第1話
「1+1=Xと置こか」
「それは常に2やろ」
4月が、おそるおそるといった様子で始まる。街をゆく人間の心持ちは、固体から液体へ変わり損ねた、コップに浮いた氷の一粒のようになり、昨年度同様、依然として優柔不断なままの精神を、なんとか春に滑り込ませようとしている。
俺がその喪服の女に出会ったのは、富岳と別れて間もなく、新学期の地元の小学校の校門前を、たまたま通り過ぎたときのことである。
その小学校には数多くの小学生が登校している。親に手を引かれる子、手を振りほどいて走り出す子、走り出した先で転ぶ子など、皆その幼すぎる肉体に宿った白紙の魂の行き先を、風のそよそよと吹くに任せて遊んでいる。
その、どこにでもあるとは言わないまでも、どこかには必ずある春の景色の中、場にそぐわない黒い喪服の女が、通学カバンの波の中で、打上げられた流木の様にぽつねんと佇んでいるのを、俺は車の中から見つけた。まるで黒光りする御影石の墓が、つい間違えて道路に生えてきてしまったというような異様さがあった。
俺がゆっくりとその場を通り過ぎると、小学校の敷地の中から若い教師が歩み出てきて、何やらその女に声をかけたようだった。
「このご恩は必ずお返しします」
「いや、まだ何もしとらんのやけど」
あくる日、その女は俺の住むアパートの、早朝の玄関先に突っ立っていた。喪服のまま、まだ誰かの葬式に参列している気らしいその女に、一体どこからそんな自信が湧いてくるのかと問い詰めたくなったが、彼女が部屋に入りたそうにしたため、俺はやむなく部屋の中に招いたのだった。
「素敵なお部屋ですね」と彼女は言う。その言葉を聞く限り、礼儀か、あるいはそれに似た何かは備わっているようだ。




