第八十七話 帰り道(ユーリ視点)
ユーリ側の続きです。
村から王都へ戻る道の話。送る人がいて、会う人がいて、まだ潰す物が残っています。
一人で斬る回ではなく、人を使って潰す回。
最後は王都に着きます。しばらくお付き合いください。
最初の村に戻ると、森から出てきた人たちが井戸の周りに座り込んでいた。
狼の死体は焼いてあった。焼いた煙の匂いがまだ村に残っていて、その中で老人が立ち上がり、私の方へ歩いてくる。足が少し引きずられているのは、森にいた間に痛めたのだろう。
「聖騎士様。この村には、もう食べる物がございません」
蔵は狼に荒らされ、畑は踏まれ、残っているのは井戸の水だけだという。二つ目の村から来た者も合わせて、人の数は増えているのに、食べ物は増えていない。
「西の宿場まで行けば、王の兵の蓄えがあると聞きました。ですが、道に何が出るか……」
老人はそこで言葉を切り、私の答えを待つ顔になる。
命は、街道と村に流れた物を潰せ、だった。潰した。それで終わりのはずで、この人たちを送るのは命の中に入っていない。
入っていないからといって、放っておく理由にもならない。
「送ります。歩ける人は歩いて、歩けない人は馬に」
老人がもう一度膝を折ろうとして、今度は自分で思い直したようだった。
列は遅かった。
子どもが前を歩き、女たちがその後ろに続いて、老人は私の馬の鞍に乗せてある。私は手綱を引いて一番後ろを歩く。鎧を着たままで歩くのは久しぶりで、脛の留め金が一歩ごとに鳴った。
子どもの一人が、歩きながら何度も振り返る。私を見ているのではなく、私の後ろの東の空を見ている。その空から何か来ないかと、まだ怖いのだろう。
来ない。来る物は、もういない。そう言ってやりたかったけれど、言葉にすると信じられなくなりそうで、黙っていた。
女たちの声が前の方から聞こえてくる。小さな声で、私に聞かせるつもりはないのだろう。
「塔の司祭様は、どうされたの」
「逃げたよ。狼が来た最初の晩に。馬で」
「……私たちには、祠に祈れと言ったのに」
それ以上は続かなかった。私も聞かなかった事にする。
司祭が逃げた事を、私は責められない。司祭は戦う者ではない。けれどこの人たちは、司祭が戦わない事を知らなかったのだと思う。塔がある限り、教会が守ってくれるのだと思っていた。
守るのは塔ではなく、私のような者だ。それも、命があった時だけ。
宿場に着いたのは、二日目の夕方だった。
街道の脇に柵で囲った宿場があって、柵の中に宿と厩と、王の兵の天幕が並んでいる。天幕の数は多い。隊が一つ、丸ごと止まっているらしい。
柵の門で、兵が私の鎧を見て槍を立てた。礼ではなく、構えとして。
それから鎧の白と、胸の紋章を見て、槍を下ろす。
「……教会の方ですか」
「七聖が第七、ユーリと申します。東の村の人たちを送ってきました。食べ物と、寝る所を」
兵が奥へ走り、しばらくして鎧の男が出てきた。王の兵の隊長だ。私より年上で、髭に白い物が混じっている。
隊長は私に頭を下げたが、目は下げなかった。
「お一人で、東へ行かれたと伺っております。我々は宿場で足を止めておりました。教会の方が先に出られたと聞きましたので」
言葉は丁寧で、意味は丁寧ではない。教会が先に手を出した以上、王の兵は後ろで待つしかなかった、と言っている。
争うつもりはなかった。
「村の人をお願いします。狼とゴブリンは潰してあります。この先の村には、もう何も残っていません」
「承知しました。……それと、聖騎士様」
隊長が東の方を見る。宿場の先、街道が林に入る所だ。
「林の道が塞がっております。糸で。斥候を二人出しましたが、戻りません」
「糸」
「蜘蛛です。大きい物が、何匹も」
大蜘蛛。
記録で読んだ事がある。魔物領域の浅い所に住む物で、普段は森から出てこない。溢れで押し出されて、林に巣を作ったのだろう。
「斥候はいつ出ましたか」
「昨日の朝です」
昨日の朝なら、まだ間に合うかもしれない。蜘蛛は獲物をすぐには食べない。糸で巻いて、吊るして、置いておく。
「行きます。油と、火と、槍を持てる人を貸してください」
隊長が一瞬だけ黙った。教会の騎士が王の兵を借りるというのは、たぶん珍しい事だ。少なくとも私は、師匠がそうしたのを見た事がない。
「何人、入り用ですか」
「林の縁で火を扱えるだけの人数で。中には入りません。入るのは私だけです」
隊長は頷いて、兵を集めに戻っていった。
林の入り口は、本当に糸で塞がっていた。
街道の両側の木の間に、白い糸が何重にも張られて、道そのものが見えない。糸は太く、人の指ほどはある。夕日を受けて少し光っていた。
糸の奥で何かが動いている。黒くて、脚が多い。
兵が林の縁に並び、油の壺と火を持って、私の合図を待っている。隊長もその中にいた。来るとは言っていなかったのに、来ている。
「糸に火を付けてください。道の両側から。付けたら下がって、出てきた物は槍で。中には入らないように」
油が糸にかけられ、火が投げられた。
糸は良く燃える。白い糸が一瞬で赤くなって、燃えながら縮み、焦げた匂いが林じゅうに広がっていく。
奥で動いていた物が、火に追われてこちらへ出てきた。
大蜘蛛だ。
狼より大きい。脚を広げれば荷車ほどもあって、目が八つ、火を映して並んでいる。
一匹目が糸を抜けて道に出た所で、首の付け根を斬った。蜘蛛には首がないから、頭と胴の間だ。剣が通って、脚が一斉に縮む。
二匹目は横の木から降りてきた。兵の方へ。
「槍!」
兵が叫ばれる前に突いていた。槍が三本、蜘蛛の胴を貫いて、蜘蛛は槍の上で暴れてから止まる。隊長の槍もその中にあった。
三匹目、四匹目。糸が燃えるたびに奥から出てくる。
私は道の真ん中に立って、出てきた物を斬る。兵は左右で、私が斬り損ねた物を突く。斬り損ねるのは、二匹同時に来た時だけだ。
燃える糸の奥に、大きな影が見えた。
他の蜘蛛の倍はある。白い腹が火に照らされて膨らんでいて、脚は太く、毛が生えている。巣の主だ。
主は出てこなかった。奥で、吊るされた物の間に座ったまま、こちらを見ている。
吊るされた物。
糸の繭が、木の枝からいくつも下がっていた。獣の形の物と、人の形の物。人の形は、二つ。
「ここからは私が入ります。火は止めて、槍を構えて待っていてください」
隊長が何か言いかけたが、飲み込んだ。
燃え残った糸を剣で払いながら、林の奥へ入る。
足元の糸が靴に絡んで重い。頭の上から細い糸が垂れてきて、兜のない髪に付く。払っても付く。
主は動かない。
私が繭の下まで来た時、初めて脚を上げた。
前の二本の脚が上がって、牙が開く。牙の先から何かが垂れていた。
光。
左手の光を主の目に向ける。八つの目が一斉に細くなって、脚が止まった。
狼と同じだ。竜と同じだ。目のある物は、光を見れば止まる。
その間に、剣を振った。
輝剣。
光が刃から伸びて、太い脚を二本まとめて通る。脚が落ちて、主の体が傾いた。
傾いた所へ、もう一度。
頭と胴の間。白い腹の付け根。
光が通って、主の脚が全部、一度に縮んだ。
倒れた体が、吊るされた繭を揺らす。
繭を切った。
獣の形の物は、もう動かなかった。人の形の物は、一つは動かず、もう一つは、糸を剥がすと目を開けた。
「……聖騎士、様」
王の兵の斥候だった。糸で巻かれて丸一日、息だけしていたらしい。もう一人の方は、昨日のうちに終わっていたのだと思う。
私はその一人を背負って、林の縁まで戻った。
兵が受け取って、天幕へ運んでいく。隊長は林の方を見たまま、しばらく動かなかった。
「……もう一人は」
「間に合いませんでした」
隊長は頷いて、それから私に向き直って、今度は目も下げた。
「お礼を申し上げます。七聖の方に兵を貸すなど、生涯に一度あるかどうかです」
「私も、借りたのは初めてです」
隊長が少しだけ笑った。笑ったのは、たぶん私の答えが変だったからだ。
宿場で一晩休んで、朝、西へ向かった。
街道は静かになっていた。蜘蛛の糸はもう無く、燃えた林の匂いだけが風に乗ってくる。
宿場の柵の門で、村の子どもが手を振っていた。私は手を振り返す事ができず、頭だけ下げた。
その先の村で、呼び止められた。
街道のすぐ脇の小さな村で、狼にもゴブリンにも荒らされていない。けれど村の真ん中に、新しい土の盛り上がりがいくつも並んでいた。
墓だ。
村の男が、私の鎧を見て走ってくる。
「聖騎士様。お願いがございます」
溢れの最初の夜、村の外で畑を見ていた者が何人か、戻らなかったという。戻ってきたのは体だけだった。村の人たちで葬ったが、言葉を言う者がいない。
この村には塔がなく、祝福の時は隣の村の司祭が来ていた。その司祭は、もういない。
「祝福の言葉を、どうか」
私は司祭ではない。
祝福の言葉は、騎士が覚えさせられるだけの物で、司祭が言う本当の言葉とは違う。違うのは私が知っているだけで、この人たちは知らない。
断る理由は、言えば言えた。
言わなかった。
墓の前に石を積んだ祠があって、階段の紋章が彫ってある。私はその前で膝を折り、覚えている言葉を言った。
階段を登る者よ。
代価は払われた。段は刻まれた。
神はあなたの段を数えておられる。
それだけだ。それ以上は、騎士は知らない。
村の人たちが私の後ろで、同じ言葉を小さく繰り返していた。繰り返しながら泣いている。
言葉の意味を、この人たちは信じている。
私は、信じているのだろうか。
神は段を数えておられる。本当にそうなら、捨て場に捨てられた私の隊の三人の段も、数えられているはずだ。
膝を折ったまま、その先を考えるのをやめた。
考えると、立ち上がれなくなる。
王都の門が見えたのは、それから何日も経ってからだった。
門の騎士が私の顔を見て、頬の焼けた所で目を止める。何も言わない。言わないのが礼儀だと思っているのだろう。
大聖堂の石段を上がり、法衣に導かれて謁見の間の手前の小さい部屋へ入った。
老司教だけがいる。机が一つ。
「戻りました。街道と村の物は、潰しました」
「翼のある物がいたと聞いた」
「はい。竜が一匹。村の屋根を剥いで、人を攫っていました」
老司教は竜の事をそれ以上聞かなかった。師匠の時もそうだったのだろうと、後になって知る。
「第七は大聖堂に留まれ。次の命があるまで」
「……師匠は」
「砦だ」
それだけだった。砦で何をしているのか、いつ戻るのか、聞いても答える顔ではない。
「下がれ」
七聖の棟の自分の部屋は、出た時のままだった。
寝台と机と、剣を掛ける壁。窓は一つ。隣の部屋は第六聖の部屋で、戸が閉まっている。中に人がいた事を、私はまだ知っていて、もう誰にも関係がない。
剣を壁に掛けた。
鎧を脱いで、胸当ての内側の包みをそのまま机の引き出しへ入れる。
引き出しを閉めてから、少し考えて、もう一度開けて、鎧の内側へ戻した。引き出しは誰でも開けられる。
窓の外は、夕方の中庭だった。
中庭の向こうに、謁見の間のある棟。第一聖の椅子がある所。
東の空は、ここからでは見えない。
寝台に横になった。
枕に頬を付けると、焼けた所が少し痛んだ。
痛くない、と村の子どもに言ったのは、どうやら嘘だったらしい。
ユーリ、王都に戻りました。
送った人がいて、借りた兵がいて、言わされた言葉があって。一人で斬っていた前の話とは、少し違う顔です。
祝福の言葉の所、ユーリの中で何かが引っかかったまま終わっています。
次は王都で待つ話。読んでくださってありがとうございます。




