第十五話 あのぅ
カーテンから差し込む日差しが瞼に射し、おれは目を覚ました。
がばっと上体を起こし、まだ開ききらない目で周りを見渡す。
女の子っぽい小物が所々に置いてある可愛い部屋だ。
ああ、そうだった。
昨日は悠ちゃんの家に泊めてもらったんだ。
おれはのそのそと布団から這い出る。
部屋の片隅に置いてあった時計の時刻は八時半。
サラリーマンをやってた前世に比べたら、大分寝たな。
あてがわれた部屋は二階の一室。
物置として使っていた部屋だそうだが、この部屋に通された時、女の子の一軒家だと物置もこんな可愛くなるんだなと感心したくらい綺麗だった。
ま、廊下とかは何故か散らかってるんだけどね。
階段を下りて一回に向かうと、テーブルの上でキャベツの葉っぱをもりもりと食べる毛虫が声をかけてきた。
悠ちゃんの姿は見えない。
「お! 平次っち☆ 悠っちがキャベツくれたの」
「それはよかったですね、神様」
「もう! 昨日名前つけてくれたのに、また神様なんて他人行儀な呼び方するの?」
名前?
ああ、そういえばそうだった。
「そうでしたね。ポチ」
「わんわん☆」
わんわんって……毛虫の鳴き声じゃねえな。
てか毛虫は鳴かない。
まあいいや。
転生二日目。
おれのパラレルワールドライフは始まったばかり。
とりあえず洗面所に向かい、冷たい水でバシャッと顔を洗う。
顔を上げて鏡を見ると、そこには水も滴るいい男が。
この超絶イケメンはおれだ。
なんか、変な感じだ。
居間に戻って周りを見渡すと、やはり悠ちゃんの姿がない。
農作業にでも出掛けたのだろうか。
おれは大きく伸びをすると、テーブルにつき、昨日の晩の事を振り返る。
結論から言おう。
昨晩は何もなかった。
おれも期待してなかったし、悠ちゃんも別にそんなつもりで家に招いたわけでもないはずだ。
だから何もなかった。
何も18禁な行為を指して言っているわけではない。
会話も何もなかったのだ。
そう。
家に着くと部屋をあてがわれて、そのまま「私お風呂はいってきますんで」と言われ、何もせずにぼーっとしてたら、部屋の扉越しに「おやすみなさい」と言われた。
そしたら本当に寝てしまったようで、結構腹が減ってたけど我慢して寝た。
時間は八時半くらいだった。
悠ちゃん早寝過ぎるし、ケータイもパソコンもないから暇つぶし出来ないので、おれもぐっすり寝かせてもらった。
こんな早くに寝れるか心配だったけど、余裕で寝れた。
てか八時半に寝て八時半に起きるって、きっちり十二時間も寝ちゃってんじゃん。
なんだかんだで昨日は濃い一日だったし、かなり疲れてたんだろう。
泉の近くで転生して、正真正銘のファーストキスを悠ちゃんに奪われ、悠ちゃんから逃げて、神様がカラスに攫われて、ヤーさんに誘拐されて、脱出して、軽トラのドリフトを堪能して……
なんか、こう並べると本当に濃いな。
小説にしたら十四話分くらいありそう。
十二時間も寝れるわけだ。
と、昨日の事を考えていたら、玄関のドアが開く音が聞こえた。
悠ちゃんのご帰宅だ。
と、思いきや……
「ゆーう! 来たよー!」
え?
なに?
悠ちゃんの声じゃない。
……誰だ?
「いるのー? あがるわよー?」
玄関からガサゴゾと靴を脱ぐ音が聞こえてきた。
ま、マズい!
おれは咄嗟に隠れられる場所を探す。
どこか、どこか身を隠せる場所は……
突然の来客は靴を脱ぎ終わったようで、フローリングを歩く音が聞こえてきた。
マズいマズい……!
「ほえ☆ お客さん?」
「神様、こっち!」
絶賛食事中の神様が素っ頓狂な声を上げる。
素早くキャベツの葉っぱごと掴むと、おれは一目散にソファーの後ろに身を滑らせた。
そこでバッと背中を丸め、神様と同じようなポーズで固まる。
それとほぼ同時に、来客が居間に足を踏み入れる。
ギリギリセーフ。
「あら? 誰もいないの?」
謎の来客はポツリと呟いて周りを見渡しているようだ。
ガサッとビニール袋をテーブルに置いた音が聞こえてきた。
そして足音がこっちに迫ってくる。
マズい……
「よっこらしょ」
バレたかと思ったが、お客さんはおれの前のソファーにどっかりと座っただけだった。
ふう……
しかし、この人は誰だ?
声は若い女性の声だった。
おれは床に頬が付くくらいに頭を下げて、ソファーの下からそっと覗いてみた。
当然、このソファーに座っているので、見えるのは足だけ。
深い青っぽい靴下を穿いている。
靴下の色だけじゃ、どんな人なのか判断なんて出来ない。
おそらく悠ちゃんの友達か何かだろう。
「ねえ、平次っち☆」
「……!」
突然神様が話しかけてきたので心臓が飛び出そうになった。
自分の声は他の人に聞こえないからって、こういう時に普通の声量で話しかけてくんなよな。
まったく。
「なんで隠れてんの?」
ん?
何でって、そりゃ……あれ?
……確かに。
何でおれは隠れたんだ?
別にやましい事があるわけでもないし、秘密の彼氏なんていうわけでもない。
逆に隠れたら余計に怪しいじゃないか。
今から出たら完全に怪しいヤツだろう。
もしかしたら空き巣なんかに間違われるかもしれない。
怪しい者じゃありませんなんて言っても、きっと悠ちゃんもおれの事を誰にも話してないだろうし、信じてもらえない可能性も高い。
背後から「こんにちわ」とか言いながら顔を出したら、ぶん殴られるかも知れない。
……しまった。
こりゃ出るタイミングを失ったぞ。
おれが頭を抱えて嘆いていると、ソファーに座るお客さんが突然口を開いた。
「あれ? 書き置き?」
お客さんが何かを発見したようだ。
書き置きなんてあったのか?
「なになに? 畑の畝がイノシシに荒らされていたので、時間がかかりそうです。お昼には戻るので、自由にくつろいでてください?
アポなし訪問なのに書き置きなんて、流石は悠ね!」
見逃してた。
まさか書き置きがあったとは……
てか、この客アポなしかよ。
昼って……さっき八時半だったから。
ざっと見ても三時間以上。
終わった。
この体勢で三時間かよ。
まだ朝一のションベンも行ってないから、三時間とかマジで無理なんだが。
それにこのままじゃ空腹で腹が鳴る。
鳴ったらバレる。
マズい。
「追伸、冷蔵庫の中の物は自由に食べててください?」
ああ、どうして書き置きを見逃した平次!
昨日の晩から腹ぺこだよ!
「よーし、じゃあお言葉に甘えてくつろいでよっと!」
心の中で叫ばせてもらうが、その書き置きはおれへのモノだ!!
お前はくつろがないで、さっさと悠ちゃんを探しに行け!!
「テレビでも見よ」
ぱちっとテレビが付いた。
お客はソファーにごろっと転がり、完全にリラックスしてる。
こりゃテコでも動かなそうだ。
10分経過——
どうしたものか。
腹も鳴りそうだし、トイレも行きたいし、この体勢も辛いし。
20分経過——
辛い。
ここは思いきって出てみようか。
事情を説明すれば何とかなるかも知れないし。
なに、空き巣なんてそんなに多いもんじゃないんだから、きっと大丈夫。
この人に「悠ちゃんの友達です!」って言えばきっと信じてもらえるだろう。
『続いてのニュースです。
今週、東京都谷渋区中黒目のマンションで、会社役員の女性が、胸など数カ所を刺され重体となった事件で、逮捕された男が「空き巣している所を見つかったので刺した」などと供述しており、警察は殺人未遂から強盗殺人未遂として新たに逮捕状を取り——』
「へえー、怖いわー」
……おい。
このニュース、タイミング悪すぎだろ。
『逮捕された男の話によりますと、男は部屋を物色中、誰かが入ってきたので一旦身を隠し、入ってきたのが女性だとわかると、台所から包丁を取り出し、口封じの為に殺そうとした、とのことです』
……こりゃもう出られんな。
大人しく悠ちゃんが帰ってくるまで大人しくしてよう。
と、その時。
ぐううううぅぅぅ
「……!」
「え!?」
おれの腹が盛大な音を立ててなりやがった。
お客さんにも聞こえたようだ。
「だ、誰!?」
や、やばい……!
どうしよう!
ここは先に声をかけるか?
それともゆっくり立ち上がるか?
いや、立ち上がるのはマズい。
見た事もない男がのっそり現れたら、そんなのビビるに決まってる。
そしたら、まずは声をかけるべきだ。
出来るだけ、優しい声で。
ソフトに、ソフトに。
良い人柄を声に全力で乗っける。
そう、出来る。
ここで警戒心を解いたら、この超絶イケメンフェイスを出す。
大丈夫。
いける。
いけるさ。
どんな女もイチコロの顔面だ。
きっと大丈夫だ。
よし。
「あのぅ……」
完璧だ。
史上最強の「あのぅ」が今ここに誕生した。
優しさと臆病さの中に温かさを備えた最強の「あのぅ」だ。
この「あのぅ」を聞いたら、どんなに臆病な小動物も自ら寄ってくるに違いない。
生まれたての羊も、群れから離れたウズラも、この「あのぅ」で友達だ。
「イギャァァァァァアアアー!! 殺人鬼ィィィ!!」
失敗した。
お客はおれの顔を見る前にドタドタと逃げ出し、玄関から飛び出してった。
くっそ、どうしてこうなった……