第14話 動ける情報
「失敗だ」
その言葉は、まだ耳の奥に残っていた。
実技場の中央で、俺たちは横一列に並んでいる。
誰も、すぐには口を開かなかった。
レオンは木剣を下ろしたまま、まっすぐ前を見ている。
ルークは何か言いたそうに口元を歪めていた。
セレスは静かに目を伏せている。
俺は、奥の区画を見ていた。
布幕の向こうに、まだ救援できなかった対象がいる。
俺たちは、負けたわけではない。
けれど、失敗した。
その違いが、思っていたより重い。
「何が悪かったか、分かるか」
マルクスが言った。
答えは、たぶんいくつもある。
俺の指示が遅かった。
撤退経路を最初に決めていなかった。
全体を見ると言いながら、何を見るか決めていなかった。
レオンを止められなかった。
ルークに次の動きを渡せなかった。
セレスから受け取った情報を使い切れなかった。
頭の中には、反省点がいくつも浮かぶ。
多すぎる。
まただ。
「対象を救援できませんでした」
レオンが言った。
声は落ち着いていた。
ただ、その落ち着きは、いつもの余裕とは違っていた。
「そうだ」
マルクスは頷く。
「では、なぜ救援できなかった」
レオンが少しだけ黙る。
「番人を傷つけずに止める方法を、作れていませんでした」
「違う」
即答だった。
レオンの眉がわずかに動く。
「お前個人の判断は、悪くない」
マルクスは続けた。
「番人の身体ではなく、木剣だけを弾いた。傷つければ失敗だからな。そこは正しい」
レオンは黙って聞いている。
「だが、正しいところで止まっただけだ」
その言葉に、俺の背筋が少し冷えた。
「止まった後がない。お前が斬れない相手の前で止まることは、予想できたはずだ。なら、その後に誰が動くのかまで決まっていなければならない」
レオンの喉が、わずかに動いた。
「はい」
「お前は強い」
マルクスは淡々と言った。
「だから、お前が止まった瞬間の空白が大きくなる」
レオンは何も言わなかった。
言い返せないのだと思う。
俺も同じだった。
「レオンは悪くねぇだろ」
ルークが言った。
反射的に出た言葉だった。
マルクスの視線が、ルークへ移る。
「悪いとは言っていない」
「でもよ」
「失敗したと言っている」
ルークは口を閉じた。
その一言は、短いのに逃げ場がなかった。
マルクスはルークへ向き直る。
「次はお前だ」
「俺かよ」
「お前だ」
逃がす気はないらしい。
ルークは木剣を肩に担ぎかけて、途中でやめた。
聞きたくない。
そんな顔をしている。
けれど、虚勢を張って受け流せるほど、軽い話ではないことも分かっているのだろう。
結局、木剣は黙って下ろされた。
「お前は妨害役を止めた」
「……止めた、だろ」
「止めた後、倒しに行った」
ルークが目を逸らす。
「いや、倒せると思ったし」
「だから駄目だ」
また即答だった。
ルークが言葉を失う。
「倒せると思った時点で、お前は役割を捨てた」
実技場の空気が、少しだけ重くなる。
「今回のお前の役割は何だ」
「……攻撃盾」
「なら、倒すことが目的ではない」
ルークは、木剣の柄を握り直した。
「敵を打ち負かす攻撃と、敵に仕事をさせない攻撃は違う。お前は一瞬、攻撃盾ではなく剣士に戻った」
「でも、制圧はした」
「した」
マルクスは頷く。
「その一拍で、レオンとの距離が開いた」
ルークは黙った。
実際、笛の場面で、ルークなら横から入れたかもしれない。
でも、半歩遅れていた。
その半歩は、妨害役を制圧した時に生まれた。
「勝とうと思うな」
マルクスが言った。
ルークが顔を上げる。
「攻撃盾を名乗るなら、勝とうと思うな。倒すな。気持ちよく打ち負かすな」
「……無茶言うなよ」
「無茶ではない。役割の話だ」
マルクスは表情を変えない。
「お前の仕事は、相手に仕事をさせないことだ。味方が目的を果たすまで、そこに留めることだ」
ルークは何かを言おうとして、やめた。
しばらく黙ってから、ぼそっと言う。
「勝つより、止めろってことかよ」
不満そうな声だった。
けれど、分かっていない顔ではなかった。
倒せる相手を、倒さずに残す。
勝てる場面で、勝ちに行かない。
そこが、ルークには一番気持ち悪いのだと思う。
「次」
マルクスの視線が、セレスへ移った。
セレスは静かに顔を上げた。
「お前は見えていた」
「はい」
「右の妨害役。左の妨害役。奥の動き。対象の移動。警報の兆候」
セレスは頷く。
「見えてはいました」
「だが、足りない」
マルクスの言葉に、セレスの指がわずかに動いた。
「現場で必要なのは、見えていることではない。仲間が次に動ける情報だ」
動ける情報。
その言葉が、胸の奥に残った。
「お前の報告は間違っていない」
マルクスは言った。
「だが、行動に変わるまでが遅い」
セレスは黙っている。
「『右』ならレオンが動けた。『左』ならルークが動けた。だが、『対象が動く』と『笛』は、それだけでは足りない」
「誰が動くかまで、伝えるべきだったということですか」
「常にではない」
マルクスは首を横に振った。
「だが、今のお前たちはまだ、互いの役割を体で分かっていない。なら、情報は短く、動ける形にしろ」
レオンが聞いた。
「例えば?」
「『ルーク、笛』。『レオン、止まれ』。『対象、奥』。『撤退路、危険』」
短い。
驚くほど短い。
でも、確かにその方が動ける。
「情報とは、見たものを説明することではない」
マルクスは言った。
「次に誰が何をするための材料か。それが抜けた情報は、ただのノイズだ」
セレスはしばらく黙っていた。
それから、小さく頷く。
「分かりました」
声は静かだった。
けれど、少しだけ悔しそうだった。
セレスがそんな顔をするのは、珍しい。
見えていたのに、届かなかった。
そう思っているのだろう。
けれど、彼女が拾ったものを次の動きに変える役目は、俺だった。
セレスは俺を責めない。
だから余計に、少しだけ胸が痛かった。
「最後」
マルクスの視線が、俺に来た。
逃げたい。非常に逃げたい。
だが、ここで逃げると本当にどうしようもない。
「アレン」
「はい」
「お前が、判断を止めた」
分かっていた。
分かっていたが、実際に言葉にされると、逃げ場がなかった。
「はい」
「理由は」
「……全体を見ようとしたからです」
自分で言って、情けなくなった。
「全体を見るという言葉は便利だ」
マルクスが言った。
「だが、現場ではほとんど意味がない」
何も言い返せなかった。
「全体を見ると言う人間ほど、何を見るかを決めていない。何を捨てるかも決めていない。だから全部に反応しようとして、全部に遅れる」
マルクスの言葉に、胸の奥が少し重くなった。
実際、その通りだった。
右も見た。
左も見た。
奥も見た。
レオンも見た。
ルークも見た。
セレスも見た。
全部見ようとした。
その結果、何一つ決められなかった。
「セレスティアは異変に気づいていた。ルークは止めようとしていた。レオンは追おうとしていた」
マルクスの声が続く。
「だが、お前はそれを、次に誰が動くべきかまで組み直す立場だった」
「……はい」
「噛み合わせるとは、全部を抱えることではない」
そこでようやく、自分が何を間違えていたのかが少し見えた。
「何を見るかを決めろ。何を捨てるかを決めろ。誰に任せるかを決めろ」
誰に任せるか。
それが一番重かった。
俺はたぶん、全員を見ようとしていた。
全員を見て、全部拾って、全部何とかしようとしていた。
でも、それは役割を噛み合わせることではない。
仲間を信じて任せることと、自分が全部拾おうとすることは違う。
「お前の仕事は、全員の代わりに全部を見ることではない」
マルクスが言った。
「全員が見たものを、目的に向けて使うことだ」
黙って頷くしかなかった。
マルクスは全員を見た。
「今回の失敗は、弱いからではない」
その言葉に、ルークがわずかに顔を上げた。
「お前たちは強い。少なくとも、同学年の中では十分に強い」
それは、たぶん褒め言葉だった。
けれど、少しも安心できる響きではなかった。
「だから余計に危ない」
マルクスは言う。
「強ければ、目の前の相手を打ち負かせる。速ければ、先に進める。見えていれば、異変に気づける」
一拍置いた。
「だが、目的を間違えれば、その全てが失敗に向かう」
誰も、すぐには口を開かなかった。
ルークでさえ、何も言わない。
軽口で逃がせる言葉ではなかった。
「今回の目的は、救援と撤退だ。勝つことではない。制圧することでもない。格好よく突破することでもない」
マルクスの視線が、俺たちを順番に刺した。
「対象を救い、情報を漏らさず、番人を傷つけず、全員で戻ることだ」
分かっていた。
いや、分かっていたつもりだった。
けれど、現場で先に出るのは、理解ではなく癖だった。
レオンは前へ出る。
ルークは倒せる相手を倒しに行く。
セレスは見えたものを伝える。
俺は全部を見ようとする。
それぞれにとっては、一番自然な動きだった。
だからこそ、止まらなかった。
だが、今回の目的には噛み合っていなかった。
「もう一度やる」
マルクスが言った。
ルークが顔を上げる。
「今からですか?」
「今からだ」
「いや、ちょっと待ってください。反省時間とか」
「反省なら今した」
「雑!」
「不満か」
「いえ、ありません」
早い。
賢明な判断である。
ただ、俺も同じ気持ちだった。
もう一度やるのはいい。
だが、今のままもう一度やっても、たぶん同じことになる。
「教官」
レオンが言った。
「少しだけ、作戦を立て直す時間をもらえますか」
マルクスはレオンを見た。
「何分だ」
レオンは俺を見る。
いや、なぜ見る。
俺が言うのか。
そういう目だった。
「……5分、ください」
俺は言った。
「3分だ」
短い。
「5分では」
「3分だ」
「はい」
交渉の余地はなかった。
マルクスは実技場の端へ下がった。
「3分後に再開する。同じ条件だ」
同じ条件。
同じ失敗をする猶予はない、ということだ。
俺たちは開始位置の近くへ戻った。
自然と、4人で小さな輪になる。
3分。
たったそれだけの時間で、俺はまず、何を見るのかを決めなければならなかった。
何を捨てるのか。
誰に任せるのか。
そして俺たちは今度こそ、自分たちが描いた役割が、実際の状況でも動くのだと証明しなければならなかった。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




