第21話 動物の本能
21.動物の本能
それから2~3日後、正子が遅番で午前中家にいると、姉の真理恵が子供連れでやって来る。
「あんた、この前朝帰りしたんだって~?」
「え・・・」
「お父さん、相当心配してたよ~」
「・・・そうなの?」
「誰と一緒だったの?」
「・・・仁美だよ」
「・・・ほんと?」
「どうして?本当だよ。他にそんなに親しい友達いないじゃん」
「彼氏じゃないの?」
「そんなんじゃない!」
「そんなにむきになんなくてもいいじゃない」
「・・・・・・」
正子の様子を慎重に探る真理恵。
「今付き合ってる人いるの?」
「・・・何、急に・・・」
「あぁ、出来たんだ彼氏」
「何よ・・・だからぁ」
「目覚めちゃったかぁ、正子もとうとう」
「変な言い方しないでよ!」
真理恵が急に正子に近寄って小声になる。
「お父さんには言わないからさ。その朝帰りの相手は、その彼氏なの?」
「違う!本当にお姉ちゃんが思ってる様なんじゃないから!」
「へぇ~」
まだ信用しない真理恵は、正子を上から下までじろじろと舐めまわす様に見た。
「で、どこで知り合ったの?」
「え?」
「連れてきなよ、ここに」
「・・・やだよ」
「どうして?紹介出来ない様な人なの?」
「そういう訳じゃないけど・・・まだ・・・」
「まだ最近なの?つきあい始めたの」
ぐいぐい切り込んでくる真理恵に、正子は戸惑っていた。
「うん・・・まぁ・・・」
「お父さんに紹介する前に、私が会ってみてあげようか?」
「・・・いいよ・・・まだ・・・」
その晩、正子は淳哉に電話を掛けた。
「お姉ちゃんが、連れて来なって」
「そっか・・・」
「もう・・・お父さんがお姉ちゃんに余計な事言うから、イケないんだよ」
「お父さんが?だってまーこ この前、大丈夫だったって言ったよね?本当はお父さんに叱られたの?」
「お父さんに直接は言われてないけど、その後でお姉ちゃんに言ったらしい。お父さん心配してたって言われた・・・」
「そっか。ごめんね。じゃ、俺 お父さんに謝りに行かなくちゃいけないかな・・・」
正子は それを聞いて待ったをかけた。
「ちょっと待って。謝るって・・・私、あっちゃんと一緒だったなんて言ってないからね。仁美と一緒だったって言ってあるんだよ」
「え・・・そうなの?それなのに、じゃ どうして?嘘がバレてるって・・・事?」
「え・・・」
正子が愕然としだす。急に頭が真っ白になる。
「どうしよう・・・」
「・・・ごめんね。やっぱ まーこ帰せば良かった。・・・嘘つかせてごめんね」
「ううん」
「親に嘘なんて・・・きっとまーこ、初めてでしょ?」
返事は出来ない。『うん』なんて言おうものなら、もっと淳哉が責任を感じてしまうから。
「元々は私がわがまま言い出したんだもん・・・」
こんな時には冷静な仁美の意見を聞きたくて、正子は会社帰りの仁美に会いに行った。
「このタイミングで親に紹介?広瀬さん、キツイね~!」
いきなりの先制パンチだ。
「ま、でも軽い気持ちで正子に手出せないって思ってもらえるから、それはそれで 私としては安心だけどね」
「軽い気持ちなんかじゃないよ、あっちゃんは」
「あ~あ、正子も盲目になっちゃったね」
「どういう意味よぉ・・・」
「じゃ どうして広瀬さんが軽い気持ちじゃないって言えるの?どっかに下心あるに決まってるでしょ」
「・・・そうなの?」
急に正子の顔いっぱいに、不安の色が広がる。すると仁美も少し言い方を訂正した。
「下心っていうか・・・生物学的に男の本能っていうか・・・」
難しい顔をする正子。
「オスは本来、子孫を残すっていう生物学的な役割がある訳よ。遺伝子を残したいっていうか・・・。だから本能として、メスを求めるっていうかさぁ・・・」
「子孫・・・?」
いまだに分からない顔をしている正子に、仁美は言った。
「ま、広瀬さんは裏表の無さそうな所が好感が持てるけどね」
すると急に、正子の顔に花が咲いた様な明るさが広がる。
「仁美もそう思う?」
急にはしゃぐ様な素振りの正子に、再び仁美は手綱を締めた。
「とはいえ、オスはオスだからね」
そして、話題を元に戻す仁美。
「家に広瀬さん連れてくるって事はさ、お姉さんも来るつもりなのかな?」
「・・・どうして?」
「なんか・・・重いよね。家族に紹介されんの」
その日の夜中、正子は淳哉にメールした。
『この前の うちに来る話、忘れて』
早速に淳哉から着信だ。
「どうしたの?何かあった?」
「ううん。やっぱり、色々考えて・・・」
「俺はどっちでもいいけど・・・お家の人は平気なの?」
「うん・・・まだ返事した訳じゃないから」
「ふう~ん。色々考えたって・・・何を?」
仁美との会話を思い出し、言葉に詰まる正子。返事のない電話を、淳哉がじっと待つ。そして正子は、おずおずとそれらしい言葉で取り繕う。
「色々って言っても・・・大した事じゃないけど・・・」
「大した事じゃないなら話せる?」
淳哉の追及は、相変わらずだ。
「・・・家族に紹介なんて・・・何だか重いなって」
少し間を置いて、淳哉が言った。
「じゃ、俺の親に紹介してもいい?まーこの事」
「・・・えっ?」
「まーことは浮ついた気持ちでつきあってないから、むしろ重い位のがいいや。俺をまーこの家族に紹介するかどうかはまーこが決めればいいけど、俺はまーこを親に紹介したっていいって思ってる」
「・・・・・・」
予想外の展開に、正子の頭と気持ちがついていくのに必死だ。
「あっちゃんは今まで、ご両親に紹介した事あるの?」
正子はつい聞いてしまったが、口に出してから後悔する。
「あ・・・いいの、いいの。そんな事全然聞きたい事じゃなかったのに。ごめんね」
もし淳哉の返事が『ある』と言われたら、やっぱり気になる。それ以上の事を詮索したくなってしまう。『ない』と言われても、かえってその重みを感じて 緊張してしまうだろう。そう正子が思って自分の出した言葉を取り消すと、淳哉が言った。
「うちのお袋のキャラ 強烈だからな~。まーこ平気かなぁ」
「・・・気に入ってもらえる自信、ないよ」
「どんな人なら気に入るとか気に入らないとかじゃないんだよなぁ。何て言うのかなぁ~」
母親の説明に頭をひねる淳哉。
「昔中学位の時にさ、お袋が俺に言ったんだよ。女の子とつきあってもいいけど、子供だけは出来ない様にしなさいよって。ゴム二枚重ねなさいって。凄い事言うだろ?」
「・・・・・・」
呆気に取られ、ぽか~んと口が開いたまま塞がらない正子。
「引くよね?親父が言うならまだしも、お袋だよ」
「・・・・・・」
「カルチャーショック受けた?さすがに今はそんな事言わないと思うけど、会うの勇気いるでしょ?」
お母さんの強烈キャラに驚いたからではない。淳哉の口から、あんな言葉が出る事に、唖然としてしまっていたのだ。仁美の言葉を借りるなら、淳哉が急にオスに思えてきてしまって、正子の心臓がどっきんどっきん止まらなくなっていた。
「・・・まーこ?」
「・・・・・・」
「ごめんね、下品な話して」
それでも返事がないから、淳哉が少し大きな声で呼んだ。
「もしも~し?聞こえてる?」
「あ・・・うん。ごめん」
「ねぇ、勘違いしないでよ。俺が言ったんじゃないよ。お袋が言った言葉だからね。それにしてもさ、下品な親だよな。会わせるの勇気いるよ。でも今年の正月に兄貴が彼女連れてきた時は、お袋もよそ行きの感じだったから、きっと大丈夫だと思うんだけどね」
「あっちゃん・・・もう少し、待ってもらってもいい?紹介してくれるの凄く嬉しいけど、まだ・・・もうちょっと」
「脅かし過ぎたかな?ごめんね」
「ううん。お母さんがどうのっていうんじゃなくて・・・私があっちゃんと・・・もう少し大丈夫になってから・・・」
淳哉はふっと笑って言った。
「もう少し大丈夫になってから・・・ね」
淳哉の言い方から変な言い回しをした事に気付く。しかし他の言い方も思いつかない。
「大丈夫って・・・何かリアルだね」
淳哉が少し悲しそうな声で言った。
「ごめん・・・大丈夫っていうか・・・」
すると淳哉がそれをなだめた。
「まーこの正直な気持ちだと思うよ。俺の事、まだ距離を保っておきたい相手だと思うし」
「・・・・・・」
そんな風に淳哉に思わせてしまっている事も申し訳ないと感じるのだが、それと同時に 距離を保たなくてもいいと思える瞬間が 果たして自分に来るのかが疑問だ。
「あっちゃんは、私にもう何でもさらけ出せる?」
「うん」
「もう?何でも?」
「うん」
何故そんなにすぐに平気になれるのだろう。相手は赤の他人だというのに。しかも異性だ。そんな正子に、答えが浮かぶ。仁美の言う通りなのかもしれない。やはりオスだからだ。遺伝子を残したい本能で、メスを求めるのかもしれない。そう考えると、再び正子の頭に疑問が浮かぶ。・・・淳哉というオスが、ただ誰か遺伝子を残せそうなターゲットのメスを見つけて、本能のままに追いかけてくるのか。盛りのついたオス猫が、夜な夜なメスを追いかける様にだ。そんな事を考えていくと、正子はぞっと寒気がして鳥肌が立つ。
「ねぇねぇ、話変わるけどさ、誕生日どうする?シフト出た?予定分かる?」
正子が変な思考回路に迷い込んでいる間に、淳哉は次の話題に移っていた。
「あっちゃん・・・ごめん。私、今日もう寝るね」
「あ・・・うん。ごめんね。遅くなっちゃったね」
そう言いながらも、きっと急に電話を切るなんて言い出した事に不信感を抱いてるに決まっている。しかし説明もできない。だから正子は、気が付かないふりをして、電話を切った。
「電話で話したり、時々遊びに出掛けたり、そういうのだけじゃダメなの?」
次の日、正子は仁美に電話を掛けていた。
「じゃ、広瀬さんと友達でいいんじゃない?」
友達・・・そう言われると淋しい。
「好きなのに・・・友達?」
「プラトニックなつき合いでもいいと思うよ。でも、広瀬さんもそう思ってるならの話だけどね」
「だって、この前仁美、男はオスの本能がどうのって言ったじゃない。その理屈からすると・・・無理でしょ?」
「今流行りの草食系男子ならイケんじゃない?」
「・・・・・・」
「ま・・・広瀬さんが草食系かと聞かれると・・・ねぇ」
「・・・・・・」
「手繋ぐのも嫌?」
「手繋ぐ位は・・・嫌じゃない」
「抱きしめられるのは?」
「・・・それは、安心するっていうか・・・嬉しいって思えた」
「じゃチューは?」
「わかんない、わかんないよ!」
「だって一回したでしょ?」
「そんなの緊張しすぎて覚えてないし、どうかなんて聞かれても分かんないよ」
「じゃ、今後一切広瀬さんがチューしてくれなくても平気?」
「うん・・・」
仁美ははぁと少し溜め息をついた。
「正直にさ、そういうお付き合いを求めてますって話してみたら?それで広瀬さんの本音も聞けるだろうし」
「え~?そんな話自分からするのぉ?」
「だって広瀬さんに男を感じた途端に、寒気がして鳥肌が立ったんでしょ?早めにはっきりした方がいいよ。広瀬さんの為にもさ」
「ねぇ、仁美。一個だけ聞くけどさ」
そう前置きを聞いて、仁美は笑いながらツッコんだ。
「正子、いっつも一個だけじゃないけどね」
仁美の鋭いツッコミも聞こえていないかの様に、構わず質問が来る。
「そんな事話すカップルって、普通いる?」
「普通と比べないの。あんた達、元々普通じゃないところからスタートしてんだから」
「んん・・・そうだけどぉ。そういう事話すの・・・おかしいかな?」
「ま、世間一般では、そんな事話して決める事じゃないっていうか、自然とお互いの気持ちとかが近付くにつれって事だと思うけど。でもね、正子が結婚する人とならっていう感じ、凄くいいと思う。だけど、まだ結婚なんて考えられないだろうし・・・」
そこまで聞いて、正子が過剰に反応する。
「結婚なんて・・・無理無理無理!」
「分かってるって。広瀬さんとは、ゆっくり時間を掛けてっていうんじゃなくて、男の人自体を生理的に受け付けないんでしょ?」
「他の男の人は分かんないけど、あっちゃんのそういう・・・男の人っぽいところ見たくないっていうか・・・どんな風に変わっちゃうのかなって怖く思う」
仁美は少し間を置いてから話し始めた。
「どうして そこまで恐怖を感じるんだろ。何か昔男の人に嫌な事されたの?痴漢とか・・・近親相姦まがいの事とか・・・」
「ない、ない」
「じゃ・・・前世の記憶ってヤツかね」
「・・・何それ?」
「ほら、前世でお姫様だったとか、侍だったとか聞くでしょ?今の前に生きてた時の強烈な記憶を魂が覚えてるって・・・そういうの聞いた事ある」
「へぇ~。で、私は男の人に怖い思いしたって事?」
「定かじゃないよ。ただ、そうじゃないかなって思っただけ。でなきゃ、そこまで寒気や鳥肌立たないでしょ?」
「鳥肌って・・・盛りのついたオス猫がメス追っかけるのイメージしちゃったからだし」
「じゃ、女の本能ってのは何だと思う?」
正子は答えを出せないでいた。
「守りだと思う。我が子、我が家、我が身を守ろうとするのが女の本能なんだとしたら、正子は今正に本能のままに生きてる状態なんじゃない?」
「え・・・良いの?悪いの?」
「正子だって本能丸出しなんだから、広瀬さんが本能のままに動いたって、何ら特別な事じゃないでしょう」
「・・・納得して受け入れろって事?」
「んん・・・。頭じゃなくて、心で受け入れられるといいんだけどね」
「一個だけ疑問なんだけど・・・」
仁美はまたふっと笑ってツッコんだ。
「ま、いつも一個だけじゃないけどね」
そしていつもの通り、それには触れずに正子が質問を続けた。
「守りたい女と、遺伝子を残したい男が噛み合う時があるの?だって一生追っかけっこみたいな相関図じゃない」
「そりゃあ、あるわよ。あるから、人間が始まって現在まで命が繋がってるんじゃない」
「そうだけど・・・不思議」
「この人ならって守りを緩める相手を、動物の勘で嗅ぎ分けるのよ」
「動物の勘?私みたいな人は、一生縁がない話かもね」
「一生縁がないなんて暗い事言わないの。人より少しハードルが高いだけで、頑張って越えなさいよ。正子だって、広瀬さんの事好きになって恋愛っていいなって思ったでしょ?いずれは、将来結婚してお母さんになりたいって思わない?」
「私が結婚?無理だよ~。無理無理!子供は可愛いとは思うけど、甥っ子でいいや」
淳哉からこの前から聞かれている誕生日の過ごし方を、今日の電話でも質問される。
「誕生日、考えた?」
「普通・・・どうやって過ごすの?」
淳哉が笑った。
「普通とか一般的とかないよ。まーこがどうしたいかを聞いてるんだよ」
こういう『どうしたい』という質問には、めっぽう弱い。
「別に・・・特別は・・・」
「何にもないの?俺と行きたい所とか」
「・・・あっちゃんは、何かあるの?」
「俺?・・・あるよ」
何かを聞くのに勇気がいる。しかし話の流れから、聞くしかない。
「・・・何?」
「俺んち、来て欲しい。まーこにご飯作ってもらって、それ一緒に食べて、のんびりしたい。インドア派のまーこを、今までは外連れ回してばっかりだったから」
正子が一番恐れていた答えだった。だから返事も出来ない。
「まーこの希望が無ければ、これで決まりになっちゃうよ」
慌てて、正子が案を考える。
「私・・・どっかにご飯食べに行きたい」
「行きたいお店とかあるの?」
そんなのある訳ない。今とっさに考えた案なのだから。
「特にはないけど・・・」
「で?ご飯食べて、どうする?」
「・・・ご飯だけ食べて・・・帰る」
「・・・まーこ、仕事なの?あんま時間取れないの?」
「うん・・・」
「別に誕生日当日じゃなくてもいいんだよ。ずっと早番なの?月曜は?それか、逆にいつ休みなの?それに合わせて会おうよ。昼間なら俺合わせられるし」
かなりのピンチだ。これだけ言われて、空いてない等と言える訳がない。
「月曜は遅番だし・・・お休みはまだ はっきり分からなくて・・・」
淳哉のため息が聞こえる。
「まーこ、会いたくないんでしょ?俺に」
どきっとする。ズバリ心臓の中心に命中したような衝撃だ。
「なんで?会うの嬉しいってこの前言ってくれたよね?」
「うん・・・」
「お父さんに何か言われたとか?」
「何も言われてなんかない」
「じゃ、なんでよ?」
「・・・会いたいよ」
「本当?」
それにしても嬉しそうじゃない正子の声が気になる淳哉。
「あっちゃん、プレゼント何が欲しい?」
「あ~、話逸らしたぁ!」
「そんな事ないよ。聞こうと思ってたんだよ」
「じゃ、まーこも何が欲しい?」
そう聞かれると言葉に詰まる正子。
「やっぱり女の子だから、ネックレスとか指輪とか嬉しいの?」
ネックレスも指輪もした事がない。今までお洒落には無縁の生活を送ってきたのだから、仕方ない。でも淳哉がそう言うって事は、きっとそういう女の子が好きなのだ。
「任せる。私、特別欲しい物ないから」
「そう言うと思ってたけどね」
会話が途切れると、淳哉が力の無い声で言った。
「ご飯だけ、どっか食べに行こう。それでおしまい。だから、それ位の時間だけ取れる時あったら、教えて」
正子の胸に寒い色が広がった。




