第九十話 二太刀
ここからBランクの穴、二十一層より下です!
帳面が薄くなる理由を、二人が体で知っていく回です。
二十層までのように、一太刀で片が付く相手ばかりではなくなってきます。
森の中で、何が待っているのか。
ひと月の潜り、始まります!
朝のうちに食べていきな、とマルタは言って、鍋の中身を二人分よそった。それだけだった。四十日分の荷を背負った俺たちを送る言葉は、昨日のうちに貰っている。
北の門の番は俺たちの札を確かめてから、帳面を開いた。
「何日だ」
「四十日」
ミアが答えると、番は顔を上げずに筆を動かした。空欄、二名、四十日。帳面の字を、俺は逆さまから読んだ。
「長いな」
「余る分には何も言われないって聞いたから」
「言われん。四十日で戻らなきゃ、五十日目に死んだ事になる。それだけだ」
番は帳面を閉じて、柵の戸を開けた。
入口の台に乗ると、二十層の丸い部屋に出た。壁の斧の跡はそのままで、部屋の向こうの階段の口は開いている。岩が塞いでいた所を、今度は何も倒さずに通った。
階段は長かった。二十層までのどの階段より段の数が多く、降りるうちに空気が湿って、土の匂いに木の匂いが混じってくる。
降りきった所に、森があった。
木だ。穴の中で初めて見る、木らしい木だった。幹は両腕で抱えても指が届かないほど太く、白っぽい皮をして、枝は星の方へ高く伸びている。見上げると枝と枝の隙間に星が見えた。空はあるのに、木の下は昼でも薄暗い。
ミアは懐から写しを出して、俺の横で広げた。
「二十一層。森と書いた組が二つ、沼と書いた組が一つ、岩だらけと書いた組が一つ」
「全部違うのか」
「全部違うわ。受付の言った通りね。……顔ぶれは同じ。オーガ、トロル。トロルの横には、斬っても塞がる、火、って」
ミアは写しをしまって弓を持ち替え、それから少し黙って森の奥へ顔を向けた。
「風が、読みにくいわ」
「読めないのか」
「読めるけど遠くまで届かない。木に当たって散るのよ。水の中とは違う。……近くなら分かる」
二十層までは、ミアが先に見つけてから俺が斬る形で来た。その先と後ろの間が、ここでは短くなる。
「なら近くなってから言ってくれ。それで間に合わせる」
「間に合わせるのはあんたじゃなくて、私の方よ」
俺が前を歩いて、ミアが後ろ。木の根が地面に浮いていて、踏むと苔が沈んだ。
最初の一匹は、昼のうちに来た。
木の間が少し開けた所で、ミアが後ろから外套を引いた。
「右。大きいのが一つ。歩いてくる」
右の木の陰から、それは出てきた。
人の形をしている。ただ背丈が俺の倍近くあって、腹が前に突き出て、肩から先は腹より太い。皮は灰色がかった緑で、腰に何かの皮を巻き、手には根の付いたままの若木を一本、棍棒の代わりに下げていた。
鑑定を向けた。
オーガ Lv42
HP:2,400/2,400
スキル:剛力 Lv4/棍棒術 Lv3/投擲 Lv2
「四十二だ。HPは二千四百」
「二十層の主より上じゃない」
ミノタウロスが四十で、千八百だった。あれは狭い部屋に一匹でいたから、一太刀で済んだ。これは森を歩いていて、主ではない。
オーガが足を止めて、足元の石を拾った。拾ったと思った時には、もう投げている。
横へ跳ぶ。石が後ろの木に当たって、幹の皮が弾けた。投擲の二は、石を矢にする。
投げた勢いのまま、オーガが走ってきた。棍棒が頭の上で回る。振り下ろしは見えていた。右に出て、振り下ろした腕の内側へ入り、脇腹へ刃を入れる。
入った。手応えがあった。
オーガは、倒れなかった。
脇腹の皮が裂けて、その下の肉が見えている。それだけだ。ミノタウロスなら首が落ちていた一太刀が、皮を一枚裂いて止まっている。
「レン、HP!」
ミアの声で窓を見た。2,400が2,100に減っている。300。それだけだった。
棍棒が横から来た。
避けた。避けたつもりだった。棍棒の先が外套の脇を掠めて、体ごと横へ持っていかれる。木の根に足を取られて膝を突いた。
HP74/99。
掠めただけで二十五減った。十五層の長の斧より重い。
立ち上がった所へ、棍棒が真上から落ちてきた。前へ転がって、オーガの股の下を抜ける。背中の向こうで地面が割れる音がした。
矢の音が二度して、二度ともオーガの胸で弾かれた。
三本目が、オーガの左目に立った。
オーガが吠えて、目を押さえて頭を振る。
「首は届く?」
「届かない。高い」
「なら下げさせる」
次の矢が、残った右目を狙って飛んだ。オーガが顔を庇って、頭が下がる。下がった首は、刀の高さにあった。
斬った。
皮が裂けて、首の半分まで刃が入って、止まる。さっきと同じだ。この皮と肉の厚さは、俺の刀が一度で通る厚さではない。
刃先がもっと先まであると決めれば、通ったのか。頭の隅でそう思って、すぐに消した。斬っている最中に決めて、出なければそれで終わりだ。
オーガが腕を振り回す。下がって腕が通り過ぎるのを待ち、もう一度同じ所へ踏み込んだ。
同じ筋に刃を入れた。
一度目に裂けた所には、皮が無い。二度目の刃は皮に止められずに、そのまま奥まで通った。
オーガの首が落ちて、体が砂になった。
【オーガを討伐しました】
【経験値 +600】
砂の中に、拳二つ分の魔石と親指ほどの牙が二本残っている。
刀を見た。刃は欠けていない。欠けていないのに通らなかったのは、刀のせいではない。
「一太刀じゃ落ちない」
ミアが矢を拾いながら、俺の脇腹を見た。外套の脇が裂けて、その下の胸当ての縁に棍棒の跡が付いている。
「同じ所をもう一度斬ったわね」
「一度目で皮が無くなる。二度目は肉だけだ。……そういう相手なんだな、ここから下は」
「二度で済むうちはいいわよ」
ミアは矢を三本拾って、羽根の潰れた一本を捨てた。
オーガの皮に矢は立たなかった。立ったのは目だけだ。ミアはそれを口に出さなかったし、俺も言わなかった。
空が暗くなって、ミアが紐に一つ目の結び目を作った。
木の根の間で火を小さく焚いて、干し肉と豆を鍋で温める。木の下は夜になると本当に暗い。星が枝に遮られて、火の明かりの届く所しか見えなかった。
「風は」
「近くは大丈夫。遠くは分からない。だから交代で起きるわ」
先に寝た。HPは窓の中で、ゆっくりとしか戻らない。
二日目は川に出た。森の中を、背丈の倍ほどの幅の川が横切っている。水は澄んでいて、底の石が見えた。
「渡るのか」
「向こうの方が木がまばらよ。風が少しだけ遠くまで届く。……水の中は読めないから、早く渡って」
腰まで浸かって渡った。水は冷たく、足の裏で石が滑る。何も出てこなかった。出てこなかったが、ミアは渡りきるまで弓を構えたままだった。
渡った先で、火を焚いた跡を探した。誰かが通った跡。誰かが寝た跡。何も無い。二十層までは、どの層にも誰かの残した物があった。帳面に書かれた道があり、他の組とすれ違い、下で大きい物が歩いていると教えてくれる者がいた。
ここには、それが無い。
「誰もいないわね」
「道が違うんだろ。組ごとに」
「分かってるわ。分かってるけど、歩いてみると違うものね」
ミアはそれだけ言って前を向いた。
夜になって七つ目の結び目。その夜も何も来なかった。
三日目。八つ目の結び目を作って少し歩いた所で、ミアが外套を引いた。
「左から二つ。オーガ。……もう一つ、後ろにいる。背が高い。オーガじゃない」
木の間から、オーガが二匹並んで出てきた。一昨日の一匹と同じ形で、同じ棍棒。その後ろから、もう一つの影が出てくる。
オーガより頭一つ高くて、痩せている。腕が長く、膝まで届いていた。皮は苔の色で、顎が前に出ている。
鑑定。
トロル Lv44
HP:2,800/2,800
スキル:再生 Lv4/剛力 Lv3
「再生の四。帳面の、斬っても塞がる、だ」
「火ね。用意するわ。時間を頂戴」
時間。ミアが火矢を作る間、オーガ二匹とトロルを俺が一人で引き受ける。
「できるだけ短くしてくれ」
「急ぐわ」
HPは八二まで戻っていた。
オーガが二匹、同時に来た。
一昨日の一匹で分かっている事がある。一太刀では落ちない。二度、同じ筋に入れれば落ちる。その二度の間に、もう一匹の棍棒が来る。
右のオーガの棍棒が先に来た。振り下ろしの下を抜けて、脇腹に刃を入れる。皮が裂ける。裂けた瞬間に、左のオーガの棍棒が横から来た。
右のオーガの体を盾にして下がった。左の棍棒が右のオーガの肩に当たり、右のオーガが吠える。
同士討ちで止まるほど利口ではない。それでも一瞬、二匹の動きがずれた。
ずれた一瞬で、右のオーガの裂けた脇腹へ二度目の刃を入れる。
右のオーガが崩れて砂になった。
【オーガを討伐しました】
【経験値 +600】
左のオーガが棍棒を振り上げる。その後ろで、トロルが動いた。
長い腕が、オーガの肩越しに伸びてきた。棍棒より速くはない。速くはないが、長い。棍棒の届かない所に立っているつもりだった。トロルの指は、そこまで届いた。
後ろへ跳んで、伸びてきた腕を斬った。
肘から先が、落ちた。
トロルは吠えなかった。落ちた腕を見下ろして、残った腕で拾い上げ、肘の切り口に押し当てる。
皮が、繋がった。
苔の色の皮が切り口を這って、落ちたはずの腕がまた肘の先に付いている。指が動いた。
「……繋がった」
「そっちは見なくていい! 手が離せないの!」
ミアの方を見る暇は無かった。左のオーガの棍棒が来て、体を倒して下をくぐる。立ち上がって脇腹。皮が裂ける。二度目を入れる前に、トロルの腕が横から来た。
避けきれなかった。腕の甲が、胸当てごと俺の胸を払う。木の幹に背中から当たって、息が止まった。
HP58/99。
二十四。腕が長い分だけ、避けたつもりの所まで届く数字だ。
トロルが歩いてくる。オーガも裂けた脇腹を押さえながら来る。木を背にしていて、後ろは無い。
火の匂いがした。
矢が、トロルの胸に立った。鏃の後ろに布が巻いてあって、その布が燃えている。油の火だ。燃える布から火がトロルの皮に移って、胸から肩へ広がった。
トロルが、初めて吠えた。
燃えている所の皮は、閉じなかった。閉じようとして火に舐められて、また開く。トロルが両腕で胸を叩いて火を消そうとする。叩いた腕に火が移った。
「今よ! 燃えてる間は塞がらない!」
木から背中を離して、トロルの前へ出た。
燃えている腕が振られる。火ごと避けて、首へ刃を入れた。皮が裂ける。裂けた所が燃えている。塞がらない。
もう一度、同じ筋へ。
トロルの首が落ちて、火ごと砂になった。砂の上で燃えていた布だけがしばらく燃えて、消える。
【トロルを討伐しました】
【経験値 +700】
振り返ると、左のオーガが矢を目に受けて頭を下げていた。
下がった首の、裂けた所へ二度目の刃。
【オーガを討伐しました】
【経験値 +600】
森が静かになった。
膝を突いて息を整えた。胸当ての真ん中が、トロルの腕の形に少し凹んでいる。鱗が無ければ、肋が何本か持っていかれていた。
砂の中に、火に炙られて黒くなった魔石が一つ転がっていた。
ミアが近づいてきて、油の袋を持ち上げた。
「三分の一、使ったわ。火矢は一本で済んだけど、作る時に布に染ませる分が多いのよ」
「あと二回か」
「トロルが二匹出たら、あと一回ね」
ミアは矢を数えた。目に刺さった一本は拾えた。火矢の分は燃えて無い。
「……どのくらいかかった」
「火を付けるまで、あんたがオーガを一匹斬ってトロルの腕を一本落とす間」
「長い」
「長いわよ。次からは火打ちを出した状態で歩くわ。布も先に巻いておく」
それは俺が言う事ではなく、ミアが決める事だった。
その夜は、火の横でミアが矢を数えていた。数え終わって、束を縛り直す。
「伸びる、は使わなかったのね」
「斬ってる最中に決める余裕が無かった。首に刃が止まった時、一度だけ考えた」
「考えただけでよかったわ。……私の髪が一房切れるくらいなら笑って済むけど、あんたの首だと笑えないもの」
ミアは毛布を被って横になり、俺は火の番に残った。木の下の暗さは、三日経っても慣れない。
四日目は森が深くなった。木の間が狭くなって、昼でも足元が見えにくい。ミアの風は、木が増えた分だけさらに短くなった。
夜になって、十五個目の結び目を作った後だった。
ミアが立ち止まって、弓を握り直した。
「……前。たくさんいる。寝てる」
「オーガか」
「たぶん。十より多い。息の音が風に乗ってくる」
森の中が、少しだけ開けていた。開けた所の地面が窪んで、その窪みに黒い塊がいくつも転がっている。遠くからでは岩に見えた。岩は、息をしない。
数で無理だ。それは数える前から分かっていた。一匹に二太刀、その間にもう一匹。二匹でさえ胸をやられた。十を越えたら、数えても仕方がない。
それでも数は知っておきたかった。回り道をするなら、どのくらい回るかを決める数だ。
「ミア、見てくる」
「見るって、どうやって」
「沈む。影に入って縁まで寄って、数だけ数えて戻る」
ミアは少し黙った。
「安全な時だけ、って言ったわよ」
「寝てる。風も、こっちから向こうへは吹いてない」
「……見るだけよ。数えたら戻って。矢は、あんたが戻るまで構えてる」
「行ってくる。消えるぞ」
「聞いたわ」
木の影に立った。
木の下は、影しか無かった。星明かりは枝に遮られて、地面に届く前に散っている。影に立つのは簡単で、影だと決めるのは宿の部屋より楽だった。
俺は影だ。そう決めた。
足元が、薄くなった。
宿で二度目に出たあの感じが、一度目で来る。三度目は最初から薄かったから、これは慣れたという事なのかもしれない。
影から影へ、木の幹を伝って歩いた。足音は立てない。これは闇ではなく、ただの用心だ。
窪みの縁に着いた。
オーガが転がっている。腹を上にして腕を投げ出し、口を開けて寝ている。一、二、三。奥にも転がっている。八、九。窪みの反対側に、立っている影が一つ。起きている。見張りか、ただ立っているだけか。
十三。
立っている一匹が、顔をこちらへ向けた。
息を止めた。影の中にいる。影だと決めている。オーガの目が、俺のいる幹を通り過ぎて別の所へ動いた。
見えていない。
影から出ずに、来た道を戻った。
ミアの所まで戻って、影から足を出す。ミアの矢が、俺の胸の高さで止まっていた。
「十三。一匹は起きてる」
「見られた?」
「見られてない。目は俺を通り過ぎた」
ミアは矢を下ろして、息を吐いた。
「十三でも二十でも、やる事は同じね。回るわ。……右と左、どっちが木が低い」
「右だ」
「右ね」
窪みを大きく右へ回った。回り道に、その夜の残りと次の昼を使った。
五日目。回り道の先で、ミアが上を見た。
「一番高い木を探して」
「登るのか」
「枝の上なら木に散らない。森の上を風が通ってるはずよ」
見上げて一本選んだ。周りの木より頭一つ高くて、幹の途中から枝が張っている。ミアは弓を俺に預け、縄を腰に巻いて幹に手を掛けた。
登るのは速かった。慣れた登り方だった。
枝の上で、ミアが動きを止める。
長かった。星の下で、ミアの影だけが枝の先にある。
降りてきた時、ミアの手に細かい傷が付いていた。
「森が、向こうで切れてる。切れた所に白い壁が立ってる。崖ね。崖の下まで、ここから昼一つ」
「下り口は」
「崖の壁に、風が吸われてる所が一つ。穴だと思う」
「……鷹風か」
「上でなら使えるわ。下で使っても、木の中で散るだけだもの」
ミアは縄を解いて、傷の付いた手で弓を受け取った。
六日目。
木が低くなって間が開き、足元の苔が石に変わった。木の最後の一本を抜けると、目の前に白い岩の壁が立っていた。
崖だ。上は星に紛れて、どこまで続いているのか分からない。枝の上から見れば白い壁で、下から見るとただの岩だった。
壁に沿って歩く。ミアが風を読む。木が無いので、風は遠くまで届いた。
「ここよ」
岩の壁に、人が二人並んで入れる口が開いていた。中は暗くて、階段が下りている。崖の中を、穴の下へ下りていく階段だ。
ちょうど空が明るくなり始めた所で、ミアが紐を手に取って結び目を作った。
「二十四」
「六日か」
「ちょうどね。残りは三十四日」
窓のHPは七〇まで戻っている。二十二層の最初の一匹が来るまでに九九に戻るかは分からない。
下りる前に、森を振り返った。
六日歩いた。オーガを三匹とトロルを一匹斬って、十三匹の寝床を避けて、川を一つ渡った。その間、人には一度も会わなかった。
ミアが階段の口に立っている。
「行くわよ。二十二層」
行こう、と答えて、崖の中へ下りた。
二十一層、読んでいただきありがとうございます!
二十層の主を一太刀で倒したレンが、森では同じ所を二度斬らないと落とせない。
Bランクの穴は、そういう所にしたかった回です。
ミアの風も木に散って届かず、二人のいつもの形が少し崩れました。
次回も穴の続きです。しばらくお付き合いください!




