、合理性はあった。


問題は、その先。


俺は息を吸った。


「お前たちは――」


その時。


床が鳴った。


低い音だった。


椅子を引いた音ではない。

荷物が倒れた音でもない。


もっと下だ。


建物の下を、巨大な何かが擦ったような音。


次に、揺れが来た。


窓枠が軋む。

教卓の上で、報告書が滑る。

壁に掛けていた地図が、端からめくれた。


教室の端で、小さな悲鳴が上がる。


「机の下に入れ。立つな」


俺は声を張った。


「班長は人数を確認しろ。怪我人を動かすな」


揺れは長くはなかった。


だが、浅くもなかった。


一度収まった後も、床の奥に低い震えが残っている。

足裏から、まだ何かが動いているような感覚が抜けない。


自然大陸が、ほんの一瞬、呼吸を変えたように感じた。


俺は教卓の端に置かれた簡易魔素計を見た。


針が大きく振れている。


昨日の夜の揺れ方ではない。


明らかに、異常値だった。


扉が開いた。


ギルド職員が立っていた。


顔色が悪い。


「マルクス教官」


その声で、生徒たちの視線が一斉にそちらへ向いた。


「本部通達です。至急」


俺は短く頷いた。


「全員、その場で待機。勝手に外へ出るな」


生徒たちを見渡す。


「カイル、レオン。各班の人数確認を手伝え。セレスティア、室内の異変を記録しろ。窓には近づくな」


最後に、アレンを見る。


「動くな」


「了解」


即答だった。


俺は職員と廊下へ出た。


廊下の奥で、別の職員が走っている。

外からは、普段より高い魔獣の声が聞こえた。


「状況は」


「自然大陸全域で魔素値が跳ねています。中央部だけではありません。外縁でも同時に異常値を確認しています」


職員は、通信盤から吐き出されたばかりの受信用紙を差し出した。


紙面の上部には、赤い術式印が浮かんでいる。


緊急魔術通達。


ギルド本部が、全支部へ同時送信する時にだけ使う形式だ。


「それだけか」


「いいえ」


職員の喉が動いた。


「他大陸でも、同時刻に異常値が出ています」


俺は受信用紙に目を落とした。


七大陸同時魔素濃度異常。

大陸収束運動観測値、基準超過。

自然大陸内魔獣活動、広域活性化。

全支部、緊急特別調査任務――エマージェンシーオーダーへ移行。


そして、最後の一文。


現地判断により、有望な戦力候補について早期認定を許可。


俺はそこだけを読み直した。


随分と便利な書き方をする。


この自然大陸で、今さら誰を候補と呼ぶつもりだ。


答えは分かっている。


「早すぎる」


「非常時です」


「非常時なら、何でも通るわけじゃない」


声が低くなった。


「Dランクは、人手不足を埋めるための札じゃない。認定すれば、生徒では済まなくなる」


職員は何も言わなかった。


言い返せないのではない。


こちらも、分かっているからだ。


早すぎる。

だが、待てない。


だから本部は、なりふり構わずこんな通達を出した。


「人数は」


「現地教官の推薦に一任する、と」


「責任だけこっちに投げるな」


思わず漏れた。


職員は目を伏せる。


俺は受信用紙を折った。


さっきまで、評価欄に収まらないと頭を抱えていた。


その答えを、世界の方が別の形で押しつけてきた。


冗談ではない。


だが、拒める状況でもなかった。


俺は講義室の扉へ向き直った。


中から、生徒たちの抑えた声が聞こえる。


まだ、あいつらは生徒だ。


少なくとも、扉を開ける前までは。


俺は息を吐き、扉を開けた。


視線が一斉に向いた。


「予定を変更する」


教卓に戻り、受信用紙を置く。


「自然大陸で異常が確認された。詳細はまだ言えない。だが、自然大陸だけの話ではない」


誰かが息を呑んだ。


隣の班員を見る者がいる。

救護室の方へ目を向ける者もいる。


俺は、そのざわめきが広がる前に続けた。


「ギルド本部より、全支部へ緊急特別調査任務――エマージェンシーオーダーが発令された。養成学校にも、有望生徒の早期認定要請が来ている」


誰も動かない。


俺は四人を見る。


アレン。

レオン。

ルーク。

セレスティア。


「アレン班」


一人ずつ名前を呼んだ。


「アレン・ヴァイス。レオン・ヴェルク。ルーク・ガルド。セレスティア・アルト」


ルークの表情が変わる。


レオンは唇を結び、背筋を伸ばしていた。


セレスティアは、静かに息を吸った。


アレンだけは、こちらをまっすぐ見ていた。


「本日付で、お前たち四名をDランクに認定する」


教室が揺れた。


今度は地震ではない。


声にならないざわめきだった。


「静かにしろ」


一言で黙らせる。


「勘違いするな。これは褒美じゃない」


俺はアレンを見た。


「今回のお前たちの判断を、正解だったと認めるものでもない」


アレンは何も言わない。


「東ルート探索は良好。未帰還班捜索への進言も評価できる。だが、位置確認を越えた戦闘介入は、俺が与えた役割を超えていた。危険な魔法運用もあった。結果として全員が戻ったことと、それを無条件に認めることは別だ」


ルークが喉を鳴らした。


レオンは何も言わず、ただ前を見ている。


セレスティアの指が、机の上でわずかに重なる。


「それでも、お前たちは全員を帰還させた」


俺は続けた。


「判断し、動き、班として機能した。評価表には収まらない。だからといって、無視もできない」


外で、また遠くの魔獣が鳴いた。


「本来なら、今ここで認定するべきではない」


俺は言った。


「早すぎる。経験も足りない。昨日の判断にも、危うい点はいくらでもある」


四人の顔を見る。


誰も、目を逸らさない。


「それでも、待てない状況になった」


俺は受信用紙に手を置いた。


「だから渡す。評価ではなく、責任として」


教室が静まり返る。


「Dランクは称号ではない。自由に動ける許可でもない。お前たちの判断は、これから生徒の失敗では済まなくなる」


俺はアレンを見た。


「背負えるか」


アレンはすぐに答えなかった。


それが、少しだけ意外だった。


いつものように軽く返すと思っていた。


だが、アレンは俺を見たまま、短く息を吐いた。


「ああ」


声は軽くなかった。


「背負うよ」


「簡単に言うな」


「簡単じゃないよ」


アレンは言った。


「でも、選んだ方を正解にするよ」


教室の誰も動かなかった。


誰かが俺を呼んだ気がした。


だが、俺はアレンだけを見ていた。


「難しいことを言っている自覚はあるのか」


「ある」


「なら、もっと重く言え」


「重く言っても同じだよ」


俺は、しばらく言葉を返せなかった。


まったく。


どこまでも腹立たしい生徒だ。


俺は受信用紙を折り、教卓に置いた。


「なら、証明しろ」


アレンの表情が、少しだけ変わった。


「Dランクとして扱われる以上、失敗の重さも変わる。お前が選んだものをどう扱うかは、これから見る」


「了解」


今度の返事は、いつも通りだった。


だが、いつもと同じには聞こえなかった。


窓の外が、白くなり始めていた。


白杭の向こうで、森が揺れている。


昨日までの訓練区域。

昨日までの評価基準。

昨日までの、生徒としての猶予。


そのどれもが、同じ形では残らない。


俺は教室を見渡した。


誰も、もう眠そうな顔をしていなかった。


「講評は中断する」


俺は言った。


「これより、全員待機。各班長は班員の状態を確認し、救護班の指示に従え。アレン班は、この後、管理棟へ来い」


四人が頷く。


カイルも、何も言わずに前を見ていた。


その目に、さっきまでとは違うものがあった。


悔しさか。

納得か。

次を見ているのか。


今は、まだ分からない。


だが、それでいい。


分からないものを、無理に一言で片づける時間は終わった。


俺は空欄の残った報告書を閉じた。


評価欄は、結局埋まらなかった。


だが、別のものが渡された。


責任。


その重さを、あいつらが本当に分かっているかは分からない。


それでも、もう進むしかない。


外で、また地面が低く鳴った。


朝が来る。


その前に、世界の方が動き出していた。


ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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