第九十五話 10本
今回は街の回です!
ひと月ぶりの地上で、買い出しと書庫と、SPの使い道。
それから裏庭で、ずっと続けてきた事に一つ区切りが付きます。
のんびり読んでもらえたら嬉しいです!
第九十五話 10本
目が覚めると、窓の板戸の隙間から日が差していた。
穴の中では1度も無かった起き方だった。藁の匂いがして、隣の寝台は空で、下から皿の音が上がってくる。
腹を押さえて起きた。HPは43。1晩で4つ戻るのは、地上でも同じらしい。
食堂に下りると、ミアはもう粥を食べていた。マルタが椀を1つ俺の前に置いて、鍋の方へ戻る。
「今日は何をするんだい」
「局で買取と、道具屋だ」
「矢は10束買いな。前と同じでいい」
「言われなくても買うわ」
ミアが匙を置いて言った。マルタは鼻を鳴らしただけだった。
管理局の広間は朝から混んでいた。
買取の台に魔石を並べると、係が2つ目で手を止めた。レイスの魔石だ。拾ってから10日以上経っているのに、まだ冷たい。係は指で触ってから引っ込めて、奥から別の係を呼んだ。
3つ目が巨人の魔石だった。両手で持つ大きさで、台に置くと鈍い音がした。奥から呼ばれた係がもう1人呼んで、3人で魔石を囲んで何か言い合っている。
「……あれ、いくらになるのかしら」
「分からん。袋が重くなるのは確かだ」
戻ってきた袋は、今までで一番重かった。ミアが持ち上げて、腰に下げるのをやめて肩に掛けた。
受付の女は、昨日と同じ所に座っていた。
「お伺いしたい事があるの。26層から下の事」
「はい。お答えできる所まで」
「主は、どこにいるの」
「26層から29層には、主はいません。30層に主がいて、倒せば台が出ます。それでAランクです」
「25層から30層まで、台は無いって事ね」
「はい。30層の主を越えるまで、帰る道はありません。26層から下は、ひと月分の支度でお入りください」
女は帳面を開かずに、そう言った。
「30層の主の事は、何か書いてある?」
「倒した組の記録は、局がお預かりしています。見られるのはAランクからです」
「倒した組は、いるのね」
「います。……数は、お答えしないことになっています」
ミアはそれ以上聞かなかった。
「26層から29層の記録は、神殿の書庫にあります。薄いです」
「薄いのは、もう慣れたわ」
道具屋は、管理局の裏の通りにあった。
ミアが矢を1本ずつ指で弾いて、反りの悪い物を束から抜いていく。親父は渋い顔をしたが、何も言わなかった。10束分を選ぶ間、俺は靴を見ていた。左の靴は23層で縁が溶けて、24層の暗い中で何かを踏んでから、底が薄くなっている。
新しい靴を1足、油を2瓶、火打ちをもう1組。干し肉と豆と固いパンは明日、潜る前の日に買う。
「矢が10束。前と同じね」
「前は7本減った」
「今度は減らさないわ」
ミアはそう言って、束を背負った。
2日目は神殿へ行った。
像の裏手の、塔の無い建物。戸を開けると、老女の神官が前と同じ所に座っていて、顔を上げた。
「また来たのかい。札を見せな」
ミアがBの札を出すと、老女は見もしないで顎で奥を示した。
「灯りは持ち込むんじゃないよ。前に言ったね」
「覚えてるわ」
「覚えてるなら早く行きな。昼過ぎは暗くなる」
書庫の奥、21層からの組ごとの束が並ぶ棚の、その先。26層からの束は、棚の1段で足りていた。
ミアが1束ずつ開いて、写していく。
「26層。沼。霧が出る。霧の中では息を止めろ。……止めろって、どのくらい」
「書いてない」
「27層。寒い。火を絶やすな。……28層。風が逆に吹く。これ、私の目の事ね。風が逆なら、読んでも逆になる」
「29層は」
「石の道。人が作った物。……穴の中に、人が作った物があるの?」
「俺に聞くな」
「30層。……何も無いわ。30層の事を書いた組は、1つも無い」
ミアは写しを畳んで、棚を見た。26層からの束は、どれも薄かった。
「30層まで行った組は、局に書いて、ここには書かないのね」
「Aからしか見られないんだろ」
「ずるいわね」
ミアはそれだけ言って、立ち上がった。
帰りに、読めない物の棚の前を通った。
革表紙の綴りは、前と同じ所にあった。足が止まりかけて、止めなかった。開けば同じ事が書いてある。最後の頁も、同じ所で破れている。
ミアが振り返って、俺が通り過ぎるのを見た。何も言わなかった。
戸口で老女が言った。
「破らなかったかい」
「破ってないわ」
「ならいい。行きな」
その夜、部屋で窓を開いた。
Lv17。HP47/107。所持SP3。
穴の中では使わない。ここは外だ。昨日は決めなかった。今日は決める。
鑑定の行。Lv2。相手の段と、持っている物が見える。これを1つ上げれば、見える物がもう1つ増える。
回避の行。Lv2。熊に叩きつけられ、バジリスクの尾に払われ、巨人の足元で転んだ。受ける癖は段では直らない。そう言われた事がある。それはその通りで、だから段を上げても癖は残る。残るが、癖を直した上で足りない分が、たぶんある。
鑑定に1つ。回避に2つ。
【スキル『鑑定』Lv2 → Lv3】(消費SP:1/残りSP:2)
【スキル『回避』Lv2 → Lv4】(消費SP:2/残りSP:0)
数字は変わらない。体も変わった気がしない。
ミアが寝台の上で矢の羽根を直しながら、こちらを見た。
「振ったのね」
「鑑定に1つ、回避に2つ」
「回避に振ったの」
「受けるなって言われてる。受けないように動いて、それでも足りない分だ」
「2つで足りるの」
「分からない。足りなかったら、次に増えた時にまた振る」
ミアは羽根を直し終わった矢を筒に戻して、立ち上がった。
「じゃあ、鑑定が1つ増えて、何が見えるようになったの」
ミアに向けた。
窓が開いた。名前と、段と、持っている物の下に、見た事の無い行が1つ増えていた。
ギフト:鷹風
「……ギフトの行が出てる」
「私の?」
「鷹風、って」
ミアは少しだけ口を閉じて、それから肩をすくめた。
「もう知ってる事じゃない」
「知ってる。でも、知らない相手に向けたら、知らない事が分かる」
「……そうね。それは、分かるわね」
ミアは自分の胸の辺りを一度見て、それから俺の方へ顎をしゃくった。
「自分には向けたの」
向けた。自分の窓と、同じ行があった。
ギフト:―
線が1本。見慣れた行だ。鑑定で見ても、同じ物しか見えない。
「同じだ」
「でしょうね」
ミアはそれだけ言って、弓を1本、壁から取った。普通の方の弓だ。
「裏庭に行くわよ。今日は、10本」
裏庭は厩の奥で、馬が1頭、仕切りの向こうから首を出していた。
ミアが厩の板に、短剣で印を1つ付けた。俺の胸の高さ。
矢を10本、俺に渡す。
50話から、毎晩だった。山で中断して、山の岩陰で再開して、穴に入ってからは中断している。中断した所から、また始める。
弦を引いた。指の皮は固くなっている。肘は痛まない。肩も動く。
1本目は、印の右の板に刺さった。
2本目は、板の下の土。3本目は、印の上。4本目は、印の右。
10本撃って、印に当たった矢は無かった。1番近い物で、拳1つ分。
ミアは厩の板から矢を抜いて、1本ずつ羽根を見て、矢筒に戻した。
戻し終わって、しばらく矢筒を見ていた。
「……ここで一旦、やめましょ」
顔を上げずに言った。
「やめるって、稽古をか」
「型は覚えたわ。弦の引き方も、構えも、放す指も。それでいい」
「当たってない」
「当たらなくても、型は覚えてる。……型だけでも、覚えてて損はしないはずだもの」
ミアは矢筒の口を閉じて、俺の手から弓を受け取った。
「それで十分よ」
才能が無い、とは言わなかった。言わないのが、ミアの言い方だった。
「分かった」
それだけ答えた。
ミアは弓を肩に掛けて、俺の横を抜けて宿の方へ歩き、戸の所で振り返った。
「刀は振るんでしょ」
「振る」
「見てるわ。窓から」
戸が閉まった。
馬が首を引っ込めて、餌に戻った。
刀を抜いた。呼ばずに振る。線は付かない。闇刃と呼んで振る。付く。呼ばずに振る。
20本。付かなかった。
宿の窓を見上げると、2階の窓に灯りがあった。窓の中に、ミアの影があった。
部屋に戻ると、ミアは寝台に座って、普通の弓を膝に載せていた。
「出なかったのね」
「出なかった」
ミアは頷いて、弓を壁に立てかけた。無弦の隣だ。
2本並んだ弓を見て、ミアは何も言わずに横になった。
3日目。
ミアは朝から買い出しに出て、昼前に戻ってきた。干し肉、豆、固いパン、40日分。水袋は、前のままで足りる。
荷を部屋に積み上げて、ミアは広場の方へ出た。俺もついて出た。
広場は昼で、屋台の煙があちこちから上がっていた。像の前を通る時、ミアが足を止めた。
足元に花が並んでいる。ミアは屋台で買った花を1本持っていて、それを足元の端に置いた。
何の花かは知らない。誰の分かも、聞かなかった。
ミアは像を見上げなかった。花を置いて、すぐに立ち上がって歩き出した。
俺は像を見上げた。薄い板を持った女が、同じ顔で広場を見下ろしている。
何も言わずに、ミアの後を追った。
4日目、5日目は宿で過ごした。
腹の痛みが引いて、肩が上がるようになった。HPは55。
マルタは何も聞かなかった。朝と晩に椀を置いて、鍋の方へ戻る。5日目の晩に1度だけ、俺たちの卓の横で足を止めた。
「明日かい」
「明日だ」
「30層の主の事は、あたしも知らないよ。あたしが潜ってた頃は、30層の主を越えた組は、あたしらの前に1つしか無かった」
「越えた組は、どうなった」
「39層まで来て、あたしだけ戻った」
マルタはそれだけ言って、鍋の方へ戻った。
それが、マルタの組の事だと分かるまで、少しかかった。ミアは匙を持ったまま、マルタの背中を見ていた。
夜。
ミアが荷を並べた。矢が10束。食べ物が40日分。油が2瓶と、前のが少し。火打ちが2組。毛布が2枚ずつ。縄。新しい靴。
「30層の主まで、5層で30日。申告は40日。前と同じね」
「帰る道が無い、って受付が言ってた」
「25層までもそうだったわ。25層の主を倒すまで台は無かったもの。同じよ」
「同じじゃない。25層までは主が1つだった。今度は30層まで1つも無い」
ミアは荷を見下ろしたまま、少しだけ黙った。
「……途中で戻るなら、歩いて上がるのね。25層の台まで」
「25層の台は、俺たちが倒した主の台だ。乗れる」
「じゃあ、戻れるわ。歩けばね」
ミアは荷を縛り直して、寝台に腰を下ろした。
俺は窓を開いた。
Lv17。HP55/107。所持SP0。鑑定3。回避4。
Aになったら、とは言わなかった。ミアも言わなかった。30層の主を倒したらAで、Aになったら何をするかは、2人とも口にした事が無い。
ミアが灯りを吹き消した。
「明日の朝、門で」
「ああ」
暗い部屋で、壁に立てかけた2本の弓の影だけが、窓の月明かりで見えていた。
街の回、読んでいただきありがとうございます!
SPは鑑定と回避に。鑑定が1つ上がって、ギフトの行が見えるようになりました。
そして裏庭の弓の稽古は、ここで一旦お休み。ミアの言い方が、ミアらしいなと思います。
次回からは26層。30層の主まで、帰る道の無い潜りです。しばらくお付き合いください!




