第13話 そんなに楽じゃない
3日後。
実技場の中央には、木箱や布幕、簡易の柵がいくつも置かれていた。
床には白線が引かれている。
進んでいい場所。
踏み込んではいけない場所。
通路のように見せかけた場所。
逆に、ただの隙間にしか見えない抜け道。
いつもなら広く感じる実技場が、今日は妙に狭かった。
広い場所を、わざわざ狭く使わされている。
それだけで、かなり嫌な感じがする。
吊るされた布幕の向こうは見えない。
柵の隙間から奥は少しだけ覗けるが、その先に誰がいるのかまでは分からない。
積まれた木箱は低いものもあれば、身を隠せるほど高いものもある。
奥には、布で囲われた小さな区画があった。
たぶん、あそこが捕虜のいる場所だ。
今日の課題は、救援と撤退。
味方側の拠点に拘束された捕虜を助ける。
ただし、その捕虜は敵と誤認されている味方の密偵で、番人もまた事情を知らない味方だ。
つまり、助ける相手も、邪魔する相手も、どちらも味方。
敵ならまだ楽だった。
倒すなり、突破するなり、やりようはある。
だが、今回はそれができない。
傷つけずに進む。
事情を明かさずに助ける。
全員で戻る。
言葉にすると単純なのに、実技場に置かれた木箱と布幕を見ているだけで、それがどれだけ面倒なことか分かってくる。
「なぁ」
隣でルークが小声を出した。
「やっぱ面倒くさくねぇか、これ」
「3日前にも言ってたな」
「3日経っても面倒くさいもんは面倒くさい」
「成長がない」
「意見が変わってないだけだ」
ルークはそう言って、木剣を握り直した。
声はいつも通りだった。
けれど、握った指先には少しだけ力が入っている。
たぶん、軽口で誤魔化している。
いや、誤魔化しているというより、自分をいつもの調子に戻そうとしているのだと思う。
攻撃盾。
ルークはその名前を気に入っていた。
気に入ってはいたが、今日やることは、名前ほど単純ではない。
倒してはいけない相手を、攻撃で止める。
格好いい言葉にしてしまえば簡単そうに聞こえる。
だが、目の前の布幕の向こうにいるのは、斬っていい敵ではない。
レオンは黙って実技場を見ていた。
布幕の位置。
柵の切れ目。
木箱の高さ。
奥の区画までの道。
視線が、迷いなく順番に動いていく。
レオンはこういう時、慌てない。
勝てる可能性の高い道を、静かに探す。
それが羨ましいと思う反面、少しだけ怖くもあった。
今日の課題は、勝つことではない。
勝てる道が、そのまま正解になるとは限らない。
セレスは、俺たちとは違う場所を見ていた。
布幕ではなく、その布幕の揺れ方。
補助員の立ち位置ではなく、足の向き。
構えではなく、動き出す前の重心。
彼女の視線は静かだ。
けれど、何も見ていないわけではない。
むしろ、俺には見えていないものを拾っているのだと思う。
俺は、というと。
レオンを見て、ルークを見て、セレスを見て、補助員を見て、布幕を見て、柵を見て、左奥の出口を見て、入口側の白線を見て、奥の区画を見た。
視界に入るものが多い。
多すぎる。
全体を見る、なんて簡単に言ったが、これではただ目移りしているだけだ。
「始める前に確認する」
実技場の端に立っていたマルクスが言った。
その横には、実技補助員が4人いる。
全員、学校の卒業生か、若手冒険者だろう。
在校生のような遠慮はない。
こちらの様子を眺めながらも、すぐに動ける姿勢を崩していない。
「目的は、捕虜となっている対象を救援し、全員で撤退すること」
マルクスの声が、実技場に低く響いた。
「討伐点はない。対象を救援できなければ失敗。情報を漏らしても失敗。番人を傷つけても失敗だ」
改めて聞くと、やはり面倒である。
「制限時間は?」
レオンが聞いた。
「10分」
短い。
思わずそう思ったが、口には出さなかった。
代わりに、ルークが出した。
「短くないですか?」
「実際の現場で、敵や状況がお前たちの都合で待ってくれると思うな」
「ですよね」
ルークは肩を落とした。
マルクスは気にしない。
「対象は奥の区画にいる。番人役は2名。妨害役は2名。番人役は対象の近くから動かない。妨害役はお前たちを発見次第、拘束または排除する」
マルクスはそこで、番人役の腰元を指した。
小さな笛が下げられている。
「番人役が異常を察知し、警報を鳴らした時点で、対象は移送されたものとして扱う」
「笛を吹かれたら終わりってことかよ」
ルークが嫌そうな顔をした。
「そうだ」
マルクスは淡々と答える。
「対象の所在が変わり、撤退経路も塞がれる。今回の条件では、その時点で失敗とする」
笛を鳴らされる。
たったそれだけで終わる。
そう聞くと、実技場の奥に立つ番人役が、急にただの補助員ではなくなった。
「質問は」
マルクスが聞いた。
俺は口を開きかけて、閉じた。
聞きたいことはある。
対象の正確な位置。
番人の強さ。
妨害役の行動範囲。
撤退経路の扱い。
情報漏洩の判定。
聞こうと思えば、いくらでも出てくる。
けれど、それを全部聞いたところで、全部を使い切れる気がしなかった。
情報は多い方がいい。
たぶん、それは正しい。
でも、使えない情報が増えすぎると、今度は何を見ればいいのか分からなくなる。
「質問なしと判断する」
マルクスが言った。
「準備しろ」
俺たちは開始位置へ移動した。
入口側に引かれた白線の内側。
そこに4人で立つと、足場が妙に狭く感じた。
「どうする?」
レオンが聞いた。
自然と、全員の視線が俺に集まる。
できれば今すぐ他を見てほしい。
だが、そういうわけにもいかない。
レオンが攻める。
ルークが止める。
セレスが異変を拾う。
その3つが噛み合う場所を作る。
自分でそう言ったのだ。
「まず、奥の区画まで一気に行くのは危ない」
俺は言った。
「だろうな」
ルークが頷く。
「レオンが前。ルークはその横じゃなくて、少し後ろで抑える準備。セレスは対象と番人が動いたら知らせてくれ。俺は……全体を見る」
言ってから、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
結局、自分が何を見るのかはぼんやりしたままだ。
全体を見る。
便利な言葉だ。
便利すぎて、今の俺には少し怖い。
「アレン」
セレスが静かに言った。
「撤退経路は?」
「あ」
しまった。
最初に決めるべきだった。
救援と撤退。
目的は、助けることだけではない。
帰ることまで含まれている。
「入口側を基本にする。ただし、塞がれたら左奥の柵の隙間から抜ける」
急いで言う。
言いながら、自分の声が少し早くなっているのが分かった。
「分かったわ」
セレスが頷いた。
レオンも頷く。
ルークは木剣を握り直した。
「つまり、対象を助けて戻る。妨害役は俺が止める。番人は斬らない。笛も吹かせない」
「そう」
「分かりやすい」
「分かりやすいだけで済めばいいんだけどな」
本当に。
マルクスが手を上げた。
一瞬、実技場の音が遠くなった気がした。
「始め」
その言葉と同時に、俺たちは動き出した。
◇
最初の動きは悪くなかった。
レオンが先頭に立ち、布幕の間へ入る。
速い。
けれど、速すぎない。
後ろが離れないぎりぎりの速度で、最短に近い道を選んでいる。
ルークは少し後ろ。
レオンの真横ではない。
半歩ずらした位置にいる。
敵が飛び込んできた時、相手の進路そのものを塞げる場所だ。
セレスは俺の横で、足音を抑えて進んでいた。
視線だけが忙しい。
俺は全体を見る。
布幕。
柵。
補助員。
レオンの背中。
ルークの位置。
セレスの視線。
奥の区画。
見る。
見ようとする。
右の布幕が、わずかに揺れた。
風ではない。
「右」
セレスが言った。
短い。
早い。
レオンが反応する。
踏み込み。
木剣が低く走った。
布幕の影から出てきた妨害役の剣を弾き、肩口へ寸止めする。
一瞬だった。
綺麗だった。
綺麗すぎるくらいだった。
「レオン、止め――」
言いかけた時には、もう終わっていた。
実技補助員が一歩下がり、片手を上げる。
制圧判定。
相手の木剣は弾かれ、肩口の寸前でレオンの剣が止まっていた。
傷つけてはいない。
武器を落とさせ、動きを止めた。
それなら、失敗ではない。
けれど、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
今のレオンの動きは、速くて、綺麗で、正確だった。
けれど、それは対象を助けるための一手ではなく、目の前の相手を打ち負かすための一手だった。
そう思った次の瞬間、左側の柵の影からもう1人の妨害役が出てきた。
「左」
セレスの声。
今度はルークが前に出た。
「行かせねぇ!」
木剣がぶつかる音が響く。
ルークの剣撃は、レオンほど綺麗ではない。
だが、圧がある。
相手の踏み込みを潰し、進路を塞ぎ、こちら側へ入らせない。
攻撃盾。
確かに、それらしい動きだった。
相手が横へ抜けようとする。
ルークが一歩合わせる。
木剣が相手の手元を弾いた。
妨害役の姿勢が崩れる。
倒せる。
そう見えた。
たぶん、ルークにもそう見えた。
肩が前に出る。
足が踏み込む。
「ルーク、止めるだけだ!」
俺が叫んだ時には、ルークの木剣が相手の胸元で止まっていた。
実技補助員が片手を上げる。
制圧判定。
ルークは反射的に息を吐き、ほんの一瞬だけ、その場に重心を残した。
勝った。
そう思うには十分な間だった。
けれど、その間に、先へ進んでいたレオンの背中が少し遠くなる。
俺が気づいた時には、ルークの位置が半歩遅れていた。
たった半歩。
普通の模擬戦なら、気にするほどの距離ではない。
だが、今日は違う。
その半歩の隙間に、隊列の形が崩れていくのが見えた。
さっきまでひとつだった形が、細く引き伸ばされる。
その隙間に、嫌なものが入り込んだ。
「奥、動く」
セレスが言った。
奥の区画の前。
番人役の1人がこちらへ向きを変え、もう1人が布幕の奥を振り返った。
奥に控えた補助員へ合図するように、手を小さく動かす。
その視線の先には、捕虜役がいるはずだった。
対象を、奥へ移す気だ。
そう分かった。
だが、分かった瞬間には、もう次の判断が必要になっていた。
「レオン、左から回って番人を――いや、待て、斬るな。ルーク、前を――セレス、対象は見えるか?」
言葉が散った。
命令になっていない。
ただ、焦りを順番に口からこぼしているだけだ。
その間に、番人役の1人が区画の前へ出た。
もう1人の姿は、布幕の奥へ消える。
まずい。
布幕の向こうで、人の動く気配がした。
「対象が動くわ」
セレスが言った。
「奥の出口側へ移される」
「追う」
レオンが言った。
判断が早い。
そして速い。
レオンが前へ出た。
止める間もなかった。
いや、違う。
止めようと思えば、止められたはずだ。
ただ、俺は対象を追うこと自体が間違いだとは思えなかった。
むしろ正しい。
対象を動かされれば、救援は遠のく。
追う判断は間違っていない。
だから迷った。
その一瞬で、レオンは奥へ入った。
番人役が立ちはだかる。
レオンの木剣が動いた。
速い。
レオンは番人役の身体ではなく、木剣だけを弾いた。
斬らない。
傷つけない。
その判断は間違っていない。
だが、番人役は弾かれた勢いに逆らわず、半歩だけ後ろへ下がった。
レオンの剣が届く場所から、ぎりぎり外れる。
追えば届く。
けれど、踏み込めば、今度は番人を傷つける危険がある。
レオンが一瞬、止まった。
その一瞬で、番人役の手が腰元へ伸びる。
小さな笛が、指の間に見えた。
開始前に、マルクスが指していたものだ。
鳴らされた時点で、対象は移送扱い。
つまり、終わり。
「笛!」
セレスが叫ぶ。
俺も見えた。
だが、レオンは踏み込めない。
ルークなら横から割って入れたかもしれない。
でも、さっきの一拍で半歩遅れている。
セレスは気づいていた。
けれど、彼女にできるのは知らせることだけだった。
俺が、次の動きを決めていれば。
番人が腰に手を伸ばした時点で、誰が止めるのか決めていれば。
そこまで考えた時には、もう遅かった。
笛の音が、実技場に短く響いた。
その瞬間、マルクスの声が飛んだ。
「そこまで」
全員の動きが止まった。
笛の音の余韻だけが残る。
俺は息を止めたまま、奥の区画を見た。
対象は、まだ救援できていない。
それだけで、結果は明らかだった。
番人を傷つけたわけではない。
こちらの誰かが倒されたわけでもない。
けれど、目的は果たせていない。
俺たちは、負けたわけではない。
失敗したのだ。
実技場の中央へ戻れ、とマルクスが手で示した。
俺たちは黙って従った。
誰も、何も言わなかった。
マルクスが俺たちの前に立つ。
「結果を言う」
短い沈黙のあと、教官は淡々と告げた。
「失敗だ」
分かっていた。
分かっていたはずなのに、その言葉は思っていたより重かった。
勝てるだけでは、足りない。
そのことを、俺たちはその日、初めて思い知らされた。
ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!
筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;
この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。




