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第32話 撤退判断

白灯草を右手に残したまま、俺たちは先へ進んだ。


振り返れば、まだ見える距離だ。


だから困る。


採れそうに見えたものを置いてきた感じが、思ったより消えない。


「……ほんとに置いてくんだな」


名残惜しそうにルークは言った。


たぶん、俺と同じなんだろう。


「位置は記録した」


レオンが地図を畳まずに言う。


「白灯草、三株。白杭の右、低木の根元。周囲に通過跡あり」


「後で戻る可能性は?」


「ある」


俺は答えた。


「でも、今戻っても同じだ」


足場が変わるわけじゃない。

草の跡が消えるわけでもない。

身体強化が急に使えるようになるわけでもない。


今戻って採れるなら、さっき採っている。


そうしなかった以上、戻るには戻る理由がいる。


「次を探す」


俺は言った。


「五株必要だ。あそこは三株だった。どのみち足りない」


ルークは短く息を吐いた。


「了解」


俺たちは白杭を追った。


木道はもうない。


白杭だけが、進む方向を示している。

けれど、それは足場を保証するものではない。


根を避ける。

土を選ぶ。

草の倒れ方を見る。

低木の枝に肩を引っかけないように進む。


それだけで、木道の上を歩いていた時より時間がかかった。


「右」


セレスが言った。


全員の足が止まる。


白杭の右手、少し奥。

湿った岩の陰に、白い花がまとまって咲いていた。


白灯草だ。


「数は?」


俺が聞く。


レオンが目を細めた。


「5……いや、6はあると思う」


「足りるな」


ルークが俺を見る。


「ああ。数だけなら」


湿った岩の陰に、白灯草はまとまって咲いている。


生えている場所としては、おかしくない。


問題は、そこへ行くまでだった。


白杭の列から右へ外れた先に、浅い窪地がある。

水が溜まっているわけではない。

ただ、土の色が濃い。


踏めば沈む。


たぶん、さっきより深く。


「俺が行くか?」


ルークが言った。


「行けるだろ。俺なら多少沈んでも抜けられる」


「強化なしで?」


レオンが聞く。


ルークは黙った。


沈んでも抜けられる。


それは、強く踏めることが前提の言葉だ。

でも、今はその強さを使えない。


使えば、沈む。

抜くために踏めば、さらに崩れる。


セレスは膝をつく前に、裾が泥に触れないよう軽く押さえた。


それから何事もなかったように、窪地の縁へ視線を落とす。


「ここ、縁が崩れているわ」


指先が、土の切れ目を示した。


「誰かが踏んだ跡じゃない。水で削れている感じ」


俺も見た。


窪地の手前だけ、土が薄く剥がれている。

そこに足を置けば、見た目より下へ流れるかもしれない。


白灯草はある。

数も足りる。


でも、採るにはしゃがむ必要がある。

この足場でそれをやると、立ち上がるまでが遅い。


「見送る」


俺は言った。


ルークの眉が動いた。


「これもか」


「これもだ」


俺は頷く。


「採れても、戻れない」


レオンが地図に印をつける。


そこから先は、さらに進みにくくなった。


白杭は続いている。

ただし、まっすぐには進めない。


低木を回り込む。

根を跨ぐ。

湿った土を避ける。


避けた先も、安全なわけではない。


「止まって」


セレスが言った。


その一言で、全員の足が止まった。


セレスは白杭の先を見ていた。

白灯草ではない。

その手前の草だ。


草の先が、ゆっくり揺れている。


風ではなかった。


低く、押し分けるように。


「来る」


レオンが言った。


ルークの手が剣の柄にかかる。

抜きはしない。


俺たちは白杭の列から少しだけ左へ寄り、太い根の陰に身を低くした。


草の揺れが近づいてくる。


見えたのは、小型の魔獣だった。


腹を地面に近づけ、前脚で草を押し分けるように進んでいる。

体毛は湿っていて、土の色に近い。

胴は細長く、脚は短い。


走るというより、草の下を滑るように動く形だ。

見失えば、すぐ足元まで来る。


魔獣は、白杭の近くで足を止めた。


鼻先を低くして、地面の匂いを嗅ぐ。


俺たちの方へ、少しだけ顔が向いた。


近い。


このままやり過ごすには、距離が足りない。


レオンが俺を見る。


俺は小さく頷いた。


レオンは片手を低く構えた。


火球。


ただし、攻撃ではない。

魔獣の横、低木の奥へ逸らすための牽制だ。


火は、灯った瞬間に膨らんだ。


俺は思わず目を見開いた。


レオンの火球は知っている。


模擬戦で撃たれた時でも、あれは握り拳より少し小さいくらいだった。


今のは違う。


手元に浮いた火は、人の頭ほどの大きさになっている。


……そんなの出せたのかよ。


驚いたのは、一瞬だけだった。


魔獣がこちらを向いている。


レオンは手首を返し、その火球を低木の脇へ投げた。


火球は草の上をかすめるように飛んだ。


狙いは外れていない。


湿った草が白く光り、熱が横へ広がる。


魔獣がそちらへ顔を向ける。


レオンが手を握る。


火球は地面に落ちる前に形を崩し、横へ流れるように消えた。


魔獣が身を低くした。


火を避けるように横へ跳ね、低木の奥へ潜り込む。


草の揺れが遠ざかる。


誰もすぐには動かなかった。


「……今の、でかくなかったか」


ルークがようやく息を吐いた。


「でかかった」


俺は答えた。


レオンは自分の手を見ていた。


「小さく作ったつもりだった」


「小さく?」


ルークが眉を寄せる。


「今のがか?」


「牽制用に抑えた。模擬戦で使った時より、ずっと」


レオンは手を握り、開く。


「でも、発動した時点で大きさが違った。熱の広がりも違う。消す時も、いつもの感覚より遅れた」


使えた。


でも、普通には使えていない。


「魔法は最低限」


俺は言った。


「これを当てにして動くのはやめる」


レオンは頷いた。


「僕も、その方がいいと思う」


セレスは、魔獣が消えた方を見ていた。


「今の魔獣、白灯草の方へ向かったわ」


「たまたまじゃねぇのか?」


ルークが聞く。


「偶然かもしれないわ」


セレスは首を振った。


「でも、第1確認地点の草の跡と、進み方が似ていた」


俺は地図を見る。


最初に見送った場所。

今の魔獣が進んだ方向。

そして、白杭の先。


嫌な線が、少しずつ繋がっていく。


「記録しておく」


俺は言った。


レオンが頷き、地図に書き込む。


俺たちはさらに進んだ。


時間はそれほど余っていない。


白杭を追う足は遅い。

確認するたびに止まる。

戻る時間も考えなければならない。


採る時間だけを見れば、まだ足りる。


でも、採って終わりではない。


持って帰るまでが、クエストだ。


「また、右」


セレスが言った。


今度は、すぐに全員が止まった。


白杭の右手。

少し開けた場所に、白灯草が見える。


数はある。


少なくとも、五株は超えている。


だが、俺はすぐに足を出せなかった。


地形が悪い。


白灯草の周囲だけ、湿った土が低く沈んでいる。

さらに奥には低木が絡み、左右の逃げ道も細い。


そして。


「一体だけじゃないわ」


セレスが言った。


白灯草の奥。

低木の影。


草が、別々の場所で動いていた。


ひとつ。

ふたつ。

もうひとつ。


姿は全部は見えない。


けれど、さっきの魔獣と同じように、低く草を押し分ける動きだった。


ルークが剣の柄に触れる。


「倒せば採れるんじゃねぇのか」


言い方ほど、軽くはない。


できるかどうかを聞いているのではなく、選択肢に入れるのかを確認している。


俺は白杭の先を見た。


「倒して、採って、時間内に戻れるならな」


誰もすぐには答えなかった。


魔獣を倒せば採れる。


そう考えるのは簡単だった。


でも、今回は討伐じゃない。

白灯草を五株採って、二刻後に戻る。


残りは、もう一刻を少し切っている。

帰り道を知っているからといって、走って戻れるわけじゃない。


ここで戦ってから採る、は欲張りすぎだ。


マルクスも言っていた。

生きて帰ってくるのが冒険者だ、と。


勝った。

採れなかった。

帰れなかった。


それでは、何をしに来たのか分からない。


「戦闘は選ばない」


俺は言った。


「この足場で、複数体を相手にして、採って、戻る。今の俺たちじゃ、時間内にそこまで持っていけない」


ルークは白灯草を見た。


悔しそうではあったが、剣の柄から手を離した。


「このルートでは、五株を安全に持ち帰れない」


俺は続ける。


「撤退する」


レオンが地図を見た。


「白灯草、五株以上。複数の魔獣を確認。採取見送り」


セレスは小さく頷いた。


「魔獣は、白灯草そのものに反応しているのかもしれないわ」


セレスは、低木の影を見たまま続ける。


「それか、白灯草が生える湿った場所を通り道にしているのかも」


「分かった。その内容を推察込みの報告としよう」


俺は言った。


「ええ」


セレスはもう一度、低木の影を見た。


指先だけが服の布を小さく掴んでいる。


それでも、目は低木の影から外さなかった。


そのまま、俺たちは音を立てないように後退した。


白い花を背にして、白杭の列へ戻る。


今度は、もう振り返らなかった。


帰り道だからといって、楽にはならない。


一度通った場所でも、足場は悪いままだ。

魔獣がいなくなった保証もない。

身体強化も、相変わらず信用できない。


それでも、どこに足を置けば沈むかは分かっている。

どの低木を回り込めばいいかも、さっきよりは迷わない。


進む時より少しだけ、戻る時の方がましだった。


一時拠点が見えた時、ルークが大きく息を吐いた。


「戻ってきちまったな」


「戻ってこられたな」


俺が言うと、ルークは少しだけ笑った。


「……まあな」


採取数は0。


でも、手ぶらで戻ったわけじゃない。


白灯草の位置。

崩れる足場。

魔獣の動き。

この大陸では、魔法の感覚がずれること。


小箱には入らないものばかりだが、報告するには十分だった。


一時拠点の前には、すでに戻っている班がいた。


小箱を抱えている者もいれば、地図を広げて報告を待っている者もいる。


マルクスは地図板の前にいた。


俺たちはその前で足を止める。


「アレン班、帰還しました」


俺は言った。


マルクスがこちらを見る。


「採取数は」


「0です」


ルークがわずかに肩を動かした。


数字だけ見れば、ひどい結果だ。


でも、0は0だ。先に言った方が早い。


マルクスは表情を変えなかった。


「理由は」


レオンが地図を開く。


「確認地点は4箇所。いずれも白灯草を確認しています」


淡々とした声だった。


「第1確認地点、三株。周囲に通過跡。退避動線が悪いため見送り」


「第2確認地点、五株以上。湿った窪地と岩陰。足場不良により見送り」


「第3確認地点、魔獣接近。採取地点への接近前に発見したため、戦闘は避けました」


レオンはそこで一度、手元の記録へ目を落とした。


「牽制として火球を使用しましたが、採取区域内では魔法の感覚にずれがあります。身体強化は出力が安定せず、火球は想定より大きく発動しました」


マルクスの目が、レオンへ向く。


「火球を使ったのか」


「はい。第3確認地点で魔獣が近づいたため、こちらから逸らす目的で使用しました」


レオンが一歩だけ前に出る。


「発動はしました。狙った方向にも飛びました。ただ、大きさ、熱の広がり、消えるまでの感覚が普段と違います。今回は牽制として成立しましたが、同じ使い方を前提にはできません」


「続けろ」


「第4確認地点、五株以上。地形不良に加え、複数の魔獣を確認。戦闘を選ぶと、採取後に二刻以内で帰還できる見込みが低いと判断しました」


マルクスは黙って聞いている。


セレスが一歩だけ前へ出た。


「また、複数地点で白灯草の周辺に魔獣の痕跡がありました」


「実際に確認した魔獣も、白灯草のある方向へ移動しています。花そのものか、生育する湿った環境に反応している可能性があります。断定はできません」


マルクスは地図へ視線を落とした。


「戦闘は選ばなかったんだな」


「選びませんでした」


俺は答えた。


「討伐が目的ではありません。戦闘後に採取し、規定時刻までに帰還できる見込みがありませんでした」


マルクスは少しだけ間を置いた。


「分かった」


それだけだった。


褒められたわけではない。


けれど、否定もされなかった。


「記録を提出しろ。火球の件は別に聞く」


「了解」


レオンが地図を差し出す。


マルクスはそれを受け取り、地図板の隅に置いた。


採取数は0。


それでも、戻ってきた。


時間内に。


俺はそこで、ようやく肩の力を抜いた。


マルクスが地図板へ視線を戻す。


カイル班の帰還予定時刻までは、あと少しだった。


ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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