第八十一話 帳面に無い物
今回は十二層と十三層、二層分まとめてなので長めです!
帳面に書いてあった事と、書いてなかった事。
穴の中の二日目と三日目を、ゆっくり読んでもらえたら嬉しいです!
空が白み始めた時、ミアはもう起きていた。
夜の半分で起こすと言った約束は守られなかった。腫れが引いてからの方が、と言ったのはミアで、腫れが引いたかどうかを決めるのもミアだった。
「寝たわね。腕を見せて」
「少し引いた」
「少しね。今日は十二層。狼に乗ったゴブリンだって帳面にあったでしょ。十層の狼と同じつもりで向かわないで」
ミアは腰の紐に結び目を一つ足した。三つ目。昼と夜が変わるたびに一つ、四つで外の一日になる。
干し肉を噛みながら、十一層の空が明るくなっていくのを見た。昨日と同じ順番で、同じ速さで、同じ色になる。
十二層は、十一層より岩が多かった。
階段を降りきった所から、丘がいくつも重なって続いている。丘の斜面は土ではなく、割れた岩で覆われていて、歩くたびに足元で音がした。草は無い。遠くに、水が光っている。湖だった。
「下り口は湖の向こう側。風が湖の上を渡ってる」
「湖を回るのか」
「右から回るわ。左は岩が崩れてて、崩れた所の下に何かいる」
鑑定を向けると、崩れた岩の影に小さな窓が三つ開いた。ゴブリン、Lv10。十一層と同じだ。槍を持って伏せているだけで、こちらに来る気配は無い。
「伏せてるだけだ。来ない」
「見張りよ。本隊は別にいるわ」
右の丘を回り込んで湖の縁に出た所で、ミアが足を止めた。片手を上げる前に、俺にも音が聞こえていた。
岩を蹴る音が、丘の向こうから重なって近づいてくる。
六匹。狼が六匹、丘の稜線を越えて駆け下りてきた。その背中に、一匹ずつゴブリンが乗っている。槍を脇に抱えて、狼の首の毛を握って、体を低くしている。
鑑定を向ける暇はあった。
ゴブリン騎手 Lv14
HP:180/180
スキル:騎乗 Lv2/槍術 Lv2
洞窟狼 Lv12
HP:200/200
スキル:疾走 Lv2
「十一層のより四つ上だ。狼にも一つ付いてる」
「来るわ。岩を背にして」
湖の縁の岩に背を付けた。十層の主の間でやったのと同じ形だったが、来たのは同じではなかった。
狼は止まらなかった。
十層までの狼は、跳びかかる前に一度足を止めて、間を測った。こいつらは測らない。走ってくる速さのまま横を抜けて、通り過ぎる一瞬に背中のゴブリンが槍を突き出してくる。
一本目は外套を掠めた。二本目を刀で払った時には、狼はもう遠くで向きを変えていた。
「斬れない。通り過ぎる方が速い」
「狼を狙うわ。乗ってる方は後」
ミアの矢が、二匹目の狼の前脚に刺さった。狼が転んで、背中のゴブリンが岩の上に投げ出される。俺が走るより先に、そのゴブリンは立ち上がって槍を構えた。
狼無しのゴブリンは、十一層の相手だった。槍を払って首を落とす。
残りの五匹は、仲間が落ちたのを見ても止まらなかった。湖の縁を大きく回って、また走ってくる。来る向きが毎回違う。
「右から二匹、左から三匹。同時よ」
「右は捨てる。左だけ」
左の三匹に正面を向けた。右の二匹の槍が背中に来るのは分かっていたが、岩が背中を守っている分、槍は岩を削って終わる。左の先頭の狼が横を抜ける前に、俺は一歩だけ前へ出た。狼の走る線の中に、自分から入る。
狼は避けなかった。走っているものは、急には曲がれない。
首を払った。狼は走ったまま砂になって、背中のゴブリンだけが俺の足元に転がった。槍が俺の脛を狙う前に、刀を落とした。
背中の方で矢が二度鳴った。
「右の二匹、狼を落としたわ。ゴブリンは岩の裏」
残った左の二匹は、仲間が減ったのを見て走る向きを変えた。湖の縁を遠ざかっていく。背中のゴブリンが振り返って、何か叫んだ。
「追わない」
「追わないわ。狼で来られたら追いつけないもの」
岩の裏に落ちた二匹のゴブリンは、ミアの矢が片付けた。
【ゴブリン騎手を討伐しました】
【経験値 +90】
砂の中に、小さい魔石が四つと、狼の毛皮が三枚残った。ゴブリンの槍も転がっていたが、石を縛っただけの物で、持って帰る物ではなかった。
「狼に乗られると、十層までの形が全部崩れるわね」
「向こうが速い分、こっちが走る線に入るしかない。走ってる物は曲がれない」
「それ、十回に一回は轢かれるわよ」
「九回は斬れる」
ミアは何も言わずに矢を拾って、矢筒に戻した。
湖の縁を半分回った所で、前から人の声がした。
四人だった。盾を持った大柄な男が先頭で、その後ろに槍の男と、杖を持った女と、背中に大きな荷を背負った小柄な男。首の札はどれもCで、四人とも、こちらを見て足を止めた。
鑑定を向けた。盾の男がLv24、槍の男が22、杖の女は20で、スキルの行に火魔法Lv2とあった。荷の男は19。四人とも、俺より上だ。
「上がる途中か」
盾の男が、俺たちの荷を見て言った。
「下りる途中だ」
「やめとけ。十三層は変だ」
男は湖の方を顎で示した。十三層へ下りる階段は、この湖の向こうにある。
「スライムの層だ。床の半分がスライムで、ゴブリンの巣が岩の間に並んでる。それが、今は巣が壊れてて、ゴブリンが一匹もいねえ。スライムだけが床に広がってる」
「壊れてる、というのは」
「何かが上から潰したみたいに、巣の岩が割れてた。俺たちは下り口の手前まで行って、引き返した。遠くで、何か大きい物が歩く音がした。スライムの層にいる物じゃねえ」
杖の女が、男の袖を引いた。
「行きましょ。長居する層じゃない」
「忠告はしたぞ」
四人は俺たちの横を通り過ぎて、湖の縁を上がる方へ歩いていった。荷の男だけが一度振り返って、小さく頭を下げた。
ミアは四人の背中が丘の向こうに消えるまで、黙って見ていた。
「マルタさんの言ってた、歩き回ってる奴」
「二十層より下の話だと言ってた」
「言ってたわ。でも、あの人たちは十三層で音を聞いた」
ミアは腰の紐を指で触って、それから湖の向こうを見た。
「行くわよ。ただし決めておく。十三層に下りて、魔物が一匹もいなかったら、その場で引き返す。下り口を探さない。欲しい物を拾わない。階段まで戻って、十二層で待つ」
「待って、どうする」
「向こうが十三層を出ていくまで待つ。マルタさんは、倒さなくても逃げられるって言ったでしょ。逃げるのは、会ってからじゃなくて、会う前よ」
俺は頷いた。
反論は無かった。あったとしても、ミアは聞かなかっただろう。
十三層への階段は、湖の向こうの岩の割れ目にあった。
下りた時には、空の色が変わりかけていた。昼の終わりだ。ミアは階段の脇に荷を下ろして、今日はここまで、と言った。
「夜に知らない層へは入らない。昨日もそう言ったわ」
「下に何かいるなら、なおさらか」
「ええ。それに、夜のうちに向こうが動いてくれるかもしれない」
火は焚かなかった。見張りは今度こそ交代で、夜の半分でミアが俺を起こした。
星を見ながら、階段の下から上がってくる風に耳を澄ませた。風の音しかしなかった。それが良い事なのか、俺には分からなかった。
空が白んで、四つ目の結び目をミアが作った。
十三層へ下りる。
階段の途中から、もう分かった。音が無い。十一層にも十二層にも、どこかで岩を蹴る音や羽音があった。ここには、風の音だけだ。
降りきった所は、岩場だった。
丘は無く、床が見渡す限り平らに続いている。その床の半分が、昼の光を返して濡れたように光っていた。十一層で見たスライムだ。それが、床の半分を埋めるほど広がっている。
光っていない半分に、岩が並んでいた。人の背より高い岩が、列を作っている。ゴブリンの巣だと帳面にあった岩だ。
その岩が、列の途中で割れていた。上から叩き割ったように、岩の頭が砕けて、破片が床に散っている。
「……いないわ。ゴブリンが一匹も」
ミアの目が、床の端から端まで動いた。
「スライムだけ。それ以外、何も動いてない」
「決めた通りだな」
「ええ。引き返す」
ミアが階段の方へ向き直った、その時だった。
床が、揺れた。
揺れたのではない。何かが遠くで床を踏んで、その音が岩場を伝わって足の裏に届いた。続けて、もう一度。歩いている。
「レン、鑑定。あそこ」
ミアが指した先は、俺には岩の列の向こうの黒い影にしか見えなかった。それでも窓は開いた。
キメラ Lv36
HP:1,500/1,500
スキル:剛力 Lv3/火息 Lv2/毒尾 Lv2/咆哮 Lv2
三十六。
熊が二十六で、俺は一度叩きつけられた。それより十上の数字が、岩場の向こうを歩いている。
「階段。走って」
ミアが言い終わる前に、影が足を止めた。
影の頭が、こちらを向いた。
風が下から上がっている。匂いは向こうへは届かないはずだった。それでも、影は俺たちを見ていた。
声が来た。
咆哮という字が、窓に出ていた。字で見た時には何の事か分からなかった。音が来た時に分かった。岩場全体が鳴って、腹の底を叩かれたように息が止まる。足が、動かなかった。階段へ向けて踏み出したはずの足が、床に張り付いたまま上がらない。
隣で、ミアの弓が落ちた。
「ミア!」
「……手が。手が、開いてる」
ミアは自分の手を見ていた。弓を握れない手を。
影が走り出した。
来る。階段までの距離を、俺の足が動くようになるまでの時間と比べた。間に合わない。岩を背にする時間も無い。
足が動いた時には、もう逃げる方ではなく、ミアの前へ出る方にしか使えなかった。
獅子だった。
岩の列を越えて来たのは、肩の高さが俺の頭ほどもある獅子だった。毛は赤茶で、たてがみが黒い。その背中から、別の首が一本生えていた。山羊の頭だ。曲がった角が二本、獅子の肩の上で揺れている。尾は長く、尾の先に蛇の頭が付いていて、こちらを見ている。
頭が三つ。目が六つ。全部が俺を見ていた。
前脚が来た。
熊の脚より速く、狼の主より重い。受けない。刀を横へ流して、脚の内側へ体を入れた。爪が外套の肩を裂いて、肉には届かない。通り過ぎる前脚の付け根へ刃を入れる。毛が厚い。刃が滑って、浅く入った。
そこで、角が来た。
獅子の頭の動きしか見ていなかった。山羊の頭は獅子の肩の上で、別の生き物のように俺を見ていた。獅子が前脚を振った時、山羊は首を横に振って、角の先が俺の左の肩を打った。
視界が回った。岩の上を転がって、立ち上がった時には肩が上がらなくなっていた。
HP61/95。
一撃で三分の一が消えた。
「レン! 尾!」
ミアの声で、横に跳んだ。俺のいた場所に、蛇の頭が噛みついていた。牙が岩を削って、黒い液がその岩にかかる。岩が、泡を立てた。
三つだ。獅子と、山羊と、蛇。三つが、別々に来る。
「一対一じゃないわ! 三対一よ!」
「分かってる!」
獅子が低くなった。口が開いて、喉の奥が赤く光る。
火息。窓の字を思い出すより先に、体が動いていた。横へ跳ぶ。跳んだ後ろを、火の帯が通り過ぎた。岩が焼けて、スライムの床が音を立てて縮む。火は外套の裾を掠めて、裾が燃えた。叩いて消す間に、山羊の角がまた来る。
今度は見ていた。角の下をくぐって、獅子の横腹へ刃を入れる。入った。浅いが、入った。獅子が吠えて、尾が回ってくる。蛇の頭が俺の腕を狙って、刀の柄で叩き落とした。
HP52/95。
腕に牙は刺さっていなかった。それでも、叩き落とした時に蛇の口から飛んだ液が腕に付いて、そこが焼けるように痛んだ。
「ミア、尾を落とせるか!」
「動きすぎてる! 止めて!」
「止める!」
獅子の正面に立った。立つしかなかった。獅子が俺を見ている間だけ、尾は俺の方へ回ってくる。
前脚が来る。受けない。内側へ。爪が外套を裂く。角が来る。くぐる。通り過ぎる獅子の脇腹へ、三度目の刃。獅子が首を振って、俺を払おうとする。払われる前に離れた。
尾が来た。俺を狙って、蛇の頭が獅子の背中の上を越えて、真っ直ぐ伸びてくる。
その蛇の頭に、矢が刺さった。
顎の下から頭の上へ、矢が貫いていた。蛇の頭は伸びたまま止まって、それから、糸が切れたように落ちた。尾が獅子の脚の間で跳ねて、二度跳ねて、動かなくなった。
「二対一!」
ミアの声が、少しだけ高かった。
獅子が吠えた。咆哮ではない。痛みの声だった。山羊の頭が、初めて俺ではなくミアの方を向いた。
「ミア、角が見てる!」
「見させておきなさい! 私の矢の方が、角より遠くまで届くわ!」
矢が飛んだ。
山羊の左の目に刺さった。山羊の頭が仰け反って、角が空を打つ。獅子は走ろうとして、背中の上で暴れる山羊の重さに一歩よろけた。
その一歩を、俺は見ていた。
よろけた側の前脚が、床に着く前の空いた瞬間。熊の時に見たのと同じ、岩の無い隙間。
踏み込んだ。
前脚の付け根、浅くしか入らなかった所へ、今度は体ごと刃を入れた。手応えが深く返ってきて、獅子の前脚が床に崩れる。頭が下がる。下がった首の、たてがみの間。
振り下ろした。
刃が止まらなかった。止まらずに、通った。
獅子の頭が床に落ちて、山羊の頭がまだ動いている。角が俺を探して、空を二度打ってから、ゆっくりと垂れた。
砂になるまで、長かった。獅子も、山羊も、蛇も、同じ砂になって床に広がって、床のスライムがその砂に寄ってきた。
【キメラを討伐しました】
【経験値 +3,600】
【Lv14 → Lv15】
【所持SP:1】
膝が落ちた。
HP52/99。レベルが上がって、上限だけが増えた。腕は焼けるように痛んで、左の肩は上がらない。裾は半分燃えて無くなっている。
「レン、腕を出して。蛇の液が付いた所」
ミアが水袋の水を腕にかけて、布で拭った。皮膚が赤黒くなっていて、拭うと痛みが倍になった。
「毒牙じゃなくて、毒尾ね。牙じゃなくて液の方。刺さってたら、もっと悪かったわ」
「矢が、通った」
「一本目は外したわ。二本目で通った。あんたが正面に立って止めたから」
ミアは布を結んで、それから、床に落ちた自分の弓を拾いに行った。咆哮で落とした弓だ。拾って、弦を指で弾いて、何も言わずに背中に戻した。
砂の引いた後に、拳二つ分はある魔石が一つ残っていた。それだけだった。
帰りの台は、出なかった。マルタの言った通りだ。倒しても、台は出ない。
「……十五か」
窓を開いた。Lv15。所持SP1。
試しに、自分に鑑定を向けた。
名前:レン Lv:15
次のレベルまで:3,000
三千。
熊と狼の主と蜘蛛と騎手で、十四から十五まで上がった。その時の数字は、二千に届いていなかった。今度は三千。
「どうしたの」
「次までの数字が、増えてる。今までの倍近い」
「増えるものでしょう、レベルって」
「一つ上がるだけで、これだけ増えた事は無かった」
ミアは俺の顔を見て、それから窓の見えない空を見た。
「私には見えないから、分からないわ。あんたの数字は、あんたしか知らないもの」
それ以上は、二人とも言わなかった。
岩場の遠くで、小さい影が動いた。
ゴブリンだった。壊れた巣の列の向こうから、一匹、二匹と顔を出して、こちらを見ている。走って来ない。槍も持っていない。何かが去ったのを確かめるように、巣の岩の上に登って、辺りを見回している。
「戻ってきたわ。あいつらがいなかったのは、あれがいたからね」
「次からは、静かになったら引き返す」
「次からは、じゃないわ。今日もそのつもりだったのよ。向こうの方が速かっただけ」
ミアは階段の方を一度見て、それから下り口の方角を風で読んだ。
「下り口は、岩の列の向こう。昼のうちに着けるわ。十四層の手前で野営して、明日十四層」
「行くのか」
「行くわ。帳面に無い物は倒した。帳面にある物は、まだ帳面の通りよ」
俺は立ち上がった。肩はまだ上がらなかったが、歩けた。
門で十二日と言った。その三日目の昼が、まだ半分残っていた。
読んでくれてありがとうございます!
十二層は狼に乗ったゴブリン、十三層はスライムの床、そして帳面に無い物。
マルタさんが「二十層より下の話」と言っていた歩き回るボスが、十三層に来ていました。
キメラは頭が三つ。一対一のつもりが三対一で、尾と角をミアが落として、やっと一対一になった戦いでした。
そしてレンはLv15。次のレベルまでの数字が、急に増えました。
次回は十四層へ下ります!




