第29話 行き先を知る
「で、どうする?」
ルークが資料室の机に肘をついて言った。
剣を振れ。
走れ。
構えろ。
避けろ。
そう言われれば、まだ分かりやすい。
対象区域。
管理航路。
採取対象。
撤退基準。
調べてこい。
今回の戦場は、完全に机の上だった。
「調べるんだろ」
俺は言った。
「それは分かってる」
「なら、分けよう」
レオンが資料の束を机に置いた。
こういう時のレオンは早い。
課題を見て、項目に分けて、必要な資料を揃える。
たぶん、俺が三回くらい「面倒だな」と思っている間に、レオンは半分くらい終わらせている。
「対象区域、管理航路、採取対象、撤退基準。大きくはこの四つだね」
「俺、採取対象で」
ルークが即答した。
「早いな」
「素材採取なんだろ。何を取るのか知らないと始まらねえ」
「高く売れるかも気になるしな」
「それもある」
ルークは悪びれなかった。
「私は撤退基準を確認するわ」
セレスが言った。
「怪我や消耗の条件も関係するでしょうし」
「じゃあ、僕は管理航路に当たる」
レオンが資料を引き寄せる。
そうなると、自然に俺の前には対象区域の資料が残った。
対象区域。
自然大陸南西外縁部。
資料の表紙には、そう書かれていた。
「つまり、行き先担当か」
「場を見るのは得意だろう」
レオンが言った。
得意。
そう言われると少し困る。
俺が得意なのは、たぶん場を正しく見ることではない。
正しく見えているように振る舞うことだ。
ただ、今それを言っても面倒なだけだった。
「分かった」
俺は地図資料を開いた。
資料室は、いつもより少し混んでいた。
自然大陸外縁部訓練に選ばれた班だけではない。
通常実地訓練の対象班も、任務内容に合わせて資料を探している。
棚の間を生徒が行き来する。
紙の擦れる音。
椅子を引く音。
誰かが小声で相談する声。
実技場とは違う。
剣の音も、足音もない。
ただ、妙に落ち着かない。
机の上にあるのは、資料の山だ。
けれど、その向こうにあるのは、数日後に自分たちが立つ場所だった。
自然大陸南西外縁部。
地図には、海岸線と管理航路が書かれていた。
上陸地点。
一時拠点。
巡回路。
採取予定地。
立入禁止区域。
線と記号が細かく並んでいる。
学校の演習場の図面とは違う。
当たり前だ。
そこには、見えない壁も、終了の合図もない。
線の外へ出たからといって、誰かが笛を吹いて止めてくれるわけではない。
紙の上では、赤い線一本。
現場では、たぶんそんなに分かりやすくない。
「低危険地域、か」
俺は資料の説明を目で追った。
低危険。
いい響きではある。
だが、自然大陸でそれをそのまま受け取るほど、俺も素直ではない。
自然大陸における低危険地域とは、ギルド管理下において限定的活動が可能と判断された区域を指す。
安全とは書いていない。
見事なくらい、どこにも書いていない。
「低危険って、安全って意味じゃないな」
俺は呟いた。
「でしょうね」
隣で、セレスが資料から少しだけ目を上げた。
「安全なら、わざわざ低危険とは書かないわ」
「嫌な言い方だな」
「試されてるみたいで、嫌ね」
それはそうだ。
安全ではない場所を安全と書く方が、よほど危ない。
低危険。
つまり、死なない場所ではない。
死ににくいように線が引かれている場所だ。
そこで、ふと引っかかった。
線を引いているのは誰だ。
自然大陸の地図を見ていると、その問いにぶつかる。
自然大陸。
七大陸の一つ。
子供でも名前くらいは知っている。
神聖大陸。
魔導大陸。
機巧大陸。
科学大陸。
荒漠大陸。
幽冥大陸。
自然大陸。
地図の上では、どれも同じように大陸名として書かれている。
でも、実際にはまるで違う。
神聖大陸には教会がある。
信仰があり、治癒魔法があり、祈りを生活の基盤にしている。
魔導大陸には、魔法を魔法のまま終わらせない連中がいる。
魔法を理屈にし、体系にし、時には面倒な言い回しにする。
機巧大陸は、歯車と蒸気と金属の匂いがするらしい。
行ったことはない。
だが、資料に載っている機巧鎧の図は、見ているだけで肩が凝る。
科学大陸は、何でも測りたがる。
星の動き。
大地の揺れ。
大陸の距離。
人が見たものまで、数字にしたがる。
レオンの父親も、たしかその手の研究に関わっている。
荒漠大陸には、俺たちの学校がある。
冒険者ギルド本部もある。
荒れた土地、という名前の響きほど単純ではない。
何かがないからこそ、人と物が集まる場所でもある。
幽冥大陸は、資料によって書き方が違う。
詳しく書いてある本ほど、逆に信用しにくい。
触れたがらないものは、大抵危ない。
そして、自然大陸。
名前だけなら、一番穏やかそうに見える。
緑。
森。
水。
獣。
豊かな大地。
そういうものを想像する。
実際、資料にもそれに近いことは書いてある。
希少植物。
魔獣素材。
鉱石。
地下迷宮。
魔力溜まり。
未分類生態系。
豊かではある。
だが、人に優しいとはどこにも書いていない。
むしろ、逆だ。
自然大陸は、恒常的な統治が成立していない非居住大陸である。
資料には、そうあった。
非居住。
人がいない、という意味ではない。
拠点はある。
航路もある。
巡回路もある。
採取予定地もある。
だが、そこに生活はない。
畑を作り、家を建て、子供が走り回る場所ではない。
朝起きて、井戸へ水を汲みに行き、夕方には灯りが点く。
そういう場所ではない。
人が長く居座るには、危険が多すぎるのだ。
魔獣。
植物。
地形。
気候。
ダンジョン。
魔力溜まり。
危険の種類が多い。
しかも、それぞれが人の都合に合わせてくれない。
「自然って名前、詐欺じゃないか?」
俺は言った。
ルークが採取対象の資料から顔を上げる。
「何が?」
「自然大陸」
「自然だろ。草も石も魔獣もある」
「長閑さがない」
「そこかよ」
「自然って言われたら、森とか川とか、もう少し穏やかなものを想像するだろ」
「魔獣もいるぞ」
「それが余計なんだよ」
自然大陸は、人が暮らすには向いていない。
なのに、人が暮らすために必要なものを生み出す。
治癒薬の材料。
魔術媒体。
機巧部品に使う鉱石。
観測機器に必要な結晶。
武具に使う魔獣素材。
資料をめくるだけで、いくらでも出てくる。
人を拒む場所から、人が必要とするものが出てくる。
おかしな話だ。
でも、たぶん世界はそういうふうにできている。
必要なものほど、面倒な場所にある。
たぶん、わざとだ。
誰がわざとやったのかは知らない。
神か。
世界か。
ただの偶然か。
そのあたりを考え始めると、帰ってこられなくなりそうなのでやめた。
俺は地図に視線を戻す。
自然大陸南西外縁部。
今回の対象区域は、自然大陸の中では端の端だ。
管理済み。
低危険。
ギルド監督員同行。
引率教官あり。
行動範囲限定。
安全そうな言葉が並んでいる。
だが、どれも安全とは言っていない。
条件を整えた。
だから入っていい。
それだけだ。
端っこでも、自然大陸は自然大陸。
低危険でも、危険は危険。
資料は、そういう線引きを妙に冷静にしていた。
管理航路も同じだ。
荒漠大陸のギルド本部から自然大陸へ渡るための、決められた航路。
紙の上では、ただの線だ。
だが、その線を管理しているのが冒険者ギルド本部なのだと思うと、少し違って見える。
自然大陸は、どの大陸にも必要なものを出す。
神聖大陸も必要とする。
魔導大陸も必要とする。
機巧大陸も、科学大陸も必要とする。
だが、どこか一つの大陸が独占するには危険すぎる。
持てば揉める。
揉めるだけならまだいい。
奪い合うことになる。
それを避けるために、ギルドが管理する。
特定の大陸ではなく、冒険者ギルドが。
そう考えると、荒漠大陸に本部がある意味も少し分かる。
自然大陸への門。
冒険者が集まる場所。
危険と資源を、人の世界へ戻すための中継点。
俺たちの学校も、そこにある。
偶然ではないのだろう。
冒険者養成学校。
世界で唯一の、冒険者を育てる場所。
今までは、少し変な学校だと思っていた。
いや、今でも変だとは思う。
だが、自然大陸の資料を読むと、その変さにも理由がある気がしてくる。
自然大陸へ行く人間が必要だからだ。
危険な場所に入り、必要なものを持ち帰る人間。
無謀なだけでは死ぬ。
臆病なだけでは進めない。
強いだけでは戻れない。
剣を振るだけなら、実技場で済む。
けれど、どこまで進んで、何を持ち帰って、どこで引くのか。
そこを間違えれば、強くても帰ってこられない。
だから今、俺たちは机に向かっている。
面倒だ。
かなり面倒だ。
けれど、少しだけ納得した。
マルクスが言っていたことも、少しだけ。
行き先も知らずに現場に出る馬鹿から死ぬ。
言い方は相変わらずだったが、資料を読めば読むほど、否定しづらくなる。
「何をそんなに真面目な顔で読んでんだ?」
ルークが言った。
「自然大陸の悪口」
「資料で悪口読むなよ」
「褒めてるのかもしれない」
「どこが」
「人を拒むけど、人に必要なものは出すところ」
ルークは少し考えた。
「性格悪いな」
「だろ」
そこでセレスが、小さく笑った。
「大陸に性格があるなら、かなり難しい相手ね」
「付き合いたくないな」
「でも、会いに行くんでしょう?」
セレスが言った。
俺は地図を見る。
自然大陸南西外縁部。
まだ紙の上にある場所。
でも、数日後には、そこに立つ。
「まあな」
俺は答えた。
「行くことになったからな」
「それだけ?」
「それだけじゃないけど」
それ以上は言わなかった。
言葉にすると、余計なものまで出てきそうだった。
でも、そこに立ってみなければ、分からない。
掲示板の前でそう返した時は、軽口だった。
軽口だったが、嘘ではない。
立ってみなきゃ分からない。
なら、せめて立つ場所くらいは知っておくべきだ。
それが、今回の机の上の戦いらしい。
かなり地味だ。
そして、たぶん大事だ。
資料を追っているうちに、机の上はひどいことになっていた。
地図。
航路図。
採取対象の一覧。
過去の巡回記録。
撤退判断に関する注意書き。
最初は、ただの課題だった。
対象区域。
管理航路。
採取対象。
撤退基準。
マルクスに言われたから調べているだけだった。
けれど、資料を追ううちに、それは少しずつ別のものに変わっていった。
俺たちが次に立つ場所。
そこへ辿り着くための道。
そこにあるもの。
そこから戻るための線。
行き先を知る、というのは、たぶんそういうことだ。
「……で、結局どこまで書くんだ?」
ルークの声で、俺は顔を上げた。
目の前には、白い報告用紙がある。
資料は山ほどある。
だが、全部を書いたら、マルクスに読む前から突き返される。
俺たちは、資料を確認するのに使った時間よりも長い時間をかけて、報告書をまとめた。
机の上の戦場は、実に手強かった。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




