悪魔、契約?
「いいね。ベルクどんな方法?」
「一か八かの賭けに近いですが、魂も含め全ての生命エネルギーを回復できる、とされる場所が存在すると……噂ですが」
落ち着いて淡々と話すベルクに。
「ベルク……まさか……あそこか?」
怪訝な顔したファウストが聞き返す。
「”煉獄”です」
「……は?」
思わず間抜けな声が出た。
「いや待て待て待て。煉獄ってあれだろ? 罪人が焼かれたり浄化されたりする、あの“地獄の親戚”みたいなとこだろ?」
「概ねその認識で間違いありません。その煉獄のどこかに生命源泉と呼ばれる泉があると言います」
ベルクは相変わらずの無表情で頷いた。
「それは……却下」
俺は即答した。
「回復どころか消し炭エンドじゃねぇか!!」
「安心してください。完全に焼失する前に出れば問題ありません」
「その“前に”が信用できねぇ………」
机を叩く俺の横で、ファウストが顎に手を当てて唸る。
「……理屈としては間違っていない。煉獄は“破壊と再生の狭間”だ。生命源泉を探し当て、魂の歪みを焼き切る。さらに補正が加わり純度が上がる」
「焼くって……さらっと怖いこと言うなよ」
「ただし―――」
ファウストがちらりとベルクを見る。
「帰って来られる保証はない。それに……」
ファウストは俺と婆ちゃんを見て。
「人間と、霊体のままでは行けぬ……」
と、肩をすくめた。
ふと。
「行くよ」
背後から、やけに軽い声が割り込んできた。
振り向くと、いつの間にか婆ちゃんが座って煎餅をかじっていた。
霊体なのに……器用だね婆ちゃん。
ボリボリと小気味いい音を響かせながら、婆ちゃんは。
「煉獄ねぇ。懐かしいねぇ」
と、遠い目をする。
「行ったことあんの!?」
「若い頃にちょっとね」
「“ちょっと”で済む場所じゃねぇだろ……? でも、人間じゃ行けないって今……」
俺の問いかけに、婆ちゃんはにやりと笑う。
「それはちょっと力を貸してもらったからね……。それに大丈夫大丈夫。あそこ、聞いてる話ほど大したとこじゃないよ」
「修学旅行の思い出みたいに言わないで?」
「むしろねぇ―――」
婆ちゃんは指についた醤油をぺろりと舐めてから、あっさりと言った。
「今のあんたらにゃ、ちょうどいい”退屈しのぎ”みたいなもんさ」
「別に退屈はしてないよ?」
俺がツッコむが、ファウストは笑っていなかった。
「……なるほどな」
「何その“理解した”みたいな顔」
「心太。選べ」
静かに言われる。
「このまま削れていくか……」
軽口の余地が、消えた。
「退屈しのぎで可能性に賭けるか……」
俺は、婆ちゃんを見る。
婆ちゃんは―――さっきまでの軽さのまま、でもどこか底の見えない目で笑っていた。
「どうする?」
婆ちゃんの一言が、やけに重く落ちた。
少しだけ考えて―――俺が口を開きかけた、その時。
「……あぁ、めんどくさいね」
婆ちゃんが、ぽり、と頭をかいた。
「は?」
「そんなに悩むくらいなら、先に済ませとくよ」
「済ませる?」
ベルクがわずかに眉を動かす。
ファウストは、嫌な予感を察したのか、低く呟いた。
「……まさか」
婆ちゃんは、にやりと笑った。
「私も悪魔になれるんだろ?」
「!!」
俺、ファウスト、ベルクが言葉を失う。
「“悪魔契約”ってのは……別に霊体だってできるんだろ? アンタ達のトップが許すなら……。ねぇ、ルシファー! 頼みがある!」
「ちょっ……!! 婆ちゃん!?」
その瞬間。
空気が――変わった。
さっきまでの居間の空気が、ぴたりと止まる。
音が消える。
いや、違う。
“何かに聞かれている”ような、妙な圧迫感。
「何か……部屋の中が変わった?」
喉が、ひりついた。
婆ちゃんは、ゆっくりと立ち上がる。
その背中が――妙に大きく見えた。
ふと。
その隣に凶々しい不穏な黒煙が立ち上がる。
その黒煙が部屋を満たす。
と。
―――ピンポーン。
「……………は?」
玄関を見る。
すると、ドアの鍵が力なく、ひとりでに開き……。
「フハハ……! 驚いたか? フェイントだ! 私は行儀が良いのだ。ちゃんとこうやって玄関から入る!」
姿を現したのは、年齢非公開みたいな美麗な魔界の最高位。
サタンこと、ルシファー……来ちゃったよ。
ただ……本当はえらく陽キャなんだな、この堕天使。
「久しいな……九尾弧の子孫達よ」
俺と婆ちゃんを見てルシファーがとんでもない事を……。
「……………は!?」
ちょ……今、なんて言った?
きゅうびこのしそん!?
俺と婆ちゃんが?
唖然としている俺とは対照的に、婆ちゃんはさらりと。
「久しぶりだねぇ。ルシファー」
そう言って自分の胸に手を当てて。
「―――ここの二人みたいに、私をアンタの一族にしてくれるかい?」
その婆ちゃんの言葉に。
ルシファーが自信に満ちた笑顔で応じた。
「よかろう! その潔さ良し! では悪魔契約においてそなたは何を代償にする?」
「代償かい……対価は―――そうだねぇ」
婆ちゃんは少しだけ考えて、あっさりと続ける。
「この先の“あたしの時間”、全部でいいよ」
「なっ―――!」
誰も止める余裕もなく。
「よし! 出よ! 契約の証人よ!」
―――その瞬間。
空間が、裂けた。
黒でも白でもない、“色のない裂け目”が、婆ちゃんの背後に開く。
そこから、何かが覗く。
形はない。
輪郭もない。
音もない。
ただそこにあるのは―――“果てしない力”。
そう感じた。
ぞわり、と全身の毛が逆立った。
「この者をたった今より私の配下とする!」
ルシファーが言い放った。
次の瞬間。
婆ちゃんの体が―――光った?
いや、違う。
“剥がれていく”。
時間が、めくれるみたいに。
しわが消える。
白髪が、するりと黒へ戻る。
背が伸びる。
曲がっていた腰が、すっと真っ直ぐに戻る。
皮膚が張り、骨格が締まり、空気が変わる。
数秒。
ほんの数秒で。
そこにいるのは―――。
「……誰だよ」
俺の口から、勝手にこぼれた。
長い黒髪。
透き通るような肌。
鋭く、それでいて底の見えない目。
どう見ても―――十七、十八。
でも。
“中身だけは”、さっきの婆ちゃんのままだった。
「んー……なんだいこりゃ」
軽く肩を回して、彼女はあざとく笑う。
その仕草だけが、見慣れた婆ちゃんのままで―――余計に怖い。
「サービスだ。年老いた姿のままでは面白くなかろう」
「……成功、ですね」
ベルクが静かに言う。
だが、その声はわずかに硬い。
ファウストは、珍しく舌打ちした。
「……最悪の手を選んだな」
「いいじゃないか」
若返った婆ちゃん――いや、もう“婆ちゃん”と呼んでいいのか分からないそれは、楽しそうに言った。
「これで、煉獄への“通行証”はできた」
ルシファーがぱちん、と指を鳴らす。
すると。
さっきの裂け目が、小さく収束し―――。
黒い、歪んだ“紋章”のようなものが、婆ちゃんの手の甲に刻まれた。
「……おい」
俺は、ようやく声を絞り出す。
「大丈夫なの?」
彼女は、くすっと笑った。
以前と同じ――いや、それ以上に底の見えない笑い方で。
「さぁね」
一歩、近づいてくる。
その圧だけで、息が詰まる。
「でも――」
耳元で、囁かれた。
「面白くは、なるよ?」
小娘な婆ちゃんはイタズラが成功したように笑った。
「で、心太よ。そなたはどうする?」
今度は俺の方へ回ってきた。
ルシファーはとても楽しそうだ。
最悪のパルプンテ……。
そんな事態が、俺の頭をよぎった。




