第33話 予定時刻
カイル班は戻ってこなかった。
いや、正確に言えば、帰還予定時刻になっても戻ってこなかった。
そして、予定時刻を一刻半過ぎた今も、まだ戻ってきていない。
遅れている、で済む時間はもう過ぎていた。
一時拠点の空気は、さっきまでとは違っている。
カイル班を除く3班は、その場で待機を命じられていた。
採取したものを小箱ごと提出し、地図を広げ、報告を終えた後も、誰も解散していない。
話し声はある。
けれど、大きくはない。
笑う者はいない。
マルクスは地図板の前に立っていた。
4つの班。
4つの担当区域。
戻ってきた3つの班。
そして、まだ空いたままの欄。
カイル班。
その名前の横だけ、何も書き込まれていない。
「……さすがに遅くねぇか」
ルークが呟いた。
「予定時刻から一刻半だ」
レオンは地図から目を離さずに答えた。
セレスは何も言わなかった。
ただ、北側第二採取区域に置かれた小さな印を見ている。
俺たちも、何もしないで待っていたわけじゃない。
一刻半。
その間、何度も地図を見た。
同じ線を指で追って、別の理由も考えた。
それでも、考えは同じところへ戻ってきた。
カイル班の担当は、北側第二採取区域。
採取対象は黒鱗苔。
規定数は三株。
選抜班は4班しかない。
集合のたびに顔を合わせているし、誰がどの班にいるのかも分かる。
カイル班には、リシアがいる。
最初に見た時は、少し驚いた。
けれど、同時に納得もしていた。
神官教育を受けていて、応急処置程度とはいえ治癒魔法も使える。
この学校では、それだけで十分珍しい。
いち早くパーティに誘ったのだとしたら、それはカイルらしい。
必要だと判断したものを、迷わず取りに行く。
そういうところは、たぶんあいつの強さでもある。
ただ、リシアは足場の悪い場所を強引に進むタイプには見えない。
岩場や湿った斜面で足を取られた時、すぐに体勢を立て直せる姿は想像しにくかった。
黒鱗苔は苔だ。
白灯草みたいに、茎を切れば終わりというものではないはずだ。
岩肌や湿った斜面に張りついたものを、形を崩さないように採る。
採っている間は、足を止める。
姿勢も低くなる。
片手も塞がる。
足場が悪ければ、それだけで動き出しが遅れる。
そこで誰かが足を痛めたら、班は動けない。
死ぬほどではない。
でも、走れない。
自力で戻るには遅すぎる。
カイルは、置いて戻らない。
好きか嫌いかで言えば、別に好きではない。
むしろ、面倒くさい。
でも、それくらいは分かる。
あいつは、自分の班員を置いて「規定時刻なので戻りました」とは言わない。
そういう正しさは、たぶん持っている。
「迷ってると思うか?」
ルークが聞いた。
俺は北側第二採取区域の白杭の線を見た。
「迷ってるだけなら、戻ってくる」
「まあな」
「白杭はある。戻るだけなら、時間はかかっても戻れる」
「じゃあ?」
「動けないんだと思う」
俺は言った。
「戻らないんじゃなくて、戻れない場所にいる」
ルークは口を閉じた。
レオンが地図の端を押さえる。
「負傷者か、魔獣か」
「両方もある」
俺は答えた。
「黒鱗苔がある場所まで入った。そこで誰かが足を痛めた。その後で魔獣が出たら、逃げるにも戦うにも遅れる」
「戦えば音が出るわ」
セレスが言った。
「隠れているなら、動けない」
「そういうこと」
俺は頷いた。
一刻半。
この時間が、嫌だった。
少しの遅れなら、まだ戻る途中で済む。
半刻なら、足を取られているのかもしれない。
一刻なら、何かが起きたと考える。
一刻半なら。
もう、待っているだけではまずい。
今なら、まだ生きている前提で動ける。
でも、ここから先は、待った分だけ、その前提が削れていく。
自然大陸では、そういう時間の減り方をする。
「各班、待機を継続しろ」
マルクスの声が飛んだ。
地図板の前にいた全員が、そちらを見る。
マルクスは北側第二採取区域に指を置いていた。
「これより、武器の点検と水の補給だけを許可する。白杭の外へ出ることは禁止だ」
教官の声は、いつもと変わらない。
厳しい。
でも、焦ってはいない。
焦っていないように聞こえる声だった。
「カイル班は未帰還だ。現時点で、生徒による救援は認めない」
レオンの指が、地図の上で止まる。
セレスは顔を上げた。
俺は、マルクスを見た。
やっぱり、そう言う。
未帰還の班を追って、別の班まで戻らなくなる。
現場で一番まずい失敗だ。
たぶん、正しい。
だから、そこを争っても意味がない。
「マルクス教官」
俺は言った。
周囲の視線が、少しだけこちらに向く。
マルクスも俺を見た。
「何だ」
「今じゃなきゃ、遅い」
ルークが横で小さく息を呑んだ。
俺が何を言い出すつもりか、たぶん分かったんだろう。
「救助に出す気がないのは分かってる」
俺は続けた。
「未帰還の班を追って、こっちまで戻れなくなったら意味がない。たぶん、マルクス教官ならそう言う」
マルクスは黙っていた。
「だから、探し回るんじゃない」
俺は地図を見る。
「カイル班が動けなくなってる場所に、当たりをつける」
マルクスの目が細くなる。
「同じことだ」
「違う。探すなら広すぎる。でも、動けなくなってる場所を考えるなら、向かう先は絞れる」
「根拠は」
「カイル班は北側第二採取区域。採取対象は黒鱗苔。苔なら、岩場か湿った斜面にある可能性が高い」
俺は言葉を切った。
「白杭沿いに進む。黒鱗苔がありそうな場所だけ当たる。低木の陰、岩場、湿った斜面」
「そこで誰かが足を痛めてるなら、班ごと動けない」
「負傷者がいると決まったわけじゃない」
「だから、そこを確かめに行く」
マルクスは黙っている。
俺は続けた。
「カイル班にはリシアがいる。足場の悪い場所で誰かが動けなくなれば、カイルは置いて戻らない。そこに魔獣がいたら、戦うにも逃げるにも遅れが出る」
「魔獣がいるとも限らん」
「でも、いないと決まったわけでもない」
「それで、お前たちまで戻らなかったらどうする」
来た。
そこだ。
たぶん、最初からそこを言うと思っていた。
「だから、救助じゃない」
俺は言った。
「確認だ。白杭からは外れない。黒鱗苔がありそうな地形だけ当たる。手掛かりがなければ引き返す。魔獣が複数なら撤退。担いで戻せないなら、位置だけ押さえて戻る」
「位置だけ押さえて、見捨てるのか」
マルクスが言った。
その言い方に、ルークの眉が動いた。
俺は首を振った。
「場所が分からなきゃ、助けるも何もない」
「俺たちが戻れば情報が増える。助けるのは、俺たちじゃなくてもいい」
マルクスは黙っていた。
「でも、今動かなきゃ、それこそ見捨てたことになるだろ」
言っていることは、たぶん間違っていない。
確認だ。
救助じゃない。
位置を押さえるだけだ。
俺たちが助けなくてもいい。
どれも、嘘ではない。
でも、それだけじゃない。
今なら、まだ間に合うかもしれない。
そう思っている。
だから、言葉を選んでいる。
マルクスが止める理由は分かる。
分かるから、その理由に引っかからない形にする。
「俺たちが一番早いとは言わない」
俺は言った。
「でも、今すぐ北側の白杭を追えるのは俺たちだ。戻ってくれば、次の判断ができる」
一度、息を吐く。
「待っていても、判断材料は増えない」
マルクスは俺から目を逸らさなかった。
「お前ひとりの話じゃないぞ」
「分かってる」
マルクスの視線が、俺の後ろへ移る。
「お前らは、それでいいのか」
ルークが肩をすくめた。
「まあ、そうなるよな」
「悪い。勝手に数に入れた」
「最初から入ってただろ」
ルークはそう言って、剣の柄を軽く叩いた。
レオンが短く息を吐いた。
「僕も行く。地図と時間管理が必要だ」
セレスも静かに頷いた。
「私も行くわ。現場の状況を把握するなら、目は多い方がいい」
マルクスは4人を順に見た。
「お前らは、採れるものを置いて戻った班だ」
誰も答えなかった。
「採取数は0。だが、戻ってきた」
マルクスの視線が、俺に戻る。
「そこを勘違いするな。今度も戻る判断ができるのかと聞いている」
「できる」
俺は答えた。
「戻るために行く。助けるために、戻ってくる」
マルクスは、しばらく俺を見ていた。
それから、地図板へ視線を戻す。
「救助じゃない」
マルクスは言った。
「確認だ。未帰還班の現在位置を絞る。回収できるなら回収する。無理なら戻れ」
「了解」
「白杭から外れるな。戦闘を目的にするな。魔獣が複数なら撤退。負傷者を連れて戻れないと判断したら、位置だけ押さえて戻れ」
「分かった」
「それと」
マルクスの声が、少しだけ硬くなった。
「時間を切る」
マルクスは地図板の横にある砂時計を見た。
「一刻だ。一刻で戻れ。カイル班を見つけても、見つけなくてもだ」
「了解」
俺は答えた。
「一刻で戻る」
マルクスは俺を見た。
「遅れた時点で、お前たちは確認班じゃなくなる」
マルクスは言った。
「戻らない班が、もう1つ増えるだけだ」
「それは困るな」
「困るで済むと思うな」
「じゃあ、困らないように戻る」
ルークが小さく笑った。
レオンは地図から目を上げず、北側第二採取区域までの白杭の線を指で押さえた。
セレスは何も言わなかった。
ただ、拠点の外へ目を向ける。
マルクスは何も言わなかった。
ただ、北側第二採取区域へ続く白杭の線を指で示した。
「行け」
俺たちは、すぐに動いた。
ルークが腰の剣を確かめる。
レオンは地図を受け取り、歩き出す前にもう一度だけ経路を確認する。
セレスは拠点の外へ出る直前、周囲を見回した。
マルクスが砂時計をひっくり返した。
落ち始めた砂を見て、ようやく実感する。
待つ時間は終わった。
砂が落ち切るまでに戻らなければ、今度は俺たちの名前の横にも、何も書き込まれない。
一時拠点の外へ出ると、空気が少し冷えていた。
さっきまで帰る場所だった白杭が、今度は別の方向へ伸びている。
北側第二採取区域。
カイル班が戻ってこない場所。
予定時刻は、もう過ぎている。
でも、手遅れになったと決まったわけじゃない。
ここからは俺たちが、その遅れを埋めに行く。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
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