第八十話 十二日
今回から十一層です!
野営の道具を背負って、門で日数を申告して、初めて穴の中で泊まります。
十層までとは穴の様子がだいぶ変わるので、二人も手探りです。
ゆっくり読んでもらえたら嬉しいです!
マルタの物置は台所の裏にあった。
戸を開けると、油と煙と古い革の匂いが一緒に出てきた。壁の棚に毛布が畳んで積んであり、床には水袋と鍋と縄が、持ち主ごとに分けたように幾つかの山になっている。
「好きなのを持っていきな。毛布は二枚ずつだよ。下は底冷えする」
マルタは戸口に立ったまま、中には入ってこなかった。
俺は一番上の毛布を取って広げた。焚き火の煙の匂いが染みていて、端が一か所焦げている。鍋は小さい物を一つ、水袋は縫い直してある物を二つ。縄と油と火打ちを一組ずつ。
鍋の柄に、小さく名前が彫ってあった。読めたが、口には出さなかった。ミアも水袋の口に彫られた字を指でなぞってから、何も言わずに自分の荷に入れた。
「それと、一つ教えとくよ」
マルタは棚に手を掛けたまま言った。
「帳面で読んだろうけど、下は昼が二回で外の一日だ。数えるのを忘れると、自分が何日目にいるのか分からなくなる。申告した日数を越えた奴の半分は、戦って死んだんじゃない。数え間違えたんだ」
「どうやって数える」
「好きにしな。紐に結び目を作る奴もいれば、壁に傷を付ける奴もいる」
ミアが縄の束から細い紐を一本抜いて、腰に結んだ。
「もう一つ。これはまだ先の話だけどね」
マルタは棚から手を離して、俺たちの顔を順に見た。
「決まった部屋にいないボスがいる。層を歩き回ってるんだ。その層の魔物じゃなくて、もっと下にいるはずの物が上がってくる。二十層を越えた辺りからの話だから、あんたらはまだ気にしなくていい」
「会ったら、どうなる」
「来る前に分かるよ。その層の魔物が急にいなくなる。静かになったら、どこかにいる。主と違って、倒しても台は出ないし、部屋の戸も閉まらない。だから逃げられる。逃げ切れるかは別の話だけどね」
ミアが紐の端を指に巻いて、それから解いた。
「帳面には無かったわ、そんな話」
「書きようが無いだろ。どこにいるか決まってないんだから」
物置を出る時、ミアが振り返ってもう一度中を見た。使う物を決めた山の横に、決めなかった山がそのまま残っていた。
道具屋で干し肉と固いパンを足し、油をもう一瓶と、灯りをもう一つ買った。
帰り道、ミアが荷の重さを背中で確かめながら言った。
「最初は十五層の主までにする。そこで台が出るから、帰れるわ」
「二十層の主まで行けば、Bなんだがな」
「野営のやり方も分からないうちに十日潜る気? 十五層までなら五日。それで一度帰って、足りなかった物を揃えてから二十層よ」
「分かった。門では何日と言う」
「十二日。受付の人が多めにって言ってたでしょ。五日の予定に七日足しておけば、迷っても怪我をしても、二十二日目までは誰も私たちを死んだ事にしない」
ミアは指を折りながら数えて、それから自分の首の札を見た。
「死んだ事にされて、十枚払って生き返るのは嫌だもの」
翌朝、北の門の番は札を確かめた後で、初めて帳面を開いた。
「Cか。何日潜る」
「十二日だ」
番は帳面に、空欄、二名、十二日、と書いて、日付を横に添えた。
「二十二日目の朝までに出てこなけりゃ、この札は死人の物になる。忘れるなよ」
入口の台に乗ると、足の下が揺れて、次の瞬間には十層のあの野原に立っていた。
外は朝だったのに、ここは夜だった。三日前と同じ星が出ている。主のいた岩の上には何もいない。遠くの岩陰で白い目が二つ光って、こちらを見てから消えた。頭を失った狼は、寄ってこなかった。
ミアが風を読んで、野原の端まで歩いた。十一層へ下りる階段は、岩と岩の間の目立たない割れ目の中にあった。
階段は十層へ下りた時より長かった。
降りきった所で、二人とも足を止めた。
空の端が、白み始めていた。
星が一つずつ薄くなって、暗かった野原の形が浮かび上がってくる。足元は土と岩と、膝までの丈の白い草のような物に覆われていた。十層の主の間と同じ広さが、今度は層そのものになっている。
「明るくなってきてる。帳面の通りね」
「十層の夜の分を引くと、昼はもう残り少ないか」
「ええ。昼のうちに林を抜けたいわ」
ミアは腰の紐に、結び目を一つ作った。
遠くに、石の柱が何十本も林のように立っている一帯が見える。柱と柱の間は暗くて、何があるのか分からない。その手前を細い川が横切って、水の音がここまで届いていた。
「風があの柱の林を抜けて、向こうへ吸われてる。下り口は林の向こう。遠回りは、できなくはないけど半日は余計にかかるわ」
「林には入るな、と書いてた組があったな」
「理由は書いてなかった。それに、書いた組は戻ってない」
「その前に、あれ」
ミアが顎で示した先の低い丘の上に、小さい影が並んでいた。
腰の高さほどの、灰色がかった緑の体。手に持っているのは石を縛り付けた槍で、こちらを見て、一匹が骨で作った笛のような物を吹いた。
「ゴブリンか。帳面の通りだ」
「八匹。あの笛を吹いたのが、一番大きいわ」
鑑定を向けた。
ゴブリン Lv10
HP:120/120
スキル:投石 Lv2/槍術 Lv1
十層までの魔物の窓には無かった行が、下に付いていた。笛を吹いた一匹だけ、その下にもう一行ある。統率、Lv1。
「スキルを持ってる。狼にも熊にも無かった行だ」
「帳面には書いてなかったわね、それ」
狼より下の数字だ。ただし八匹いて、投げる物を持っている。
石が飛んできた。
丘の上から、八匹が一斉に投げた。俺は横へ出て、ミアは岩の後ろに入った。石は俺の足元の草に落ちて、二つ目が外套の肩を叩いた。
ミアの矢が二度飛んで、丘の上の影が二つ減った。
残りは逃げなかった。少し下がって、また投げてくる。逃げるのでも、向かってくるのでもない。投げては下がり、投げては下がりで、気づくと俺たちは丘の方ではなく、柱の林の方へ少しずつ押されていた。
「レン、気づいてる? あいつら、林の方へ追い込んでる」
「追わないと決めてるのに、追われてるな」
「追われてるんじゃないわ。追い込まれてるのよ。林に何かある」
ミアが柱の林を見た。その目が、途中で止まった。
「……糸。柱と柱の間に、糸が張ってあるわ。風がそこで裂けてる」
「蜘蛛か。帳面には無かったぞ」
「見えないくらい細いのが、何十本も。石をぶつけられて林に飛び込んだら、糸に掛かる。掛かった所を蜘蛛が食べて、残りをあいつらが拾うのね」
石がまた一つ、俺の足元に落ちた。
「入るな、と書いた組の理由はこれか」
「分かった時には、もう書けなかったのよ。通るわ。私が糸を読む。あんたは私が言った所だけ斬って」
柱の林に入ると、ゴブリンの石は柱に当たって届かなくなった。代わりに、頭の上がやけに静かだった。
柱は俺の腕で三抱えはある太さで、昼の光は柱の間まで届かず、足元は暗い。ミアが半歩前を歩き、片手を上げるたびに俺は止まった。
「左の柱の間、糸が二本。腰の高さと、膝の高さ。くぐれるわ」
「右は」
「右は駄目。五本も張ってる。あそこが本命よ」
身を低くして、ミアの言った通りの隙間を抜けた。その後ろから石が一つ飛んできて、柱に当たって砕けた。ゴブリンが林の縁まで来て、まだ投げている。
「あいつら、しつこいな」
「掛かるのを待ってるのよ。獲物が自分で糸に当たるまで」
五本の糸の張られた場所を回り込む道が無かった。柱が密に立っていて、糸の向こうしか先に進める隙間が無い。
「切るしかないわ。切ったら来る。それだけ覚えておいて」
俺は刀を抜いて、ミアが指した高さに刃を当てた。
手応えは無かった。それなのに、切れた瞬間に柱の上の方で何かが動いて、柱の間に差していた光が一度陰った。
落ちてきた。
荷車ほどの体に、脚が八本。柱の上から糸も引かずに真っ直ぐ落ちてきて、俺のいた場所の土に脚を突き立てた。横へ跳んでいなければ、下敷きになっていた。
鑑定を向ける暇はあった。
大蜘蛛 Lv22
HP:420/420
スキル:糸 Lv3/隠密 Lv3/毒牙 Lv2
隠密の三が、上にいて気づかなかった理由だった。帳面を書いた組が蜘蛛を見ていないのも、たぶん同じ理由だ。毒牙の二は、噛まれてから知る事になる。
蜘蛛は脚を折り畳んで低くなり、前の二本を鎌のように上げて、横に歩いた。目が八つ、全部こちらを向いている。
前脚が来た。刃を当てる前に、脚の内側へ入った。通り過ぎる脚の付け根に刃を入れると、固い殻の下に柔らかい物があって、刃はそこまで届いた。脚が一本、土に落ちて跳ねた。
蜘蛛は後ろへ下がって、柱に脚を掛けた。登って上から来る気だと分かった。
「ミア、上へ逃げる!」
「登らせないわ」
矢が三本続けて飛んで、八つの目のうち三つに刺さった。蜘蛛が柱から落ちて、残った七本の脚で土を掻き回す。
その首へ、刀を振り下ろした。殻が割れて、その下まで刃が通った。
蜘蛛は脚を縮めて丸くなり、砂になって崩れた。
【大蜘蛛を討伐しました】
【経験値 +200】
砂の中に魔石と、白い糸の束が残っていた。糸は手で引いても切れなかった。
林の縁で、石を投げていたゴブリンの手が止まっていた。笛の音が一つ鳴って、六匹が丘の方へ走っていく。拾う物が無くなったら、用が無いらしい。
「追わないわよ」
「追う気は無い。拾う物が無いなら、向こうも来ないだろ」
糸の束を袋に入れた。売れるかどうかは分からないが、切れない糸は縄の代わりにはなる。
林を抜けた先で、大きな岩の庇が頭の上に張り出して、空が隠れた。
岩は頭のすぐ上まで下がっていて、その裏に、泥を固めたような塊が幾つも付いている。塊の表面で、何かがびっしりと動いていた。
「蜂ね。巣が六つ。六つって書いた組の方が新しかったのね」
ミアが腰の灯りの火を小さくした。
羽音は低く、絶え間なく続いている。俺たちは岩の壁に沿って、足を擦らないように進んだ。半分ほど進んだ所で、後ろから石が一つ飛んできた。
石は巣の一つに当たった。
羽音が一斉に変わった。
「あいつら、ついてきてたのね!」
黒い塊が巣から溢れて、岩の庇の下いっぱいに広がった。親指ほどの蜂が、何百と来る。俺は走り出そうとして、足を止めた。ミアの手が外套の背中を掴んでいた。
「走らないで! 床を見て!」
庇の外から差す昼の光を返して、床のあちこちが濡れたように光っていた。水ではない。動いている。
「スライムよ。踏んだら靴ごと溶けるわ」
蜂が来た。首と腕を刺されて、火を押し付けられたように熱くなる。刀で払っても一匹も落ちない。
ミアが腰の灯りを外して、火を目一杯に上げた。庇の下の暗がりで、その火だけが急に明るくなる。
「音と光に寄るんでしょ。なら、これを追わせる」
ミアは火の点いた灯りを、床の光っている所へ向かって放った。
灯りは土の上を転がって、光る床の真ん中で止まった。蜂の塊が向きを変えて、その火に群がる。灯りが沈んでいくのが見えた。火がスライムの中で揺れて、それでも消えずに蜂を集めている。
「今のうちに」
俺たちは壁に沿って、蜂と逆の方へ抜けた。
後ろで、ゴブリンの短い悲鳴が二つ聞こえた。石を投げた二匹が、火を失った蜂に見つかったらしい。振り返らなかった。
庇を抜けて空が戻った所で、やっと足を止めた。首と腕が二つずつ腫れて、刺された所が脈を打っている。
「灯りを一つ捨てたわ。残り一つ」
「靴は」
「私のは無事。あんたの左、縁が溶けてる」
左の靴の縁が、指一本分だけ無くなっていた。踏んではいない。擦っただけでこれだった。
見上げると、空の色が変わり始めていた。昼が終わりかけている。
下り口は、蜂の庇を抜けた先の、川が壁の下へ潜っていく所にあった。
水が岩の口に吸い込まれていて、その脇に階段が口を開けている。ミアが風を確かめて頷いた。
「十二層への階段。帳面の通りの場所ね。今日はここまでにしましょ」
「まだ少し明るい」
「腕の腫れが引いてから下りる。十二層の最初で、その腕で蜘蛛が落ちてきたら避けられないでしょ。それに、もうすぐ夜よ。知らない層に夜から入る気?」
反論は無かった。
階段の脇の岩陰に毛布を広げた。火は焚かなかった。燃やす物が無い上に、蜂が光に寄る事を身をもって知ったばかりだった。
干し肉と固いパンを水で流し込んで、刺された所に水袋の水を当てた。ミアは腰の紐に、結び目をもう一つ作った。
空が暗くなって、星が一つずつ戻ってきた。下りてきた時に見たのと、同じ並びだった。
「見張りは交代ね。先に寝なさい」
「俺が先に起きてる」
「腫れが引いてからの方が、見張りの目も使い物になるわ。先に寝て、夜の半分で起こす」
ミアは弓を膝に置いて、岩に背を預けた。俺は毛布を二枚重ねて横になった。
水が岩の口に吸い込まれる音だけが続いている。六時間で明けると分かっている夜は、外の夜より短く感じる気がした。
門で十二日と言った。外の一日目が、まだ終わっていなかった。
読んでくれてありがとうございます!
十一層に入りました。十層までとは魔物の顔ぶれが変わって、ゴブリンと蜘蛛、蜂とスライムが組んで来る層です。
追わなければ済む、という十層までのやり方が通じなくて、二人は手探りでした。
灯りを一つ犠牲にしたミアの判断、レンの左靴、そして初めての穴の中の夜。
次回は十二層へ下ります!




