第39話 夜明け前
これにて第1部完、です。
ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございます。
教官室の灯りを落とした時、空はまだ白みきっていなかった。
眠るには遅すぎる。
講評を始めるには、少しだけ早い。
それでも、時間は来る。
俺は報告書を束ね、講評用の紙を一番上に置いた。
アレン班の評価欄だけが、最後まで空いたままだった。
◇
臨時講義室には、全班の生徒が揃っていた。
昨日の疲労は、誰の顔にも残っている。
眠そうな者。
緊張している者。
怪我をした仲間の席を見ている者。
カイル班の席には、空きがあった。
エルヴィスは救護室。
ロドリックも同じだ。
リシアは出席している。
顔色は悪いが、座っていられる。
カイルは背筋を伸ばしていた。
硬い顔だった。
俺は教卓に報告書を置く。
「講評を始める」
ざわつきが止まった。
「第二班。採取数は規定達成。足場の悪い岩場を見送った判断もいい。ただし、位置記録が甘い。採った場所だけでなく、見送った場所を残せ。次に同じ区域へ入る者のためだ」
班長が頷く。
「はい」
「第四班。任務未達。採取数は一株足りない」
空気が少し固くなる。
「だが、魔獣の痕跡を確認して撤退した判断は妥当だ。採取対象を前にして引けるかどうかも、今回見ていた点だ。次は撤退前に拾える情報を増やせ。痕跡の向き、数、足場、白杭との位置。残せるものは残せ」
「はい」
短い返事だった。
それでいい。
評価できるものは評価する。
未達は未達として扱う。
ここまでは、昨夜に決めた通りだった。
俺は次の報告書を開いた。
「カイル班」
空気が変わった。
カイルが立ち上がろうとする。
「座っていろ」
「……はい」
カイルは一度だけ唇を結び、座り直した。
「任務未達。採取物喪失。負傷者二名、消耗者一名。自力帰還不能判断」
俺は報告書を閉じた。
「結果は、軽く扱えない」
カイルの肩が、わずかに動いた。
「採取地点の選定、魔獣接触後の指示、撤退判断の遅れ。検討すべき点は多い。班長として、お前が背負うべきものもある」
「はい」
低い返事だった。
「だが、最後まで判断を放棄したわけではない」
カイルが顔を上げる。
「自力帰還不能と認め、防衛に切り替えた。あの状況で、まだ戻れると装って移動を続けていれば、被害は広がっていた可能性が高い」
教室は静まり返っていた。
「失敗は失敗だ。そこは消えない。だが、失敗した後に何をするかも見る。今回のお前は、班を終わらせなかった」
カイルは何かを言いかけ、やめた。
そして、深く頭を下げた。
「受け止めます」
「受け止めるだけで終わるな。次に変えろ」
「はい」
俺は視線を外した。
カイル班について、今ここで言うべきことは言った。
問題は、次だった。
「アレン班」
アレンが顔を上げた。
いつも通りの顔だ。
眠そうでもない。
怯えてもいない。
誇ってもいない。
それがまた、腹立たしい。
俺は報告書に目を落とした。
東ルート探索。
進行判断。
白杭との位置関係。
周辺痕跡。
班員の役割。
そこまでは評価できる。
未帰還班捜索への進言も、合理性はあった。
問題は、その先。
俺は息を吸った。
「お前たちは――」
その時。
床が鳴った。
低い音だった。
椅子を引いた音ではない。
荷物が倒れた音でもない。
もっと下だ。
建物の下を、巨大な何かが擦ったような音。
次に、揺れが来た。
窓枠が軋む。
教卓の上で、報告書が滑る。
壁に掛けていた地図が、端からめくれた。
教室の端で、小さな悲鳴が上がる。
「机の下に入れ。立つな」
俺は声を張った。
「班長は人数を確認しろ。怪我人を動かすな」
揺れは長くはなかった。
だが、浅くもなかった。
一度収まった後も、床の奥に低い震えが残っている。
足裏から、まだ何かが動いているような感覚が抜けない。
自然大陸が、ほんの一瞬、呼吸を変えたように感じた。
俺は教卓の端に置かれた簡易魔素計を見た。
針が大きく振れている。
昨日の夜の揺れ方ではない。
明らかに、異常値だった。
扉が開いた。
ギルド職員が立っていた。
顔色が悪い。
「マルクス教官」
その声で、生徒たちの視線が一斉にそちらへ向いた。
「本部通達です。至急」
俺は短く頷いた。
「全員、その場で待機。勝手に外へ出るな」
生徒たちを見渡す。
「カイル、レオン。各班の人数確認を手伝え。セレスティア、室内の異変を記録しろ。窓には近づくな」
最後に、アレンを見る。
「動くな」
「了解」
即答だった。
俺は職員と廊下へ出た。
廊下の奥で、別の職員が走っている。
外からは、普段より高い魔獣の声が聞こえた。
「状況は」
「自然大陸全域で魔素値が跳ねています。中央部だけではありません。外縁でも同時に異常値を確認しています」
職員は、通信盤から吐き出されたばかりの受信用紙を差し出した。
紙面の上部には、赤い術式印が浮かんでいる。
緊急魔術通達。
ギルド本部が、全支部へ同時送信する時にだけ使う形式だ。
「それだけか」
「いいえ」
職員の喉が動いた。
「他大陸でも、同時刻に異常値が出ています」
俺は受信用紙に目を落とした。
七大陸同時魔素濃度異常。
大陸収束運動観測値、基準超過。
自然大陸内魔獣活動、広域活性化。
全支部、緊急特別調査任務――エマージェンシーオーダーへ移行。
そして、最後の一文。
現地判断により、有望な戦力候補について早期認定を許可。
俺はそこだけを読み直した。
随分と便利な書き方をする。
この自然大陸で、今さら誰を候補と呼ぶつもりだ。
答えは分かっている。
「早すぎる」
「非常時です」
「非常時なら、何でも通るわけじゃない」
声が低くなった。
「Dランクは、人手不足を埋めるための札じゃない。認定すれば、生徒では済まなくなる」
職員は何も言わなかった。
言い返せないのではない。
こちらも、分かっているからだ。
早すぎる。
だが、待てない。
だから本部は、なりふり構わずこんな通達を出した。
「人数は」
「現地教官の推薦に一任する、と」
「責任だけこっちに投げるな」
思わず漏れた。
職員は目を伏せる。
俺は受信用紙を折った。
さっきまで、評価欄に収まらないと頭を抱えていた。
その答えを、世界の方が別の形で押しつけてきた。
冗談ではない。
だが、拒める状況でもなかった。
俺は講義室の扉へ向き直った。
中から、生徒たちの抑えた声が聞こえる。
まだ、あいつらは生徒だ。
少なくとも、扉を開ける前までは。
俺は息を吐き、扉を開けた。
視線が一斉に向いた。
「予定を変更する」
教卓に戻り、受信用紙を置く。
「自然大陸で異常が確認された。詳細はまだ言えない。だが、自然大陸だけの話ではない」
誰かが息を呑んだ。
隣の班員を見る者がいる。
救護室の方へ目を向ける者もいる。
俺は、そのざわめきが広がる前に続けた。
「ギルド本部より、全支部へ緊急特別調査任務――エマージェンシーオーダーが発令された。養成学校にも、有望生徒の早期認定要請が来ている」
誰も動かない。
俺は四人を見る。
アレン。
レオン。
ルーク。
セレスティア。
「アレン班」
一人ずつ名前を呼んだ。
「アレン・ヴァイス。レオン・ヴェルク。ルーク・ガルド。セレスティア・アルト」
ルークの表情が変わる。
レオンは唇を結び、背筋を伸ばしていた。
セレスティアは、静かに息を吸った。
アレンだけは、こちらをまっすぐ見ていた。
「本日付で、お前たち四名をDランクに認定する」
教室が揺れた。
今度は地震ではない。
声にならないざわめきだった。
「静かにしろ」
一言で黙らせる。
「勘違いするな。これは褒美じゃない」
俺はアレンを見た。
「今回のお前たちの判断を、正解だったと認めるものでもない」
アレンは何も言わない。
「東ルート探索は良好。未帰還班捜索への進言も評価できる。だが、位置確認を越えた戦闘介入は、俺が与えた役割を超えていた。危険な魔法運用もあった。結果として全員が戻ったことと、それを無条件に認めることは別だ」
ルークが喉を鳴らした。
レオンは何も言わず、ただ前を見ている。
セレスティアの指が、机の上でわずかに重なる。
「それでも、お前たちは全員を帰還させた」
俺は続けた。
「判断し、動き、班として機能した。評価表には収まらない。だからといって、無視もできない」
外で、また遠くの魔獣が鳴いた。
「本来なら、今ここで認定するべきではない」
俺は言った。
「早すぎる。経験も足りない。昨日の判断にも、危うい点はいくらでもある」
四人の顔を見る。
誰も、目を逸らさない。
「それでも、待てない状況になった」
俺は受信用紙に手を置いた。
「だから渡す。評価ではなく、責任として」
教室が静まり返る。
「Dランクは称号ではない。自由に動ける許可でもない。お前たちの判断は、これから生徒の失敗では済まなくなる」
俺はアレンを見た。
「背負えるか」
アレンはすぐに答えなかった。
それが、少しだけ意外だった。
いつものように軽く返すと思っていた。
だが、アレンは俺を見たまま、短く息を吐いた。
「ああ」
声は軽くなかった。
「背負うよ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないよ」
アレンは言った。
「でも、選んだ方を正解にするよ」
教室の誰も動かなかった。
誰かが俺を呼んだ気がした。
だが、俺はアレンだけを見ていた。
「難しいことを言っている自覚はあるのか」
「ある」
「なら、もっと重く言え」
「重く言っても同じだよ」
俺は、しばらく言葉を返せなかった。
まったく。
どこまでも腹立たしい生徒だ。
俺は受信用紙を折り、教卓に置いた。
「なら、証明しろ」
アレンの表情が、少しだけ変わった。
「Dランクとして扱われる以上、失敗の重さも変わる。お前が選んだものをどう扱うかは、これから見る」
「了解」
今度の返事は、いつも通りだった。
だが、いつもと同じには聞こえなかった。
窓の外が、白くなり始めていた。
白杭の向こうで、森が揺れている。
昨日までの訓練区域。
昨日までの評価基準。
昨日までの、生徒としての猶予。
そのどれもが、同じ形では残らない。
俺は教室を見渡した。
誰も、もう眠そうな顔をしていなかった。
「講評は中断する」
俺は言った。
「これより、全員待機。各班長は班員の状態を確認し、救護班の指示に従え。アレン班は、この後、管理棟へ来い」
四人が頷く。
カイルも、何も言わずに前を見ていた。
その目に、さっきまでとは違うものがあった。
悔しさか。
納得か。
次を見ているのか。
今は、まだ分からない。
だが、それでいい。
分からないものを、無理に一言で片づける時間は終わった。
俺は空欄の残った報告書を閉じた。
評価欄は、結局埋まらなかった。
だが、別のものが渡された。
責任。
その重さを、あいつらが本当に分かっているかは分からない。
それでも、もう進むしかない。
外で、また地面が低く鳴った。
朝が来る。
その前に、世界の方が動き出していた。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




