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第9話 一縷の望み

誰も、何も言わなかった。


講義室を出てから、俺たちは廊下の端に立ったままだった。


窓の外は曇っている。

さっき見た時より、空の色が少し暗くなった気がする。


胸の中の色も似たようなものだから、そう感じるだけかもしれない。


誰かを入れ替えろ。


マルクスの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。


足りない職能を補完する。

パーティとしての完成度を上げる。

この4人のまま、本登録することは勧めない。


正しい。たぶん、正しい。


それが分かるから、余計に何も言えなかった。


「なぁ」


最初に口を開いたのは、ルークだった。


いつもの軽さはない。

沈黙に耐えきれなくなったような声だった。


「どうする?」


誰に向けた言葉だったのかは分からない。


だが、自然と全員の視線が俺に向いた。


やめろ。そういうところだぞ。


俺はすぐには答えられなかった。


考える。ひたすら考える。


誰かを入れ替える。

足りない職能を補う。

回復手段。

盾役。

神官職。

治癒魔法。

前で止める役。

パーティとしての形。


考える。


考える。


だが、答えどころか、答えの輪郭すら見えない。


このまま廊下の端で突っ立っていても、出てくるのは結論ではなく、嫌な想像だけだ。


それに、腹が減っている。


人間は、腹が減っている時に重大な決断をするべきではない。


これは経験則である。


「よし」


俺は顔を上げた。


「飯行こう」


ルークが目を丸くした。


「この流れで?」


「この流れだからだ」


「いや、普通もっと深刻に悩むところじゃねぇの?」


「悩んだ」


「いつ?」


「今」


「短くね?」


「30秒考えて答えの輪郭も見えないなら、今は出ない」


俺は言った。


「それに、腹が減るとろくなこと考えないしな」


ルークは一瞬だけ黙った。


それから、なぜか真顔で頷いた。


「それはそう」


納得が早い。


レオンが小さく息を吐いた。


笑ったわけではない。

だが、張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだように見えた。


「……確かに、ここで立ち尽くしていても答えは出ないかもしれない」


「レオンまで?」


セレスが言った。


「食事を取りながら考えるのも、悪くはないと思う」


「言い方が真面目ね」


「真面目に言っているからね」


レオンはそう返した。


セレスは少しだけ目を伏せたあと、静かに頷いた。


「行きましょう」


その一言で、ようやく俺たちの足が動いた。



食堂は、いつも通り騒がしかった。


演習帰りの生徒たちが、あちこちで声を上げている。

誰が失敗したとか、誰が教官に怒られたとか、誰が昼飯を奢る羽目になったとか。


世界は普通に回っている。


その普通の騒がしさが、今は少しだけ遠かった。


俺たちだけが、講義室にまだ取り残されているような気がした。


いつもの席は空いていた。


窓際から2番目。壁を背にできて、出入口も見える席。


ルークがそれを見て、少しだけ表情を緩めた。


「空いてる」


「良かったな」


俺が言うと、ルークは少しだけ気まずそうに椅子を引いた。


いつもなら何か返してくるところだが、今日は、それがなかった。


レオンが人数分の水を持ってきた。


いつも通りだ。


けれど、その動きも、いつもより少しだけ遅く見えた。


セレスはスープとパンを置き、席に座った。


俺は安い方の定食を前にして、箸を持った。


食欲はある。


あるのに、最初の一口を飲み込むまでに、少し時間がかかった。


「……で」


ルークが水の入った厚手のコップを指先で回しながら言った。


「誰か抜けるって話、するのか?」


誰もすぐには答えなかった。


食堂の騒がしさが、さらに遠くなる。


「教官は、誰かを入れ替えろと言った」


レオンが静かに言った。


「足りない職能を補完しろ、とも」


「つまり、誰かを抜いて、神官とか盾役とかを入れろってことだろ」


ルークが言う。


その言葉に、誰も何も言えなかった。


セレスはパンを小さくちぎった。


「……そういうことに、なるのでしょうね」


いつもより少しだけ、声が低かった。


「誰かを外したいわけではなくて、足りないものを入れろ、という意味だとは思うわ」


「同じことじゃねぇか」


ルークが言った。


セレスはすぐには答えなかった。


少ししてから、小さく頷く。


「ええ。だから、困っているの」


その言葉で、また沈黙が落ちた。


ルークが皿の上の肉を見たまま、ぽつりと言う。


「誰が抜けるんだよ」


誰も答えなかった。


答えられるわけがない。


レオンが抜ける。

セレスが抜ける。

ルークが抜ける。

俺が抜ける。


どの選択肢も、考えようとした瞬間に嫌になった。


「この学校に、神官職の生徒はいるのかい?」


レオンが静かに聞いた。


「神官職っていうか、神聖大陸出身ならいたよな」


ルークが言った。


俺は箸を止めた。


「いたな」


心当たりはある。


2年の別組に、神聖大陸出身の生徒がいる。


名前は、リシア・ベル。


神聖大陸の小さな修道院で基礎教育を受けてから、冒険者を目指してこの学校に来た、かなり珍しい生徒だ。


実用レベルの治癒魔法をどこまで使えるのかは知らない。


だが、少なくとも光属性の基礎と神官教育を受けている。


この学校では、それだけで十分珍しい。


「リシアか」


レオンも名前を出した。


「彼女なら、確かに可能性はある」


そこで、また沈黙が落ちた。


可能性はある。


だが、その可能性を口にしたところで、結局は誰かが抜けることになる。


神官職を入れる。そのために、今いる誰かが抜ける。


結局、そこに戻ってくる。


ルークは水を一口飲んだ。


それから、しばらく黙った。


珍しく、何かを考えている顔だった。


本当に珍しい。


少しして。


ガタッ、と音がした。


ルークが急に立ち上がった。


「ああっ!?」


食堂の一部がこちらを見る。


俺たちも見た。


「急にどうした」


「分かったんだよ!」


ルークの顔に、さっきまでの重さはなかった。


完全に消えたわけではない。

でも、その上から、何かを見つけた時の勢いが戻っていた。


「誰かが抜ける必要、ねぇじゃん!」


「は?」


俺は間抜けな声を出した。


「だから、誰かが抜ける必要はねぇだろ!」


ルークは机に手をついた。


「4人じゃなくて、5人にすりゃいいんだよ!」


一瞬、時間が止まった。


5人。


その言葉が、頭の中で転がる。


誰かを入れ替えろ。

足りない職能を補完しろ。


俺たちは、その言葉を、誰かが抜けるものだと思い込んでいた。


けれど。


「……4人でなければならない、とは言われていない」


レオンがゆっくりと言った。


「だろ!?」


ルークが勢いよく頷く。


「5人にするなとも言われてねぇ!」


「まさかの天才か?」


俺は思わず言った。


「おい、まさかって何だよ」


「一生分の知恵を今使った可能性がある」


「失礼すぎるだろ!」


「でも、今のは本当に良い案だわ」


セレスが言った。


ルークが得意げに胸をそらす。


「だろ!?」


「ええ。悔しいけれど」


「悔しいって何だよ!」


一気に、空気が変わった。


現金なものだ。

けれど今は、その閃きにすがりたかった。


レオンも、わずかに顔を上げた。


「確かに、5人編成なら誰も抜けずに足りない職能を補える可能性がある」


「だろ!?」


「ただし、問題は相手がいるかどうかだ」


「そこは今から考える!」


「順番がルークらしい」


俺が言うと、ルークは一層胸を張った。


「まず希望を見つけるのが大事なんだよ」


それは、実にルークらしく、不本意に正しい言葉だった。


「神官職が必要なら、リシアに声をかけるのが一番現実的ね」


セレスが言った。


その声にも、さっきまでより少しだけ力が戻っていた。


「そうだな」


レオンが頷く。


「断られる可能性はある。でも、聞かずに諦める必要はない」


「よし」


ルークが立ったまま言う。


「行こうぜ」


「今すぐ?」


「今すぐ」


「飯は?」


「あとで食う」


「腹を満たしてから考えると言ったばかりなんだが」


「今は考えるんじゃねぇ。動くんだ」


雑だ。


でも、その雑さに救われることもある。


俺は定食を一口だけ口に入れた。


さっきより、少しだけ飲み込みやすかった。


「行くか」


俺が言うと、3人が頷いた。


一縷の望み。


そんな言葉が、頭に浮かんだ。


誰も抜けなくていいかもしれない。


この4人に、足りないものを足せるかもしれない。


それが都合の良い考えだとしても、今はその都合の良さにすがりたかった。



リシア・ベル。


白に近い淡い金髪を肩のあたりでまとめた、小柄な少女だ。


俺たちと同じ2年生だが、雰囲気は少し違う。


神聖大陸出身者特有の、という言い方が正しいのかは分からない。

ただ、言葉遣いも立ち居振る舞いも、どこか静かで整っている。


昼休みの終わり頃、リシアは事務棟近くの中庭にいた。


彼女は他の生徒と話していたが、こちらに気づくと、柔らかく会釈した。


「レオンさん。皆さんも」


「少し時間をもらってもいいかな」


レオンが言った。


こういう時、最初に話すのはレオンが向いている。


爽やかで、丁寧で、相手に警戒されにくい。


非常に便利である。


リシアは少しだけ不思議そうに首を傾げた。


「はい。大丈夫です」


近くの木陰に移動する。


ルークは珍しく口を閉じていた。


セレスも静かに立っている。


俺は、どう切り出すべきかを考えていた。


だが、レオンが先に口を開いた。


「急な話で申し訳ない。実は、僕たちはパーティ構成の見直しを求められていてね」


「マルクス先生に、ですか?」


「そうだ」


リシアの表情が少しだけ真剣になる。


「足りない職能があると言われた。特に、回復手段と防御面だ」


レオンはそこで一度言葉を切った。


「それで、君に声をかけさせてもらった」


リシアはすぐには答えなかった。


驚いたような顔をして、それから少し困ったように眉を下げた。


その表情を見た瞬間、嫌な予感がした。


今回も、当たる。


「声をかけていただけるのは、とても嬉しいです」


リシアは丁寧に言った。


「でも、ごめんなさい」


答えは早かった。


そして、柔らかかった。


柔らかい分だけ、逃げ道がなかった。


「私はもう、別のパーティで本登録を目指すことにしています」


ルークの肩が、わずかに落ちた。


レオンは静かに頷く。


「そうか。こちらこそ、急にすまない」


「いえ。誘っていただけたこと自体は、本当に嬉しいです」


リシアは申し訳なさそうに微笑んだ。


「ただ、今のパーティには1年の終わり頃からお世話になっていて……今さら抜けることはできません」


当然だった。


当然すぎる。


神聖大陸出身。

神官教育の経験あり。

光属性の基礎を扱える。


そんな人材が、今まで誰にも声をかけられていないわけがない。


俺たちは、完全に出遅れていた。


「治癒魔法は、もう使えるのか?」


ルークが聞いた。


聞き方は少し不器用だったが、責めるような声ではなかった。


リシアは首を横に振る。


「応急処置程度です。深い傷をすぐ治せるほどではありません」


「それでも、十分珍しいわ」


セレスが言った。


「はい。だからこそ、今のパーティでも、私はかなり大事にしていただいています」


それも当然だった。


大事にされているなら、なおさら抜ける理由がない。


「ごめんな」


ルークがぽつりと言った。


「急に変なこと頼んで」


リシアは少し驚いたようにルークを見た。


それから、穏やかに笑った。


「いいえ。困っている時に声をかけていただけたなら、嫌ではありません」


「でも、無理だよな」


「……はい」


はっきりしていた。


優しいが、はっきりしている。


「こちらこそ、ごめんなさい」


「いや」


俺は慌てて言った。


「謝るのはこっちだ。急に悪かった」


リシアはもう一度、丁寧に頭を下げた。


「皆さんなら、きっと良い形が見つかると思います」


良い形。


その言葉が、少しだけ胸に残った。


俺たちは礼を言って、その場を離れた。



中庭から校舎へ戻る道で、誰も喋らなかった。


昼休みはもう終わりに近い。


他の生徒たちは教室へ戻っていく。


俺たちだけが、また廊下の途中で足を止めた。


「詰んだな」


ルークが言った。


いつもなら軽く聞こえる言葉が、今回は妙に重かった。


「まだ、他の候補を探すことはできる」


レオンが言った。


だが、その声に強さはあまりなかった。


「神官教育を受けた冒険者志望なんて、他に何人もいないわ」


セレスが静かに言う。


「まして、この時期にまだパーティが決まっていない人となると、かなり難しいと思う」


現実的だった。嫌になるくらいに。


「じゃあ、やっぱ誰か抜けるしかねぇのかよ」


ルークが言った。


誰も答えなかった。


答えたくなかった。


一縷の望みは、いとも簡単に消え去った。



俺たちは再び、答えのない沈黙の中に立っていた。


ナナセカをお読みいただき、ありがとうございました!

筆者はアレンと違い『分かったフリ(Fake it)』が使えません >_<;

この物語を少しでも気に入っていただけましたら、下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマークをいただけますと、執筆の凄まじいモチベーションになります。

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