第九十四話 巨人
25層、主の層です!
ひと月の潜りの、最後の相手。
2太刀で落ちなかったらどうするのか、という回です。
長かった潜りが、やっと地上に戻ります。読んでもらえたら嬉しいです!
階段を下りきると、風が顔に当たった。
空があって、星があって、足元は乾いた土と岩だった。木も苔も裂け目も無く、人の背丈より大きい岩があちこちに転がっている荒れ地が、星の下に広がっている。
ミアは写しを出して25層の所を読んで、すぐに畳んだ。
「巨人。足を狙え。……それだけ」
「主の事か」
「主の事でしょうね。書いた組は1つ。戻ってる」
荒れ地には、何もいなかった。
21層からここまで、どの層にも入ってすぐ何かがいた。ここには狼も蟻も鳥もいない。風の音だけがして、ミアの風も何も拾わない。
「静かね」
「5層と同じだ。主の縄張りには他のが寄らない」
「5層は部屋が1つだったわ。ここは層が丸ごと縄張りって事?」
答えは無いので、歩いた。
結び目は96。残り16日。HPは66まで戻っていた。
1日目の昼に、足跡を見た。
土が窪んでいた。窪みは俺が寝転がれるほどの長さで、形は人の足だった。指が5本、踵が深い。窪みの縁の土が乾いて固まっていて、付いてから日が経っている。
「……これが足なら、背は」
「家の2階くらいかしら。もっとかもしれない」
ミアは足跡の横に立って、自分の足と比べてから離れた。
「足を狙え、って書いた理由は分かったわ。他に届く所が無いもの」
足跡は荒れ地のあちこちにあって、道を何度も横切っていた。追わなかった。ミアが風を読んで下り口の方角を探し、足跡と逆へ逆へと回った。
夜は火を焚かなかった。燃やす物も無く、火を見せたくもなかった。
干し肉を水で流し込んで、岩の陰で刀を振った。呼ばずに振る20本に線は付かず、ミアに「出なかった」と言って横になった。
2日目も足跡を避けて歩いた。
昼を過ぎた頃、ミアが足を止めた。
「……地面が揺れてる。遠いけど」
俺には分からなかった。耳を地面に近づけると、低い音が間を置いて続いている。何かが歩いている音だった。
「どっちだ」
「向こう。遠ざかってるわ。……今は」
下り口は見つからなかった。ミアの風は遠くまで通るのに、下へ吸われる所がどこにも無い。
「この層、下り口が無いのかしら」
「無いって事は無いだろ」
「帳面に書いた組も、下り口の事は書いてなかったわ。主の事しか」
ミアは風を読み直して、首を振った。
「どこも吸われてない。……主を倒せば台が出るから、下り口が要らないのかもしれない」
それならそれで、やる事は変わらない。
夜。結び目は104。HPは74。刀を振って、線は付かなかった。
3日目の朝、地面が揺れた。
遠くではなかった。岩の陰で干し肉を齧っていた手が止まるほど近くで、揺れが1つ、間を置いてもう1つ。
「レン」
「分かってる」
岩の陰から顔を出すと、荒れ地の向こうに、歩いてくる物が見えた。
人の形をしていた。ただ、転がっている岩が膝までしか無い。背丈は本当に家の2階ほどあって、肩は横に広く、腕は膝まで垂れている。肌は岩と同じ灰色で、ごつごつと筋が入っていて、遠目には歩く岩に見えた。片手に、人の背丈より長い岩の棒を下げている。
鑑定を向けた。
巨人 Lv56
HP:6,000/6,000
スキル:剛力 Lv5/岩肌 Lv3/踏み鳴らし Lv2
「56。HPは6,000」
「6,000……。大百足の倍近いじゃない」
「岩肌の3。百足の殻と同じで、刀が滑るかもしれない」
「足を狙え、よね。足のどこ」
「踵の上。腱だ。人と同じ形なら、そこが切れれば立てない」
巨人はまだこちらを見ていなかった。見ていないが、歩いてくる先にこの岩がある。
「ミア、離れろ。あの岩の上」
右の方に、人の背丈の2倍ほどの岩があった。
「上なら足元を踏まれない。上から射てくれ」
「あんたは」
「足元に行く」
ミアは何か言いかけて、やめて、岩へ走った。登るのは速い。
俺は岩の陰から出た。
巨人が、足を止めた。
顔がこちらを向いた。目は小さく、鼻は低く、口が横に広い。その口が開いて、声が出た。言葉ではない。岩が割れるような音で、音と一緒に、巨人が片足を上げて、下ろした。
地面が跳ねた。
足が浮いて、着地で膝を突いた。踏み鳴らしの2だ。立っていられない。岩の上でミアが矢を番えているのが見えたが、岩ごと揺れて、矢が外れて土に刺さった。
「射てない! 揺れて狙えないわ!」
「揺れてない時に射ってくれ。足元へ行く」
立ち上がって走った。巨人が棒を持ち上げる。振り下ろしは見えていた。ただ、棒が長い。避けたつもりの所まで、棒の先が来る。
横へ跳んだ所に、棒が落ちた。
地面が割れて、割れた岩の破片が横から飛んできた。腕で顔を庇って、破片が胸当てと腕に当たる。
HP56/103。
棒に当たっていない。破片だけで18減った。
棒が持ち上がる前に、その足元へ走り込んだ。巨人の足は、人の足の形をしていた。踵があって、その上に腱が筋になって浮いている。腱の太さは、俺の腕ほどあった。
腱に刃を入れた。
皮が裂けた。岩のような肌の下に、皮があって、その下に筋があった。刃は皮を裂いて、筋の表面で止まった。
同じ筋へ、2太刀目。
皮の無い所に刃が入って、筋の半分まで通って、止まった。
通らない。オーガなら2度で落ちた。大百足も節の間なら2度だった。これは2度で、半分だ。
上で音がして、顔を上げると棒が来ていた。足元に入った俺を、真上から潰すつもりで、棒を自分の足のすぐ横へ落としてくる。
足の間を抜けた。棒が後ろに落ちて、地面が跳ねた。
跳ねた地面で転んだ。転んだ所へ、巨人が足を上げた。踏み鳴らしではなく、俺を踏むための足だ。
転がった。足が落ちて、土が俺の横で沈んだ。沈んだ土の縁が、肩に当たった。
HP39/103。
足に当たっていない。土が沈んだ縁で17だ。
起きて、岩の方を見た。
ミアが岩の上で、矢を番えたまま待っていた。揺れが止まる一瞬を。
巨人が足を戻して、また棒を持ち上げる。その瞬間は、揺れていなかった。
矢が飛んで、巨人の顔に立った。頬だ。岩のような肌に、矢が刺さったのではなく、立てかけたように当たって、落ちた。
「立たない! 顔も岩だわ!」
顔も岩なら、口はどうか。さっき声を出した時、口は開いていた。
「ミア、口だ。開いた時」
「開くまで待てって事?」
「踏み鳴らしの前に、声を出す」
ミアが岩の上で、弓を下ろさずに頷いた。
俺はまた足元へ行った。
腱は、2太刀分裂けている。3太刀目で通る。通るなら、3度でいい。
巨人が棒を振る。横だ。今度は横薙ぎで、足元の俺を払うつもりで、棒が地面を擦るように来た。
跳んだ。棒の上を越えて、着地が足の後ろだった。腱が目の前にある。
3太刀目を入れた。
届かなかった。
巨人が足を引いた。踵が上がって、腱が刃の先を逃げた。刃先と腱の間に、拳1つ分の隙間。
闇刃だ。
呼ぶ前に、止めた。
ミアはどこにいる。
「ミア、どこだ!」
「岩の上! あんたの右! 刃の向かない側よ!」
右に岩がある。左に巨人の足。刃は左に向いている。
10センチだけ。岩に線を付けた分だけ。
闇刃、と頭の中で呼んで、同じ筋へ振った。
刃先は腱の手前で止まった。止まった先で、腱が切れた。
巨人が、声を出した。
さっきの声と違う。地面は跳ねなかった。巨人が片膝を突いて、突いた膝で地面が揺れたが、それは踏み鳴らしではなかった。腱の切れた足が、体を支えられずに折れたのだ。
膝を突いた巨人の頭が、岩の上のミアと同じ高さにあった。
口が開いている。声を出したまま、まだ閉じていない。
矢が、口の中に入った。
声が止まった。巨人が口を閉じようとして閉じきれず、矢の立った口の奥を手で探る。
首が、俺の目の前にあった。片膝を突いた巨人の首は、立った俺の刀の高さだ。
1太刀。皮が裂ける。
2太刀。筋の半分。
巨人の手が、口から離れて俺を払いに来た。手の下をくぐって、同じ筋の前に戻った。
3太刀。
通った。
巨人が、首を傾けたまま前へ倒れた。倒れる前に横へ抜けて、地面が揺れて、それきり揺れなかった。
砂になるのに、今までで一番長くかかった。足の先から灰色の砂になっていって、頭が砂になるまで、俺は刀を下ろさなかった。
【巨人を討伐しました】
【経験値 +2,000】
【Lv16 → Lv17】
【所持SP:3】
膝を突いた。腹と肩が、今になって痛み出している。
砂の中に、両手で持つほどの魔石が1つ残っていた。灰色で、重い。ミアの矢は、口の中に入った1本が見つからなかった。
ミアが岩から下りてきて、俺の前に立った。
「3度だったわね」
「3度だ。2度じゃ半分だった」
「主はもっと厚い、って事ね。21層から下は」
「らしいな」
ミアは俺の肩を見て、腹を見て、何も言わずに水袋を渡した。
「闇刃、使ったでしょ」
「使った。その前に聞いた。ミアがどこにいるか」
「聞こえたわ。……岩の上って答えたの、私」
「答えが来るまで、呼ばなかった」
ミアは少しだけ黙って、水袋を受け取った。
「そういう使い方なら、いいわ」
荒れ地の真ん中に、台が出ていた。
平たく削った石の台で、入口の物と同じだった。さっきまで何も無かった所だ。
乗る前に、ミアが紐を手に取って、結び目を数えた。
「106。……27日目の昼ね。申告は40日だから、13日残ってる」
「ひと月で、25層の主まで」
「ひと月かかってないわ。27日」
ミアはそう言って、台に乗った。俺も乗った。
足の下が青白く滲んで、次に息を吸った時には、日の光があった。
まぶしかった。
27日間、星の下と苔の光の中と暗い区画しか無かった目に、昼の日差しが刺さる。手で庇って、庇った手の甲が日に焼けていないのが見えた。
番の男が、槍にもたれたまま帳面を開いた。
「空欄。2名。……戻り、か。27日だな」
「27日だ」
「40日と言って27で戻る奴は、そう多くない」
番はそれだけ言って、帳面に書いた。
管理局の広間で、受付は昨日と同じ女だった。俺が主の魔石を台に置くと、女は魔石と俺の顔と、ミアの髪を見た。
「25層の主の魔石ですね。……Bのままです。Aは30層の主から」
「知ってる」
「ひと月で。登録から、48日になります」
女は帳面に書き付けて、それから顔を上げた。
ミアが懐から、札を3枚出して台に置いた。
女の手が止まった。
「拾ったの。24層で」
女は3枚を取って、1枚ずつ字を読んだ。それから別の帳面を奥から持ってきて、頁を繰った。
「……こちらの2枚は、記録にお名前があります。24層の途中で字が乱れて終わっていた組です。判は、もう押してあります」
「じゃあ、それは」
「戻らず、の横に、札、戻る、と書き足します。それだけですが」
女はそう書いた。
「こちらの1枚は、記録にはありません。登録はあります。……記録を書かずに潜った方です」
「その人も、同じ所にいたわ」
「分かりました。登録の方にも、同じように書きます」
女は3枚を布に包んで、台の下に入れた。
「お預かりします。……拾ってきてくださって、ありがとうございます」
報奨の話は出なかった。ミアも聞かなかった。
3つ樽亭の戸を開けると、昼の食堂は空いていて、マルタが鍋の前にいた。
マルタは俺たちの顔を見て、それからミアの髪を見た。
「……27日かい」
「25層の主まで。巨人だった」
「3度斬ったのかい」
「3度だった」
マルタは鼻を鳴らして、椀を2つ出した。
「21層から下の主は、そういう物だよ。2度で落ちる奴はいない」
「先に言ってくれ」
「言ったら行かなくなる奴がいるんだよ」
マルタは粥をよそって、俺たちの前に置いた。
ミアが札の事を話すと、マルタは杓子を持ったまま、しばらく何も言わなかった。
「……暗い区画で、2組かい」
「3枚で2組。局に届けたわ」
マルタは頷いて、鍋の方へ戻った。それきり、その日は札の話をしなかった。
部屋に戻ると、ミアは弓を2本とも壁に立てかけて、矢筒を逆さにした。
矢が机に転がる。ミアが数える。
「7本減った。21層で2本、22層で4本、巨人の口に1本」
「23層と24層は減ってない」
「減ってないわ。……でも7本」
ミアは矢を束ねて、紐で縛った。
俺は寝台に腰を下ろして、窓を開いた。
Lv17。HP39/107。所持SP3。
3つある。穴の中では使わないと決めていた。ここは穴の外だ。
鑑定の行と、回避の行を見た。どこに回すかは、前に考えた事がある。考えた事があるだけで、決めてはいない。
窓を閉じた。今日は決めない。腹が痛くて、肩が痛くて、日の光で目が痛い。決めるのは明日でいい。
夜になって、裏庭に出た。厩の奥の、前に刀を振った所だ。馬が1頭、首を回してこちらを見て、すぐ餌に戻った。
呼ばずに振る。線は付かない。闇刃と呼んで振る。付く。
20本振って、宿の窓を見た。暗い。ミアは寝ている。
部屋に戻ると、ミアは起きていた。
「出なかったのね」
「出なかった。穴の外でもだ」
「……明日、矢を買うわ。7本減ったから」
ミアは短くなった髪を結び直して、横になった。
俺は窓を閉じて、ひと月ぶりの屋根の下で横になった。藁の匂いがした。
25層、読んでいただきありがとうございます!
主は巨人。2太刀で落ちなかった相手を、3太刀で。
闇刃を使う前に「ミア、どこだ」と聞いたレン。あの約束が、ちゃんと形になった回です。
27日で地上に戻って、ミアは拾った札を届けました。
次回は街での話になります。しばらくお付き合いください!




