第31話 そこにある
出発前、俺たちは一時拠点の前に集められた。
石造りの小さな建物は、昨日資料で見たものと大きくは違わない。
入口にはギルドの紋章が掲げられ、壁際には予備の水樽と簡易担架が置かれている。
ただ、壁の継ぎ目には細い根が入り込んでいた。
庇の端からは見たことのない蔓が垂れ、水樽の木目にも薄く緑が浮いている。
壊れてはいない。
使える。
けれど、人が置いたものの上に、自然が当たり前の顔で乗っていた。
その建物の前に、簡易地図が立てられている。
上陸地点、一時拠点、そこから枝分かれする管理路。
さらにその先に、班ごとの採取区域が書き込まれていた。
マルクスは地図板の前に立ち、俺たちを順に見た。
「カイル班。北側第二採取区域」
カイルが一歩前に出る。
「採取対象は黒鱗苔。規定数は三株。帰還時刻は二刻後」
「了解」
短い返事だった。
カイルの班員たちも表情を変えない。
説明されないことに、慣れている顔だった。
マルクスは次の班を呼び、別の区域と採取対象を告げた。
説明はない。
注意事項の読み上げもない。
昨日まで調べたことを、ここで繰り返してくれるわけではなかった。
それが、選ばれたということなのだと思った。
「アレン班」
俺たちは一歩前に出た。
「東側第三採取区域。採取対象は白灯草。規定数は五株。帰還時刻は二刻後」
それだけだった。
俺は頷く。
白灯草。
湿った岩場や低木の根元に群生しやすい薬草。
白い小さな花が、薄く光を含んだように見え、治癒薬の基材になる。
珍しいものではない。
ただし、自然大陸産は別だ。
同じ名前でも、育った場所が違えば濃度も性質も変わる。
だから、ギルド管理下で採取し、規定通りに保管して持ち帰る。
俺たちのクエストは、それだった。
白灯草を五株採って、帰る。
「行け」
マルクスが言った。
四班が、それぞれの方向へ動き出す。
カイル班は北側の管理路へ向かった。すれ違いざま、カイルがこちらを一度だけ見る。
「遅れるなよ」
「お前こそ」
俺が返すと、カイルは鼻で笑った。
いつもの感じだった。
それが少しだけ、場違いなくらい普通に見えた。
俺たちは東側へ向かう。
先頭はレオン。その少し後ろを俺。セレスが中央で周囲を見て、ルークが後ろにつく。
事前に決めた並びだ。
一時拠点から東へ伸びる木道は、道というより足場に近かった。
湿った地面へ直接踏み込まないための板。一定の間隔で打たれた白杭。ところどころに張られた細い縄。
それが、ギルドがここに残している管理路だった。
地図の上では、線一本で採取区域の手前まで続いていたが、実際に足を乗せると、その線はずいぶんと頼りないものだった。
板は湿っていて、靴底にわずかに張りついた。端には苔がつき、隙間から草が伸びている。足を置くたび、木の下で水が鳴った。
「中央」
レオンが短く言った。
板の片側が、少し浮いていた。
そこに足を乗せれば、板ごと傾く。倒れるほどではなくても、次の一歩は乱れる。
ルークが後ろで足音を小さくした。
「入口からこれか」
「まだ管理路だ」
俺が言うと、ルークは肩をすくめた。
「そうなんだよな」
何歩か進んだところで、レオンが足を止めた。
「そういえば、強化をかけていないね」
言われて、俺も気づいた。
一時拠点を出てすぐ、木道の上にいるうちは、使う必要がなかった。
けれど、この先は道ではなくなる。
足場の悪い場所へ入るなら、身体強化は保険になる。
「掛けておくか」
俺が言うと、ルークが軽く膝を曲げた。
「よし、じゃあ――」
次の瞬間、ルークの身体が前へ跳ねた。
「うおっ!」
一歩のつもりだったのだと思う。
けれど、踏み出した足が止まらなかった。ルークは二歩で止まれず、白杭の手前まで飛び込む。
草地へ踏み出す直前、杭を掴んでようやく止まった。
「……危ねぇ」
その横で、レオンも体勢を崩していた。
転びはしない。けれど、片膝をつきかけたまま、手を開いたり閉じたりしている。
「レオン?」
「出力が合わない」
レオンは眉を寄せた。
「いつもの感覚で流すと強すぎる。絞ると、今度は途切れる」
ルークが杭から手を離す。
「上手く制御できねぇ。なんだこれ」
セレスは、木道の外へ視線を向けた。
一時拠点の周りより、緑の圧が近い。土も草も水気を含んでいて、足元から上がってくる魔素の気配が濃い。
「ここの魔素濃度のせいかもしれないわ」
「濃いと、こうなるのか?」
ルークが自分の足元を見る。
「身体強化は体の内側で起こすものだけど、ここは外の魔素が濃すぎるのかもしれない。内側の反応まで、普段より強く出ている」
セレスはそこで言葉を切った。
たぶん、そうなのだと思う。
ルークもレオンも、普段通りには動けていない。
「強く出るなら、弱くすりゃいいんじゃないのか?」
ルークが言う。
レオンは首を横に振った。
「さっき試した。弱めると、今度は発動が切れる」
「面倒だな」
「板の上で転ぶならまだいい。この先で同じことが起きたら、目もあてられない」
レオンは木道の先を見た。
確かに身体強化は便利だ。
でも、今は強く踏めることが危ない。この先の足場で同じことをすれば、足が沈む。抜くために力を入れれば、さらに崩れる。
「使わない」
俺は言った。
「必要になるまで、強化なしで行く」
ルークは白杭を見て、それから自分の足を見た。
「賛成。今のは信用できねぇ」
レオンも頷く。
「この場所の感覚を掴むまでは、その方がいいだろうね」
セレスは、足元の草を見ていた。
「魔法も、同じように考えた方がいいかもしれないわ」
「魔法も?」
「身体強化でこれなら、空気中の魔素に直接働きかける魔法は、もっと影響を受けるかもしれない」
レオンが自分の手を見た。
「試すには、場所が悪いね」
「今はやめとけ」
俺は言った。
ここで火でも出して、想像より大きくなったら笑えない。
ルークが短く息を吐く。
「自然大陸って、ほんと面倒くせぇな」
うんざりした顔を見合わせてから、俺たちは身体強化を切って歩き出した。
白灯草を五株採って帰る。
目的ははっきりしている。
ただ、木道は採取区域まで続く道ではなかった。
人間の足場が残されているのは、途中までだ。
「白杭、次」
セレスが言った。
木道の脇に、白い杭が立っている。
東側管理路、第一標識。
ただ、番号の下に小さな擦れがあった。
俺は足を止める。
「擦れてる」
しゃがんで、杭の表面を見る。
苔が剥がれ、下の白い塗料が出ている。爪痕のようにも見えるし、何か硬いものが当たった跡のようにも見える。
「低いわね」
セレスが言った。
「人の荷物なら、もう少し上にも当たりそう」
「小型の獣か?」
ルークが周囲を見る。
レオンは地図を開き直していた。
「この辺りで小型獣の通過記録はある。管理路の近くまで来ることもあるらしい」
「最近の跡かどうかは分からない」
俺が言うと、レオンは頷いた。
「記録して進もうか」
レオンが地図に印をつける間、セレスは白杭の周囲を見ていた。
「他は特に問題なさそう」
「なら、進む」
ルークが剣の柄に触れたまま前を向く。
俺たちはもう一度歩き出した。
第二標識へ向かう途中で、木道の間隔が少しずつ広がり始めた。
最初は、一歩で次の板に乗れた。
次は、板と板の間に土を挟んだ。
その次は、根を避けてからでなければ届かなかった。
細い縄も、いつの間にか途切れている。
最後の板を越えた先には、白杭だけが続いていた。
「ここから先が採取外縁だね」
レオンが地図を確認しながら言った。
「第三採取区域の手前までは、この杭を追う」
「足元、悪いな」
ルークが呟く。
「悪いというより、足場がない」
俺は最後の板の先を見た。
白杭は続いている。
けれど、足を置く場所までは示してくれない。
まっすぐ進めそうな場所はない。
根を避ければ、湿った土に乗る。
土を避ければ、低木の枝が身体に触れる。
枝を避ければ、白杭の列から外れすぎる。
木道の上では、狭くても班の並びを保てた。
ここから先は、それだけで手間がかかる。
レオンが先へ出る。
俺が続く。
セレスが足元を確かめながら進み、ルークが後ろで周囲を警戒する。
一歩ずつ、白杭を追った。
靴底が沈む。
深くはない。
だが、足を抜くたびに土がまとわりつく。
湿った地面も、絡んだ根も、避けるものではなく、踏む場所そのものになっていた。
少し進んだところで、レオンが足を止めた。
俺も、同じものを見た。
白杭の右手。
低木の根元。
白い花が、数株だけ咲いていた。
白灯草だった。
資料で見た絵と、よく似ている。
小さな花弁。
薄く透けた茎。
葉の先に溜まった水滴。
そこにある。
探していたものが、そこにある。
白杭の列から外れ、低木の根元まで踏み込めば届く距離だ。
規定数は五株。
目の前にあるのは、たぶん三株。
数は足りない。
でも、採取区域へ入る前に対象が確認できたのは大きい。
この周辺に生えているなら、区域内にもある可能性が高い。
採れるかもしれない。
俺は、足元の根を避けて一歩踏み出そうとした。
「待って」
セレスが言った。
小さな声だった。
それだけで、足が止まる。
「何かあるのか?」
俺は聞く。
セレスは白灯草ではなく、その周囲を見ていた。
「花の周りだけ、草が倒れている」
言われて、見た。
確かに、白灯草の周囲の草が、半円を描くように倒れている。
風で倒れたようには見えない。
低木の奥から、白灯草の根元を通って、俺たちが立っている白杭の列の少し先へ抜けている。
まだ新しい。
「何か通ったな」
ルークが声を落とす。
「足跡は見当たらない」
レオンが低く言った。
「草を押し分けたような跡だ」
押し分けた。
その言葉で、草の中を低く進むものが頭に浮かんだ。
足で歩くものではなく、地面に身体を擦るようなもの。
あるいは、腹を低く落として進むもの。
「魔獣か?」
レオンは首を振ったあと言った。
「そこまでは、なんとも」
白灯草は目の前にある。
白杭の列から右へ外れれば、数歩で届く。
低木の根元にしゃがみ、薄刃を入れて、小箱に収める。
手順は頭に入っている。
採るだけなら、おそらく可能だろう。
「俺が前に出る」
ルークが言った。
声はいつもより低い。
「アレンが採る間、俺が右を見る。レオンは後ろ、セレスは白杭側で警戒。それならどうだ?」
レオンは、白杭から低木までの足場を見た。
「できなくはない」
レオンは言った。
「でも、ルークが右に出ると、白杭側へ戻る通り道が狭くなる。アレンがしゃがんでいたら、すぐには戻れない」
セレスが白杭の周りを見る。
「ここも柔らかいわ。急に戻ってこられたら、私も足を取られる」
俺は低木の根元を見た。
白灯草までは近い。
近いのに、採る姿勢になると視線が落ちる。薄刃を使うなら、片手は塞がる。
身体強化は使わないと決めたばかりだ。
足を取られた時に、無理に踏み直すことはできない。
採れる。
それは間違っていない。
「アレン」
レオンがこちらを見る。
急かす目ではない。
それでも、次に進むか、ここで採るか。
その判断を俺が出すのを待っていた。
俺は白灯草を見た。
白い花は、静かに揺れている。危なくは見えない。むしろ、資料通りにそこにある。
目的は、あれだ。
五株採って帰る。
その最初の三株が、目の前にある。
採らない理由を探しているわけじゃない。
でも、採る姿勢に入った瞬間、俺たちは白灯草の前で止まる。
動くための並びではなく、固まるための並びになる。
それがまずい。
「採らない」
俺は言った。
ルークが白灯草を見る。
「ここは?」
「ああ」
俺は頷く。
「場所を記録する。ここでは無理をしない」
ルークは少しだけ息を吐いた。
「採れるのにな」
「たぶん、採れる」
俺も白い花を見た。
「でも、採っている間が一番まずい」
レオンが頷き、地図に印をつける。
「白灯草、三株。第一確認地点」
セレスは、倒れた草の向きをもう一度見ていた。
「通った跡は、白杭の先へ続いているわ」
「なら、そこも覚えておく」
俺たちは、白灯草を右手に残したまま歩き出した。
目的は変わっていない。
白灯草を五株採って帰る。
だから、先へ進んだ。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




