第七十九話 十層
休みを一日挟んで、今回は十層です!
矢を足して、背中を治して、前回握ったままだったSP1の使い道も決めて、いざ主の所へ。
十層といえばランクの節目。五章の穴の暮らしも、ここで一区切りです。
気楽に読んでもらえたら嬉しいです!
休みの日は、朝から背中が痛んだ。寝返りを打つたびに、今日は潜らない理由を思い出す。
それでも昼前には起きて、管理局へ行った。魔石と毛皮と、岩の板を買取の台に出す。赤い石だけは係が別の係を奥から呼んできて、二人で石をかざしたり紙に当てたりした末に、思っていたよりずっと重い袋になって戻ってきた。
「あんなに小さいのに、魔石の袋より重くなったわね」
「あれが箱の中身か。深い所の箱なら、もっと良い物が出るって話だった」
「次は熊無しで出てほしいわ」
道具屋では矢を二束足した。ミアが一本ずつ反りを確かめている間、俺は昨日のうちに研いでおいた刀の柄を巻き直した。
宿に戻ると、マルタが昼の鍋を火に掛けながら俺の歩き方を見た。
「まだ痛むのかい。明日は行くのかい」
「明日には行くよ。今日は一日寝て治す」
「それでいい。しっかり治して、万全で行くんだよ」
夜、ミアが矢筒の中を数え直している横で、俺は窓を開いた。
Lv14の下に所持SP1の行が、昨日と同じ場所にある。
回避に回すつもりで開いた。熊に叩きつけられたのは受けたからで、受けたのは体がそう動いたからだ。回避の段が上がれば体の方が変わるかもしれない。
ただ、バルガスの言葉を思い出した。受けるな。当たらない場所にいろ。あれは段の話ではなくて癖の話だった。段を一つ買っても、受ける癖は俺が自分で直すしかない。
それなら、と思って鑑定の行を見た。
Lv1。相手のレベルと体の数字が見える。ユーリの木剣が俺に三本入ったのは、速かったからじゃない。前の晩に俺の段を全部読んだ上で振っていたからだ。読まれる側に立つのは、もう十分だった。
一つだけの数字を、迷わずに払った。
【スキル『鑑定』Lv1 → Lv2】(消費SP:1/残りSP:0)
数字は変わらない。見える物が増えるだけだ。
「何か上げたの」
「鑑定を一つ。相手の持ってる物が見えるようになる」
「剣術じゃないのね」
「向こうがこっちの段を読んで来るなら、こっちも読めないと話にならない」
ミアは矢を数える手を止めて、少しだけ笑った。
「それでいいわ。読まれるのは、もう懲り懲りだもの」
翌朝、北の門の番は札を一枚ずつ確かめてから顎で奥を示した。
試しに鑑定を向けると、Lv9の下に槍術Lv3と身体強化Lv1が並んで、所持SPの行に2とあった。昨日までは見えなかった行だ。番の男は俺が自分を見ているとも気づかずに、次の組の札を確かめていた。
入口の台に乗ると足の下が揺れて、次の瞬間には五層の主の間に立っていた。何もいない部屋を抜けて、六層へ下りる。
六層から九層までは、もう知っている穴だった。
苔の光の中で狼の群れに囲まれ、一匹が背を向けて逃げる。俺は追わない。ミアが床と壁を読んで、俺はその半歩後ろを歩く。
八層の隠し部屋の前は、壁を見ないようにして通り過ぎた。
「開けないのね」
「開けたら十三層が出てくる。今日は十層だ」
九層で、群れが八匹になった。それでもやる事は同じで、背中合わせに立って来る順に斬り、逃げる一匹には矢が刺さった。
下へ行くほど、下から上がってくる風が強くなった。髪が持ち上がるほどの風で、ミアは九層の半ばから何度も足を止めて先を見ていた。
「次、変よ。壁が見えないの」
「主の部屋じゃないのか」
「部屋って言っていいのか分からないわ。風が、どこにも当たらずに広がってる」
十層へ下りる階段は長かった。
降りきった所で、俺は足を止めた。
天井が無かった。
見上げた先に星があった。数えきれないほどの星が、黒い空いっぱいに散っている。月は無い。苔の光は今下りてきた階段の口で途切れていて、その先は星明かりだけで照らされていた。
足元は土と岩で、あちこちに俺の背より高い岩が転がり、その間に窪みと小さな丘が続いている。夜の野原だった。似ているのではなく、そのものだった。
五層の主の間は、広いといってもトリムのギルドの広間ほどだった。ここは、街が一つ入る。
「……穴の中だよな、ここは」
「階段を下りてきたんだもの。穴の中よ」
ミアも上を見たまま答えた。
「でも風は下から上がってきてる。空があるのに」
それ以上は、二人とも言わなかった。
「静かすぎるわ」
ミアが弓を手に持ったまま、一歩も動かずに言った。
音が無かった。九層まではどの層でも、どこかで爪が岩を掻く音や唸り声がしていた。ここは風の音しかしない。俺の気配察知は、何も拾わない。
ミアの目が、ゆっくりと左から右へ動いた。
「レン。囲まれてる」
「どこにいる」
「岩の裏と窪みの中、それと丘の向こう。……二十はいるわ。全部こっちを向いてる」
二十。九層で囲んできた八匹の倍以上が、見えない所に伏せている。
「主はどこだ」
「奥。一番高い岩の上に伏せてる。動いてないわ」
ミアの目で見えるという一番高い岩は、俺には星明かりの中の黒い影にしか見えなかった。影に鑑定を向けると、それでも窓は開いた。
洞窟狼の主 Lv20
HP:620/620
スキル:統率 Lv3/咆哮 Lv2/嗅覚 Lv2
狼の倍近くで、熊には届かない。一匹なら、昨日の熊より楽な相手だ。
ただ、九層までの狼には無かった行が三つ付いていた。統率という字が、二十という数と並んで目に残った。
「下がろう。あの岩を背にすれば、後ろは塞げる」
「ええ。二十を正面から捌くのは無理よ。背中だけでも岩に預けないと」
俺たちは階段の脇に転がっていた岩まで、音を立てないように下がった。岩は二人の背中を隠すだけの幅があった。
その岩に背を付けた瞬間、遠吠えが一つ、野原の奥から上がった。
長い声だった。声が終わらないうちに、二十の影が一斉に立ち上がるのが、今度は俺の目にも見えた。
来たのは正面から五匹だった。
岩と岩の間を縫って、星明かりの中を低く走ってくる。俺は半歩前へ出て、先頭の首を払った。二匹目の胴を斬り上げる間に、背中の方で矢が二度鳴って二匹が砂になる。五匹目は俺の刀が届く前に向きを変えて、岩の陰に消えた。
息を吐く間もなく、遠吠えがもう一度上がった。
今度は左からだった。四匹。俺の刀が右に流れた隙を、分かっていて来た。一匹目の横腹を斬ったが、二匹目は俺の脇を抜けてミアに向かった。
「ミア!」
「こっちは見えてるわ!」
矢は間に合わなかった。ミアは弓を持ったまま左へ跳んで、通り過ぎる狼の首筋に腰の短剣を突き立てた。狼は砂になって、短剣だけがミアの手に残った。
「……短剣で間に合わせるのは、もう嫌よ」
「次は俺の横を抜かせない」
三匹目と四匹目は岩の陰に下がって、こちらを見たまま動かなかった。
吠え声が上がる。右から五匹。
右を斬っている間に、下がっていた左の二匹が戻ってくる。倒した数は七を越えていたが、残りの数は減っていくように見えなかった。下がった分が、吠え声のたびに向きを変えて戻ってくる。
「吠えるたびに、来る方向が変わってる。狼が勝手に動いてるんじゃないわ」
ミアが矢を番えたまま言った。
「統率だ。あいつの窓に出てた。あの吠え声で群れを動かしてる」
「なら、あいつが頭。あいつを落とせば、この群れは崩れる」
「岩まで遠い。間に十匹以上いる」
「だから、こっちへ来させる」
ミアの弓が、正面の狼ではなく奥の黒い影に向いた。
俺には影としか見えない距離だった。ミアは息を一つ吸って止め、放った。
矢は星明かりの中を真っ直ぐ飛んで、途中で一度だけ曲がった。
遠くで、声が上がった。遠吠えではない。短く、怒った声だった。
一番高い岩の上の影が立ち上がった。洞窟狼の二回りは大きい。肩の高さが俺の胸ほどあって、矢が一本、肩の付け根に立っている。
主が岩を下りて、真っ直ぐこちらへ来た。間にいた狼が左右に割れて、主の道を空ける。それだけで、こいつが何なのかが分かった。
「弓を潰しに来たわ。思った通り」
「後ろへ下がるか」
「下がらないわ。私が射た所を、あんたが斬って」
ミアは動かなかった。俺はミアの横ではなく、主の走ってくる道の脇へ回った。
熊より軽くて、熊より速かった。
主はミアしか見ていなかった。俺の横を通り過ぎる瞬間、半歩だけ内側へ踏み込んで、前脚の付け根へ刀を滑らせる。刀は立てなかった。刃が毛を割って肉に入り、主の走る線が崩れた。
崩れた先に、ミアの矢が待っていた。
至近で放たれた矢は左の目に刺さって、主が首を振る。振った首が俺の方へ回ってきて、開いた口が肩に来た。
今度も受けずに、半歩だけ内側へ入った。牙は俺の肩のあった所を噛んで空を切り、通り過ぎる首筋へ、今度は深く刀を入れる。
主は前へ二歩進んで、膝を折った。
倒れた体が砂になるより先に、野原が変わった。
走ってきていた狼が足を止めて、辺りを見回した。吠え声が一つ、また一つと上がるが、どれも遠吠えではなく、短い鳴き声だった。一匹が俺に向かって一匹だけで来て、首を払われて砂になる。残りは岩の陰へ、窪みの中へ、ばらばらに逃げていった。
俺たちは追わなかった。
【洞窟狼の主を討伐しました】
【経験値 +800】
数字を見た。五層の主の倍で、熊には届かない。レベルの行は14のまま動かなかった。
「……今日は一度も受けなかったわね」
「二回とも避けた。熊で懲りたからな」
「熊に感謝しなさいよ」
ミアは弓を下ろして、肩で息をしながら野原を見渡した。
「もう群れじゃないわ。あれは」
「頭がいない狼か」
「そう。一匹ずつなら九層の方が強いくらいよ」
砂の引いた後には拳ほどの魔石と、灰色に白い筋の入った毛皮が一枚残っていた。
帰りの台は、主が伏せていた一番高い岩の足元に現れていた。そこまで歩く間、狼は一匹も出てこなかった。岩の陰から白い目がこちらを見ていたが、目が合うと奥へ消えた。
歩きながら、俺は一度だけ空を見上げた。星は、最初に見た時から一つも動いていなかった。
入口の台に出ると、番の男が札を確かめて俺の袋を見た。
「十層の魔石か。早いな、あんたら」
管理局の広間で順番を待つ間、ミアは首の札を指で弾いていた。
台の向こうにいたのは、帳面に空欄と書いた、あの若い女だった。
「お待ちしておりました。……十層の主ですか。登録から五日目ですね」
女は魔石を確かめて帳面に書き付け、俺たちの首からDの札を外した。新しい鉄の板に名前が刻まれて、その隣に字が打たれる。
C。
「Cランクになりましたので、ここから先の決まりをお伝えします。十層までとは違う所が、いくつかあります」
女は帳面の端に指を置いた。
「十層の主の間を、ご覧になりましたね」
「見てきた。穴の底に、空があった」
「十一層から下は、あの空の下が一層ごとに続きます。一日では戻れません。野営の支度を持ってお入りください」
「どのくらいかかるの」
「十一層から二十層までは、一層に一日です。分かれ道で迷えば二日になります。二十層の主を越えて、二十一層から下は、一層に六日ほどと言われています」
ミアの指が札から離れた。
「六日。それで主が五層ごとなら」
「はい。二十一層から二十五層の主までで、ひと月です。三十層から下は主が十層ごとになりますので、一度入れば二ヶ月は出てこられません」
「帰りの台は主の層にしか無い、だったな」
「そうです。途中で帰る道はありません」
女は俺とミアの顔を順に見て、帳面の次の行に指を移した。
「ですので、十一層から下へ入る時は、門で何日潜るかを申告していただきます。門の番が札を確かめているのは、入った日を控えるためです。申告した日数を過ぎて、さらに十日戻らなければ、管理局は死亡扱いにします」
「死亡扱いになると、どうなるの」
「札が死んだ方の物として帳面に写されます。その札では穴に入れませんし、買取もできません」
「生きて戻ったら」
「生きている事を届け出て、札を作り直していただきます。二、三日かかります。それと、作り直しには金貨十枚いただいています」
ミアが聞き返す前に、俺の口が動いた。
「金貨十枚か。高いな」
「はい。安くありません。十日で戻れない組を減らすために、わざと高くしてあるんです。十一日目に這い出てきて、払えないと泣く方を何人も見ました」
女は少しだけ声を落とした。
「ですから、申告は多めになさってください。早く戻る分には、何も言われません」
「分かったわ。多めに言っておく」
ミアはそう言って、新しい札を首に掛けた。
「それと、もう一つ。Cからは、局の記録室をお使いになれます」
女は広間の奥の戸を目で示した。
「十一層から下の事は、潜った組が持ち帰った話を層ごとに帳面にしてあります。Bになると神殿の書庫、Aになると書庫の奥の、古の手記の棚もご覧になれます」
ミアが札から手を離して、女を見た。
「どうして、登録の時に言ってくれなかったの」
「登録の日に全部お話ししても、ほとんどの方はDで辞めるか、戻ってこないかですから」
女は声を落とさずに言った。
「それに、浅い札のうちに深い層の事を知ると、知った気になって無理をする方が出るんです。局は、次の層へ行ける札になった方にだけ、次の話をします」
「……穴が選ぶ、ってやつね」
「マルタさんの言い方ですね。局でも同じ事を、もう少し長く言います」
記録室は、広間の奥の小さい部屋だった。
壁の棚に帳面が層の順に並んでいて、十一層の棚だけで五冊ある。十五層は二冊、二十層は一冊で、その先の棚は薄い帳面が一冊ずつ置いてあるだけだった。係はいない。好きに開いていい、持ち出すな、と戸口の紙に書いてある。
十一層の一冊目を開くと、違う筆で書かれた聞き書きが、組ごとに綴じてあった。綴じの頭に組の名前と日付があって、何枚かには名前の横に黒い判が一つ押してある。
「……戻らず、って押してあるわ」
ミアが指で判をなぞった。
「書いたのに戻らなかった組の分ね。局が後から押してる」
五冊のうち、判の無い綴じの方が少なかった。
十一層から下は、昼と夜が六時間ごとに来る。昼が二つで外の一日。どの組も、最初にそれを書いていた。
その先は組によって違った。ゴブリンの群れ、巣は丘の裏。蜂の巣は岩の庇の下、数は四つとも六つとも書いてある。床のスライム、靴の底が溶ける。下り口の目安は、川が壁の下へ潜る所。
一つの組だけ、柱の林には入るな、と太い字で書いていた。理由は書いていない。その綴じには判が押してあった。
「十年前の組は、スライムの事を書いてないわね」
「聞き書きだからな。合ってる所と、古くなった所がある」
ミアは十二層から順に棚の帳面を開いていった。
十二層は、ゴブリンが狼に乗って来る。十三層は、スライムが多い。隠し部屋を開けて魔物に埋まった、と書いた組が一つあって、その綴じにも判が押してあった。十四層は、箱に化ける物がいる、とだけ書いてある。
「箱に化ける?」
「書いた組が、それ以上書いてない。判は押してないわ」
十五層の二冊は、どちらも主の事で終わっていた。
オークの長。部下を二十ほど連れている。杖を持った一匹がいて、そいつが倒れるまで群れが減らない、と片方の組が書いて、もう片方は、長を先に落とせ、と書いていた。
「狼の主と同じ形ね。頭を落とすか、手足を減らすか」
「書いた組で言う事が逆だ」
「どっちも戻ってきてるもの。どっちでも生きられたって事よ」
ミアは二十層の一冊をめくってから、その先の薄い帳面も一つ開いて、すぐに閉じた。
「二十一層から下は、組ごとに書いてある道が全部違うわ。同じ層の話とは思えない」
「そこまで行ってから考えればいい」
ミアは戸口の紙の横から紙を一枚借りて、要る事だけを写した。昼夜の六時間、層ごとの魔物、下り口の目安、十五層の主。写し終わると、判の押してある綴じをもう一度だけ開いて、何も言わずに閉じた。
「十五層までで五日。矢は三束、水は一人二袋。食べ物は七日分持つわ」
「五日なのに七日か」
「帳面の半分が戻ってない部屋で、きっちり五日分だけ持つ気にはならないわ」
三つ樽亭の食堂で、マルタは俺たちの首を見ただけで鍋の蓋を置いた。
「Cかい。五日でね」
「受付に、十一層からの話を聞いた。記録室も見てきた」
「なら私から言う事は一つだけだ。野営の道具は、うちの物置に揃ってる。泊まって、帰ってこなかった連中の物さ。使ってやんな」
マルタはそれだけ言って、鍋の方へ戻っていった。
部屋の窓から、像の頭が見えた。
ミアは寝台に腰を下ろして、胸の二枚のプレートの横に新しい札を並べた。トリムで貰ったCと、帝国で貰ったCが、父親のBを挟んで並んでいる。
「追いついたわ。向こうの自分に」
「ここからは、向こうより先だな」
「そうね。向こうのCには、野営の決まりなんて無かったもの」
俺は自分の札を掌に載せた。
線一本の銅のプレートの隣に、Cの鉄の札がある。王国では一度も上がらなかった札と、五日で三つ上がった札だ。
明日は物置を見る。門で言う日数は、その時にミアと数える事にした。
読んでくれてありがとうございます!
Cランクになりました。王国では特例のEのまま一度も上がらなかったレンが、帝国では五日で三つ上がりました。
十層の主の間は、見上げたら星。穴の底なのに夜空の下で、狼が二十匹。頭を落とさない限り群れは崩れない、という戦いでした。あの空の下が十一層からは層ごとに続くそうです。
そして野営、日数の申告、十日で死亡扱い、作り直しは金貨十枚。穴は深くなるほど、一度入ったら簡単に出てこられない場所になっていきます。
次回は野営の支度をして、十一層へ!




