第八十六話 街道(ユーリ視点)
今度はユーリ側です。ユーリ視点の一人称で。
師匠が砦へ向かった同じ朝、ユーリは一人で村の方へ。
街道に流れた魔物を潰していく話ですが、途中で「普通の騎士では無理な物」が出ます。
しばらくお付き合いください。
東の門を出ると、街道の土に新しい蹄の跡が一本、真っ直ぐ東へ伸びているのが見えた。
師匠の馬だろう。供を断ったと聞いていたし、断るのは分かりきっていた。師匠は誰かと並んで歩く人ではない。私が後ろにいる時だけは少し違ったけれど、今日のその後ろには誰もいない。
私は蹄の跡の横を、しばらくの間だけ並んで走る。
分かれ道は王都を出て半日ほどの所にあって、真っ直ぐ行けば砦、右へ折れれば街道沿いの村を回る道になる。
蹄の跡は真っ直ぐに伸びていて、私はそこで右へ折れた。
分かれ道の立て札に新しい紙が貼ってあり、東の村々へ行く者は引き返せ、魔物領域の溢れ、と書いてある。大聖堂の字ではなく、王の役人の字だ。
引き返せと言われているのは私ではないから、紙の横をそのまま通り過ぎる。
最初の村は焼けていた。
家の屋根が落ちて柱だけが黒く立ち、道の脇に積んであった薪は崩れて、その上を何かが踏んでいった跡が残っている。井戸の縁では血が乾いていて、人の姿はどこにもない。
馬を降りて村の中を歩きながら、壊れた戸の中を一つずつ覗いていく。食べ物の匂いはとうに消えていて、代わりに残っているのは獣の匂いだ。狼で、それも一匹や二匹の数ではない。
村の外れに石を積んだだけの小さな祠があって、階段の紋章が彫ってある。その紋章の上に血の手の跡が一つ付いていた。誰かがここまで来て祠に手をつき、それからどうなったのかは分からない。
私は祠の前で短く膝を折ってから、日が傾くのを待って村の中へ戻った。火は焚かない。焚けば、戻ってくる物に先に見つかってしまう。
村の真ん中の井戸の脇に立ち、剣を抜いて待つ。
狼は一度食べた所に必ず戻る。トリムの森でもそうだったのだから、ここでも同じはずだ。
夜になって最初の声が聞こえてきた。遠吠えではなく、喉の奥で鳴らす低い音で、それが一つ、二つと村の周りを回りながら数を増やしていく。
崩れた家の間に黒い影が見え、暗い中で目だけが光っている。
私は左手を上げて光を出した。
掌から出た光が村の真ん中を昼のように照らすと、狼が一斉に動きを止め、光を見た目が細くなる。
その一瞬があれば十分だ。
一番近い一匹の首を払い、横から来る二匹目は剣を返して喉を抜く。三匹目は跳んだが、跳んだ先に私の剣が待っていた。相手が動く場所に先に着く、師匠に教わった通りに。
光を消さないまま群れの中を歩いていく。
光がある間、狼は目を細めている。細めている間は跳ぶのが遅れ、遅れた分だけ私の剣が先に着く。
数は数えない。数えるのは師匠がやらない事で、私もやらない。
最後の一匹が村の外へ逃げていったが、追わなかった。あれが一匹で戻ってきたところで、もう何もできない。
光を消すと村は暗くなり、血の匂いと焼けた木の匂いが戻ってくる。
朝になって、森の方から人が出てきた。
老人が一人、その後ろに女と子どもが何人か。皆泥で汚れていて、靴を履いていない者までいる。
老人は私の鎧を見て足を止めた。
「聖騎士様……」
何と答えればいいのか分からなかった。
聖騎士であるのは本当だ。けれど、この人たちが思い浮かべている聖騎士と、私が知っている聖騎士は、たぶん同じ物ではない。
「狼は潰しました。戻ってくる物はもういません」
「……ありがとうございます。ありがとうございます」
老人が膝を折ろうとするので、肩を押さえて止める。
「隣の村は」
「分かりません。煙は見えました。三日前に」
「見てきます。皆さんはここに戻ってください。狼の死体は焼いた方がいい」
子どもの一人が、口を開けたまま私の白い鎧を見上げている。
私はその子の目を見る事ができなかった。
二つ目の村は燃えていなかった。
代わりにゴブリンがいる。屋根の上に一匹、井戸の縁に二匹、村の真ん中の広場では何匹かが火を囲んでいて、火にかけているのは村の鍋だった。
昼のうちに馬を村の外へ繋ぎ、歩いて正面から入る。
屋根の上の一匹が最初に私を見つけて骨の笛を吹き、広場の物が一斉に立ち上がった。手にしているのは棍棒と、村の人が使っていたはずの鍬や鎌だ。
師匠なら一度で終わらせるのだろう。
村の真ん中に立って霜を一度走らせ、家の中にいる物も井戸の底にいる物もまとめて凍らせて、それで終わり。
私にはそれができない。氷は持っていないし、光にできるのは照らす事と焼く事だけで、焼けば村ごと燃えてしまう。
だから一軒ずつになる。
広場のゴブリンを斬っていく。棍棒は受けずに避け、鎌は払い、一匹ずつ首を落とす。笛を吹いた一匹が屋根から飛び降りてきたが、着地するより先に剣が届いていた。
井戸の縁の二匹は井戸の中へ逃げたので、光を底へ落とし、二匹が目を押さえている間に縄を伝って降りて斬った。
それから家を一軒ずつ開けていく。
戸の裏に隠れている物、寝台の下にいる物、穀物の蔵の袋の後ろ。一軒開けるたびに一匹か二匹が出てくる。
蔵の袋の後ろから出てきたのはゴブリンではなく、村の子どもだった。袋の間に挟まって、声も出さずに震えている。
「もう大丈夫です。出てきてください」
子どもは動かない。私の鎧を見て、それから血の付いた剣を見て、また震える。
私は剣を鞘に戻して蔵の外へ出て、戸の外で子どもが出てくるのを待った。長い時間だった。
村に残っていたのはその子と、地下の酒蔵に隠れていた大人が数人だけだ。最初の村へ行くように言う。あそこには狼がもういないから、ここよりは安全だろう。
酒蔵から出てきた男が、村を出る前に私へ聞いた。
「聖騎士様。屋根を、見ましたか」
「屋根?」
「東の家の屋根です。剥がされてます。ゴブリンじゃない。あいつらにあんな事はできない」
東の家を見に行くと、屋根が剥がされていた。落ちているのではなく、梁ごと持ち上げられて家の横に捨ててある。
家の中には人がいた跡だけがあって、人はいない。血もない。
男が後ろから言う。
「夜に来るんです。空から。牛を持っていって、それから、東の家の夫婦を」
空から、と私は口の中で繰り返しそうになってやめた。
屋根の梁に爪の跡が残っている。狼のそれではない。もっと大きな、三本の爪だ。
三つ目の村は半分だけ生きていた。
村の東側の家は全部屋根が無くなっていて、西側の家に人が寄り集まっている。私が入っていくと戸が少しだけ開き、中から目だけがこちらを覗いた。
「聖騎士様が、お一人で……」
一人で、という言葉をこの村でも言われる。
村の人たちは空から来る物の名前を知らなかった。見た者は皆持っていかれ、残った者が見たのは翼の影と、夜空を横切る音だけだという。
私は知っている。記録で読んだ事があるからだ。
魔物領域の奥に翼のある竜がいて、地を歩く物より小さく、速く、息に毒を持つ。溢れた時に外へ出る事は滅多になく、出れば村一つでは済まない。
砦の帯に混ざらないのは飛ぶからで、帯の上を越えてこちらへ来たのだろう。
「今夜は全員で一番奥の家の地下に入ってください。戸は内側から閉めて、私が呼ぶまで開けないように」
「聖騎士様は」
「広場にいます」
村の人が何か言いかけてやめた。言っても無駄だと思ったのかもしれないし、それでいい。
日が落ちる。
広場の真ん中に立ち、剣は抜いておく。鎧は着たままで、マントだけ外した。飛ぶ物を相手にするのにマントは邪魔にしかならない。
左手を上げて光を出す。
狼の時より強く。広場が昼になり、屋根の無い家の梁が白く照らされて影が長く伸びる。
私を見つけさせるための光だ。この村で一番明るい物であり、一番食べやすそうに見える物。
待つ。
風の音がして、それから風ではない音が混じり始めた。
空気を叩く音。大きな翼が夜の空を叩いている。
上を見ると、星が一部分だけ消えていて、消えた所が動きながらこちらへ降りてくる。
翼を広げれば広場と同じくらいはある。首が長く、頭は蛇に似ていて、光を映した目が黄色い。
来る。
真っ直ぐ私に向かって落ちてきて、前脚の爪が三本、私を掴む形に開いていた。
私は動かず、光を上へ向ける。
竜の目が光の真ん中を見て細くなり、翼が一度、空を掴むように止まった。狼と同じだ。
その一瞬で剣を振る。
輝剣。
剣に光が乗って斬撃が刃より先へ伸びる。受けられず、流せず、避けるしかない物。師匠がそう言った物だ。
伸びた光が竜の右の翼の付け根を通り抜け、翼が半分落ちた。
竜の体が傾いて広場の端の家へ突っ込み、屋根の無い家が潰れて柱が折れ、土煙が上がる。
まだ終わらない。
土煙の中で長い首が持ち上がり、口が開いて、喉の奥が紫に光った。
毒だ。
息を止めて横へ跳ぶ。
紫の霧が私のいた所を通り抜けて広場の反対側の家に当たり、壁の木が音も立てずに黒くなっていく。
霧の端が鎧をかすめたが、鎧には何も起きない。頬だけが熱くなった。かすった所の皮膚が焼けている。
竜が残った左の翼で地面を叩いて体を起こし、こちらへ首を伸ばしてくる。
尻尾だ。横から薙ぐように来る。
下へ潜ると頭の上を尻尾が通り、後ろで井戸の縁が砕ける音がした。
立ち上がった所に口がある。長い首が蛇のように曲がって、上から私を噛みに来る。
剣を立てた。
牙が剣の腹に当たって横へ逸れ、腕が痺れる。重い。師匠の剣より重い。
逸れた首がもう一度来るより先に、私は前へ出た。
竜の首の下、顎の下へ。
ここなら牙も尻尾も届かない。翼は半分無く、届くのは息だけだ。
首の下で喉が紫に光る。
輝剣。
剣を上へ振る。
刃から伸びた光が、紫に光っている喉を下から通っていく。
通った。
そして光は――前より遠くまで伸びていた。
そう感じた。喉を抜けて、その先の夜の空まで届いた気がする。
竜の口が開いたまま止まり、喉の中で紫の光が消えていく。毒は出てこなかった。喉ごと斬れている。
首が落ちてくる。横へ出ると、首は広場の土に落ちて、それきり動かなくなった。
光を消す。
広場が暗くなり、竜の体が潰れた家の中に黒く横たわっているのが分かる。翼の片方は広場に落ちていて、もう片方は体に付いたままだ。
頬に手をやると焼けていた。血は出ていない。治癒は持っていないから、このままになる。
剣を見る。
光はもう乗っていなくて、ただの剣に戻っている。けれどさっき光が伸びた時の感じが、まだ腕に残っていた。
師匠に言ったら何と言うだろう。
触ったわね、ではない。あれは師匠に触れた時だけの言葉だ。
たぶん、何も言わない。
地下の戸を叩いて村の人を出すと、誰も何も言わなかった。竜の体を見て、私を見て、また竜を見る。
潰れた家の持ち主が泣いていたが、家が潰れたからではないと思う。
夜、潰れていない家の軒先で火を焚いた。村の人が火と鍋を持ってきてくれて、味の薄い粥を食べる。粥を食べたのがいつ以来だったか、思い出せなかった。
火の前で鎧の胸当てを外す。
内側に、布で包んだ物が入っている。
石の欠片が二つ。一つは灰の森の遺構で拾い、もう一つは王都の遺構の下で拾った物だ。
それから白い胸当ての破片が一つ。裏には「四」の刺繍。
火に照らしてしばらく見ていた。
師匠は育ててから取りに行くと言った。
レンは今、山の向こうにいる。ミアさんと二人で、私が北へ行けと言ったその北に。
では私は、何を取りに行くのだろう。
答えは出ない。出ないのは分かっていて、雪原で師匠の前に立った時にも出ていなかった。
布に包み直して、胸当ての内側に戻す。
村の子どもが一人、火の反対側に座っていた。眠れないのだろう、私の頬の焼けた所をじっと見ている。
「痛いですか」
「痛くはありません」
「本当に?」
「本当に。一人でここまで来たのですから」
自分で言ってから、少し変だと思った。一人で来た事と痛くない事に、関係はない。
子どもは納得したような顔をして、火の向こうで眠ってしまった。
その先の村は三つ回った。
狼が二つの村に残り、ゴブリンが一つの村に残っていて、空から来る物はもういない。あれは一匹だけだったのだと思う。二匹目がいれば、もっと多くの村の屋根が無くなっている。
どの村でも聖騎士様と呼ばれ、どの村でもお一人で、と言われた。
最後の村を出た朝、街道は静かだった。
足跡がなく、獣の匂いも笛の音もしない。
東の空は晴れていて、砦の方角は見えないほど遠い。師匠がそこで何をしているかは分からないが、分からなくても心配はしていない。師匠の心配をした事は、これまで一度もない。
命は、街道と村に流れた物を潰せ、だった。
潰した。
馬の首を西へ向ける。
ユーリの単独行、いかがでしたか。
師匠なら一度で終わらせる所を、一軒ずつ。そういう人です。
ワイバーン、出しました。普通の騎士ではどうにもならない物を、一人で。
光が前より伸びた、の所は覚えておいてください。
次も王都側が少し続きます。読んでくださってありがとうございます。




