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第20話 旧館の記録

旧館は、校舎の西側にある。


存在自体は知っていた。


ただ、授業で使われることはないし、わざわざ近づく理由もない。


だから、俺にとっては地図の端に書かれているだけの建物だった。


その旧館の前に、俺たちは立っていた。


俺。


レオン。


ルーク。


セレス。


全員そろっている。


一人で行くなと言われた以上、仕方がない。


仕方がないのだが、四人で来たら来たで、何かやらかした一団みたいに見えるのは気のせいだろうか。


「うわ、出そう」


旧館を見上げて、ルークが言った。


「何が」


「分かんねえけど、出そうなもの全部」


「範囲が広いな」


「古い建物ってそういうもんだろ」


「偏見がすごい」


旧館は、思っていたよりも普通に古かった。


不気味というより、単純に手入れが足りない。


壁には細かいひびが入り、窓枠には埃が積もっている。


長い間、人の出入りが少なかったのだろう。


扉の金具は黒ずみ、取っ手に触れると、少しざらついた。


「鍵、開きそう?」


セレスが俺の手元を見る。


「開かなかったら帰れるな」


「その場合、マルクスに報告が必要ね」


「開けよう」


鍵を差し込む。


少し引っかかったあと、古い金属が擦れる音を立てて回った。


扉を押すと、湿った木と古い紙の匂いが流れてくる。


ルークが鼻を押さえた。


「くしゃみ出そう」


「資料室で暴れるなよ」


「くしゃみは暴力じゃねえだろ」


「資料にとっては暴力かもしれない」


「紙って繊細だな」


「君たち、入る前からうるさいよ」


レオンが苦笑しながら言った。


そのわりに、少し楽しそうだった。


旧館の中は薄暗い。


廊下の窓から差し込む光は弱く、床板は歩くたびに小さく鳴った。


奥へ進むほど、空気が重くなる。


湿気と埃。


古い紙。


それから、誰にも読まれなくなったものの匂い。


「本当にここにあるのか?」


ルークが言った。


「さあ」


「さあって」


「俺に聞くな。俺は鍵を渡されただけだ」


「頼りにならねえ案内人だな」


「案内人じゃない。被害者だ」


「何の?」


「マルクスの」


「ああ」


納得するな。


旧館の奥。


突き当たりに、古い扉があった。


他の部屋よりも少しだけ頑丈そうな扉だ。


鍵穴は黒ずんでいるが、壊れてはいない。


俺はもう一度鍵を差し込んだ。


今度は、さっきよりも重い感触があった。


押し込むように回すと、内側で何かが外れる音がした。


資料室の扉が開く。


中は狭かった。


壁一面に棚が並び、そこに紙束や帳面、古い箱が詰め込まれている。


きちんと並んでいる、とは言いがたい。


積まれている。


押し込まれている。


忘れられている。


そんな言葉の方が近い。


本というより、記録の墓場だった。


「これは……すごいな」


レオンが小さく呟いた。


目が少し輝いている。


「お前、こういうの好きだよな」


「嫌いではないよ」


「素直に好きって言えばいいのに」


セレスは棚の一つに近づき、背表紙のない帳面を眺めている。


ルークは入口付近で、すでに帰りたそうな顔をしていた。


「で、何を探せばいいんだ?」


「ヒントになりそうな何かだ」


「なるほど、じゃあ帰ろうぜ」


「判断が早いな」


「判断は早い方がいいって誰かも言ってただろ」


「都合よくマルクスの言葉を使うな」


「便利なものは使うべきだろ」


「その理屈、俺以外に使え」


俺たちは手分けして資料を探すことにした。


スキル。


技能。


発現。


模倣。


分かったフリ。


どれかに近い言葉があればいい。


そう思っていたのに、棚から出てくるのは予想よりずっと雑多だった。


遠征報告。


魔物の生態記録。


失敗した訓練計画。


古い地図。


卒業生の追跡調査。


誰が何のために残したのか分からない走り書き。


どれもこれも、俺のスキルとは関係なさそうに見える。


「こっちは外れ」


ルークが紙束を閉じた。


「何だった?」


「三十年前の食堂改善案」


「ちょっと気になるな」


「献立が地味って書いてある」


「今と変わらないな」


「歴史って深いな」


深くはない。


セレスが別の帳面を開き、首を傾げる。


「これは、魔力酔いの報告ね」


「魔力酔い?」


「補助魔法を重ねすぎた時に、感覚がずれる症状。たぶん関係ないわ」


「そっか」


「でも面白い」


「セレスも好きな側か」


「嫌いではないわ」


同じ言い方をした。


この二人、意外と似ているところがある。


俺も棚から古い紙束を一つ抜き出してみる。


表紙には、かすれた字で「技能発現における血縁関係の考察」と書かれていた。


それらしい。


かなりそれらしい。


胸が少しだけ期待する。


開いてみる。


数枚読んだところで、閉じた。


「どうした?」


ルークが聞く。


「血縁の話だった」


「題名通りじゃねえか」


「題名通りすぎた」


「何が不満なんだよ」


「俺が知りたいことじゃなかった」


血縁。


継承。


家系。


そういう話は本にもあった。


たしかにスキルは血筋で語られることが多い。


けれど、俺が知りたいのはそこじゃない。


俺の家系に、分かったフリの名人がいたとしても困る。


いや、困りはしないが、今の状況が何か進展するわけでもない。


「アレン」


しばらくして、棚の奥で資料を読み込んでいたレオンが、一冊の古い帳面を持ってきた。


他の資料よりも少し厚い。


表紙は色褪せ、角が擦り切れている。


背には題名がなかった。


「それは?」


「スキルの資料ではないと思う」


「じゃあ外れじゃないか」


「いや。そうとも言い切れない」


レオンはそう言って、帳面を机の上に置いた。


俺たちも集まる。


開かれたページには、整った字で人物についての記録が書かれていた。


ある指導者の観察日誌。


名前は聞いたことがある。


大陸間交流期の初期。


まだ大陸同士の行き来が今ほど安定していなかった時代に、いくつもの勢力をまとめ、航路と制度の基礎を作った人物だ。


授業でも、何度か名前が出てきた。


偉大な指導者。


混乱を収めた人物。


先を見通す目を持っていた人物。


だいたい、そんな扱いだった。


「これのどこが関係あるんだ?」


ルークが言う。


「まだ分からない。ただ、読み方を変えた方がいい気がする」


レオンはページをめくる。


そこには、その人物の発言、判断、周囲への影響、失敗と修正の記録が細かく書かれていた。


戦の記録ではない。


魔法の記録でもない。


まして、スキルの記録でもない。


ただ、人を見ている。


何を考え、どう動き、周囲がどう反応したのか。


そういうものを、しつこいくらいに書き残している。


「観察日誌……というより、伝記を書こうとしていたのかもしれないね」


レオンが言った。


「伝記?」


「半生を追おうとした跡がある。本人だけじゃなく、関係者にも聞き取りをしているみたいだ」


「偉い人の伝記なら、今でも本になってるだろ」


「なっているね。でも、これはその下書きか、調査記録に近い」


レオンは帳面の後ろの方へ指を挟んだ。


「そして、たぶん完成していない」


「完成してない?」


「僕が引っかかったのは、ここだ」


最後の方に、何枚かの紙が挟まっていた。


そのうちの一枚は、折り込まれたままになっている。


レオンはその紙を慎重に開いた。


本文とは違う、少し乱れた字だった。


たぶん、作者本人のメモだ。


「この作者は、伝記を完成させられなかったらしい」


「途中で飽きたんじゃねえの?」


ルークが言う。


「それにしては、理由が書いてある」


レオンはメモに視線を落とし、読み始めた。


「ある時期を境に、彼は完全になったように見える」


空気が少しだけ変わった。


レオンは続ける。


「それ以前の彼が傑物であったことは疑いない。圧倒的なリーダーシップ、堅実な手腕、そして先進的な判断力。だが、先進的であるがゆえに、彼は必ずしも最初から正解を選んだわけではなかった。小さな失敗もあった。迷いもあった。修正もあった」


ページを持つレオンの指が、少しだけ止まる。


「しかし、ある時期を境に、その小さな失敗が消えた。まるで、彼から不完全性だけを取り除いたかのように」


誰もすぐには口を挟まなかった。


古い資料室に、紙の匂いだけが残る。


レオンは最後の一文を読んだ。


「私は、何かを見落としている。これを成長と呼ぶには、あまりに不自然だ。見落としが分からない以上、この伝記は完成しない」


そこで、レオンは読み上げるのを止めた。


「……それで?」


俺は言った。


自分でも少し声が小さかった。


「偉い人が、さらにすごくなったって話だろ?」


「そうとも読める」


レオンはメモを見たまま答える。


「でも、作者はそう捉えなかった」


「成長じゃないってこと?」


セレスが静かに言った。


「少なくとも、この作者はそう感じている」


レオンは観察日誌の本文に戻り、いくつかのページをめくって言った。


「ここからだ。失敗が消えた、と書かれている時期以降の記録」


俺たちは覗き込む。


そこには、いくつもの判断が書かれていた。


争っていた二つの組織の利害を読み、双方が受け入れられる条件を提示したこと。


表向き従っていた部下の不満を見抜き、反発が起きる前に配置を変えたこと。


市場の混乱を予測し、問題が表に出る前に流通路を押さえたこと。


会議で何も言わなかった者の沈黙を読み、後で個別に呼び出したこと。


それら一つ一つの成果は、結果だけ聞けばただの成功だ。


けれど、当時の状況と併せて見れば、ただすごいだけではすまされなかった。


どれも、場にある見えないものを拾っているように見えた。


思惑。


感情。


利害。


期待。


警戒。


言わない言葉。


表に出せない本音。


俺は、昨日の昼休みに考えていたことを思い出した。


人が作る場。


そこに混ざった、見えないもの。


「……これ」


俺が言いかけるより先に、レオンが口を開いた。


「まるで、見えていないはずのものまで含めて判断しているみたいだ」


聞き流せなかった。


「ただ、そんな人間が本当にいたとしても、不思議ではない」


レオンは続ける。


「彼は元々優れた指導者だった。だから、単に完成しただけだと言われれば、否定は難しい」


「じゃあ、何が引っかかるんだ?」


俺が聞く。


レオンは少し考えてから、答えた。


「失敗が消えたことだ」


「失敗?」


「人の強みと弱みは、完全に別のものじゃない。先進的な判断をするからこそ、早すぎることもある。堅実だからこそ、遅れることもある。人を動かす力が強いからこそ、反発を生むこともある」


レオンの声は静かだった。


けれど、いつもの柔らかさより少し硬い。


「なのに、この時期以降の記録には、そういう揺れが見えない。強みだけが残って、弱みだけが消えている」


「……それって、そんなに変か?」


ルークが言う。


「変だと思う」


レオンははっきり答えた。


「人が成長して欠点を補うことはある。でも、癖ごと消えるのは違う。少なくとも、この作者もそう感じたから、伝記を完成させられなかった」


セレスが、メモに視線を落とす。


「別人みたい、ってこと?」


「そうだね」


レオンは頷いた。


「かなり馬鹿げた仮説だけど」


嫌な前置きだった。


「中身が入れ替わったと考えると、この不自然さには説明がつく」


沈黙。


最初に反応したのはルークだった。


「怖い話になってきたな」


「待て待て。入れ替わったって、どうやってだよ」


俺は思わず言った。


「顔も声も、歩き方も、癖も、全部ごまかすってことだろ? 無理がある」


「外見の話ならね」


レオンは俺を見る。


「でも、この作者が引っかかっているのは、そこじゃない」


「じゃあ、どこだよ」


「判断だ」


その一語で、さっきまで散らばっていたものが少しだけ線でつながった。


判断。


誰かが、何を見て、何を選ぶのか。


場のどこに目を向け、どこに手を打つのか。


「誰かがその人物の判断の仕方を真似ていたとしたら」


レオンは続ける。


「いや、真似るというより、その人物ならどう判断するかを、かなり高い精度で再現していたとしたら」


「それ、モノマネってことか?」


ルークが俺を見る。


「判断を再現するとか、話が急に大きくなってないか。俺のは、せいぜい分かったフリだぞ」


「同じものだとは言っていないよ」


レオンは頷いた。


「ただ、君が探している方向には近い気がした」


「方向?」


「君のスキルが何を真似ているのか、あるいは何に反応しているのか。その手がかりにはなると思う」


俺はすぐには答えられなかった。


何に反応しているのか。


その言い方は、妙にしっくりきた。


「この記録の人物も、外から見れば正しい判断をしているだけだ。でも、ある時期から、その正しさが不自然になっている」


レオンは折り込まれていたメモを、もう一度見る。


「もし中身が変わったのだとしたら、必要なのは外見の模倣だけじゃない。状況の把握と、判断の再現だ」


状況。


判断。


再現。


その三つの言葉が、頭の中で妙に形を持った。


Fake it。


分かったフリ。


モノマネスキル。


どれも正しくないようで、どれも完全に間違っているわけではない気がする。


「……つまり、何だ」


俺は言った。


「俺のスキルは、偉人の影武者向きってことか?」


「そこまでは言ってないよ」


「言われても困る」


「でも、調べる価値はあると思う」


レオンは真面目な顔で言った。


未完成の記録。


完成しなかった伝記。


不完全性が消えた人物。


そこに、俺のFake itと似た何かがある。


そう言われるとそんな気もしてくるし、かと言って確信が持てるわけでもない。


けれど。


引っかかる。


どうしても、引っかかる。


「……持ち出し禁止だったよな」


俺が言うと、ルークが顔をしかめた。


「お前、持って帰る気だったのか?」


「聞いただけだ」


「その聞き方は盗む奴のやつだろ」


「盗まない。たぶん」


「そこで保険かけるな」


セレスが小さく笑う。


レオンは観察日誌を閉じず、もう一度最初の方へ戻した。


「写せる範囲だけ写そう。持ち出せないなら、ここで読むしかない」


「真面目だな」


「ここで真面目じゃなかったら、何のために来たんだい」


「旧館観光?」


「帰れ」


四人で机を囲む。


古い資料室の空気は、埃っぽくて、少し息苦しい。


けれど、不思議と嫌ではなかった。


何かに近づいている。


そう思えたからかもしれない。


答えが見つかったわけではない。


Fake itが何なのかも、まだ分からない。


けれど、分かったフリという言葉だけでは、もう収まりが悪くなっていた。


俺の中で、スキルの形が少しだけ変わり始めていた。


ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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