解脱
裕紀は80歳となった。
子に宮司を譲り隠居生活をおくっている。
日だまりで、幼い孫が枯れ葉を集めては蹴飛ばして遊んでいる。
その様子を裕紀はニコニコと見守る。
小鳥がチチチチと泣き、空を飛んでいく。
それに気が付き、空を仰いだ。
抜けるような青さだ。
「姫御子様は、今頃はどうしおられるのであろう?」
そう言って、裕紀は微笑んだ。
その頃、姫御子は引退をして神薙の巫女と名乗っていた。
そう・・、昔につかっていた、懐かしい名前にしたのである。
神薙の御子は伏せっていた。
夏に風邪を引き、それから体調がよくなっては崩す事を繰り返していたのである。
神薙の巫女の側で、若い巫女が甲斐甲斐しく身の世話をやいていた。
若い頃の神薙の巫女に似た10代半ば位の巫女である。
その若い巫女に、神薙の巫女は声をかける。
「朝霧の巫女様、其方はすこし休みなさい。」
「何を仰います、私よりお祖母様こそ少しは寝て下さいませ。」
「はぁ、私を呼ぶならお祖母様でなく神薙の巫女と呼びなさい。」
「・・・はい。」
「良いですか、あなたは姫御子である母の後を継ぐべきお方なのです。」
「ですが・」
「聞きなさい! 貴方の方が今は私より位が上なのですよ。」
「・・・。」
朝霧の巫女は切なそうな顔をして、神薙の巫女の顔を見た。
神薙の巫女はやれやれ、という顔をしてため息をつく。
「朝霧の巫女様、すこし窓を開いてくれませぬか?」
「でも・・、体に触りますよ、すこし風が冷とうございます。」
「少しの間だけ、ね、お願い。」
「・・・はい。」
朝霧の巫女は窓を全開にし、神薙の巫女が外をみられるようにした。
神薙の巫女は窓を通して外を眺めた。
「朝霧の巫女様、すみませぬが暫しの間、一人にさせて下さいませ。」
その言葉に朝霧の巫女は、一瞬迷った。
体調が心配だったのだ。
だが・・、少しの間ならと頷き、部屋を出て行った。
神薙の巫女は暫し窓から見える外を見て、独り言を呟く。
「なんて綺麗な空かしら・・・。裕紀様はどうしているのでしょう。
たしか宮司をお子に譲って隠居したとか。
ああ・・会いたいな。
裕紀様・・・。
私は幸せを見つけましたよ、貴方様が言っていたように。
貴方様はいかがですか?」
そう言って神薙の巫女は、若いままの姿でいる裕紀の顔を思い浮かべ微笑んだ。
神薙の巫女はその年の暮れ、身罷った。
病との戦いで明け暮れた最後ではあったが、安らかな微笑みをたたえていたという。
そして裕紀はというと、その後を追うように翌年の冬、旅だった。
裕紀もまた笑顔を浮かべていたという。
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神薙の巫女は気がつくと、大きな川に流されていた。
三途の川である。
だが自分がそのような状態でいる事に気がついていない。
ただ、広大な水の中に俯せで浮いていることに気がついた。
それも急流に流されている事に。
慌てて息を止める。
このままでは溺れると思ったからだ。
仰向けになり空気を吸おうとしたが、水の流れが強く体の向きを変えられない。
我慢できなくなり、思わず息を吐くと同時に水を吸い込んでしまった。
だが・・。
咽せることもなく、水をのんでも苦しくない。
水を飲んだという感覚ではなく、その水は空気のようであった。
水を飲み込んでいるというのではなく、普通に息ができるのだ。
不思議な水であった。
苦しくならないと分かると余裕ができた。
そして考えた。
いったい此処はどこなのだろう?
水の量といい、流されていることから大河である事に間違いはないだろう。
だが、何がなんだか分からない。
「私、確か病で床についていたはずなのだけど・・、ここは?」
そう思った時である、突然川の流れが止まった。
いや止まったのではない。
自分が水に流されず、一定の場所から動かなくなったのだ。
水は流れているというのに・・。
神薙の巫女は戸惑った。
だが、いつまでもこの格好のままでいるわけにもいかない。
おそるおそる手を水について立ち上がろうとした。
すると水が手を押し返し受け止める。
「何、これ?」
そう思いながら立ち上がった。
まるで水が畳みか、板敷きのようである。
しかし、確かに波を立てながら流れている川の水なのである。
流れている水を見なければ、畳の上に佇んでいるかのように安定して立っている。
足下の水は流れているというのに。
目線を上げると、目に入るのは広大な川だ。
両岸は遠すぎて見えない。
川の真ん中に、ポツンと立っている自分がいた。
「いったいこれは?」
そう思うと、今度は突然、目の前に扉が現れた。
神薙の巫女はそれをしげしげと見る。
目の前に扉だけが突然現れたのだ。
薄い扉の横を通り、扉の裏に行ってみる。
すると裏側も表と同じような形と色であった。
そう、一枚の扉が神薙の前に立っているのであった。
「なんで突然に一枚の扉が川の上に現れるの?」
神薙の巫女は扉を一周してから元の位置にもどる。
そして躊躇せずに扉を開いた。
なんとなく開けねばならないと思ったからだ。
開けた扉の先は川が見えるのではなく、薄い靄がかかっている。
神薙の巫女は扉の中に入った。
見渡す限り靄が一面を覆い尽くしている。
その空間は部屋なのか、または野外のような場所なのかはわからない。
靄が全てを隠しているのである。
ふと後ろを見ると扉が消えていた。
「えっ?」
扉が消えたことに驚いたが、恐怖はなかった。
扉が消えて当然だと、何故か受け止める。
そして前を向くと靄はもう無く、見渡す限り花が咲き乱れる野原であった。
その時、突如目の前に絶世の美女が現れた。
目の錯覚かと思い思わず目を手でこする。
だが、その女性は確かに目の前にいる。
その女性が神薙の巫女に声をかけた。
「お帰り、市。」
「え? 市? あ、あの・・あなた様は?」
「ああ、そうであったな・・。」
そういうと絶世の美女は人差し指を神薙の巫女の額に軽くふれた。
すると静電気で打たれたような痛みが頭に走る。
それと同時に、めまぐるしい勢いで自分の過去がよみがえる。
「どうじゃ? 思い出したか?」
「・・・はい・・、奪衣婆様・・。」
「うむ、お帰り、市。」
「奪衣婆様!」
そう言って神薙の巫女こと市は、奪衣婆の前にひざまずいた。




