第九十三話 灯り
24層です!
今回は「灯りが効かない」の回。帳面にそう書いてあった区画に、2人が入ります。
火は点くのに、明かりが届かない。その中で何と会うのか。
ちょっと暗めの回ですが、読んでもらえたら嬉しいです!
階段を下りきると、足元が光っていた。
苔だ。6層から9層で見た、あの青白い苔が壁から天井まで覆っていて、灯りが無くても道の先の曲がり角まで形で分かる。21層からずっと星の下を歩いてきた目には、洞の中はやけに狭く見えた。
ミアは灯りの火を小さくして腰に下げ、写しを出して24層の所を読んだ。
「レイス。暗い区画に出る。灯りが効かない。……これだけ」
「書いた組は」
「2つ。1つは、24層の途中で字が乱れて終わってる方。局が後から、戻らず、って書き足してた組よ」
ミアは写しを畳んで懐に戻した。
「もう1つの組は戻ってる。暗い区画を抜けた、とだけ書いてあるわ。何を見たかは書いてない」
「暗い区画って、どのくらい暗いんだ」
「分からないわ。灯りが効かない、の意味も分からない。行ってみるしかないでしょ」
結び目は72。残り22日。HPは63まで戻っていた。
1日目は苔の洞を歩いた。
道は広く、天井は高く、裂け目も砂利も無い。ミアの風は普通に読めて、曲がり角の先に何がいるかを先に言えた。
出たのは狼だった。洞窟狼の大きい物で、6層の物より肩が高く、鑑定を向けるとLv38と出た。数は4匹で、群れというより家族のような並びで来た。
1匹目を一太刀で斬ろうとして、皮が裂けて止まった。21層から下の皮は、狼でもそうらしい。同じ筋へもう1度入れると落ちた。残りの3匹は、2匹目をミアが射て、3匹目と4匹目は壁に追い詰めてから順に2度ずつ斬った。
【洞窟狼を討伐しました】
【経験値 +150】
「狼でも2度なのね」
「20層までの狼とは別物だ。でも2度で落ちる」
「2度で落ちる相手なら、落とし方はもう知ってるわ」
夜は苔の光の下で火を焚いた。火が無くても明るいが、鍋を温めるのに要る。
火から離れた岩で、刀を振った。呼ばずに振る。付かない。闇刃と呼んで振る。付く。呼ばずに振った20本に線は付かなかった。
ミアは起きていて、俺が戻ると聞いた。
「今日は」
「出なかった」
ミアは頷いて、毛布を被った。
2日目の昼、ミアが足を止めた。
「前。……動いてないわ。風が、何かの周りを回ってる」
道の脇の岩陰に、野営の跡があった。
鍋が1つ、転がったまま。毛布が2枚、片方は広げたままで片方は畳んである。矢筒が1つ、矢は無い。荷の袋が2つ、どちらも底に穴が開いていて、中は空だった。穴の縁が、23層の袋の穴と同じ形だった。
「蟻ね。中は食べられてる」
「蟻はここにはいないだろ」
「下に来る前に食われたのか、ここにも蟻がいるのか、分からないわ」
畳んだ毛布の上に、札が1枚載っていた。鉄の板で、首に掛ける紐が切れている。名前が刻んであって、その隣にBの字。
読めた。口には出さなかった。
ミアはしゃがんで、札だけを拾った。
「届けるわ」
「持って帰るのか」
「局の帳面に、戻らず、って判を押すのに要るんでしょ。この人の名前の横に、まだ判が押してないかもしれないもの」
ミアは札を懐の、父親のプレートと自分の札の隣に入れた。
鍋も毛布も矢筒も、触らなかった。
「2人組だったのね。毛布が2枚」
「1枚は畳んである」
「……畳んだ方が、先に出て行ったのかしら」
それ以上は、2人とも言わなかった。
結び目は80。
3日目。
昼を少し過ぎた所で、苔が途切れた。
途切れた、というより、線が引いてあった。壁も天井も床も、ある所から先は苔が1本も無く、その線の向こうが真っ暗だった。暗いのではなく、黒い。苔の光が線の所で止まっていて、向こうへ届いていない。
「ここね」
ミアが腰の灯りを外して、火を大きくした。
火は点いた。油の匂いがして、炎が揺れている。
線の向こうへ灯りを差し出すと、炎は見えるのに、炎の周りが明るくならなかった。灯りを持ったミアの手が、手首の先で闇に切れている。炎だけが宙に浮いていて、その火で照らされる物が何も無い。
「……効かない、ってこういう事なのね」
「火は燃えてる」
「燃えてるのに、何も照らしてないわ。手の先までしか無い」
蝋燭を出して火を点けても同じだった。炎はある。明かりが無い。
ミアは灯りを腰に戻して、線の向こうへ顔を向けた。
「風は読めるわ。道も、壁も、曲がり角も。……何がいるかは、分からない」
「俺は何も見えない」
「分かってる。だから私が前。あんたは私の裾を掴んでて」
ミアの外套の裾を左手で掴んだ。右手は刀の柄に置いたが、抜かなかった。ミアが1歩先にいる。
「抜く時は言って。私がどこにいるか言うから」
「分かった」
線を越えた。
音が変わった。足音が壁に返ってこない。苔の洞では足音が先まで響いていたのが、ここでは足の下で消える。自分の息の音と、前を歩くミアの息の音だけがある。
目を開けても閉じても同じだった。開けている意味が無いのに、閉じる気にはなれなかった。
「右に曲がるわ」
裾が右へ引かれて、ついていく。
「段があるわ。下りよ。3つ」
足で探って下りた。
時間が分からなくなった。昼も夜も無い。ミアは風を読みながら進んで、しばらくして足を止めた。
「ここで休むわ。風が淀んでて、何も動いてない」
「夜か」
「分からないわ。空が無いもの。……でも、疲れたから夜にする」
火を焚いた。炎はある。明かりは無い。鍋を火に掛けて、温まった匂いで分かる。豆を椀に入れるのも手探りで、ミアが椀を俺の手に押し付けてきた。
「結び目、どうするの」
「分からないなら、休むたびに1つでいい。ここを抜けてから、外の空で数え直す」
「じゃあ85。……数が合わなかったら、後で言ってよ」
火から離れて、刀を振った。
岩はあった。手で探って、腰の高さの岩を見つけた。呼ばずに振る。闇刃と呼んで振る。
線が付いたかどうか、見えない。
岩に手を当てて、指で探った。呼んで振った所に、細い筋がある。呼ばずに振った所を指でなぞると、筋は無い。
20本分を、指で確かめた。
「暗くて見えないんじゃ、確かめようが無いわね」
火の所へ戻ると、ミアの声がした。見えないので、声だけだ。
「指で触った。呼ばなかった分には、付いてない」
「……触って分かるの」
「分かる。岩の方が正直だ」
ミアが少しだけ息を漏らした。笑ったのかどうかは、見えなかった。
4日目。暗い区画の、たぶん4日目。
裾を掴んで歩いていると、足に何かが当たった。
硬い。蹴ると転がって、金属の音がした。
「待って。……転がってる物があるわ。風が避けてる」
しゃがんで手で探ると、鍋だった。その横に、布。毛布だ。濡れていないのに冷たい。
毛布の下に、硬い物が2つ。
札だった。鉄の板で、2枚とも紐が付いたまま、紐が結んであった。
首に掛けたまま、外した物ではなかった。
「……2枚」
ミアの手が、俺の手から札を取った。暗い中で、ミアが札の字を指でなぞっている音がした。
「読めないわ、暗くて」
「俺も読めない」
「外で読む」
ミアの懐で、札が3枚になった音がした。
「灯りが消えて、それきり。3つ樽亭で聞いた噂、ここね」
「灯りは消えてない。効かないだけだ」
「……同じ事でしょ。見えないんだから」
俺は毛布に手を置いて、それから離した。冷たい。
立ち上がって、ミアの裾を探した。見つからない。
「ミア、どこだ」
「あんたの左、1歩」
裾があった。掴んだ。
「はぐれたら終わりね。声の届く所にいて」
「離さない」
歩き出してすぐ、ミアが止まった。
「……冷たい」
風が、変わった。
今まで淀んでいた風が、1つの方向から来ている。冷たい。暗い区画に入ってからずっと寒かったが、これは寒さと違う。冷えた物が、近づいてくる。
「来るわ。前から。……風じゃない。冷たい所が動いてる」
鑑定を向けた。暗くて何も見えないのに、向けた先で窓が開いた。
レイス Lv50
HP:1,200/1,200
スキル:冷気 Lv3/実体化 Lv2/憑依 Lv1
「50。HPは1,200だ」
「薄いわね」
「薄いが、何も見えない。どこを斬ればいい」
「冷たい所よ。それしか言えないわ」
裾を離した。
「ミア、どこにいる」
「あんたの左、2歩。壁に寄ってる」
右へ1歩出て、刀を抜いた。左には向けない。
冷たさが、顔に来た。
刀を振った。空を切った。何も無い。手応えが無く、冷たさだけが通り過ぎて、後ろへ回った。
「後ろ!」
振り向きざまに斬った。空だ。
冷たさが、腕に来た。
外套の上から、腕を掴まれた。掴まれた、というより、腕の中に冷たい物が入ってきた。骨が凍る。HPが落ちる音は無いのに、落ちているのが分かった。
HP67/103。
12減って、まだ減っている。腕を掴んでいる物があるなら、そこに何かがある。
掴まれている腕の、すぐ上を斬った。
手応えがあった。
布を裂くような軽い手応えで、冷たさが腕から離れた。
「下がったわ! 冷たいのが、離れた!」
触れている間だけ、そこにある。触れていない時は、無い。
腕が痺れて、刀を握り直した。冷たさは離れた所で止まっていて、ミアの声がそれを追っている。
「右、3歩。止まってる」
来るのを待った。斬りに行っても空を切る。触れさせるしかない。
冷たさが来た。正面から、速い。
刀を体の前に立てて、冷たさが刃に触れた所で、振った。
手応え。もう1度、同じ所へ。2度目は、何かの奥まで通った。
冷たさが、ばらけた。1つの塊だった冷えが、霧のように散って、消えた。
【レイスを討伐しました】
【経験値 +800】
足元で、小さい物が落ちる音がした。手で探ると、魔石だった。氷のように冷たくて、握っていると指が痛んだ。
「斬れたのね」
「触れてる間だけだ。触れてない時は、何も無い」
「触れさせるって事は、減らされるって事よ」
「減らされないと斬れない」
ミアは何も言わなかった。言わない代わりに、裾が俺の手に押し付けられた。
歩き出して、いくらも行かないうちだった。
「……もう1つ」
ミアの声が低くなった。
「来てる。私の方」
冷たさが、左から来ていた。俺の方ではない。ミアのいる方へ、真っ直ぐ。
「ミア、どこだ」
「あんたの左、1歩。……来る!」
左に、ミアがいる。左には抜けない。
裾を引いて、ミアを後ろへ回した。俺が左に立つ。ミアが右。
「右に回った。あんたの右、1歩後ろ!」
それを聞いてから、刀を左へ向けた。
冷たさが来た。胸に。
避けなかった。避ければミアに行く。
胸当ての上から、冷たい物が入ってきた。息が止まる。腕の時より深い。
HP58/103。
減っている間に、胸の前を斬った。手応え。離れない。もう1度。2度目で、冷たさがばらけた。
【レイスを討伐しました】
【経験値 +800】
膝を突いた。胸が冷えて、息を吸うと肺が痛い。
「レン」
「大丈夫だ。2度で済んだ」
「済んでないわよ。あんた、今わざと受けたでしょ」
「受けないと斬れない」
「私の方に来てたのを、あんたが取ったのよ」
声が近い。ミアがしゃがんでいる。手が、俺の胸当てに触った。
「冷たいわ。鉄みたいに」
「そのうち戻る」
ミアの手が、離れた。
魔石が1つ、足元にあった。2つ目を拾って、袋に入れた。袋の中で、2つがぶつかって冷たい音を立てた。
冷たさは、もう来なかった。
ミアが風を読んで、淀んでいる所で休んだ。結び目は86。火を焚いて、炎だけを見た。
刀を振った。岩を手で探して、呼ばずに振って、指で確かめる。筋は無い。
「今日は」
「出なかった。レイスを斬った時も、呼ばなかった」
「……呼ばなくても斬れたのね」
「触れてたからな。伸ばす必要が無かった」
ミアは少しだけ黙った。
「次に伸ばす時は、私がどこにいるか言ってからね。暗いと、あんたの刃がどこにあるか私にも分からないもの」
「分かった」
火の向こうで、ミアが横になる音がした。
5日目。
裾を掴んで歩いて、ミアが「段よ、上り」と言って、上った。曲がって、また曲がって、しばらく真っ直ぐ歩いた。
前方に、何かが見えた。
見える。目が、何かを捉えている。暗い区画に入ってから初めて、目が仕事をした。
青白い、線だった。
近づくと、線が広がって、苔だった。壁と天井と床に苔が生えていて、その手前にきっちり線が引いてある。入った時と同じ線が、出口にもあった。
線を越えた。
足音が、壁に返ってきた。
ミアが腰の灯りを外して、火を大きくした。
明るかった。炎の周りが明るくて、ミアの手が、腕が、顔が、照らされている。苔の光の中でも、火の明かりが周りを照らしているのが分かった。
「……効いてるわ」
ミアは灯りを顔の高さに持ち上げて、しばらくそのまま持っていた。
「火は、ずっと点いてたのにね」
俺は何も言わずに、自分の手を見た。見える。胸当ての、レイスに触れられた所は、何も変わっていなかった。
空が無いので、昼か夜かは分からない。ミアが結び目を数え直した。
「暗い区画で3つ作ったけど、合ってるかどうか分からないわ。……外の日数を数えるのは、空のある層に出てからにする」
「それでいい」
苔の洞の道を進むと、天井が開けて、星が見えた。
苔の洞の途中から、天井が無くなっていた。22層と同じ星だった。
「夜ね。今は」
ミアは星を見てから、結び目を1つ解いて、1つ作り直した。
「88。暗い区画の分は、これで合ってる事にする。……合ってなかったら、申告の分で足りるわ」
6日目は、星の下の苔の洞を歩いた。
狼が1度出て、2度ずつ斬った。矢は減らなかった。
夕方、道の先で苔が途切れて、床に穴が開いていた。階段が下りている。
その口で火を焚いた。炎の周りが明るい。
ミアは火の横に座って、懐から札を出した。
3枚。苔の洞で拾った1枚と、暗い区画で拾った2枚。3枚を並べて、暗い区画の2枚の字を、火に向けて読んだ。
名前が2つ。隣はどちらもB。
苔の洞の1枚と、名前の字が似ていた。同じ組の物かどうかは、分からない。
「3枚で、2組」
ミアが言った。
「2組とも、ここで灯りが消えたのね」
「消えてない」
ミアが顔を上げた。
「あの区画で、火は消えてなかった。効かなかっただけだ。この2組も、火は点いてたはずだ」
「……それ、同じ事でしょ」
「同じじゃない。俺たちの火も点いてた。それで、俺たちは抜けた」
ミアは3枚を見て、それから俺を見た。
「あんたが受けたからよ。2つ目を」
「ミアが風で場所を言ったからだ。言われなければ、どっちへ刀を向ければいいかも分からなかった」
ミアは札を3枚重ねて、懐に戻した。
「届けるわ。3枚とも」
結び目は96。外の数で、21層から24日。残り16日。
刀を振った。火の明かりで、岩の線が見えた。呼んだ所にだけ、付いている。
火の所へ戻ると、ミアが先に言った。
「出なかったのね」
「出なかった」
「……明日は、25層ね」
ミアはそれだけ言って、火に背を向けて横になった。
俺は火の番に座った。炎が、ちゃんと周りを照らしている。それだけの事が、今は見ていて飽きなかった。
24層、読んでいただきありがとうございます!
「灯りが効かない」は、火は点くのに明かりが無い、という事でした。
見えない中でレイスと向き合う2人。触れられないと斬れない相手に、レンがわざと受けに行く回です。
ミアが拾った札は3枚。届けると言ってます。
次回は25層、主のいる層です。しばらくお付き合いください!




