第47花 第二段階
【第二段階を開始します】
その文字は、いつまでも消えなかった。
階段の踊り場。
古い校舎。
夕方の光。
何もかもが現実のはずなのに、その一文だけが異物みたいに浮いている。
「……何?」
スズランが呟く。
その声が震えていた。
無理もない。
昨日まで普通の高校生だったのだ。
なのに今は、誰にも見えないはずのノートを読んでいる。
世界がおかしいことを、自分の目で確認してしまった。
「アスター」
スズランはノートから目を離さない。
「これ、本当に見えてる?」
「……」
「夢じゃないよね?」
答えられなかった。
夢ならどれだけ良かったか。
●
「へえ」
ダリアが階段を下りてくる。
楽しそうに。
ゆっくりと。
「思ったより早かったな」
「お前、何を知ってる」
アスターは睨む。
ダリアは肩をすくめた。
「知ってるっていうか」
一段下りる。
「予想してた」
「何を」
「第二段階」
その言葉に、空気が冷える。
●
「第一段階は観測」
ダリアは指を一本立てた。
「未来を見る」
次に二本。
「第二段階は共有」
スズランを見る。
「だから見えるようになった」
その説明が正しいかどうかは分からない。
でも。
今起きていることには妙に合っていた。
「じゃあ」
スズランが聞く。
「第三段階もあるの?」
ダリアは笑った。
その笑顔が嫌だった。
「あると思う?」
「……」
「あるよ」
即答だった。
●
その瞬間。
ノートのページが勝手にめくれた。
全員が息を呑む。
ばさっ。
ばさっ。
ばさっ。
止まる。
見開きのページ。
今まで見たことのない形式。
【観測者】
アスター
スズラン
その下。
【未確定対象】
ダリア
沈黙。
数秒。
誰も動かなかった。
「……は?」
最初に声を出したのはアスターだった。
「ダリア?」
ページを見る。
間違いない。
書かれている。
スズランでもなく。
自分でもなく。
ダリアの名前。
ダリアの笑顔が消えた。
本当に、一瞬だけ。
「へえ」
それだけだった。
でも。
その短い反応で十分だった。
動揺している。
こんなダリアを見るのは初めてだった。
そして、
ダリアが予想していなかった顔をした。
●
「お前……」
アスターが言う。
「知らなかったのか」
「知らないよ」
珍しく即答。
「私の名前なんて出たことないし」
ノートに新しい文字が浮かぶ。
【未確定対象の観測を開始】
その瞬間。
ダリアの顔色が変わった。
「っ……!」
膝をつく。
呼吸が乱れる。
「ダリア!」
スズランが駆け寄る。
でも。
ダリアはその手を振り払った。
「触らないで」
初めて聞く声だった。
余裕がない。
焦っている。
「どうした」
アスターも近づく。
「見える」
ダリアが呟く。
「何が」
返事はすぐには来なかった。
数秒。
苦しそうに目を閉じる。
そして。
「私の知らない記憶」
空気が凍る。
「知らない教室」
「知らない会話」
「知らない私」
言葉が続く。
「何それ」
スズランが顔を青くする。
「分かんない」
ダリアは笑おうとした。
でも失敗した。
「分かんないけど」
震える声。
「いっぱいある」
その言葉でアスターは理解した。
今まで二重記憶に苦しんでいたのはスズランだった。
でも。
それが。
ダリアにも始まった。
ノートが再び光る。
【未確定対象:ダリア】
【観測結果】
【複数存在を確認】
沈黙。
「……複数?」
アスターが読む。
次の瞬間。
ページに最後の一文が浮かんだ。
●
【候補数:7】
全員が固まった。
7。
7人のダリア。
7つの可能性。
7つの人生。
そして。
そのどれが本物か誰にも分からない。
ダリアだけが、青ざめた表情でノートを見つめていた。
「嘘でしょ」
ダリアが心の底から怯えたのは初めてのことだった。
そしてアスターは気づく。
第二段階が始まったことで。
世界はスズランだけじゃなくなった。
今度は。
ダリアそのものが、物語の中心へ引きずり込まれようとしていた。
ノートのページが、ゆっくりと次を告げる。
【次の固定対象を選定中】
その文字を見た瞬間。
誰も言葉を発せなかった。




