恋枕~末の松山~7
それから、則光さんが以前のように清少納言を訪ねてくることは無くなった。
周りの人々は、二人が仲違いするようなことがあったのかしきりに噂をしていた。
私は、一度だけ則光さんから清少納言の元に手紙が届いていたのを知っている。
いよいよ年も暮れようとして、二人の噂さえも年の瀬の忙しさに取り紛れようとした頃だった。
「清少納言様はおられますか」
少年のよく通る甲高い声が部屋に響く。
ちょうど応対できる者が私しかいなかったので、御簾の近くまで行った。
「清少納言はいませんよ」
そう書いた紙を差し出したが、童は字が読めないようでおろおろとしている。
「清少納言様にお手紙です」
童はそう言って御簾の中に手紙を差し入れてくる。
本人でもないのにいかがなものかと思ったが、伝えようもないのでそのまま文を受け取ってしまった。
「あら、どうしたの」
手紙を片手に困り果ててしまった私に、藤大納言が声を掛けてきた。
「清少納言にお手紙なんですけど、いないと伝えきれなくて。そのまま受け取ってしまいました」
「あら、大変。誰かに清少納言を呼んできてもらいましょう」
そういえば、誰からの手紙かも聞かなかったと反省する。
誰が呼びに行ってくれたのか、すぐに清少納言はやって来た。
「兄さんだわ」
文を広げて、清少納言は言った。
「馬鹿ね、無理しちゃって」
清少納言がおかしそうに笑うのが気になるけれど、詮索するのは憚られて首を傾げるだけにした。
その様子に気が付いて、彼女は私にそっと耳打ちする。
「いつか私の父が詠んだ『末の松山』のように、変わらず兄として見てくれですって」
「末の松山」と言えば、どんな波も越えられないことから決して変わらないものの例えとして使われる歌枕だ。
例えとして、則光さんは間違っていないと思う。
「でもね、私の父が詠んだのは、心変わりを恨む歌なのよ」
そう言って、清少納言は自分の父親が詠んだ歌を口ずさむ。
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは
袖を絞るほど涙で濡らして約束したというのに、末の松山を波が越えることのないよう私たちの心も変わらないと。
約束を違われてしまったことを恨みがましく詠んだ歌だ。
「変わらずにいよう」という文に用いる歌としてはふさわしくない。
「私の心変わりを責められているというのは考えすぎかしらね」
そう言いながら、清少納言は返事をしたためる。
崩れ寄る妹背の山のなかなればさらに吉野の河とだに見じ
崩れてしまった妹背山の中が吉野川だとは見えないように、私たちの仲も兄妹とは見ることができないほど崩れてしまった。
「良いんですか、歌なんて詠んで」
「きっと、読まずに捨ててしまうでしょうね」
清少納言がくすくすと笑う。
「本当は、私は一度だってあの人を兄だと思えたことはなかったわ」
彼女の呟きを聞いたのは、私と水のように澄んだ冬空だけだろう。
手紙の返事が来ることはなかった。
年が明けて、則光さんは五位を叙され、遠江権守に任じられた。
則光さんの出発の日、清少納言は朝から晩まで御前にいて、ことさらよく笑っていた。
その日はいつもより少しだけ暖かくて、昼になるころには火桶も部屋の隅に追いやられてしまっていたのだった。




